kokokisu
2023-11-20 02:24:31
8198文字
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俳優✕脚本家でジョシュクラ


 急激に気温が下がり、街路樹が黄色く色づき始めた。通りを吹き抜ける風は乾いて冷たく、俺は無意識にスラックスのポケットに手を突っ込んでいた。買い物は通販サイトで、食事はデリバリーで済ませてしまっていて、犬の散歩以外で外出する機会は殆どない。散歩は早朝にする習慣がついているし、遠出するのは今日のような取材の時くらいなので、日中の気温の変化に疎くなってしまっていた。少し前まではまだ海に人が集まる季節だと思っていたが、気づいたら街にはもうダウンを着ている人さえいた。
 木枯らしが通り過ぎる度に身体の体温を奪われた。思い出したように寒気が走る。室内なら少しは温かいだろうと、俺は広場を急ぎ足で通り過ぎて駅へと向かった。空調の効いた駅構内は温かく、薄い上着に綿のパンツという格好でも身が凍えることはなくなった。
 悴みかけていた指先でスマホを操作して、今日の目的地を確かめる。都心にある総合病院に俺は向かっていた。
 俺の担当は非常に優秀な人だ。今の時勢で部外者が病院に入ることは難しいだろうに、対応してもらえる病院を見つけ出してくれた。しかも、原稿の締切をギリギリ跨がない日程で、取材の予約と必要な手続きも済ませて貰っている。
 ドラマの脚本を書くために、どうしても書籍だけでは資料が足りない箇所があった。インターネットでいくら文献を探しても見つからない。これは実際に現地で取材するしか無いと観念して、普段は籠りっぱなしのマンションの一室を抜け出して、こうやって外の空気を浴びている。
 本当なら締め切りが迫っている今、担当は俺を部屋に籠らせるのが仕事のはずだった。だが彼は、自分が書いている物に確信が保てないままでは文章が作れないという俺の性分をよく理解していた。だから貴重な時間を使わせてまで、取材に行かせてくれている。
 担当は、資料を集めるのは最大で三時間で、帰ったら必ず原稿を仕上げるようにと言い聞かせてきた。俺は、今日の夜九時前には書き直した五話目の第二稿を渡すと約束した。彼が提示してきた締め切りよりも少し早い時間だ。それは彼への罪滅ぼしの為というよりも、その時間を過ぎた後の自分が原稿を書く余裕など無いと分かっていたからだ。

