kokokisu
2023-11-25 16:09:28
5897文字
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【ジョシュクラ】溺愛


 再会した弟は背丈が伸びて、顔つきが大人びて、声も幼い頃とは変わっていた。俺が最後に見た弟はまだ十歳で、性差も薄い年頃だった。外見も相まって可愛らしく、俺は彼を必要以上に甘やかさないよう意識しなくてはならないほどだった。
 成長した彼も中世的な顔立ちではあるのだが、今の彼を可愛らしいと形容するのは憚られた。肩や首は大人の男らしく逞しい骨格になって、背丈も追い越されそうなほど伸びている。
 なによりも大きな変化は、彼の性格から以前の幼さが消えていたことだ。不死鳥教団の宗主として、従える者がいるときは凛々しく堂々と振る舞う。必要に迫られれば躊躇いなく敵を斬り伏せ、フェニックスの力で焼き払ってみせた。彼はロザリアの王子としてふさわしい強かさを身に着けていた。
 ジョシュアの変化を俺はまだ受け入れきれていなかった。十八年も経っているのだから、彼が変わるのは当たり前だと頭では理解している。しかし心が追いついていない。成長が喜ばしくないという意味ではなく、ただ、今の大人になった弟にどう接したらいいのか、俺は分からなくなっていた。

 最後のマザークリスタルはウォールード王国のドレイクスパインにある。アカシアが大量に発生している灰の大陸でのマザークリスタルの破壊というだけでも危険だが、オーディンのドミナントであるバルナバスとの再戦も控えていた。彼と直接対峙して剣を交わしたが、二度とも破れてしまっている。その為、俺は出発を急がずいつもより入念に旅支度を整えていた。
 カローンの店で薬を補充していたら、ハルポクラテスの書庫に籠もっていたジョシュアがラウンジに現れた。よほど話が弾んだのか、彼はうっすらと笑みを浮かべていた。顔立ちが整っているからか、好奇心が満たされた無邪気さよりも、ともすれば近寄りがたささえ有る知性を感じさせる表情だった。
 彼がこちらに気づいて華やかな笑みを浮かべた。
「兄さん。戻っていたんだね」
「ああ、依頼が片付いたからな。お前は書庫にいたのか」
 頷いたジョシュアが階段を降りて俺の元へとやってくる。彼が俺の隣に並ぶ度、俺は少し気圧されていた。ずっと見上げられる身長差だったのに、気づいたら視線の高さが一緒になっている。
「また直ぐに出かけるのかい」
 篭手越しに指を捕まえられて、俺は懐かしさに胸が詰まる思いだった。剣術の訓練のために一人で出かけようとしたとき弟に見つかるとこうやって引き止められた。まさか今の彼が同じ考えだとは思えないが、こういう仕草は子供の頃と変わらない。
「そのつもりだが……。どうした、俺に何か用事か?」
 無意識に笑みを浮かべながら、小さい子供に話しかけるような声音を出してしまった。ジョシュアが驚いたように目を丸めている。大人になった彼には相応しくない接し方だったと気づいて、俺は誤魔化しに咳払いを一つした。
……その、だな。俺はこれからロストウィングに向かう。ブラックソーンに武器の素材を入手してほしいと頼まれたんだ。次に向かうのは灰の大陸は未知の土地だ。俺も装備は万全にしておきたい」
「なるほど……。ねえ、兄さん。もしその用事が急ぎじゃないなら、少しだけ僕に付き合ってもらえないかな。時間は取らせないから」
 彼が俺に頼み事をするのは再会してから初めてのことだった。肉体的にも精神的にも成長して、彼にできないことなどなくなったと思っていた。まだ兄として頼られることに嬉しさを感じる。
「いいだろう。何の用事だ?」
 弟は俺の返事を聞いてにっこりと満面の笑みを浮かべた。無邪気に笑う弟は実際の彼の年齢より幼く見えた。
 彼は俺の手を取って言った。
「久しぶりに兄さんと一緒に食事をしたいんだ」
 少しも予想していなかった要求だった。ジョシュアは翡翠色の目でじっと俺を見つめている。それに付随する頼み事があるのかと思ったが、なさそうだ。
 俺は軽く首を傾げた。
「それはわざわざ俺に頼むようなことなのか?食事くらい、いつだって……
「そう言うけれども、兄さんは忙しくて殆ど隠れ家にいないじゃないか。今だって僕が引き止めなければ出かけてしまっていただろう」
 彼の言葉にも一理ある。俺の隠れ家の滞在時間は短い。長くても一泊するくらいだ。
 他の街でも助けを必要としている人がいると考えると、一箇所に落ち着いて留まっていることができなかった。やるべき使命もあり、瞬きの間に時制が変わってしまう中、悠長にしてはいられない。食事も、ゆっくり味わうというよりは、動くための栄養を蓄える作業に近かった。
