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納豆
2020-04-26 10:54:20
9774文字
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無題
キバダンの両片思いに巻き込まれるネズさんの導入
真っ白な壁、静かで薄暗い室内、診療を終了した病院の中、俺たちはとある病室の前のベンチにいた。
正確にはベンチの前に俺と妹は立っていた。
隣の幼い妹が、顔面蒼白にも立ち尽くす。
悲壮に虹彩を震わせ大きなエメラルドの瞳をぐちゃぐちゃにしていた。
心配や、憤怒や、遣る瀬無さ、様々な色合いに混ぜられた目は、少なくとも後悔に先立ってできていたように思う。
どうして、こんな事になったのか。
そうとばかりに歯痒さを持って、妹は固く拳を握り立ち尽くす。
ジムチャレンジの最中、妹には仲良くなった子供達がいる。
友達、かも。
そんな風に照れた妹がもじもじ語ってくれた姿にどれほどの喜びがあった事だろう。
勿論ライバルでもあるけんね、そんな風に慌てる姿につい噴き出してしまった。
スパイクタウンではジムリーダーの妹として大人びて甘えを見せなかった。
年の近い友人を作る暇もなく、相棒達がいるから大丈夫と平気な顔を見せ続けてきた。
そんな妹が見せてくれたふにゃりとした表情に嬉しくなったのを覚えている。
彼らとは俺個人も関わる事があった。
対面してよくわかる、ちょっぴり生意気だけれども素直でまっすぐな優しい子供達。
これからも妹と、マリィと仲良くしてくれたらいいと微笑ましく思っていた。
そして、今だってそう思っている。
ベンチに腰掛けた三人の子供達。
ハロンタウンの双子の間、俯いて震える体を必死に堪えるのはチャンピオンダンデの弟。
ついと顔を上げて見つめた先、ガラス張りの向こう側には意識不明のチャンピオンが横たわる。
その周りを医師看護師が駆け回っていたのは先程のこと。
今は容体も安定して一定の間隔で、機械がぴっぴっと静かに音を響かせていた。
そう、機械だ、チャンピオンには管が繋げられ重々しい機械が周りを固めていた。
視線を戻す。
飛び出しホップに、マリィも慌てて後を追った。
勿論一人で行かせるはずもなく、俺も一緒について行った。
ナックルシティのジムに辿り着いた時、既にことは終わっていた。
入り口を固めていたキバナに状況を確認すれば、あの男は強張る顔で全員無事だと語る。
ダンデの望む通りに、大凡、解決した。
そう語る顔の青さに俺は目を瞑る。
悔しそうに歯噛みして、唸るよう告げた状況に思うところはあったのだろう。
納得もせず、全く解決したようにも見えないキバナに、けれど構っている暇はなかった。
キバナもこの後の片付けがあるから現場を離れられないらしい。
珍しく苛立った顔でその場を後にするのを見送った。
妹の友人が、無事。
それならば次は不安だろう子供達についてやる大人が必要だ。
急いで屋上へ向かう最中、ハロンタウンの双子を見つけた。
ホップはチャンピオンとともに病院へ、後から双子は追う事になったらしい。
それなら送りましょうと、子供達を連れて向かった中央病院。
診療時間はとうに過ぎたというのに、慌ただしい院内でぽつりと置いてきぼりにベンチに座るホップを見つけた。
慌てて駆け寄る子供達の後ろを行きながら、そこらの医師を捕まえホップの様子を聞いてみた。
すごい子ですよ、そう医師は慌ただしい中でも答えてくれた。
ホップは運び込まれる最中、ずっとついていたらしい。
強い子だ。
涙一つ見せず、冷静に状態を伝えて移動中も医師に言われた通り兄に声をかけ続けていたらしい。
頼もしい弟さんです、流石チャンピオンの弟、肝が据わってる。
そんな風に褒めていた医師に、しかし、俺はどうにも納得がいかなかった。
一つ礼を口にして、また足はホップに向かう。
頑張ったことは褒めよう。
