長時間の見張りからようやく一時的に開放された。短い休憩時間が訪れて、クラウドは駆け足で神羅ビルの上層階を目指した。夜を食べるには遅い時間で、空腹を訴える腹がきりきりと締め付けられるようだった。上層へ向かうエレベーターがいつもより遅く感じる。目的の階への到着を知らせる音が鳴ると当時に、クラウドはカフェのカウンターへと小走りで向かった。
育ち盛りの彼にとって一日三回の食事は必須で、だがのんびり食べ物を楽しむ時間は彼の仕事に与えられていなかった。いつもなら兵舎の食堂でいつもの定食を頼むが、今日はそちらへ戻る時間さえも惜しい忙しさだ。神羅社員が軽食を取るためのカフェに駆け込んで、残りの勤務を持ち堪えるためのサンドイッチを購入する。朝食ぶりの食事だ。何層にも重ねられたハムを見た途端、口の中がじゅわりと湿った。適当な席に座ってサンドイッチにかぶりつこうとした瞬間、クラウドの目は一人の男の姿を捉えた。
オールバックの黒髪に、頬には目立つ十字の傷。鍛え上げられていることが一目で分かる太い腕に、分厚い胸板。落ちてしまいそうに真っ青な瞳と、湿っぽさの何もないカラッとした声。彼は立ち居振る舞いにも喋り方にも、実力に伴う自信が満ち溢れていた。
クラウドはサンドイッチに齧り付きながら椅子から軽く身を乗り出して、彼の様子を伺った。彼は身長が高いので、人に紛れても顔が目立つ。クラウドは彼をいち早く見つけたが、彼はまだクラウドのことにまだ気づいていない。クラウドは小柄な体を一層縮こまらせながら、サンドイッチを急いで口の中へと押し込んだ。
彼はクラウドの数少ない友達の一人だ。だが、最近は顔を合わせるのが気まずくなっていた。彼と喧嘩しているとか、彼が嫌いになったとかいう話ではない。いつからか彼は、クラウドに対して妙な態度を取るようになったからだ。クラウドは彼のその一点に対してだけ微かな苦手意識さえ覚えていた。
「あれ、クラウドじゃん!今飯食ってんの?」
隠れられていると思っていたので、唐突に声をかけられて、パンが喉に詰まりそうになる。目立たないようにしていたつもりだったが、彼は目ざとかった。彼はこちらに向かってぶんぶんと手を振りながら、一緒にいたソルジャーと共に近づいてきた。仕方なくクラウドは曖昧な笑みを浮かべて手を振り返した。
ソルジャー・クラスファーストのザックスと、彼の友人であり同じくソルジャーのカンセルが、二人揃ってカフェを訪れていた。こんな場所で彼らを見かけるのは珍しいことだった。ソルジャーに任せられるのは過酷な仕事ばかりで、クラスファーストともなると一般兵なら敢え無く命を落とすような危険な場所に送り込まれるのも日常茶飯事だ。彼らを普段見かけるのは戦地か兵舎くらいで、そんなときの彼らは血や泥まみれだったり、近寄りがたい雰囲気であったりする。だが今の彼らは至って穏やかで雰囲気で、ソルジャーの制服も汚れておらず、戦地から戻ってきたばかりにはとても見えない。任務の報告に本社へやってきたのか、もしくはこれから休暇に入るのだろう。恵まれた体格で自信に満ち溢れた雰囲気の彼らが身綺麗にしていると、誰の目も引くほどに見栄えした。特にザックスは有名人なので、神羅の女性社員は分かりやすく色めき立っている。
ザックスが一直線にクラウドの元へ寄っていき、立ったまま椅子に座る彼の肩をぐいと抱き寄せた。
「何食ってたの?一人?」
身体を斜めに傾けながらクラウドは気のない返事をする。
「え、あ、うん……。サンドイッチ、食べてた」
「はは、そんなんで足りるのかよ。もっと食わないと身体デカくならないぞ?」
言いながらザックスはクラウドの二の腕にまで手を下ろし、意味深な手付きですりすりと彼の白い肌を撫でた。カンセルもそれに気づいて苦笑を漏らした。
クラウドが最近ザックスを避けたくなっていた理由はこれだった。クラウドは居た堪れない気分になって顔を伏せた。二人よりもずっと小柄だから、こういうからかいの対象になってしまうのだろう、と彼は思った。今日はまだ座っているから良い方だった。これがもしザックスと並んで立っていたら、彼の手はクラウドの腰を平気で抱き寄せていただろう。
ザックスの手が服越しに身体を這う感触を思い出して、クラウドは小さく膝を震わせた。休憩の時間がもう余り残っていないことにも気づき、逃げ出すように椅子から立ち上がる。
