身体が憔悴しきっていた俺は、暫く軍曹の家で休ませてもらうことにした。大尉は先に来客用の館に戻り、飲み直すそうだ。汚してしまった軍曹のベッドでそのまま横たわっていたら、軍曹は来客用の部屋の暖炉に火を入れてくれた。裸の身体にブランケットを巻いてそちらに移動して、俺はソファの上にぐったりと寝そべった。大尉と軍曹、二人がかりで弄ばれた身体は、一人で歩けるようになるまでの体力がなかなか戻らなかった。
軍曹は再び俺に熱い紅茶を用意してくれた。最初に飲んだときと違ってその芳しさが刺さるほど鼻についた。喉に流し込むと口の中が洗われるように感じる。俺は喉が乾いていたのだと、粘膜を紅茶に潤されて初めて気づいた。
横たわった俺の正面に座り、軍曹は円やかな笑みを浮かべた。寒くないか、茶菓子はいらないか、細々と尋ねて世話を焼いてくれる。俺は少し逡巡してから、彼の用意したチョコレートを口に放り込んだ。気づかずに噛んでしまったのだろう、口内に出来た傷にチョコレートの甘さが染み入った。
「美味しい?まだあるから、遠慮せず。帰るのが辛かったら泊まっていいからね。出発は明日の昼だろう」
軍曹の言葉の優しさと紅茶の暖かさに、強張っていた俺の表情は次第に解れていった。さっきまで自分を容赦なく犯していた人だと言うのに、俺は彼に対して愛着を抱いてしまった。
「ありがとうございます」
礼を言う俺を見て軍曹は優しく微笑んだ。だが直ぐに険しく眉を潜めて、俺に頭を下げるように俯いた。
「今日は、すまなかったね。君にあんな無理をさせて」
彼の謝罪を直ぐに受け入れられなかったが、俺は彼を責める気にもなれなかった。
「大尉には逆らえないんでしょう」
まだ不信感が拭えなかったので不躾な物言いになったが、軍曹は俺を咎める気配さえなかった。それどころか彼は慈しむような声音で囁いた。
「もし辛くてどうしようもなくなったら、こちらに逃げておいで。カーム支部でなら軍に残れるよう手配してあげられるよ」
彼の優しい表情も相まって、それはとても魅力的な誘惑に聞こえた。何もかも捨てて、縋りたくなるくらいには。もしもミッドガルに残る理由がなかったら、俺は軍曹の言葉に甘えていたかもしれない。
俺は口をきつく結んで、首を横に振った。
「ありがとうございます。でも俺は、ミッドガルに残ります」
軍曹は少し寂しそうだった。きっと彼は俺の味方であろうとしてくれているのだろう。大尉の元から逃げ出した従卒を匿うなど、軍曹も立場が悪くなるのに決まっているのに。
彼はきっと未来の俺だ。大尉に従うしか神羅軍で生きていく術がない。だが、そうするだけの価値を大尉に見出している。言ってみれば軍曹は大尉を利用しているのだ。軍曹の強かさは俺も見習うべきだと思った。
俺は軍曹の屋敷を出て、神羅軍カーム支部の迎賓館へと戻っていった。ゆっくり休ませてもらったので時刻は既に深夜を過ぎていて、外は指先の感覚が無くなるほどに冷えていた。風が吹き付けるたびに身体の熱が逃げていく。俺は軍用コートのポケットに手を突っ込んで、足早に石畳の街路を通り抜けた。
軍曹にミッドガルを離れることを提案されてからずっと、俺の頭には一人の男の影が浮かんでいた。世界中を飛び回っている彼だが、任務が終われば必ずミッドガルに戻ってくる。故郷を離れた彼にとってはミッドガルこそが帰る場所だった。
彼はクラスファーストのソルジャーで、俺はただの一般兵だ。恋人同士じゃなくなって、彼にとって俺はもう友達ですらないかもしれない。同じ軍の所属という繋がりがなくなったら、本当に他人になってしまうのだろう。その瞬間を想像するだけで身体が震えるほど怖かった。
彼の傍に居られるだけでいい。他に何も望まないから、ただ彼のことを見ていたい。
俺は自分がこんなに執着の強い人間だと知らなかった。ザックスと出逢ったから、人に執着することを覚えた。これが彼に疎まれた理由だと分かっているのに止められない。友達だと思っていた彼の恋人になったのだって、彼との関係を失いたくなかったからだ。今の彼が俺をどう思っているかはわからない。だが彼が俺をどう思っているかではなく、俺が彼から離れ難かった。
