不知火白夜
2021-10-13 23:21:18
2382文字
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市河家のあれこれ

2025年5月31日訂正

市河家のあれこれ

元々、市河家は江戸時代に信濃国(長野県)で商売をしていた家である。『信濃国の市河家』ということから大昔は武家だったかもしれないが、はっきりしていない。とりあえずこの『市河家』は江戸時代のいつ頃からか、信濃国で商売をしていたということ。
地元では有名な商家という感じで地道に続いており、市河は屋号として使用していた。
(江戸時代の士農工商は、現在は身分制度とは異なると言われている。支配者の武士と非支配者の百姓と町人がある。この当時の市河家は町人)
(江戸時代でも、非公式に庶民も苗字を持っていたという話もある)

江戸時代後期に、市河家(市河家)の一之輔と妻の徳の間に、6人の子供が生まれる。
名前は初、春、節、弥太郎、諭次郎、与三郎。
この弥太郎が跡継ぎとして育てられ、父と共に商売を覚えていく。
一之輔は、地元の名産を売りさばく問屋をしつつ、交通の要所にある旅籠を経営。徳と共に必死に働き、弥太郎もそれを学ぶ。

弥太郎が大人になり、正式に商売を引き継いでからは、諭次郎や与三郎と共に商売を引き継ぐ。
諭次郎と与三郎はほかの家で奉公していたが、奉公期間を終えたあとは本人の希望もあり市河家に戻ってきていた。

兄弟で店を盛り上げつつ他の地域にも進出し影響を広げる。
ある時期から諭次郎が尾張で商売をし、弥太郎が「江戸でも商売をやればもっと家を大きくできるんじゃないか?」「でもそのためには江戸での勉強も必要だし人脈もいる!」と江戸に行って勉学に励み人脈を広げる。その時期は与三郎が本家で留守番。
ちなみに三兄弟間で手紙でのやり取りをしっかりしてるので割と何とかなってるし、与三郎も本邸の留守番を任されてるんだからか頑張らねば! と気合い入れてる。
ちなみに3人の姉は皆町内で嫁いでいて、結婚後も弟たちとの交流はあった。6人なんだかんだ仲が良い。姉たちも「それぞれ夫や子どもを優先しつつも弟たちのことも心配している」「何か相談されたら話も聞くし、弟がおかしなことしてたら言うべき時は言う」「結局弥太郎も姉には頭が上がらないところがある」という感じ。

江戸から明治に変わる頃に弥太郎が広げた人脈やらなんやらを使い、正式に江戸でも商売を始める。
恐らく時期が時期なので、政治家や官僚のコネを存分に使ってあれこれやったと思われる。
日本が近代化を推進しているのでそれに則って様々なビジネスを行い、その多くに成功してきたと思われる。そして市河の名をどんどん大きくしていく。(財閥には発展してないと思うが、めちゃくちゃでかくなった)
その後東京の会社を本社、愛知の会社を支社として共同で経営する。途中で事業内容が変わり名前が変更になったり会社が増えたりする。
弥太郎がいるところが本社兼別邸、諭次郎がいるところがメイン支社、与三郎は本邸という感じ。
家的には長野が本邸。会社的には東京が本社。
弥太郎は定期的に本邸に戻り与三郎や姉たちと顔も合わせていた。
また、与三郎はあくまで「留守番」のつもりでいたので、控えめな振る舞いをする人だった。結婚後は本邸近くの別宅も用意。本邸で寝泊まりする時期もあれば別宅で寝泊まりする時期もあった。あくまで本邸は「弥太郎の家」というつもりでいて、いつ弥太郎が帰ってきてもいいようにしていた。
とはいえ弥太郎は「俺がいないんだから本邸は与三郎の好きにしていいんだぜ」「市河家からしたら俺は東京の人間になった認識だろうし」と本邸を与三郎に任すような発言を度々しているが、与三郎は「僕はあくまで留守番ですから」という感じ。
晩年のちなみに晩年、息子に商売を引き継いでからの弥太郎は妻と共に本邸に戻り、与三郎夫婦や姉たちわ近所の人と交流しながら余生をすごしたともいう。
(これもあって、現代でもその市河家がある地域周辺には『弥太郎の家の人』と『与三郎の家の人』がいる)
弥太郎、諭次郎、与三郎は、様々な事業を経営し日本の近代化に貢献した人物である――みたいなイメージ。

このあと、弥太郎の長男・寛十郎は明治末から昭和初期にかけて東京で事業家として様々な分野にて活躍し、寛十郎の長男・平九郎も父や祖父に負けぬ活躍ぶりを見せた。戦時中は武器や航空機も作ってたかも?
(諭次郎の子孫も愛知をはじめ東海地方で活躍。与三郎の子孫も長野をはじめ中部地方で活躍)

平九郎の子の代で、跡継ぎが長男から三男に移行する。
長男・八継が幼少期より跡継ぎとして育てられてきたが、本人はのんびりした性格ということもあり、跡継ぎになることを拒否。三男・八雲の方がこういったことは合うと進言。
とはいえ結局一旦は八継に家督が渡る。
しかし平九郎が亡くなったあと八継から八雲に家督が譲り渡された。
ちなみに八継は様々な地域を転々としたあと北海道で生活し、今は牧場を持っている。
次男・八萩は愛知の親族と共に市河家関係の企業で仕事に就いた。現在は製薬会社を経営している。

そんなこんなで、関東には弥太郎が関係した市河名義の会社がいくつもあり、東海には諭次郎が深く関わった会社がいくつもある。
そういったこともあって、「市河」の名前は鳥瞰世界ではかなり有名である。
あと、八継が牧場をやってる関係もあって、もし競走馬がいたらイチカワ○○なんていうのがいるかもしれないね。

ちなみに、弥太郎の血筋と諭次郎の血筋は今も一応交流があり、八雲や七瀬の世代のもの達は一応親族と認識している。だがちょっと流石にちょっと遠縁になってきてはいる。
親族の中には経営者も多いが何人か政治家もいるかもしれないね。そうでなくても著名人が割と多い。
そんななので信濃と雄和が有名になった時はわりとこういうことを掘り下げられざわつかれたと思うと、本人達は複雑かもしれん。