kokokisu
2023-07-10 02:36:57
5674文字
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ジョシュクラ 1


 子供の頃から僕たちはよく、仲が良いですね、と言われていた。式典が無事に終わり、僕たちの緊張が解けて心持ちが緩やかになった頃だった。侍女の言外には、僕と兄の置かれている環境からは得難いものだという意味合いが含まれていた。僕はめったに動くことのない心の底までが仄かに暖かくなるのを感じた。母親に甘やかな言葉をかけられても、父に珍しく褒められても、同じ気持ちになることはなかった。その言葉は何にも勝る賛辞として僕の耳の中で響いていた。
 同じような言葉を言われる度、僕は隣に立つ兄の手を握り締めた。兄は必ず僕に応えて、優しく握り返してくれた。確かめたくて彼の顔を見上げた。まるで鏡を覗き込んだようだった。彼は騎士団長に剣術を認められたときのように得意な笑みを浮かべていたのだ。僕だけじゃなくて彼も同じ気持ちだとわかって、また胸の熱が高まった。彼は僕を守ることを、僕は彼に守られることを、まさしく栄誉であり祝福だと感じていた。

 兄と彼の仲間の掲げたマザークリスタルの破壊という使命は、その過激思想にも聞こえる活動に反して多くの支持者を集めていた。彼が活動拠点としている隠れ家には出身も立場も異なる多くの人間が身を寄せ合い、一つの街のような共同体を築き上げている。助けられた恩がある人や、この場所でなくては生きられない人も多い。だがそれだけでなく、この隠れ家には命がけの戦いに身を投じる人間が多くいる。彼らは兄の信念に強く共感し、彼がそれを成し遂げるときを見届けたいと願っていた。きっと兄には指導者としての才もあるのだろう、僕が彼と再開するまでに見て回った数多くの街よりもよほど活気のあるコミュニティが築き上げられていた。
 小さな街よろしく隠れ家には食事と酒を提供するカウンターがある。僕をこの場に誘ったガブが、給仕のメイヴにエールを二杯注文した。エールが波々と注がれた木製のジョッキを手に、オーケストリオンの近くにあるテーブルへと戻ってくる。溢れそうなジョッキを口元で傾けながら、彼はもう片方のエールのジョッキを僕へと勧めた。
「おつかれさん。流石に疲れたんじゃないのか、クライヴに付き合ってダリミルまで行ったって聞いたぜ」
 ガブの差し出したジョッキを両手で受け取る。予想よりも重く、ジョッキが傾きそうになった。ガブが慌てた表情で手を差し出そうとしたのを見て、僕は笑いながら大丈夫と返した。兄さんのように面倒見の良い人だ。
 水代わりに飲む彼の真似はしなかったが、僕も喉を潤すのに十分な量を頂いた。ジョッキを慎重にテーブルに置くと、改めてガブを向き直る。
「付き合って、じゃないよ。僕のほうが兄さんにお願いしたんだ」
 シリルから父上の遺言状が見つかったと連絡があり、その中身を確かめるためにクライヴとダリミル宿場へと向かった。父上は成人した僕たちのため、強き絆を表す蔓の意匠の施された揃いの腕輪を用意してくれていたのだ。父上から直接賜ることは叶わなかったが、その腕輪は込められた願いと共に確かに僕たちが受け継いだ。
 クライヴも僕と同じく、緋石の腕輪を身に着けている。それが見えていたのだろう、ガブは察したように小さく頷いた。
「ロザリアにも行ったってクライヴから聞いた。立派な人だったんだろうな、お前らの親父さんは。残された街の人やお前たちを見ていたらわかるよ」
 偵察任務で様々な街を見てきたガブにそう言われると誇らしかった。もうロザリアは失われてしまったが、父の信念は彼の地に暮らす人々の心で息吹いている。クライヴが世界と戦うのは、それを守ることに価値があると信じているからだ。
 僕はテーブルに肘をついて、ガブの薄青い瞳を覗き込んだ。クライヴの右腕として息吐くまもなく働いている彼が、わざわざ僕を選んで誘ってくれた。後ろめたそうに視線を伏せる彼を安心させるように、僕も意識して表情を緩やかにした。
「それでガブ、そろそろ僕にエールをご馳走してくれた理由を教えてもらえるかい。酒飲み相手なら兄さんのほうが適役だっただろう」
 図星だったのか、不自然に堅苦しかったガブの表情がみるみる緩んでいく。誤魔化すことすらもやめて今は苦笑いだ。彼は僕の体を気遣ってくれているのか、それとも僕がまだこの家では新参者だからか、クライヴに対してのようには気軽に接してくれない。だが、彼はクライヴにとって欠かせない大切な仲間で、それなら僕にとってもそうだ。
