不知火白夜
2019-10-06 14:22:29
4199文字
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あの日の話

カクヨムにて公開中の「王から託されたもの。」の9話予定分。書いたはいいがカクヨムに出すか迷ってるのでこちらに。

 お母さんがいなくなったのは、成暦1905年の4月。以前から仲良くしている友人の元に出かけるというお母さんの代わりに、僕はお祖父さんやお手伝いさんと共に下三人の弟妹の面倒を見ることになった。

「ごめんねソロモン。お願いできる?」
「うん。お祖父さんもいるし大丈夫だよ」

 玄関先、部屋着よりずっと見栄えのいいシックなワンピースに身を包んだお母さんが、心配そうにこっちを見つめる。不安げな理由は、きっとウォルトが原因だ。落ち着いて見送る妹のステラと、ちょっと不満げだが彼女にくっついてじっとしているアガサはともかく、当時まだ2歳のウォルトは、お母さんから離れるのが嫌なのかずっと泣きっぱなしだ。目からボロボロと大粒の涙を流し、わんわんと泣く彼の声は耳に痛いが、彼にも我慢してもらわねばならない時もあるのだ。
 人によっては、こんなに泣いているのに連れていけばいいじゃないかと思う人もいるだろう。だけど、家にはお手伝いさんもいるのだから、友人に会いに行く時くらい子供から離れてもいいと思うんだ。……ウォルトには伝わっていないのだろうけど。


「ウォルト、泣かないで。お母さん、ちょっと出かけてくるだけだから。夕方には戻るから、いい子でお留守番しててね」
「うわぁぁぁあん! ぎゃあああああ!!」
「こら、ウォルト、お母さんの服引っ張ったらダメだよ」
「ごめんねウォルト。それにしても、今日に限って随分よく泣くし暴れるのね」

 お母さんの言うように、この日のウォルトはいつも以上にひどい泣き方をしていた気がする。ウォルトは僕の腕の中でじたばたと暴れ回り、やだだのだめだのを連呼している。お母さんから離れるのを激しく拒絶する子ではあるが、今日に限っては異様だ。
 それでもお母さんにも友達との約束がある。心苦しさはあるだろうけど、お母さんはウォルトの静止を振り切ってお付きの人と共に出かけていった。
 泣き喚くウォルトを抱きかかえて、僕は妹達と手を振って見送った。――まさかそれが、僕達が見たお母さんの最後の姿になるとは、全く思わなかったのだ。今思えば、ウォルトは本能でなにか危険を察知していたのかもしれない。

 それから約2時間後。泣き疲れたウォルトは漸く落ち着いて眠り、僕は子ども部屋で妹達に本を読んであげていた。一冊本を読み終えて次は何にしようかと話していた頃、ふと部屋の外が騒がしいことに気づく。お手伝いさんたちの慌てた声や不安げな声がいくつも聞こえてくるのだ。
 もしかして別室で眠っていたウォルトに何かあったのか。そんなことを思っていると、数回のノック音の後にお祖父さんが顔を覗かせた。

「ソロモン、少し、いいかい」
「あ、うん」

 手を招くお祖父さんに従い、僕は妹達に断りをいれてお祖父さんの方に向かう。続けて部屋の外に連れ出された僕は、思い詰めたような表情を浮かべるお祖父さんに気がついた。
――何があったんだろう。
 漠然とした不安を抱えながら、僕は不安げな表情のお祖父さんを見つめる。滅多に見ないお祖父さんの沈んだ表情に、僕の心はざわつく。

「ソロモン。落ち着いて聞いてほしい。……じつはね、お母さんが、行方不明になってしまったかもしれないんだ」
……え?」

 お祖父さんの言葉を直ぐに理解できなくて、僕は呆然と言葉を返す。お祖父さんは、今なんて言った? 行方不明? お母さんが? どうして?
 一気に頭の中がぐちゃぐちゃになっていく感覚に、僕はぎこちなく『どうして』と問うことしかできなかった。
 お祖父さんは、愕然とする僕を心配そうに見つめる。大丈夫かい、と訊ねられても僕は曖昧な反応しかできなかったけど、やがてお祖父さんは少し前にあったことを話し始める。

「少し前に、お母さんのお友達が来たんだ。その方が、今日お母さんが会いに行ったお友達その人でね。『こちらにニコーラさんはいらっしゃいますか』って、不安げに聞いてきたんだよ」
……うん」
「でも、私たちは何時間か前にお母さんを見送った。……おかしいよね、これは」
……うん。っ、お母さん、捜さないと……
「そうだね。だから、今から私は警察署に捜索願いを出してくる。ソロモンも一緒に来てくれるかい」
……うん」

 小さく返事をすると、お祖父さんは急いで外出の準備にかかる。警察署に行くということは、色々と準備も必要で、僕も落ち着かないけれど慌てて準備をした。
 それに、出かけるお母さんを見送った時、お祖父さんは近くにいなかった。だからその時の様子とか服装とか聞かれたとしてもお祖父さんは答えられない。それを思えば、確実に見送った僕が着いていくのは当たり前だ。
 重苦しい心境で、一旦僕は子ども部屋に戻る。戻ってきた僕に妹達は一瞬表情を綻ばせたが、芳しくない顔色に気づいたのか二人とも心配そうに声をかける。