だけど、それ一つを取り上げてしっかりしてるから大丈夫だなんて言えたものか。
俺はマリィを溺愛している。
いつだって心配に言葉を重ねて抱き締めては、ちゃんと甘えなさいと構い倒す。
そうした先に、マリィはアニキは仕方ないなぁと言いながら漸くぽすりと寄りかかる。
しっかりしすぎる子供は、大人が思うよりもずっと甘えたがりの甘え下手だ。
それなら行き過ぎなくらい構ってやって、子供が求める時に寄りかかれる選択肢を作ってやらなければならない。
それなのに、こんな風に一人で待てるねなんて置いて行ったりして、そう言われたらこういう子供は頷いてしまう。
大丈夫じゃなくたって、大丈夫だと大人の事情に納得する。
どれほど心細くとも、それを言えずに抱え込みどんどん強がりばかり覚えるのだ。
そうやって甘え方を忘れた結果は、ガラス張りの向こう側にある。
ホップは暫く無言でいたが、ゆっくり顔を上げると笑った。
その顔に、ぴくりと眉が跳ねたのだった。
「ごめんなみんな、俺は大丈夫だぞ!明日になったら母さんも来るし、仮眠室貸してくれるって先生言ってたから、みんなはホテルに戻ってくれ!ありがとな!」
あぁ、全く、これだから嫌なのだ。
似た者兄弟に、俺はすぅっと頭の奥が冷えるのを感じた。
ホップは元気のいい子供だと思う。
いつも大きな声ではきはきと、ちょっぴり抜けているのかと思えば賢く周りを見ている。
周りを見て、暗くしてはいけないといつだって前に向く言葉を重ねる姿をよくよく見つけた。
それは、ホップが生きる為に身につけた術だろう。
だけど、そうやって生き続けるにはあまりにも迎える結末が悪に近い。
自分はどうでもいいなんて、周囲からすれば悪だ。
愛した人の心はどうなるという。
簡単に身投げする姿を見せられて、残された人間がどれだけ傷つく。
つい先程見た、キバナのあの表情。
大人でさえ、友人が死に飛び込む様を見せられれば傷付く。
それを、幼い子供がしていいわけがない。
大小あれど悪なのだ。
その献身すぎる優しさは、いっそ周りからすれば悪以外の何物でもない。
正義であれとは言わない。
だけどせめて、限りなく白に近づいていて欲しいとは思う。
心配に、でもと声を落とした子供達に、ホップは大丈夫だぞ、なんて溌剌とした声で笑顔を向ける。
あまりに場違いな表情に、俺はしゃがみこんだのだった。
「やめなさい、ホップ」
伸ばす手に、ホップは目を丸くする。
子供達も俺の静かな声に、ぴたりと動きを止めた。
ホップの肩を撫でる。
まだまだ華奢な成長期も迎えていない幼い体、こんな細い体で何を背負うというのだろう。
まだいいのだ。
心も体も未成熟な、そんな子供が何を周りに気など回す。
いっそ泣き喚いて迷惑をかければいい。
そうとできなければ、これから先八方塞がりに苦しむ事になる。
だから、俺はここできちんと話さなければならないと思った。
真ん丸くするホップの目をしっかりと見て、俺は下から覗き込む。
言い聞かせる声に、ホップは押し黙っていたのだった。
「お前は助けを、求められる癖をつけなさい」
お前の兄のように、一人で出来るだなんて冗談甚だしい勘違いをやめさせる。
ぱちくりと瞬きするホップは首をかしげる。
きっと、ホップからすれば今の状況は十分に助けられているのだろう。
だけど足りない。
子供が求める範囲は、もう少し広くていい。
握り締めた肩は、やはり薄かった。
「大人でも、友人でも何でもいいから頼りなさい。甘え癖といってもいい。適度なそれは生きる上で絶対に必要なものです。いいですか、無茶無理無謀はいけない事だ。それだけはよぉく肝に命じておく事です」
放っておけば、この子供が進むレールの先があのチャンピオンに向かうようで、仰々しい言葉を選んでしまった。
だけれども、俺はあぁはなってほしくなかった。
妹の友人に、不特定多数が讃える英雄なんて、なってほしくない。
顔もわからない誰かの賞賛よりも、身近な人の安心の方が俺は大切だ。