「俺、もう上がるから」
「え、なんだよ行っちゃうの?クラウド、最近なんか俺に冷たくない?」
ザックスはクラウドの腕を掴んで、簡単に彼を捕まえた。駆け出そうとさえしていたのに、クラウドの身体はあっさりとその場に留められてしまった。力と体格が全く違うのだと実感させられる大きな手のひらだった。ザックスはそのままクラウドの腰を抱き寄せた。指先が細い腰の窪みをするりと撫でる。クラウドは背筋が痺れて立っていられなくなりそうだった。こういった冗談が、彼は本当に苦手だった。
クラウドはザックスの脇腹に全力で肘を入れた。屈強な肉体を持つザックスは、痛がるどころか少し驚くだけだった。不意をついてザックスの腕から抜け出して、彼と正面から向き合う位置に立つ。ザックスは痛みよりもクラウドに拒絶されたことを驚いていた。クラウドは彼の本意を確かめようと、ザックスの青い瞳をじっと見つめた。彼は相変わらず気さくな笑みを浮かべながら、少し困ったように眉尻を下げていた。
「そんなに俺が嫌い?」
痛いと文句を言うことさえ彼はしなかった。それをクラウドはザックスの優しさではなく残酷さとして受け取った。どんなに友達と呼び合っていても、彼らは全くもって対等な関係ではなかった。
「……っ、嫌いって訳じゃ、ないけど。なんでザックスは俺にばかり、こういう変な冗談を試すんだ。俺、友達いなかったから、こういうの苦手なんだ」
田舎にいた頃の話だった。彼と同じくらいの年頃の少年たちが、川遊びをしたときに同じようなことをしていた記憶がクラウドにはあった。大きさがどうだとか言って、突きあったりして、彼らは馬鹿みたいに笑っていた。クラウドは友達がいなくて、一人ぼっちだったので、そう言った悪ふざけに巻き込まれずに済んでいた。だが友達の多いザックスはそういう遊びをしていたタイプなのだろう、とクラウドは決めつけていた。
ザックスに悪意がないと分かっていても、クラウドは彼のそういう所作が生理的に受け付けなかった。クラウドはザックスに腰の下の方を触られるたびに変な声が出そうになっていた。彼の手付きが遊び慣れている男のそれで、クラウドが全くの未経験であるということも災いしていた。
クラウドが何を言ってもザックスの目は揺らがない。クラウドは次第に自分が間違っているような気がしてくる。だが、これ以上黙って受け入れていたら、次は何をされるかわからなかった。
「カンセルには同じことしないだろ。俺が二人と違って小柄だからか?」
この何気ない質問でさえも、クラウドにとっては勇気のいる問いかけだった。ザックスは確かにカンセルにはこういった悪ふざけをしなかった。カンセルは背が高くて、強くて、ソルジャーだった。友達だと言ってくれたザックスを信じたかったから、クラウドが考えないようにしていた二人の違いだった。
もしかしたらザックスと友達だと思っていたのは俺だけで、彼は俺をおもちゃだとしか思っていなかったのかもしれない。
考えないようにしていたことを考えてしまい、クラウドは息が詰まるほど悲しくなって目を伏せた。長い金色の睫毛に潤んだ真っ青な瞳が隠れている。傍から見たら、ソルジャー二人組が少年兵を虐めているようだった。
ザックスとカンセルは呆気にとられた表情をしていた。クラウドはそれに気づいていない。悔しくて惨めで、クラウドは顔を上げられなくなっていた。
ザックスにとってはただのコミュニケーション。そう考えられない自分。彼と自分が違いすぎて、クラウドは息が苦しくなった。それでも友達のまま側にいたいと思うくらい、クラウドは彼に憧れてしまっていた。
カンセルが苦々しい表情を浮かべ、ザックスを肘で小突いた。
「あー……。ザックス、これはお前が悪い。クラウドにちゃんと話したのか?」
難しい表情になったザックスが顎を撫でながら答えた。
「言った気がしてたんだけどな……。てか、何回も誘ったし。俺の部屋に来ないか、とか、飯食ったらホテル行こ、とか」
ザックスの台詞にはクラウドも耳に覚えがあった。『これから部屋に来て』と誘われたのは、夜も更けた時間で、次の日も仕事だからと断った。ホテルは、二人で食事したのは0番街で寮も近いのに、わざわざ外で泊まる必要などないと断った。