「ソロモンおにいさま、どうしたの?」
「おなかいたいの?」
「大丈夫、なんでもないよ」

 さっきまでと全く違う様子の僕にびっくりしたのか、心配そうに声をかけてくれる妹達にそう返す。ちっとも上手く取り繕えてないだろうけど、なんとか言葉を続ける。

……ほんとうに?」

 ステラが不思議そうにこちらを見上げる。多分、僕が何かを隠しているのはバレバレなんだろう。だけど、だからといって『実は……』なんて話すつもりはない。極力笑顔を浮かべて、目線を合わせる。

「うん。本当だよ」

 それでも彼女はまだ疑いの目をこちらに向けていたが、諦めたようにそうなの、と頷いた。
 突き刺さる視線からの解放に安心して、僕は口を開く。

「でも僕は用事ができたから、二人で遊んでてくれる?」
「なんのようじ?」
……お祖父さんのお手伝いだよ」
「わかった」
「アガサとおるすばんしてるね」
「お願いね」

 二人をお手伝いさんに託して、僕は急いでお祖父さんと共に警察署に向かう。
 警察署での手続きは大変だった。お母さんの名前とか生年月日とか、当時の服装とかたくさん書いて、捜索願を出した。
 でも、まだいなくなって数時間だし、子供な訳でもない。『何かあるといけないから捜してほしい』――そんな不安だけでは、警察というのは動いてくれないそうだ。

「それこそ、彼女を攫った人物から脅迫状でも来てれば、事件性があるので動けるんですけどね……

 苦い顔つきでそんなことを言った警察官に、文句も言いたくなった。実際、お祖父さんはなんとかなりませんかって話をしていたけど、まだ何も起きていないから動けないっていうのは、変わらないらしい。
 仕方ないので、見つかったら連絡をしてもらえるようにお願いして、僕達は家に戻ってきた。お母さんが帰ってきたらよかったけどそんなことはなくて、言いようのない不安が胸に広がる。

「こういう時は……探偵なんかにお願いするといいんだけどね」
「お願いしてみる?」
「それも考えようか。とりあえず、ヴィクターに連絡してみるよ」
……連絡とれるの? 訓練中だと厳しくないかな」
「それでも一応、ね」

 小さく返してくれたお祖父さんの顔は、とてもとても悲しげに見えた。


 それから、うちは暫く大変な騒ぎになった。本来なら帰ってくる時間にお母さんがいないというのは、とてつもない不安になる。
 夕方に帰ってきた兄さんや姉さん達も、血相を変えて捜索に当たってくれて、お祖父さんより報せを受けたお父さんも、なんとか急いで帰ってきてくれた。お父さんが帰ってきたのは夜遅く。いつもならとっくに夕飯も終わってみんな寝る準備とかしてる時間。それなのにお母さんは帰ってこない。

「警察には連絡したんだよな、なんでなんも動いてくれないんだよ! もっとちゃんと探してくれよ……
「仕方ないだろう。事件性があるかも分からないのに動いていたら、真に事件性のある捜査にあたれなくなる」
「いつも帰ってくる時間に帰ってこないって、結構な事件だろ……? しかもいなくなってるのは女だぞ、余計に何かあるかもしれないだろ!」
「そうだとしても、今はまだおまえが思ってるような捜査はできないんだよ!」
「ふざけんじゃねえよ!」
「おい二人とも落ち着け! あんた達が言い合ってても意味ないだろ!」

 兄さん達三人が言い合ってる場面から、妹達を引き離し、別室で事情を話した。お母さんがいないということを聞いて、二人は泣いてしまったし、自分たちも捜しに行くと主張したけど、彼女達まで迷子になっては大変だと、お手伝いさんに見ててもらうことにした。

「ステラとアガサは、ウォルトやお手伝いさんと一緒にここでお母さんを待ってて。お母さんが帰ってきたら、おかえりっていってあげてね」
「うん……
「わかった……

 二人の大きな丸い瞳からぼろぼろも涙が零れて止まらない。正直こっちだつて泣きたくなるのだけど、二人を見てると僕は少しは冷静でいようと思えた。
 それから、皆で外を捜し回った。夜遅いから姉さん達は極力お父さんや兄さん達と一緒に行動して、皆で色んなところを捜した。だけど何一つ手がかりはなく朝を迎え、お父さんは探偵に捜索の依頼をしに行った。

……正直、色々と心当たりはあるんだよな。だからそれも含めて、依頼してくる」
……わかった」

 お祖父さんとお父さんがそんな会話をしていたのが気になって聞いてみたのだけど教えてもらえなかった。
 そしてお母さんがいなくなってから数日経って、漸く事件として警察も動き、新聞にて報道されるようになった。
 名家として著名な家の「奥様」が行方不明ということで、世間では金銭目的の誘拐ではとも噂されたが、犯人から金銭要求の連絡が一切無いことからその線は薄れていく。
 お父さんやお祖父さんは、頻繁に新聞社の取材も受けて長期に渡り情報収集も行ったが、未だになんの手がかりも掴めていない。

…………お母さん……

 あの日から今までの忙しく不安な日々を思い出して、僕はぼんやりと呟いた。
 お母さんは今、どこで何をしているんだろうか。お母さんなら、今の僕に、なんて言ってくれるだろうか。そういうことを考えてしまって、猛烈にお母さんに会いたくなった。