不知火白夜
2020-07-25 22:58:19
4538文字
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昔かいた幕間

「幕間ブリタニア」
昔描いたらしいものが出てきたので公開してみる。


 時期は少し遡り、じりじりとした暑さが応える夏のある日。ブリタニア・イングランドにある裕福な大貴族のシェラン家に一通の手紙が届く。
 無地の封筒に丁寧な字で書かれた字によれば、当主のベルガモットへあてられたものだ。使用人からその手紙を差し出されたベルガモットは、綴られた名に首を傾げる。
“James Reid”――そんな知り合いに心当たりはない。住所はそれらしきものが綴られているが、怪しさが軽減することはない。
 手に取った封筒をじっと睨むと銀灰色の双眼が一瞬煌めいた。直後、眉間に皺を寄せた彼は乱雑に封を破り目を通す。文面をなぞるように眼球が動き、段々と眉当たりに一層深く皺が刻まていく。よく締まった口は歪み大仰な舌打ちが響き、傍にいた使用人が目を見開いた。
 次の瞬間、裂く音が何度か発生した。ベルガモットの太い手指にあった便箋はいとも容易く引き裂かれていた。
「捨てとけ」
 忌々しく呟いた言葉に使用人は頷き破かれた手紙を回収する。
 その傍ら、淡い赤を有す髪を掻きつつ面倒くさそうに長く息を吐いたベルガモットは、思い出したように訊ねる。
「おい、あの男からヘレナへの手紙はあるか」
 ベルガモットの瞳がまた別の使用人を見下ろす。『あの男』――それだけで誰のことを示すのか理解したのであろう相手は、手にしていた手紙を確認して否定する。
「ならいい」
 安堵し零して彼は何事もなかったように、肩に掛けた暗い紺色のジャケットを翻す。
 それ以降彼の元に何度か同じ宛名から手紙が届いていたが、宛名を目にすることはあれど再び彼が封を開けることはなかった。

 それから数日後。シェラン家次期当主であるバートランドには気がかりなことがあった。
 それは何かと問われれば答えは単純。ここ最近父の機嫌が芳しくないのだ。
 普段から気難しそうな面持ちでいることが多く70歳手前とは思えぬ頑健さや体格の良さをもつこともあってか、威圧感や恐れを感じやすいだろう。
 しかし決して常に不機嫌でいる訳ではなく何事もなければ冷静で落ち着きのある人物だ。息子であるバートランドには厳しい面もあるが、自身の妻とは円満な関係を築いており他の家族とも一先ずは友好的と言える。
 それなのにここ暫くの父は妙に苛立っており家族に当たるような態度や返答をすることが多々ある。『いつものこと』なのではあるが、威圧感も増幅し、母や子供たちが怯えてしまっているようでは、周りは溜まったものではないのだ。妻も気がかりに思っているようで当然空気も悪くなる。
 バートランドが何かあったのかと訊ねてみたことがあるが、嫌悪を表情に貼り付け『お前には関係ない』と一蹴されたのみだ。
 それはそうなのだろう。自分が知らないことでベルガモットは勝手に苛立っている。誰だっていら立つことはあるだろうが、それで家族が貰い火するというのは如何なものか。
 更にはベルガモットは当主でありバートランドにとっては逆らい難い父親だ。せめて周囲に当てつけのように振る舞うことはやめてほしいと言うにも気を遣わなくてはならない。バートランドにとっては悩みの種だ。
――父上は私や家族がどう思っているか『視て』いてもおかしくないのだが……何も言わないということは、『視て』いないのか無視しているのかどちらだろうな。

 機嫌を損ねず対応する方法はすぐには思いつかぬが、実のところ父が苛立つ原因を知る手やどうすればいいのかを知る手はいくつかある。
 諦めたように息を吐いて、白さが目立ちつつある赤い髪に指を通したバートランドは緩やかに自室の窓を開ける。
「カストル、ポルックス、来てくれ」
 薄い灰色の空を見上げて大きくその名を呼び、数秒後。大きな影がバートランドの元へ飛来し、素早く窓を通り抜け彼女等は定位置にて羽を休める。
 バートランドが瞳を向けた先に鎮座するのは、二羽の大きな鷹だった。
……来てくれてありがとう」
 バートランドの礼に応じるように二羽が小さく鳴く。この二羽はシェラン家で飼われている鷹であり、ベルガモットにとっては良き相棒ともいえる存在だ。
 シェラン家は先祖より何かしらの猛禽類を相棒とする者が多い。それは単に鳥が好きだからというわけではなく、先祖が使い魔として選んだことにある。それにより、シェラン家の跡継ぎに収まるものは程度の差はあれ鳥類と交流が可能だ。特にベルガモットはその術にも、また別の術にも非常に長けていた。
 父ほど完璧に交流はできないが、これも一つの手なのだと、バートランドは周囲を何度か確認した後二羽へ瞳を向ける。
……父上が不機嫌なことについて、なにか知っているか?」
 複数の短い鳴き声が返る。
『一応知っているが伝えることはできない』『勝手に話していいことではない』おおよそそのような意味合いの言葉を捉えてバートランドはやはりかと眉を顰めて再び問う。
「私は正式な主ではないからか?」
 低い声にまた鳴き声が反響する。
『そういう訳ではない。ただ、他者に勝手に話すようなことではない』『家族に不機嫌な態度を取らないようにこちらから伝える』
……わかった、そうしてくれ」
 鳥に気を使われるという事態に複雑な心境だ。
 ぼんやりと後ほど餌をやろうと考えながら、二羽へもういいぞとジェスチャーをして窓を指さす。
 しかし、彼女達は飛び立とうとせずじっとバートランドへ頭部を向けている。餌の催促なんてわかりやすい理由ではないとすぐに理解し、二羽へもう一度体を向けた。同時に、猛禽類の鋭い瞳に刺され思わず息を飲む。
 バートランドが声を発する前に、カストルからの言葉が伝わった。
『その眼で視ればいいだけではないか?』
 カストルの声に僅かに目を見開く。衝動的に心が揺れ動き、内心思わず『何を言っているんだ』と吐き捨てた。
 それが伝わったのかどうかは不明だが、彼女は再び言葉を伝える。
『何を驚く? 貴方だって使ったことがない訳では無いだろう? 他者の心が読めるその瞳を』
 反射的に眉間に深く皺が刻まれたことにより、カストルの言葉がやけに癇に障ったことが分かった。
……私が、幼い頃よりその目を使いたくないのを知って、そんなことを言うのか」
 予想外に低く、怒気を込めたように発せられたその声に、カストルは一瞬身を震わせる。悪かった、と簡素な謝罪の後二羽は一気に開放された窓から灰色目掛けて飛び立って行った。