戸惑うクラウドを見てカンセルは腕組しながら唸った。クラウドはザックスの誘いの意味を全く理解していなかった。
「お前も大概だけど、クラウドもなかなか……。でもやっぱり、お前ちゃんと気持ち伝えてないじゃん。この前の子もだけどさ、先に身体の関係持つの良くないぞ」
「じゃあどうやって伝えたらいいんだよ」
困ったように後ろ頭をガシガシ掻くザックスに、カンセルは拳を握りしめながら答えた。
「誠意を見せる!これに尽きるな」
にこやかな友人を見て、ザックスは観念したように軽く息を吐いた。
「クラウドのためなら良いか」
クラウドは床に這いつくばるザックスを前にして目を白黒させた。何が起きているのかが本当に分からなかった。足を怪我したのだろうか、後ろから突き飛ばされたのだろうか、それとも病気なのだろうか。どれもこれも、彼が土下座する以上にありえないことの様に思えた。クラウドはこの日初めて、ザックスのオールバックにした髪を真上から見下ろした。
「ヤらせてください!」
ビリ、と身体が震えるほどの大声だった。声の迫力に叩き潰されそうな懇願を受けて、クラウドは思わず一歩後ずさった。
自分たちに集まる視線に気づく。呆れてぽかんと口を開けている女性の神羅社員。同じく目を丸くしてコーヒーを零すスーツの男性。こちらを指差してざわつく兵士たち。呆然としていたクラウドが、ザックスを止めなければとようやく動き出した。
「や、ちょっと待って、ザッ……」
顔を真っ赤にしながら彼へと手を差し出す。土下座している彼よりも、自分のほうが恥ずかしかった。肩を掴んで力付くで立ち上がらせようとしたが、体幹が強くてびくともしない。まるで巨大なビルの鉄骨を動かそうとしているようだった。
ザックスは顔を上げもせずに、もう一度大きく声を張り上げた。
「ヤらせてください!頼む、一回だけでいいから!」
迫力のある大声にクラウドが身を竦ませる。このフロアにいる人は全員がザックスの言葉を聞いているだろう。恥ずかしい思いをしているのは、自分よりもザックスのはずだ。助けを求めてカンセルを見上げると、彼も予想外だったのか頭を抱えて唸っている。冗談にしてはやりすぎだった。クラウドはザックスが本気だったのだと認めざるを得なかった。
フロア中の人がザックスとクラウドを眺めていた。笑っている人もいた。自分を見て笑っているのならまだ耐えられたが、その嘲笑がザックスに向けられているかもしれないと思うと許せなかった。今すぐザックスには止めてもらわなくてはならない。そのためなら。
クラウドは床に膝をつくと、ザックスの耳元に口を寄せて囁いた。
「……っ、一回だけ、だからな」
がばりと顔を上げたザックスがじわじわと滲むように笑みを浮かべていく。クラウドを落としたとはっきり自覚すると同時に、彼はその場で飛び跳ねて喜んだ。腕に筋が刻まれるほどの力強いガッツポーズを握る。
「やった!やっぱり嫌って言っても駄目だぞ!あーもう、クラウド大好き!」
ザックスはクラウドを抱きしめて彼の頭に頬ずりをした。仔犬のように分かりやすい愛情表現だった。彼がクラウドに求めているものが彼の身体だとは思えないほどに、彼は無邪気に喜んでいた。
クラウドは今になって背中に冷たい汗を浮かべていた。勢いに負けてザックスの誘いを受けてしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。どこまで彼が求めているのか、自分が何をすればいいのか、クラウドは何も分かっていなかった。何も分かっていないのにザックスと『一回だけ』の約束を交わしてしまった。今まで少し肌を撫でられるだけでも身体が震えていたのに、更にその先を。
喜びの絶頂にいるザックスが、満面の笑みを浮かべながらクラウドの顔を覗き込んできた。
「優しくするから安心しろって」
クラウドは強がって、うんと小さく頷いた。彼が服越しにクラウドの腰を触る手付きは今までよりも遠慮のないものになっていた。すでにベッドの中でどう掴もうか探られている、とさえクラウドは感じてしまった。
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