知ったことか、顔見知りの平穏を捨ててまで、知らない誰かに尽くしてやる義理はない。
世界が狭い、好きなだけ言うといい。
その狭い世界すら選ばず、地平線の先まで手を伸ばし死んでしまうよりずっといい。
俺の言葉に、ホップを喉を絞る。
それから、でも、と否定を上げる。
甘えてはいけない、そんな愚かな悪をその顔は語る。
ちらりと目配らせした双子は、ホップに体を寄せてその脇に手を突っ込んだ。
ぎゅむりと抱き締めてくる二人にホップは驚き声を上げる。
肩に顔を押し付けて一生懸命に抱きしめる姿に、目尻を下げてしまう。
俺が手を引けば、正面にいたマリィも抱き着き、ホップは身動きができなくなる。
ぎゅむぎゅむ団子状態になって困惑するホップに俺は立ち上がった。
ぽんぽんと撫でた頭もまた、まだまだ小さいなと笑みがこぼれたのだった。
「あの男も、そうであればよかったんでしょうが、環境がそれを許さなかった」
ついっと視線を持ち上げた先、未だ眠りにつく男がいる。
ガラル中から愛され愛する男。
きっとお前はその責務を果たさんと奔走したのだろう。
それは正しい、正義だったと言える。
だけど、身近な人間からすれば大罪にも似た行為を犯している。
気付きながらも止まれなかったのか、気付かず止まらなかったのか。
交流もないに等しい自分には判断がつかない。
ホップはぐむりと唇をかみしめて、抱き締めてくる子供達に腕を回す。
子供の短い腕では回りきらない温もりを前に、徐々にホップの目元がくしゃりと拉始めていた。
ふっと笑って俺はその頭を撫で続けた。
「ホップ、何もお前の兄さんを侮辱したいわけじゃない。凄いですよ。確かに凄い偉業だ」
英雄が人々を救った事実はそこにある。
最後に収束させたのは子供達だけれども、被害が出なかったのはチャンピオンが必死に堪えたからだ。
自らの身を削り、禍根を前に一歩だって半歩だって退かなかった。
全ては愛するガラルのために。
美しいほどの自己犠牲に、英雄を崇める民衆は感謝する。
けれど、英雄ではなく家族として愛する人々からすればどうだろう。
徐々に瞼をぶるぶる震えさせるホップに俺は下手くそに微笑んだ。
「でもね、それで今お前をこんなに不安にさせるなら、少しくらい駄目な兄さんの方が良かったでしょう」
一歩くらい、引けばよかった。
そうすれば一人にしちゃいけないと、隣に立つ者は出てきただろう。
格好悪いと言われるかもしれない。
だけど、そうやって誰かと協力すれば一人で重荷を背負わず済む。
格好悪くていいじゃないか、それでも死んでしまうよりずっといい。
死の淵に立ち笑う家族など、見ていたくはないだろう。
俺の言葉にぎゅうと子供達が力を込める。
ホップはじわじわと目尻に涙を浮かべて、自分に抱きつく子供達を抱き返した。
「う、んっ」
「大丈夫、私たちずっといるよ」
「一緒に朝までお母さん待とうね」
「夜更かししちゃお、話してたらすぐやから」
ぐずりと鼻を鳴らしたホップに安心した。
こくこく頷いて、みんなの服をくしゃくしゃに握る手は縋り付く。
帰らないで欲しいと、行動に見せた甘えにほっと息をついた。
一先ず大丈夫だろう。
今晩ホップが一人になることはない。
ひょろりと伸びた俺の手で、子供達を丸ごと抱き締めてぽんぽん一定の間隔に撫でてやった。
「あぁ、すみません。泣かせてしまった。何せ無敵のチャンピオンですからね、丈夫にできています」
知っているでしょう、そうやって尋ねればホップはぐすぐす泣きながら俺の肩口に顔を押し付けた。
つられるように子供達がみんなでぐずりぐずりと泣き出す。
怖かったろうに、気丈に振る舞ってきた子供達。
ようやく全員泣けたかと俺は好きなだけ泣かせることにした。
涙は感情の清算だ。
辛かったり苦しかったり悲しかったり、そういう負の感情をぼたりぼたりと押し流してくれる。
泣け泣けと、中腰になりながら全員をあやし続けた。
しばらくすると一人二人と寝息が聞こえ始めて、ついふっはと噴き出した。
夜更かしはどうしましたかお前たち。
