高校生になったばかりの春、諏訪部筑紫はちょっとしたことをきっかけにとある先輩と知り合った。名前は笹本春樹。丁寧に手入れされた亜麻色の髪と、青緑の鮮やかな瞳が印象的な彼を、筑紫は純粋に綺麗だと思った。当初は先輩故に緊張していたが、彼が話しやすい相手であることもあってか趣味を通じて仲よくなり、次第に春樹に好意を寄せるようになった。
中学時代にも同性を好きになったことがあるためその事に対する抵抗感や嫌悪感は生じなかったが、相手がどう考えるかは別だ。そのため口にするのはやめておこうと考えた。
だが、好意を向ける相手と二人で外出するというのは、やたらと緊張するもの。共同スペースを利用してゲームをするにしろ映画館に行くにしろ、二人きりというシチュエーションはやたらとドキドキした。
だから動物園に行こうと誘われた今回も、嬉しさと緊張が相俟って謎の気分になり、やたらと兄弟である紫扇にその胸の内を聞いてもらったりしたものだ。
それから数週間後、夏に差しかかった日の休日。筑紫は春樹と二人で先述の動物園に向かっていた。多少冷房がきいた電車内で、吊革に捕まりながら春樹と小声で会話をする。
「どんな感じなんだろ、楽しみだな」
「そ、そうですね」
自分より10センチは低い相手を見下ろしながらなんとなく春樹の姿を見つめる。長い髪を後ろで三つ編みにし、明るい色合いの半袖シャツの下に長袖のインナーを着ている彼は、筑紫の視線に気づくと、柔らかく笑った。
「動物園、楽しみなんだね」
「は、はい。動物園とか、全然行ったことがなかったので」
実際は動物園云々より春樹と出かけられることにテンションが上がっているだけだが、あまり動物園等に足を運んだことがないのも事実。それを口にすると、春樹は、分かりやすくリアクションをとる。
「そっか。俺もこういうとこ久々なんだ。色々見て回ろうな」
「は、はい! えっと、結構人気のところですよね」
「みたいだね。あと色々体験もできるんだって。やってみたいな」
スマートフォンで目的地の動物園のホームページを開いた春樹は、紹介ページを眺めながら呟いた。少しだけ画面を見せてもらうと、そこには様々な動物の写真と紹介が載っている。
「楽しみですね」
「動物も、何触れるだろなぁ」
極力平静を保ちつつ春樹との会話を楽しみ、筑紫は一言断りを入れてから短く振動したスマートフォンを手にする。
どうやらメッセージが来ているらしい。相手は双子の兄弟である紫扇。短い文がいくつか送られてきた。
『調子はどうだ』『深く考えずいつも通りにやれよ』『がんばれ』
兄弟に恋路を応援されるというのも複雑な気持ちだが、その気持ちはありがたい。春樹といるだけで気持ちがふわふわとして落ち着かないが、いつも通りにというのは重要なことだろう。
『ありがとう』の短く返して、筑紫はスマートフォンをポケットに戻した。
とにかく、筑紫は自分なりに冷静に春樹とのデート――といえども筑紫が勝手に思っているだけだが――を楽しむことにした。
駅に到着したあと暫く歩いて、目的地である動物園に到着した。澄み渡る青空の下、チケット売り場や入口の門などには多くの人が並んでいる。長期休み前ではあるが週末故に家族連れも多く、やたらと賑やかだ。
「人多いですね、はぐれたらどうしましょう」
「あ、なら、試しに手繋いでみる?」
「えっ!? え、あ、汗すごいので、大丈夫です……」
「ははっ、そこまで焦んなくても。はぐれないように気をつけような」
正直手を繋いでみたい気持ちはあるが、流石に男同士で手を繋いでいるのはどうかと思ってしまう。妙におかしい言い訳を怪しむ様子もない春樹は、明るく笑うと入り口付近で受け取った園内地図を広げた。
それから、入り口近くから動物たちを見ていくことにし、色々な区画に分かれた様々な動物を間近で眺め、写真を撮り楽しんだ。ウサギやモルモットなどの小動物とのふれあいや大きな動物への餌やり体験にも参加し、二人は存分に休日を楽しんだ。
その一幕、馬への餌やり体験の中、ちょっとしたトラブルも起きた。
広場にある放牧スペース。いくつかのグループと共に、柵越し馬に藁をあげることになった。係員からひとつずつ受け取った藁を差し出すと、馬はひくひくと鼻を動かしたあと、徐に口を開けて餌を食む。同じグループの子供たちはその様にきゃあきゃあと喜び、カップルらしい男女もそれぞれ反応を見せる中、筑紫と春樹も一掴みの藁を出すと、馬は躊躇いなく咥え咀嚼した。目の前で食べてくれるというのは、中々の迫力である。
「食べてくれましたよ春樹さん」
「よかったね、こっちの子も食べてくれたよ」
「こういうの、ちょっとドキドキしますね」
自分の手からちゃんと餌を食べてくれたことに、喜びを見せる。大きな口が近づいてくると驚きもするが、折角参加したのだから食べてくれた方がいいに決まってる。