「僕にできることなら何でも言ってくれ。君はクライヴをずっと支えてくれた大切な仲間なんだから」
 ガブは、僕がクライヴと離れていた間もずっと彼を支えてくれた人だ。彼の願い事がクライヴに不利益をもたらすものではないと分かっていたからかもしれない。僕は何の躊躇いもなく軽率な言葉を口にしていた。
 ようやく話す決心がついたのか、ガブはいつになく真剣な眼差しになった。空気さえも動きを止めたような緊張が背筋に走る。彼の頼み事の内容によっては、クライヴの理解を得る必要があるかもしれないとまで僕は決意していた。
 彼は僕から目を離さずに口を開いた。
「ずっと悩んでいたんだ。こんなこと頼んでいいのか。でも、最近のお前たちを見ていたら我慢できなくなった」
 ガブは勢い余ったように一息ついて更に続けた。
「今更言うまでも無いが、俺にはドミナントのように戦う能力がない。偵察任務でクライヴが俺を重宝してくれているのは知っているさ。でもな、いい加減に辛いんだよ。お前らは身体を削りながら一番危険なところで戦ってる。俺がもっと強かったら、お前もクライヴもジルも、ここまでボロボロにならずに済んだんじゃないかって……!」
 ガブは痛々しいほどに拳を握り締めていた。自身の無力を呪う彼の気持ちは痛いほどにわかった。
「お前はフェニックスのドミナントだ。フェニックスは祝福を授けることができるんだろう。そしたら俺だって、クライヴほどとは言わないが今よりも戦えるようになるかもしれない。だからジョシュア、頼む。俺にもフェニックスの祝福を……
 もしもこの願いを告げたのがガブでなかったなら、僕は一体どんな反応をしていただろう。
 僕は深く項垂れながら口を開いた。
「すまない、ガブ……。それだけはできないんだ」
 彼の覚悟を知っていながら、それを蔑ろにする応えしか僕は持っていない。彼の目に失意が滲む。ガブを落胆させたくはなかったが、他に彼へ返す言葉がなかった。
「君では役者不足だとか、信頼できないという意味ではないよ。だが、僕のナイトは兄さんだけなんだ」
 確かにロザリアでは伝統的にドミナントの守護者であるナイトにのみフェニックスの祝福が贈られる。リジュヴァネーションでガブにフェニックスの能力を与えたら、彼の戦闘能力は今よりも向上するだろう。だが僕は、力を与えたかったからクライヴにフェニックスの祝福を贈ったのではない。あれは僕とクライヴを結びつけるための楔だったのだ。
 ガブが明らかに気落ちした様子で肩をすくめた。
……いや、悪かった。フェニックスの祝福なんて、誰にでも与えていいものじゃないよな」
「ごめん、ガブ。僕も君の力になりたかったのに」
「いいんだ。そもそもフェニックスの祝福は、ドミナントを守るナイトのためにあるんだろう。クライヴ以外にそれが相応しい男はいないさ」
 エールを飲み干してジョッキを空にしたガブが優しい笑みを浮かべて席を立つ。彼にかける言葉も、どんな顔を向けたらいいのかも僕には分からなかった。

 隠れ家に帰ってきたクライヴがまっすぐに菜園へ降りていく。きっと旅の途中で戦闘があったのだろう。剣の手入れと身体を清めるために、真水を貰いに行っているようだ。僕は彼を追いかけて菜園へと向かった。階を降りる途中でクライヴに会う。クライヴは小さなバケツを手に階段を登ってきているところだった。
「お帰りなさい、兄さん」
 僕の挨拶を聞くなり、クライヴの目つきが微かに鋭くなる。
「ただいま、ジョシュア。どうした、何かあったのか?」
 さすがに兄さんに隠し事はできない。相談するつもりではいたが、あからさまに表情に出したつもりはないのに。一言交わしただけで彼は直ぐに僕の心を見抜いてしまった。
 クライヴは心配するように僕の肩を叩いた。
「少し待っていてくれ。汚れを落としたら話を聞こう」
 足早に部屋へ向かおうとするクライヴを僕も追いかけた。
「待って、兄さん。僕も手伝うよ」
 僕の言葉にクライヴが一瞬驚いて、それから笑みを浮かべた。
「ありがとう。今日はもう外に出る予定はないから、そんなに焦らなくていいんだぞ」
 旅装を解く兄のことを待てない弟だとでも思われたのだろうか。僕も思わず笑みを溢した。
「兄さんだって疲れてるだろう?」
 クライヴはふっと笑って僕の頭に手のひらを乗せた。厚く柔らかく、温かな感触だった。僕の心の小さな翳りはそれだけで溶けていくようだった。