くすくす笑いながらも、折り重なるようにして眠る子供達が微笑ましい。
痛々しい目元を撫でながら、さて一人ずつ仮眠室に運びましょうかと気合いを入れる。
細身とはいえ、非力というわけでもない。
夜勤の看護師を見つけて場所を確認する傍ら、つと思う。
何も知らずにのうのうと眠りこける英雄に、言ってやらなければならないことがある。
そうして決めた心はそのまま、夜の暗闇にとぷりと馴染んでいたのだった。
◇◇◇
翌朝、チャンピオンの目覚めの知らせにホップが飛び出していった。
真っ赤な目が痛いだろうにそんなことは気にせず、アニキが目を覚ましたなんて朝から元気いっぱいな笑顔を見せたものだから止める間もない。
子供たちは全員ホップに続けて仮眠室から飛び出してしまった。
走るんじゃありませんと、言うのも何か野暮な気がして好きに行かせてしまった。
後で看護士には俺が怒られよう。
そうやって欠伸混じりに俺も仮眠室から出た。
髪を軽く結わいて、ゆったり向かう病室。
全くどんな化け物だ。
意識不明にもあれだけの機材に囲まれた人間が普通翌朝に起きるものか。
丈夫とは言ったが、限度があると思う。
俺の姿を認めた通りすがりの看護師は、チャンピオンは部屋が移動になりましたと新しい部屋番号を教えてくれる。
「ふふっ、子供達も凄い勢いで向かってましたよ」
「すみません朝から騒々しくしてしまい」
「いいえ、ただ帰る時はお静かに」
にっこり圧をかけられて、俺は静かに頷いた。
本格的に迷惑をかける前に、ある程度は諌めておいたほうがいいかもしれない。
やれやれと肩を竦めながら、たっぷり時間をかけて病室に向かった。
そうすると、ひょこりと目的の部屋からマリィを先頭に子供達が姿を見せた。
俺を見つけると、あっと声をあげるから人差し指を立てて口元に当てる。
慌てて全員口を抑えるのが微笑ましく、緩やかに目が細まった。
「ネズさんもきてくれたのか」
「えぇまぁ、一応お見舞いにと思いましてね」
「きっとアニキも喜ぶぞ」
にっぱぁと笑ったホップに、少しの後ろめたさ。
これからそのアニキに俺は、ちょっくらお前たちに見せられない用がありましてね。
眩しさに少し仰け反る俺に、マリィは何か察したのだろう。
じっとこちらを見上げて、ユウリの袖を引いた。
「チャンピオンも起きたことやし、ホテル戻ってもう一眠りしよ」
「え、でも」
「そうしなさい。体は思ったよりも疲れてるのですから、ちゃんとした寝床で一度休んだほうがいい」
もう少しいたかったのだろうが、そこはぴしゃりと押し留めた。
朝食もとれそうならとるよう伝えれば、子供たちは各々頷き俺の横を通り過ぎていく。
四人で固まりぴったり離れないのは、多分ホップを心配して無意識に三人が動いているのだろう。
ホップもその距離感に何を言うでもないので、問題はなさそうだ。
静かに帰りなさいとそっと注意だけして、俺はさてと病室に足を向ける。
つい数時間前まで意識もなく隔離されていた男は、病室の中けろりと体を起こして俺を出迎えたのだった。
こちらに気付くとにこやかに片手をあげる。
ベッドの周りにある椅子は先程子供達が使っていたものだろう。
俺は軽く会釈だけして、椅子にすとっと腰掛けたのだった。
「おはようございます。気分はどうです、弟泣かせのチャンピオン」
「随分と手厳しい挨拶だ」
眉を寄せて困り顔に笑うこの男に、鼻を鳴らす。
いっそ優しい心配を添えてやったのだ。
そう言われる筋合いはない。
腕を組み、批難に目を細めた俺にチャンピオンはゆったり瞬きをしていた。
「泣いていましたよ」
「あぁ、目が腫れていた」
正確には俺が泣かせてしまったのだが、根源としてはこの男だ、言葉選びは間違えていない。
静かに頷くチャンピオンに、俺はかぶりを振る。
きちんと理解させなければならない。
この状況を二度と繰り返させないために、この男には考えを改めてもらう。
じっと見つめる俺に、チャンピオンは緩やかに微笑んで返してくる。
慣れた仕草だ。