 スマホのICカードに残高をチャージして、そのまま目的地までの時刻表を改めて調べる。何番線かを確かめた後に駅の改札上の電光掲示板を見上げると、電車は十分後に到着予定だった。俺は早足で改札を通り抜けて駅のホームへと向かった。
 エスカレーターに乗って地下のホームまで降りる。スマホから顔を上げると線路の向かいに大きな広告が掲載されており、俺はそれを見た瞬間に心臓が止まりそうになった。
 惑星のような緑の瞳と目があった。黄金色の髪をした彫像のように美しい青年が、理知的な唇を引き結んで、じっとこちらを見つめている。強い決意を感じさせる表情だ。彼に追求されたら、何事も隠し立てできないだろうと思える。
 俺は一瞬、彼が弟のジョシュアだと気づかなかった。俺に向けられる表情と、仕事中の彼の表情が、あまりにも違ったからだ。撮影の時から役を演じているのだろう。今更ながら、弟が俳優であるということを実感する。
 駅のホームでも最も目立つところに掲載されたそれは、今年の冬から始まる新ドラマの看板である。弟はドラマの出演者だった。他のキャラクターも話題性の有る俳優で固められており、テレビ雑誌でも今季一番の注目作だと紹介されている。
 弟はメインキャラクターの一人ではあるが、ドラマは群像劇だ。だが彼が宣伝素材でもかなり目立つ位置に配されているということは、彼の人気を反映してのことだろう。
 俺は駅のホームに立って電車を待ちながら、暫く看板を見つめていた。何度も見た顔のはずなのに、やはり俺の知らない人のようだった。
 厳密にいうと、看板に写っているのは俺の弟のジョシュアではない。臨床検査技師のマルガラスだ。アロマンティックで欲求の希薄な男だが、正義感が強く、目的のためなら自分自身を利用することも厭わない。今回のサスペンスドラマのストーリーを作るために、俺が生み出したキャラクターの一人だった。
 彼と弟は切り離して考えなければならないと頭では分かっている。だが彼がドラマの中でどんなシーンを演じるかを考えてしまい、微かに苦い思いを抱いてしまった。このキャラクターをジョシュアが演じることを知った上で、ドラマの話を書いたのが俺自身であるにも関わらずだ。
 兄の贔屓目かもしれないが、ジョシュアは群を抜いて整った外見をしている。だから、女性との濡れ場が多いマルガラスに彼が配役された。女性人気を取り込むためだろう。ドラマの見どころの一つとして、彼の演じるラブシーンが紹介されていたほどだ。
 子役を演じていた時は縁遠かったのに、成長に合わせて彼は徐々に大人の演技を求められるようになってきた。最近は、女性誌に掲載するための半裸の写真も撮影したらしい。俳優としてのジョシュアがどの層に人気かを考えたら致し方ないのだが、それでも弟が大勢の人に色目を使う姿を見ると複雑な気持ちになる。
 駅のホームに電車が到着した。広告が電車で隠れてしまい、俺の煩悶もそこで中断された。列の前に並んでいた人に続いて電車に乗り込み、目的地へと向かう。
 電車の吊り革を掴みながら、俺は腕時計で時間を確認した。針は午後二時を指している。担当との待ち合わせの時間まで後三十分、原稿の締め切りまでは十時間、そして今夜、俺が脚本を手掛けてジョシュアが出演するドラマの第一話が放送されるまでは後七時間だ。
 俺は気持ちを切り替えて、スマホのメモで取材内容を再確認した。ドラマの放映に間に合うように原稿を終わらせなくてはならない。既にドラマの撮影は終わっているし、もちろん脚本も知っているのだが、弟がどう演じたか、カメラがどう収めたかが気になってしまう。
 それに今日の放送内容を考えたら、ドラマを見た後に脚本を書けなくなることもわかり切っていた。だからせめて先に原稿を終わらせて、来る第一話の放送前に、俺は心の準備を整えようとしていた。



 カウントダウンが始まった。0に至る最後の数字は指で示された。監督の視線とカメラのレンズがこちらに向けられている。心地よい緊張感が空間を満たしていた。
 数分前まで談笑していた女優ももう役に入り切って、別人の空気をまとっていた。僕も一度だけゆっくりと瞬きをして、演技に没頭できるようにマインドセットする。
 子供の頃から続けている仕事だ。僕の意識は呼吸をするように自然に切り替わった。それまで自分の意識を支配していた、俳優のジョシュア・ロズフィールドの人格を捨てて、兄が生み出したキャラクターであるマルガラスに自身の身体を明け渡した。


 薄暗い照明で照らされたリビングで、彼女は僕に取引を持ちかけてきた。
 情報を得られるので僕には確かに利益があるが、彼女のメリットがあまり見えなかった。僕は彼女に淡く不信感を抱いてしまった。取引というのだから彼女にも益があると示してもらわなくては、後で過大な要求をされるのではと警戒してしまう。
 強かな笑みをこちらに向けながら、彼女は僕の項に両手を回している。まさかこれが彼女の求めるリターンかと疑う。そのまま口をつけられて、僕は軽く眉を寄せた。
「遊びの相手なら他にもいるんだろう」
 僕の言葉が気に食わなかったのか彼女は表情を険しくする。
「まさか。あいつは利用させてもらっているだけだ」
 彼女は少し苛立たしげだ。巌のような体格の男に彼女が露骨に色目を使っていた姿が脳裏をよぎる。あれが演技だったのなら、今の彼女の態度も本物ではないと考えた方がいいだろう。
 僕の腕をぐいと引いて、彼女はベッドに僕を押し倒した。上着を脱いで上に跨り、猛禽類の目で僕を見下ろしている。ボタンを外しながら彼女は鷲が肉を啄むような口づけを僕にした。
 倒錯的な表情で僕を見下ろしながら彼女は笑う。
「私はお前を味方に付けられたら満足だ。お前の立場と人脈を、後々利用させてもらおう。だが先に、お前が私の共犯だということを示してもらおうか」
 彼女はただ僕の身体を求めているのではない。別の狙いがあるということは分かっていた。しかしそれは彼女を拒む理由にはならなかった。今後、彼女の協力を得られなければ、僕は手詰まりしてしまう。
 虚をつくように勢いよく身を起こして、上に乗る彼女を逆に押し倒した。驚いた表情をする彼女に、僕は笑みを浮かべて見せた。
 彼女の狡猾さはよく知っている。あの男は彼女にすっかり籠絡されて、言いなりになってしまっているのだろう。この取引で、彼女に優位を奪われてはならないと察した。
 露わになった彼女の白い太ももを臀部までなであげる。シャツのボタンを外し、下着越しに豊かに膨らんだ胸を掴んだ。色めいた表情を見せる彼女に僕は告げた。
「他の男で満足できなくなっても知らないよ」
 無意識に口角が上がる。僕は自分でも驚くほどに支配的な声を出していた。