クラウドはカームから戻ってきたらしいが、俺があいつの姿を見ることはなかった。任務が忙しく、俺がミッドガルにいる時間が短いから、というだけではない。クラウドは例の大尉にいたく気に入られて、任務や訓練のない自由な時間はずっと彼の執務室に入り浸っているらしい。住む場所が代わったからか、一般兵共有の社食やシャワー室、ランドリーも利用しなくなっている。俺と付き合っていた時とは完全に行動パターンが代わり、どこにいるのか検討もつかなかった。
俺はクラウドと会えない時間が長くなればなるほど苛立ちが募っていった。彼の代わりに女を抱いても発散出来なかったし、彼以外の男を抱くなど想像するだけで気持ち悪いし、俺はとにかく彼を求めていた。彼を抱きさえすれば、腹の奥に泥濘んで溜まっていくこの憤りが消え失せて行くと本能的に分かっていた。
連絡を入れたら彼は直ぐ俺の元にやってくるだろう。恋人だった頃はそれが当たり前だった。だが、俺は彼を捨てた。それなのに今更自分から彼に連絡を入れるなど。
俺が苛立っているのは、彼を抱けないからというだけでなく、理性に反して彼を求める自分を客観的に眺めて嘲笑う自分に気づいていたからだ。自分から手放した癖に、クラウドを飢えた犬のように求めている。彼に縛られることを受け入れ難かったのは事実だが、だから彼を突き放したのだが、彼の代わりなどいないということに俺は気づいていなかった。なんて馬鹿な選択をしたんだと頭の中で声が響く。他の誰でもない、俺の声だった。
またクラウドと会えないまま、短い休暇が終わりそうになっていた。俺は諦め悪く、神羅ビル上層にある社員用のカフェテリアへと向かった。訓練を終えて腹を空かせた神羅兵が夕飯前に小腹を満たそうとぞろぞろと集っている。事務職の社員がそれを見て、居心地悪そうに席を隅の方へと移していった。戦地に出向かない彼らにとって兵士は異質な存在で、水と油のように相容れないのだろう。
俺はカウンターで適当にジュースを買って、人混みから離れた位置に腰掛けた。特にスーツの人間からは遠ざかるようにした。クラスファーストのソルジャーに向かって眉をひそめる人間などいないが、心の中でそう思われるのさえ今は耐え難い。クラウドの匂いで上書きするまで、俺は自分が誰よりも血腥いように感じていた。
いつもなら人の集まるところに出向けば必ず誰かに声をかけられるのに、今日は誰も近寄って来なかった。俺が明らかに不機嫌な顔をしているからだ。声をかけ辛いのだろう。空気を悪くしてしまうと分かっているが、俺も愛想良くする余裕がなかった。
今日一日ミッドガルや神羅の敷地内をうろついて回ったが、クラウドは見つからなかった。もう数時間でまた次の任務だというのに。また次の休みまで耐えろというのだろうか、いや、それどころか次の休みにも彼に会える保証はない。俺の苛立ちと焦燥は限界まで膨れ上がっていた。
俺が他の女で発散している間、あいつはどうやって気を紛らわしているのだろう。少なくとも普通のセックスでは満足できない身体にしてやったつもりだった。なのに、あちらから俺に連絡する気配もない。ルームメイトの男では駄目だったと聞いたが、クラウドを気に入ったという大尉はどうなのだろう。そいつはクラウドにとって俺の代わりになりえる奴だったのだろうか。
俺は深く息を吐いて携帯を開いた。クラウドの連絡先を見つけて、だがつまらない意地でメッセージ入力を躊躇ってしまう。
アドレスにはナンパした女の子たちの名前が連なっていたが、わざわざ連絡を入れる気にはなれなかった。クラウドと比べて何かが決定的に足りない彼女たちを蔑ろにしてしまう。どちらも幸せな気分になれないセックスは楽しくない。それに俺は他の女を抱く度に、自分がクラウドに依存していることを気づかせられてむしろ惨めになった。
クラウドは捕まらないし、女遊びは気分じゃない。残った数時間をどう過ごすか考えていたら、同僚のカンセルが声をかけてきた。