昔から顔を合わせるとこうやってとりあえずこの男は微笑んでいた。
確かに俺はお前と話したことなど皆無と言ってもいい。
単純にリーグの天辺にいる男、それだけの認識にあった存在だ。
スパイクタウンの発展のため、ジムリーダー権を持っていたに過ぎない俺には興味のない存在だった。
仕事相手に向けるその顔に、しかし、話は聞くだろうと乗りかかる事にした。
「お前が無茶をしたせいでしょう」
「無茶ではなかったさ」
はっきり告げた言葉に、チャンピオンはすぱんと切り返す。
愚かなほどに当然に、迷いなく切り返された言葉にじわじわ目が開いていく。
無茶ではない。
そう言うのか、お前は。
結果は伴い転がっていてなお、そんな言葉を選べるのか。
選ばざる負えない場所に、立ってしまったのか。
絶句にわなりと唇を震わせる俺に、チャンピオンは不思議そうに首をかしげる。
米神がぴくりと痙攣した。
泣いていた、泣いていたのだ。
チャンピオンが、ではない。
実の兄が、死の淵ぎりぎりまで向かって行ってしまった姿に、お前の弟は泣いた。
不安だったでしょうと告げれば、そこに堪えきれず泣き出した幼い子供。
不安にさせたのだ、家族を失うかもしれないなんて恐怖を、あんなにも小さな子供が一晩一人で抱えそうになった。
そんな身近な恐怖を前に、無茶ではない、そうはっきりものを言う。
見えてなかったから知らないなんて言うのなら、それは想像力の欠如である。
自分の命は自分のもの。
確かにどう扱っても結構。
しかし、その命を思う人間がいることを忘れることは許し難い。
あぁ、なんて傲慢な。
ひくりと釣り上がる頰は引き攣ってここにある。
止まらぬ口は、どうにか冷静になろうとだけに必死だった。
「お前、自分を神様だと勘違いしてるたちですね」
「そんな風に思ったことはないぜ。俺は人間だ」
「死ぬと思ってない奴は、無意識に自分を神格化してるんですよ」
「俺だって死ぬ時は死ぬさ」
すぱすぱ切り返すこの男はどこまでもにこやかだ。
あぁ、腹がたつ、なによりもその言葉に現実が伴わないことに腹が立つ。
死ぬ時は死ぬ、その言葉を持ち出すのならこの状況はおかしいだろう。
引き際がわからない人間は、破滅してからあの時がボーダーラインだったと気がつく。
それに気付く瞬間はあったはずだ。
例えば自分が、例えば友人が、例えば家族が。
気付いて引き止めてくれたはずなのに、それを振り切り飛び越えて今更何を言えたものか。
生きていたらそれは成功、そんな馬鹿げた結果論は聞いてはいない。
事実はあくまでもここにある、けれども、最悪の可能性だって転がってる。
今回はうまくいった、そんな成功体験にしてやるつもりはなかった。
何故ここまで必死になるのか。
そんな質問は愚問である。
俺は、俺の家族が傷つくのは見たくない。
妹が、初めてといっていい友人を得た。
良き友だ、あの子が笑う先が増えた、そんな相手を傷つけられるのは我慢ならない。
広がる枝先に大切は増えていく。
それを思って突き動かされることを、悪とはいいたくなかった。
薄く息をして、俺はベッドの側面をがんっと蹴っていた。
「あの時が死ぬ時だと、感じなかった時点で、手遅れだろうが」
つい、語気が強くなってしまった。
感情が前のめりになるのがうっとうしくて、深呼吸する。
チャンピオンは俺の言葉と行動にきょとりと目を丸くする。
それからふむと考える仕草に俯いた。
暫し沈黙、それから持ち上がった顔は疑問に満たされていた。
「なんというか、俺はキミにそこまで心配されるほど、興味は持たれてないと思っていたのだが」
全くの正論、感情を剥き出しにしてしまったのが恥ずかしい。
呻きながら天井を仰ぐ。
それからはぁあぁと深くため息をついた。
しかしこの男、心配されてる自覚はあったのか。
尚たちが悪い。
がしがし髪をかきながら、俺は眇めた目にチャンピオンを睨んだのだった。
「えぇその通り、お前に興味など微塵もありません」
「なら、どうして」