 監督の鋭いカットの声が聞こえた。ベッドに乗っていた僕と相手役の女優はほぼ同時に彼の方を振り向いた。シーンの撮影は終わったが、彼のその声音から、映像に納得していないことが分かったからだ。
 僕たちは衣服を整えながら監督の元へ向かった。先程撮影した映像のリプレイをしている。僕が相手役をベッドに押し倒し返したシーンで監督は一時停止をした。
 ここだ、と画面を指さしながら、監督はまず女優に声をかけた。
「マルガラスがお前をひっくり返した瞬間だが、もう少し嫌悪感がありそうな表情を作れるか。マルガラスが優位になりかけて、取引の本当の目的を隠していたアーシェの演技が少し崩れる感じだ」
 その短い指示だけで彼女は監督がこのキャラクターをどう表現しようとしているかを察した。撮影された映像を見返しながら小さく頷いている。
「わかりました。やってみます」
 監督が次は僕の方を振り向いて言った。
「お前は、さっきの感じで続けてくれ」
「ありがとうございます」
 頷く僕を見て彼はふっと口元だけで笑った。その表情で彼が何を考えているか分かって少し気恥ずかしくなる。彼とは僕が子役だった頃から仕事をしているが、濡れ場を演じて見せるのは今回が初めてだ。もしかしたら子供の成長を実感する親のような視点で僕を見ているのかもしれない。
 メイクと衣装を撮影開始時と同じに戻してもらい、僕たちは同じ立ち場所へと戻った。再びカウントが始まる。僕は自分の意識をこれから演じるシーンへと向かわせた。

**

 原稿を受け取った担当を玄関口まで見送り、俺はリビングへと戻っていった。すぐにトルガルが駆け寄ってきて、俺に撫でろとせがんでくる。湿った鼻を手のひらに押し付けて舐めた後、腹を前脚で押して小さく鳴いて、まるで久しぶりに家に帰ってきたときのような甘え方だった。原稿中に邪魔をしなかった彼を褒めるよう、彼の頭や首や腹を撫で回した。
「待たせたな」
 トルガルはちぎれんばかりに尻尾を振って、一際大きな鳴き声を上げた。
俺は彼におやつを与えると、ドラマが始まる前にシャワーを浴びることにした。原稿を書き続けていたので、目が疲れて身体も酷く強張っている。ドラマを見終わったら直ぐ眠れるようにしておきたかった。