 俺はまさかこのような要求をされるとは思わなかったので安請け合いしてしまった。食事は大事だが、その優先順位を上げる発想がなかった。何か他にやるべきことがあるときに、テーブルについて食事をするというのは、とても贅沢な時間の使い方に感じてしまう。
「任務が終わったら一度戻ってくる。その後では駄目なのか?」
 諦め悪く聞いてみたが、ジョシュアは強い笑みで俺の提案を否定した。
「実は、もう食事を用意してもらっているんだ。冷める前に食べないと、メイヴががっかりするよ」
 ジョシュアは俺の手を掴んで、ラウンジのテーブルへと引っ張った。彼は俺を逃がす気はなさそうだった。何がこうも彼を突き動かしているのかと不思議に思いながら、俺は彼に従うことにした。

 温かい野菜のスープと柔らかい小麦のパン、そしてゆで卵まで添えられている。一人の時にはここまでしっかりとしたものを食べることはない。久しぶりの食事らしい食事を見て、俺は自身の空腹をやっと自覚した。
 使い込まれた木製の椅子にジョシュアが腰掛けた。俺は彼の正面に座った。
「篭手は外したら?そちらのほうが食べやすいよ」
 弟に言われて初めて気づいて、俺は旅装を解いた。せっかく弟と食事しようというのに無粋なことをしてしまった。直ぐに出かけられるように、俺は剣を背負ったまま、篭手を着けたまま食事をする習慣がついていた。背負っていた剣をベルトごと下ろすと、弟は満足そうに微笑んだ。
「兄さんと食事だなんていつぶりだろう」
 こちらに向けられた微笑みに懐かしさを感じる。フェニックスゲートの事件以来、親しい人とテーブルを囲うことは滅多になかった。それが幸福であるということさえ忘れていた。俺はとうに失ってしまったものを取り戻す機会を与えられているのだと気づいた。
 ジョシュアは卵の殻を剥きながら口を開いた。
「無理やり引き止めてしまってごめんね、兄さん。でもどうしても気になってしまって」
 俺は彼の言葉の続きを待つ。彼は卵の殻を手のひらで集めて、俺をちらと上目で覗き見た。
「今の僕とどう接したらいいかわからないって、顔に書いてあるよ。兄さんは本当に、隠すのが下手だ」
 飲み込もうとしていたパンが喉に詰まりそうになった。本人に指摘されてしまっては認めざるを得ない。俺はまだ目の前にいるジョシュアと十歳の頃の弟を完全には繋げられないでいた。心のどこかで、今の彼は俺の知っているジョシュアではないのでは、という不安を淡く抱いていた。
 俺はスープをスプーンで掬いながら答えた。
「お前を失ってからも、俺はずっとお前のことを考えていた。それは当然、別れてしまったときの姿のお前で想像していた。だから、大人になったお前にまだ慣れないんだ」
 料理が冷めないように、話し終えると直ぐ口に運んだ。温かいものを食べ慣れてきた今でも火傷をしそうな熱さだった。俺はジョシュアへと気をつけるよう声をかけそうになった。だが俺の目に写るのは大人の彼だ。出かけた言葉をスープと一緒に飲み下した。
 ジョシュアは少し悲しそうな顔で俺を見つめた。
「大人になった僕は、兄さんの期待に添えないような姿をしているかい」
「まさか。とても立派な大人の男になっていて、誇らしかった」
 それに、彼は黙っていると気圧されるくらいに美しくなっていた。幼かった頃の甘い雰囲気や輪郭の丸みが消えて、精悍だが華やかな顔つきをしている。本人に言うのは憚られるが、母上譲りなのかもしれない。
 俺の言葉にジョシュアは少し照れ臭そうに目を細めた。
「僕は、ずっと兄さんのことを報告で聞いていたから。十八年ぶりに兄さんを見たという感覚にはあまりならなかったんだ」
「お前こそ、兄が草臥れた姿になっていて幻滅したんじゃないのか」
 城で暮らしていた時とは似ても似つかない姿をしている自覚はある。髪を整えることもなく、髭も剃る暇すらなくてそのままだ。ベアラー兵だった頃など、これより粗末な装備はないというものを身に着けていた。
 ジョシュアの目つきが猛禽のように鋭くなる。顔立ちが整っているので、怒った表情は迫力があった。
「僕のナイトはいつでも気高くてかっこいいんだ。兄さんのこと、草臥れただなんて一度も思ったこと無い」
 冗談めかして言ったつもりだったのだが、ジョシュアは少し強い口調になってまで反論した。優しい彼に不快な思いをさせてしまったのかもしれない。子供のようにむきになるとは思わなかった。
 まだ不服そうな表情を崩さないまま、ジョシュアがスープを一口啜った。熱かったのか、口元を覆って頬を赤くしている。
「火傷していないか?」
 平気だと言う代わりに、彼は軽く首を振った。熱いぞ、と一声かけてやればよかった。
 油の膜が薄く貼ったスープの水面を見下ろしながらジョシュアが呟いた。
「僕は、兄さんの弟だよね」
「当たり前だろう」