「けどね、お前の弟は俺の妹の友人だ」
俺の言葉に驚くチャンピオンは、目を見開いて固まった。
馬鹿げてると思うかチャンピオン。
妹の友人のため、言葉を尽くす兄は愚かに見えるか。
だけれども、愛した子が目の前で傷つく様を指をくわえて見ていられるほど冷静でもいられない。
どうにもならないことなら仕方がない。
一緒にその傷が塞がるまで寄り添おう。
けれど、少しの行動で負わなくていい傷になるのならそれは許し難い。
放置した事象に起きる悲劇なら、起こさないために足を踏み入れることも厭わない。
俺はうんざりしながらげしげしと、今度は軽くベッドを蹴ったのだった。
「俺は妹が大切だ、そうしてあの子が大切にしているものも、傷つけたくない」
「な、るほど」
「ほどほどにしてやりなさい。自分ができないことをできると思い込んで、周りの人を傷つけるもんじゃない」
「そんな、つもりは」
「わかってないだけでしょう、わからないなら一言相談しろ」
なんだっていい。
どんなことでも抱え込むくらいなら誰かに放り投げるのも一つの手だ。
受け止めきれなければ分け合おうと提案もできるし、受け止められるなら背負ってやることもできるだろう。
兎角一人でどうにかできると何事も抱え込まれる方が迷惑だ。
俺の言葉にチャンピオンはぐうと唸る。
それから考え込みにまた俯くから、どうにも放っておき難かった。
あまり話したことがなかったが、この男も大概子供のまま大きくなってしまった感が拭えない。
ホップと同じように、大丈夫だと笑う子供のまま大人になってしまったのだろうか。
幼い頃に誰にも手を伸ばせなかった少年が、どこか居座っているのかもしれなかった。
仕方のない、強がりばかりがうまい兄弟だと思う。
そっくりなことだと、俺はどうにも呆れてしまう。
ベッドヘッド横、据えられたメモとペンを見つけて手を伸ばす。
さらさらと書き連ねた数字に、びっとメモを切り取った。
それからメモとペンを戻して、差し出したものにチャンピオンは目を瞬かせた。
「なんなら、俺でもいい。無関係な人間の方が楽ならそうしなさい」
放置して、また何事か起きるくらいならあらかじめ巻き込まれてやる。
使うも使わないもこいつの自由だと、ぽかんとしたチャンピオンの胸元にメモを押し付けた。
唖然としながらも受け取ったチャンピオンに、なくすなよと注意してがたりと椅子を揺らした。
言いたいことは言ったしそろそろお暇しようか。
やれやれと肩をすくめる俺に、メモを見つめたチャンピオンはぽつりと呟く。
「キミ、結構ずばずば言うんだな」
「お前があまりにも頓珍漢だからでしょう」
「口も悪い」
「おや、謝罪がお望みで」
はっと鼻を鳴らした俺に、チャンピオンは小さく笑った。
静かな仕草に滲み出た穏やかさを前に、成る程こちらが素なのかもしれないと思った。
緩やかに首を振って、力なく微笑む様は表舞台で見たこの男には似合わない。
けれどこの場にはよく馴染んで見えたのだった。
「いいや、その、連絡先ありがとう」
「いいえ」
「何かあったら頼るかもしれない」
「えぇ、是非そうしなさい。面倒は御免ですがあの子達が泣くよりよっぽどいい」
がたりと腰を持ち上げ椅子を片付け始めた。
ひょいひょい重ねる俺に、チャンピオンら緩やかに目を伏せてメモを見つめた。
手遊びに見つめるそれは何も面白いことは書いていない。
はてと見つめた先で、チャンピオンは顔を持ち上げ眉を垂れ下げたのだった。
「キミは、優しい人だな」
「普通ですよ、こんなもの」
どれだけ優しさに飢えてきたのだ。
呆れ果てて、では俺はこれでと背中を向ける。
少しは改善されるといいのだが。
思いながら病室を出る背中、ぽつりと聞こえた声がある。
「普通、なのか」
くすぐったそうに笑み混じりのその声に、なんだか本当に放って置けない男だなと思ってしまったのだった。
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