 自分が書いた脚本なのだが、完成形のドラマになるまでには大勢の人の手が加わる。監督に脚本を読み解いてもらい、演者にキャラクターを演じてもらい、カメラマンにその光景を切り取ってもらい、最後に映像を編集してもらってようやく文字だけで綴られた脚本が映像作品に生まれ変わる。全ての工程で違う人間がそれぞれ作り上げていくため、映像が俺の想像した通りの形になることはほぼない。それに不満はないし、むしろ人と作品を作っているという実感が湧くので、俺は毎回出来上がったドラマを見ることを楽しみにしていた。特に今回は馴染みのあるテラモーン監督で、主演は弟のジョシュアだ。彼らと一緒に作品を作り上げることが喜ばしいと感じる。
 しかし今日放送される第一話を見ることに、俺は今までにない不安を覚えていた。なぜなら一話目には、俺の弟が演じるマルガラスのベッドシーンがあるからだ。彼が女を押し倒してキスをして、性的な手付きで彼女の身体を触る姿を見ることになる。想像するだけで軽く目眩を覚えた。もう少し抑えた描写にするべきだったかと思ったが、構成作家も監督も、こちらの方が良いと言って修正されてくれなかった。
 明かりを落としたリビングのソファに腰掛けて、俺はモニターの電源を入れた。思いの外大きな音量でコマーシャルが流れて、一緒に座っていたトルガルが反射的に身を起こしている。彼を撫でて宥めながら音量を落とした。21時になると同時に、視聴予約していた局にチャンネルが切り替わった。

 数ヶ月前には文字でしかなかったストーリーが鮮やかに映像として描き出されている。ドラマに関わった監督も演者も間違いなく一流だった。俺は自分が書いたという事も忘れてストーリーに没頭し始めた。
 一話目のクライマックスである、マルガラスとアーシェの取引のシーンが始まった。この後を知っている俺は、無意識にトルガルを抱き上げて膝に乗せていた。彼のふわふわとした手触りの腹を撫でて気持ちを落ち着かせる。仰向けのままこちらを見上げてくる彼に俺の心はほんの少し平穏を取り戻した。
 ベッドルームで会話をしていた二人が唇を重ねた。微かに胸がざわついたが、これくらいなら見慣れている。俺はトルガルの毛皮に手を埋めながらコーヒーを啜った。
数ヶ月前に書いた記憶のあるセリフを、テレビの中のキャラクターが読み上げた。
『遊びの相手なら他にもいるんだろう』
 相手への興味を一切感じさせないマルガラスの言葉に俺は背筋が冷たくなった。声がつくとここまで冷たい印象を与えるのかと驚く。映像になって初めて、作者の俺でさえ知らなかったマルガラスの新しい一面が見えた気分だった。
 二人がいくつか言葉を交わしてベッドになだれ込んだ。アーシェがマルガラスの服のボタンを外して、彼に何度もキスをしている。それからマルガラスは場所を入れ替わり、彼女をベッドに押し倒した。彼の彼女の身体を触る手付きがアップで映し出されて、俺は段々と画面を直視するのがつらくなってきていた。
『他の男で満足できなくなっても知らないよ』
 二人の身体がベッドに沈み込む。シルエットだけ写すような構図に切り替わった。裸体は見えないが息遣いや声音、身体の密着具合で、二人が行為に及んでいることがわかる。俺はもう殆ど画面を見ていなかった。見られなくなった、のほうが正しい。マルガラスの湿っぽい声が聞こえる度、精神が限界を訴えてくる。彼がアーシェと寝たことに、俺は酷い精神的苦痛を覚えていた。
 場面が切り替わり、次回のメインキャラクターである二人が映し出される。彼らが対峙する人物の示唆を残して、作品のエンディングテーマが流れ始めた。それを聞いてドラマの終わりを実感してようやく俺は心が凪いでいった。
 それまで伏せていたトルガルが身を起こして、俺の顔をぺろぺろと舐めてきた。
「どうした?」
 俺は笑顔を作って彼の顔を撫で回した。慰めてくれているのだろう。自分で作った脚本なのにと情けなくなってきた。顔を洗うためソファを立ち上がろうとした時、玄関が開く音が聞こえた。