 ジョシュアが俺を真っ直ぐに見つめた。彼の真摯さが伝わる熱い眼差しだった。
「それなら昔と変わらないように接してほしい。僕は兄さんと再会してからずっと、距離を置かれているように感じている。兄さんが嫌になったのなら諦めるけど、僕はまた昔のようにあなたと一緒にいたいんだ」
 彼はそう言うと、綺麗な面立ちを崩して微笑んだ。長く伸びた睫毛に縁取られた切れ長の目が、少年のように無邪気に細められている。薄い唇の広角を片方だけ上げる仕草は俺とよく似ていた。
「嫌になったなんて、あり得ない。お前はずっと俺の大切な弟だ」
 彼のスープの中身をちらと伺った。俺の器に比べると色味が少ない。人参を避けてもらっているのだと気づいて、思わず笑ってしまった。
「やっぱりまだ人参は苦手か」
 俺が零すと、ジョシュアは眉を寄せながら頷いた。外見がどんなに成長しても、変わらないところがあることに安心する。今の彼にも人参を食べさせようとしたら、難しい顔をしてそっぽを向いてしまうのだろうか。少し見てみたい気もした。
 外見も性格も大人びているが、彼の本質的なところは何も変わらないのだと気づいてしまった。ずっと抑え込もうとしていた感情がまたふつふつと湧き上がってくる。伝えても怒らないかと心配していたが、その杞憂する姿こそが彼を不安にさせていたらしい。
 俺は顔を上げてジョシュアを見つめた。照れ臭くて目を逸しそうになるのを堪えて彼に告げる。
「お前を昔のように抱きしめたり、頭を撫でたりしていいんだろうか」
 ジョシュアは唖然とした表情で俺を見つめてから、声を上げて笑った。
「そんなことを考えていたの?」
 笑われるのは予想外の反応だ。俺にとってはとても重大なことだったので心外だった。
「大人になったのに、お前に許可なくキスをして、嫌がられたらと思うと怖かったんだ」
 その言葉にジョシュアの表情ががらりと変わった。至って真面目な表情で、俺を見定めるような視線を向けている。暫くじっと見つめた後に、ジョシュアは物憂げな表情になって軽くため息を吐いた。
「キスでもハグでも、昔と同じようにして平気だよ。僕がそんなに怖い?」
 彼に言われてやっと自覚した。俺は彼に嫌われることを怖がっていたのだろう。
「子供にするのとは訳が違うんだ。ためらうのも当然だろう」
「その自覚はあるんだ。なるほど……
 ジョシュアが何かに納得して頷いている。俺の手を掴んで、まるで酒に酔っているときのような、妖しい笑みを浮かべた。
「ねえ兄さん。僕は確かに大人になった。もし兄さんとキスをしたら、僕は前とは少し違う反応をしてしまうかもしれない。それでも、最後まで受け入れてくれる?」
 彼は俺の愛情を試しているのだろうか。だとしたら随分と見くびられている。それくらいで揺らぐようなら、こうやって悩んだりしなかった。俺は、彼が大人になったというのに、それでも彼を可愛がりたくて、ずっと我慢していたような人間だ。
……多分、俺はお前に何をされても可愛いとしか思わない」
 つくづくどうしようもない兄だという自覚は有る。子供の頃に弟を甘やかさないようにと意識していたのは、そうしないと歯止めが効かなくなると分かっていたからだ。
 弟の顔が赤くなった。それから彼は無邪気そうに笑った。心臓が苦しくなる。こんな表情を見せられて、彼を可愛がらずにいられるはずがない。ここがラウンジではなく俺の部屋だったなら、彼を抱きしめて、頬ずりして、何度もキスをしていただろう。
 我慢ができなくなってしまい、俺は手を伸ばして彼の頭をそっと撫でた。久しぶりに素手で彼と触れ合っている。自分でも恥ずかしくなるほどに心が満たされるのを感じた。
 彼は俺が伸ばしていた手を掴むと、自身の頬にあてがい、甘えるように擦り付けてきた。
「僕も兄さんのこと可愛いと思っているよ。同じ気持ちでいてくれて嬉しい」
 熱っぽい目をしたジョシュアが顔を寄せてきて、彼の方からキスをしてきた。唇を重ねて、舌を入れて、熱心に口を吸われた後、名残惜しそうに離れていく。子供の頃の頬や額へのキスとは違ったが、彼の幸せそうな瞳に見つめられている内に、俺の戸惑いは直ぐに氷解していった。
 ジョシュアはまだ足りないと言った表情をしている。欲で泥んだ緑の瞳で俺を射抜いて、愛撫のように手の甲を撫でてきた。離れていた期間が長かった分、もっと親密に触れ合わないと満たされないようだ。
「兄さん、二人きりになりたい」
 大人になった今の彼が俺を求める様を見て、まだ言葉も拙かった頃の弟が必死に抱っこをせがんできたことを思い出してしまっていた。身体の欲を満たしたがっている弟に、なんという感情を抱いているのだろうと我ながら呆れてしまう。俺は彼に望まれるまま、手を繋ぐような心持ちで彼と身体を重ねようとしていた。