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ひさね
2022-05-08 22:30:50
2376文字
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温もりと冷たさ
ケントの独白。情ごと水に流す話。腐乱死体の描写、残酷表現あり。
街路樹の真っ黒い影を踏む。チラチラ眼鏡に反射する木漏れ日が少しだけ痛い。
昨晩の大雨はすっかり湿っぽい匂いと空気に変わっていた。微かに濡れた道を踏みながら、ぱたぱた首もとを扇ぐ。
この国は雨が多い。だからなのか、いつもの散歩道も一日ぶりの太陽に惹かれるように人で賑わっていた。大人も多ければ子どもも多く、親に手を引かれていたり散り散りに駆け回っている。
中には子どもとはぐれてしまったのか、必死に名前を呼んでいる男性もいた。
ここは、物凄く平和だ。
のんびりと歩いて、段々と広場から住宅街へと向かっていく。
ふと、「ひゃっ」と小さな悲鳴が聞こえてきた。あれ、と目を向けると小さな女の子が、母親らしき女性の足元にしがみついている。
その視線の先には、黒い虫がいた。
親子がよそよそしく、時折乱れたステップで、蝉がいるところを迂回して通り過ぎていく。
虫が苦手だったのかな、と近づいてから、あの親子の気持ちが少しだけ分かった。
それから少しだけ昔のことを思い出しながら、潰れた蝉の死骸を跨いだ。
ぼくが知っているのは、死体は腐ると裂けるということだ。
砂漠の広がるあの国は日中は太陽が出ているせいで灼熱で、夜は太陽が沈むせいで凍えるような寒さが襲ってくる。そんな気候で、所謂スラムで産まれれば、水道も電気も通っていないし、援助してくれる人もいないのだから、より苛烈さは増す。
だから、ある程度集団で暮らさなければ生きられる可能性が格段に減る。それに仲間外れ同士の団結感はかなり強くなるみたいで、大人も子どもも区別せずに同じ仲間の一員になる。
ぼくもその仲間で、大事な大事な弟分がいた。
悪戯好きで自由気ままな、本当に子どもらしい子どもだった。
きっかけはひょんなことだった。
路地裏の一画で彼と遊んでいたら、別の仲間がやってきて、生きるための大事な相談を持ちかけられた。内容的にはほんの数分で済む話だったし、すぐそばで話すことでもあった。
歩けるよな、なんて笑って聞いてみれば、彼はこくこくと頭が千切れそうなぐらいの勢いで頷いていた。本当に可愛いなあと、彼の小さくて温かい手を強く握った。
そして、相談場所で手を離した。
その数分間で、あっという間にいなくなってしまった。
後は、もう大騒動で。皆、大人としての責任を感じていたのだと思う。
その場にいた全員で、手分けをして探した。名前を呼んで、喉がガラガラになるまで、ほぼほぼ叫ぶみたいに。
小さな路地からひょっこりと、ケロッとした顔を見せてくれないか、と祈りながら、さっきまであった温もりにすがりながら、名前を呼んでいた。
でも、日が落ちても彼は姿を見せなかった。
もう殆ど決まったようなものだった。
その晩は皆、だんまりで時折鼻を啜る音が聞こえた。
彼の親代わりだった人は、ただただ静かに上を向いて、誰のことも責めなかった。淡々と「そういう運命だった」と、凄く凄く小さな掠れ声で呟いた。
そして、今まで良くしてくれてありがとうなんて、いの一番にぼくに言うものだから。
ふざけるなよ、と激昂しそうなのを飲み込んで、強く唇を噛むしかなかった。
翌朝も、友人にすべてを託して、一人で彼を探していた。
フラフラと無言で感覚を研ぎ澄ませながら、捜索をした。
その日は何の成果も得られなかった。
次の日は探す範囲を広げた。準備なしに一人で行くには危険な所まで範囲を伸ばした。
命に関わる危険を冒してでも、ぼくは彼を見つけたかった。
そして日が一番高くなった頃。暑さも最高潮に達する中、拠点から少し奥まったほう、本当のゴミ溜めに近い路地。そこから、プン、と物凄く不吉な臭いがした。
その臭いを辿っていく。一歩一歩、地面の暑さ、太陽の暑さを焼き付けながら、狭い路地を通っていったその突き当りに、蝿が飛んでいた。
果たして、そこに「彼」がいた。
きっと野犬に襲われたのだろう。腕が抉られていた。
そして、そのまま放置されてたから、腐れてしまったのだ。
スラムじゃあ、死体は珍しくない。
腐れたら腹から裂けるのは常識だ。
「彼」も例外になるはずはなく、血液もそうでないものも吹き出していて、物凄く酷い匂いだった。
たかる蝿を払いながら、そして服の端をちぎったボロ切れ越しに手を握った。
確かにあった温もりはどこにもなくて。確かな冷たさと重たさだけがあった。
そのまま遠くにある川辺まで歩いた。もう歩かない「彼」を引きずりながら。
道中何ごともなく、日が落ちる少し前ぐらいに川辺についた。
そして「彼」を川に流した。
体は流されて、段々と小さくなり、ただの黒い点になって消えた。
消えた後もずっと、ずっと彼を握った手を見つめていた。
ぐるりと一周して、広場に戻ってくる。とはいっても始め入ってきた位置とは真逆の、とても小さな入り口の辺りにいる。中央の人混みが嘘のように、ここは閑散としている。
そろそろ宿屋に戻るか、と考えていると、視界の端で子どもがうずくまっていた。ヒクヒクと肩をはねさせて、時折鼻を啜っている。
小さな男の子で、近くに親はいないらしかった。
ふと中央のあたりで、子どもを探していた父親を思い出す。
彼の所へ行き、目線を合わせるためにしゃがみこんで、「どうしたんだー?」と声をかけた。
ゆっくり落ち着かせながら、話とそれとなく名前を聞いてみると、どうやらあの中央にいた男性が父親らしい。
多分あの人の多さならあまり移動してはいないだろう。
彼にそう伝えて、歩けるかを尋ねたら、こくこくと頷いた。
そして、手を握る。
その温もりを酷く愛おしく思った。
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