 隠れ家の長であるクライヴは彼だけの私室を持っている。彼の人生に深く関わった大切な品を飾る棚と、彼の背丈と変わらない大きさの質素な寝台、あとは手紙を読むためのテーブルが一卓備えてあった。僕はこの部屋を見る度に公務で殆ど城にいなかった父のことを思い出した。もしロザリア公国がまだ残っていて、僕が大公になっていたら、クライヴも僕を支えて国政を担っていただろう。武官か文官か、どちらになっても彼はこのように質実な執務室を好んでいたと思う。
 クライヴはマントを外して砂埃を払うと、武器を置いて鎧を一つずつ丁寧に脱ぎ始めた。篭手に肩当て、鉄靴とすね当てを順番に外してテーブルに並べる。革の装備だけの身軽な姿になった彼は、ふうと息を吐いて木箱を二つ引き寄せて椅子代わりにした。その一つに腰掛けると、彼は持ってきたバケツの水に布を浸し、固く絞って、まず剣の手入れから始めた。僕は彼の隣の木箱に座り、返り血を浴びた彼の篭手を磨いた。クライヴの鎧は戦いの経歴の割に傷も汚れも少ない。父から受け継いだ遺品なので大切に扱っているからというのもあるだろうが、彼のナイトとしての腕前を反映しているのも事実だ。
 まだ十代半ばでその腕前を認められ、彼はナイトの称号を与えられた。ロザリア公国の歴史の中でも最年少だったらしい。僕は早くフェニックスの祝福を兄さんに与えたかったから、それに感嘆するでもなくただただ喜んでいた。僕は初めから彼を僕のナイトに選ぶことを決めていたのだ。
 油を塗った剣を羊毛で磨きながらクライヴが口を開いた。
「それで、俺がいない間に何かあったのか」
 視線は剣の切っ先から離さず僕へとそう問いかけた。
……ガブにエールを奢ってもらったんだ」
 意外だったのか、クライヴは軽く眉を持ち上げている。
「お前にか?珍しいこともあるものだ」
「ああ、僕もそう思ったよ。だから理由を聞いたんだ。兄さんのほうが奢り甲斐があるだろう?って」
 クライヴが視線を伏せたまま小さく笑い声を上げる。僕は彼を見つめながら続けた。
「彼はドミナントである僕たちと一緒に戦う力を求めていた。僕たちだけを死地に送り出すのが耐え難いと。それで僕にフェニックスの祝福を与えてくれないかって、頼まれたんだ」
 剣を磨いていたクライヴの表情が微かに固くなった。彼は顔を上げて僕をまっすぐに見つめた。
「それで、どう返事をしたんだ」
「ガブを傷つけたくなかったよ。でも、ちゃんと伝えた。僕のナイトは兄さんだけだって」
 クライヴは目元を曇らせながら小さく息を吐いた。
「ガブのやつ。もう既にこれ以上ないくらい戦ってくれているのに」
 二人はもう五年も一緒に世界の改革のために戦い続けている。クライヴの信念に共感したガブが、彼にどれほど尽くしてきたかは、彼が一番よく知っているだろう。
 僕はまた胸の中を毟られるような痛みを感じた。落胆を隠しきれないガブの表情。彼に悪気はなかった。彼はただ、知らなかっただけだ。フェニックスのドミナントが、ではなく、僕という人間がクライヴをナイトに選んだ意味を。
 磨き終えた篭手をテーブルに戻す。クライヴは既に他の武具の手入れまで終えていた。
「ガブを失望させただろうか」
 僕は自身の行いに対する救いをクライヴに見出そうとしていた。子供じみた行いだった。兄は僕を裏切らないと分かっていたのだから。
 クライヴは慎重に言葉を選んで、落ち着いた声音で応えた。
「落胆はしただろうさ。だがそれよりも大事なのは、二人が自分の気持ちに嘘をつかなかったことじゃないのか。ガブはそれが無茶な要求だと知っていて、それでも願わずにいられなかった。お前もガブの力になりたかったが、ナイトは一人だって決めていたんだろう。その気持ちを裏切って叶えたとしても、二人が得るものなんてないよ」
 革の手袋を外すと、クライヴは僕の髪を横に流して額にキスをしてくれた。
「思い詰めた顔をしているから何事かと思った。ガブには俺からも伝えておく」
 心配性な兄の態度に思わず笑ってしまった。まるで子供の喧嘩の仲裁役だ。
「きっと僕が気にしすぎていただけだ。兄さんに聞いてもらえてよかった。心が軽くなったよ」
 クライヴはやっと安心したように頬を緩めた。もう一度僕の頭をぽんと叩いて、木箱から立ち上がる。
「水を替えてくる」
 武具の手入れに使って水の汚れたバケツを持ち、クライヴは部屋を出ていった。テーブルに整然と並べられたクライヴの鎧と剣を眺める。こちらはもう磨く必要はなさそうだ。
 気づくと先程まで胸に蟠っていた感情が晴れていた。クライヴを見つけると同時に衝動的に動いていた僕は、ようやく自分のあまりにも幼い行動に気づいて居た堪れなくなった。僕のナイトはただ一人、クライヴであること。クライヴも同じ考えであることを確かめたかっただけなのだ。