そんな気持ちを共有しながら、二人で柵から離れようと身を翻したその直後。ぐい、と何者かが春樹の長い髪がを引っ張った。
「ん?」
「大丈夫ですか、春樹さ――」
短く声を上げた春樹に驚き、振り返った筑紫が見たのは、春樹の長い髪が馬にもしゃもしゃと咀嚼されている光景だった。
その光景に一瞬硬直したが、目の前で奮闘する春樹の声に我に返った筑紫は、あわてて駆け寄る。
「大丈夫ですか春樹さん!」
「いや、大丈夫、たまにあるからこういうの」
「もっ、申し訳ありませんお客様! こら、やめなさい!」
直後、状況に気づいた係員の助けもあって直ぐに解放され平謝りされた春樹達は、一波乱あった餌やり体験をなんとか終えたのだった。
「やっと綺麗になったかな……」
人の行き交う大通りの傍らにある休憩所。水で濡らしたハンカチで髪を整えていた春樹は、漸く腰を上げた。
馬に髪を食われてから数十分後。唾液のせいでベタついた髪はなんとか元の状態に戻った。代わりに水で湿ってしまったが、これでやっと安心できるというもの。
しかし平然としている春樹とは裏腹に、筑紫はまるで自分事のように心配そうに彼を見やる。
「あの、本当に大丈夫ですか? 僕のハンカチも濡らしてきましょうか?」
「んーん、いいよ。もうなんとかなったし、それに筑紫の分まで水浸しにしちゃうの悪いから」
春樹が、ほら、と見せるように手で梳いた髪を靡かせる。ふわりと広がった亜麻色の髪がキラキラと光って見えて、筑紫は一瞬見惚れてしまう。だが、こんなことでいちいちそんな反応をしていてはダメだと、慌ててその感情を思考の外に追い出し、言い改める。
「で、では、また僕にできることがあったら、言ってくださいね」
「うん、そうする。ありがと。……じゃあ、ちょうどいい時間帯だし、お昼にしようか」
「そうですね、何にしましょうか」
短く礼を述べた春樹は、少し間を置いてスマートフォンに表示された時計を見た。時刻は昼前を示しており、昼食をとるには丁度いい。園内の地図を広げて、二人はレストランを探すため移動し始めた。
そんな中ふと春樹が突然笑みを零す。
「筑紫は面白いよね。さっきもさ、自分が髪食われた訳でもないのに、めちゃくちゃ焦ってるんだもん」
「そりゃ焦りますよ! 折角の綺麗な髪なんですから」
「大袈裟だなぁ。でも、ありがとね」
迷いなんて全くない様子で言い切った筑紫の言葉に、春樹はどこか呆れたように肩を竦めた。次に筑紫を見上げて笑みを浮かべ優しげに礼を述べたその時、見下ろした先にあった碧の瞳が美しく煌めき、胸が高鳴った。
――きれいだ。
胸の内で素直に呟いた筑紫は思わず足を止めた。
「ん? 筑紫、どうした?」
前触れの無い筑紫の挙動に春樹も足を止め、筑紫の元へと引き返した。続けて春樹は、どこか心配そうにこちらを見上げる。
その様子に慌てることも無く、胸の内に溢れた気持ちに従うように、先程抱いた感情を素直に口にした。
「春樹さんの瞳って、とても綺麗ですね」
「…………え?」
一瞬目を丸くした春樹の様子を気にとめず、筑紫は指を白い肌に添えてその瞳を覗き込む。陽の光に透けて碧の瞳が煌めいた。
「春樹さんって、髪も手も綺麗ですよね。髪長くて艶々していますし、爪も綺麗に磨かれて飾ってあってありますし。でも、春樹さんは目も綺麗なんですね。なんて言ったらいいんでしょう、色合いもあって、広大な海を見てるような気持ちに……な……って……」
筑紫は漸く気づく。今自分が、ものすごく恥ずかしいことを口にしていたのではないかということに。
それを自覚した瞬間、一気に顔に熱が集まって、叫ばずには居られなくなった。
「――――っっ!!」
「――――っ!!」
声にならない悲鳴をあげて、顔を背けた筑紫は思わずその場にしゃがみこむ。その声が二人分あったことや、周りにどう思われるかなんていうのは知ったことか。とにかく今は、ついさっきまでの自分の行動が恥ずかしくていたたまれなくて仕方なかったのだ。
「す、すみませんいきなり変なことを……! いえ、違うんですこれは特に深い意味はなくて!」
必死の弁明をしながら筑紫はちらりと春樹を見上げる。彼が特に気にしてなさげならいいのだが、もし気味悪がられていたらどうしようという淡い不安によるものだ。まだ熱さを湛える顔をおそるおそる上げると、その先にいたのは、何故かやたらと赤くなった顔を片手で覆い隠す春樹の姿だった。
「筑紫、さあ、ほんと、何考えて……!」
「すみません、変な意味はないんです……!」
そうは言うが、相手の容姿をべた褒めするような言動になんの裏もないと言いきれるのだろうか。その後暫く妙な空気を纏ったまま、2人で行動することになったのである。
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