 カストルの言うようにバートランドには、いやシェラン家の後継者には先祖より受け継がれた術がある。前述の通り鳥類との交流もそのひとつだが、彼等には更に別の能力が存在する。
 千里眼と呼称するその術は、三百年ほど前に当時の跡継ぎであった女性がとある出来事をきっかけに手にしたもの。
 たとえ視線が通っておらずとも他者の位置を把握し、その動向までも認識把握が可能。直接対面しているならば思考の内容まで全て把握できる――そんな能力があるのは事実であった。
 だがそれを、特に他者の心を読む術を容易く使うことを、バートランドは忌避している。それは「常人にはありえぬ反則技」だからという理由もあるが、単純に侵害行為をしたくないことに加え、哀れみを向けられるのが癪でしかないからだ。
 脳裏に、以前この家で面会したとある青年の言葉が蘇る。

 黒く艶やかな髪に東洋系の顔立ちの彼は、バートランドの三女の恋人だという。少々問題のある三女を素直に愛してくれているのは有難いことではあるが、彼は平民であり三女とは明らかに身分違いであった。それだけで認めない理由にはなるのだが、更に別の理由によりベルガモットは青年を嫌悪した。
 理由は簡単だ。彼には、千里眼が一切通用しなかったのだ。
 心が読めない相手なんて初めてだったのだろう。ベルガモットは困惑しある結論を出した。
『心が読めない相手なんて、信用出来ない』と。

 すると青年は、ベルガモットやバートランドを前にして、ふっと口元を緩め何の躊躇いもなく口にした。『…………あぁ、お可哀想に』と。
『貴方には、人の心が見えていることが普通なのでしょう。それはつまり見えないことや知らないことを信じる術を知らない。何故ならその目で視ることが当たり前なのですから』
『時間をかけて話し、徐々にお互いを信じていく……世の人々が当然のように行う術を知らないのです。それは真の意味では自分のことしか信じられない。それを哀れと言わずなんといいましょう?』
 貴方『達』と、自分自身も含まれてしまったことよりもなによりも、可哀想だ哀れだといった言葉がやけに深く胸に刺さったことを覚えている。
 余談ではあるが……その際父が激怒したことにより宥めるのに非常に苦労し、更には三女の恋愛は非常に困難になりつつあるのだが――それは今は置いておこう。

 バートランドは他者の心を覗き見るなんて無礼行為はしたくない。ならばやはり父の機嫌が良好になるのを待つしかないのだろうが、それはいつになるのか。
 ぐるぐると終わりのない思考を追い出すように濁った息を吐き出せば、ふと力強い羽音が耳に届く。音の響く方へと顔を向けると予想通り二羽が部屋へと飛び込み、言葉を震わせながら伝える。
『何やらおかしなモノが玄関付近にいる』『我々では対処ができない。その上、ヘレナ様、ヘクター様の傍にいる。なにかあっては――
 言葉が終わる前に反射的にバートランドは部屋を飛び出した。
 彼女達が本能的な恐れを抱き逃げた何がが子供たちといると知って黙っていられる彼ではなかった。まだ幼い二人には人間以外のなにかを察知する力なんてない。何かがあってからでは遅いのだ。
 長い廊下を駆けて可能な限り近道を通り庭へと飛び出した。そこから玄関の方へまた駆けると、次第に悪い夢に魘されている時のような嫌な重苦しい気配が肌に刺さる。
 辿り着いた先で目にしたのは、己の愛する幼き子供達二人と、にこやかに話すひとりの若い男、ジェイミーだった。
――この気配の正体はあいつか。
 それを思えば反射的に顔を顰めてしまう。しかしそれを正すことなく、バートランドは歩み寄り、すぐさま子供たちを引き剥がした。
 突然肩を持たれて後方に下げられた衝撃でバランスを崩し、赤く長い髪を揺らした少女が尻餅をついた。
「すまない。痛かったか」
「だいじょうぶ」
「とうさま、あのね、この人じいさまにおはなしがあるんだって」
 忌々しい形相でジェイミーを睨むバートランドに少女は戸惑ったのだろう。涙が滲む瞳で問い、続けざまに、赤い短髪の少年が、少女に手を差し出しつつ不安げに訊ねた。
 恐怖心を抱かせてしまったことにちくりと心が痛む。せめてこれ以上怖がらせないように、その言葉に穏やかに『なんでもないさ』声をかけて続ける。
「祖父様の代わりに私が彼と話をするから、お前達は違うところで遊んできなさい」
 声に安心したのか表情を緩めた子供たちは揃って首を縦に降り、『いこう』と呟いた少年が少女の手を引いて庭へと走っていった。