***

 打ち合わせが早めに終わったので時間に余裕があった。ドラマの一話目は今日が放送日だったはずだ。せっかくなので彼とお祝いしようと思い立って、僕は彼の家を訪ねることにした。
 合鍵で玄関を開いて中に入る。モニター背面に設置された間接照明だけが灯されてリビングはオレンジ色に仄明るい。テレビの前のソファでトルガルと寛ぐ兄の姿が見えた。僕はひとまず持ってきたシャンパンとデリを冷蔵庫に締まってから彼の元へ向かった。
 上着を脱いでリビングへと向かう。テレビに夢中なのか、それとも居眠りをしているのか、兄はこちらを見ようとしなかった。僕は彼の隣に腰掛けて、トルガルの頭を撫でた。
「原稿お疲れ様。今日は『クリスタル・コンフリクト』の放送初日だったよね。兄さんはもう見たの?」
「ああ、ちょうどさっき見終わった。良いシリーズになりそうだ」
 兄がメガネを外しながら目元を腕で拭っている。原稿で疲れた目が霞んだとき、兄はよくこの仕草をする。だが今日は、いつもと違う空気を感じた。僕は彼の手を取って顔を覗き込んだ。
 感情が不安定になっていることがわかる顔つきだった。目が少し赤くなっている。擦ったからではなく、涙を流したからだ。
「何があったの」
 兄は弱い人ではない。彼が泣いている姿など、殆ど見たことがなかった。だから只事ではないと思い、僕は動揺してしまった。
 クライヴは軽く首を振って、何でも無いとでも言うように軽く手を上げた。
「お前が心配するようなことじゃない。それより、打ち合わせだったんじゃないのか?」
「予定より早く終わったんだ。それより兄さん、泣いていた理由を教えて。僕には言えないようなことなの?」
 僕に問い詰められてクライヴは気まずそうに眉を寄せる。トルガルの背中から尻尾まで撫でながら、言いづらそうに口を開いた。
「その……、ドラマの内容が、だな」
 脚本を書いた兄が涙を流すほどに、気に入らなかったのだろうか。演者として参加した僕は血の気が引いた。撮影をしたのは数ヶ月前だったが、関係者の全員が確かな手応えを感じていたのに。どこかで兄の意図を汲み取れずに、脚本の解釈に齟齬があったのかもしれない。
 僕は兄の肩を掴んで、彼と向き合った。
「どこが駄目だったのか、教えて。僕に直すべきところがあったなら直すよ。今兄さんが書いている脚本は僕が主演だろう。同じ間違いを繰り返したくないんだ」
 彼に詰め寄ると、クライヴは気まずそうに俯いた。
「違う。お前の演技も、相手のハーマンの演技も完璧だ。監督の指示も素晴らしかったんだろう。俺は、ただ……。お前のベッドシーンが……
 それを聞いて僕も思い出した。ドラマの撮影は既に完了しており打ち上げまで終わっている。一話目に至っては、撮り終わったのが数ヶ月前だったので忘れかけていた。
 今回のドラマは一話目に僕が演じたマルガラスとアーシェのラブシーンがあった。兄が書いたラブシーンを見たことならあったが、自分で演じるのは初めてだった。兄の脚本の魅力を損なわないようにと、できる限りのことはしたつもりだ。
「僕では役者不足だったのだろうか」
 自分の不甲斐なさに落胆していると、兄は首を振って僕の言葉を否定した。
「違うんだ。すまない、これは俺の問題だ」
クライヴはソファに深く凭れ掛かると、目を閉じたまま天井を仰いだ。
「お前が他の女を抱いている姿を見るのが辛かっただけだ。自分で書いた脚本なのに、俺は何を言っているんだろうな」
 彼は早口でそう言ってテレビの電源を消した。僕は自分が如何に鈍感だったかに気づいた。自分の愛する人が自分以外の人と身体を重ねる姿を見て、喜ぶような人間はいない。
 俳優を続ける限り、また同じように彼以外の誰かを愛する姿を見せることになるだろう。彼に対して少し申し訳なく思うと同時に、僕は彼の反応を嬉しく思ってしまった。僕が彼以外を愛するなどありえないと分かっているだろうに、それでも苦しめてしまうほど、彼の心を動かす演技ができたということだ。
 ソファに座った兄に覆い被さり、彼とキスをした。クライヴは僕を受け止めて、更に口づけを深くした。口を離して、心の底から笑みを浮かべる。
「誰よりも愛しているよ、兄さん。確かめたい?」
 クライヴは逡巡したが、気恥ずかしそうに目を伏せながら頷いた。キスをしただけなのに彼の瞳は既に熱を孕んでいる。彼は初めからこの言葉を待っていたのではないかと勘ぐってしまった。