「よう、ザックス。久しぶりじゃん」
「カンセルか。何か用?」
意識して突き放すような声で言ったがお構いなしだ。カンセルは俺と同じテーブルに着くと、煩い音を立ててストローでジュースを啜った。
「用なんてないけど、お前最近付き合い悪いからさ。メールも返事くれないし、ってのはいつものことだけど。もしかして……、彼氏と何かあった?」
女みたいな品を作り、顎肘を付きながら聞いてくる。最後の言葉は明らかに冗談半分だった。俺は腹を立てる気力も失せて、溜息を零すしか出来なかった。
「うるさいよ。てか俺がクラウドと別れたって、なんでお前まで知ってんだ?まさか言いふらしてる奴でもいるの」
カンセルは頬杖を付いたまま、だがいつもの口調に戻って続けた。
「噂だよ噂。俺の情報網を甘く見るなよ。あとお前がエアリスちゃんにフラれたってのも知ってる」
俺は咥えていたストローをぎり、と噛み締めた。あんなの、フラれたとさえ言えない。エアリスは俺の告白を真に受けていなかった。その理由が今なら良く分かる。俺はクラウドを捨てた後の喪失感から、エアリスに慰めて貰おうとしていただけだった。彼女はそれを見抜いていたのだ。
カンセルはまるで我が事のように憂鬱そうな溜息を漏らした。
「お前がクラウドくんにフラれる理由はまあ分かるけどさ。ちょっと強引だったもんな、お前のやり口は。クラウドくんも流されやすそうだし、我に返っちゃったってとこか」
まるで俺が無理やりクラウドを襲ったかのように言われる。俺は告白をして、ちゃんと返事をもらった。合意の上でクラウドを抱いた。確かにあいつは流されやすいが強情なところもあり、感情まで捻じ曲げるような奴ではない。
それに、クラウドをフッたのは俺の方だ。どうしてカンセルもエアリスも、俺の方がフラれたのだと思いこんでいるのだろう。
「何いってんだよ。フッたのは俺。あいつが俺のこと束縛しようとするから」
カンセルが驚いたように口をぽかんと開いた。
「え?そうなの?お前、あんなにクラウドくんのこと気に入ってたのに」
俺は黙って視線を伏せた。友人のカンセルに言われてようやく俺はクラウドへの歪んだ感情を自覚した。冷静になればなるほど、クラウドを手放した自分の選択がどんなに短絡的だったかを思い知る。俺は本当の意味でクラウドを捨てるつもりなどなかったのだ。
あの夜は深い考えなどなく、一時の感情だけで、クラウドをフッた。あいつは俺と別れたことを引きずり続けて、いつか泣いて縋ってくるときが来ると思っていた。もしかしたらエアリスに告白したのも、クラウドに見せつけたいという思惑があったからかもしれない。あいつが俺じゃない誰かと出会い、幸せになる可能性だって充分にあったのに。
クラウドに束縛されることを嫌った俺だが、俺は寒気がするほどにクラウドのことを束縛していた。その拘束を俺は自ら解いてしまった。自惚れと言っていいほど、俺はクラウドとの繋がりに信頼を寄せていたのだ。縛られている間は幸せそうにしていたクラウドだが、開放されて目が覚めたのかもしれない。別に、俺以外の人間とでも幸せになれるのだと。
俺の顔がみるみる青ざめて行くのを見て、カンセルは引きつった笑いを零した。
「自覚なしかよ、こええな。お前ってもっと節操なかったのに、クラウドくんと付き合ってから急に女遊びしなくなったろ。だから本気なんだなーって思ってたんだけどね。まあでも、別れたんなら仕方ない。エアリスちゃんにもフラれたみたいだし」
カンセルはそう言って俺に携帯電話の画面を見せてきた。金髪の、胸のでかい、昔の俺が好きそうな女の写真だった。
「お前に紹介したい女の人がいるんだよ。軍のお偉いさんの娘さんなんだけどね。あ、これは遊びじゃなくて真面目なヤツだからな。クラスファーストのソルジャーの活躍を色々聞いて、お前に憧れてるんだってさ。で、俺らの仕事も仕事だしそんな先のことなんて約束出来ないだろうけど、良かったらデート一回だけでもって」
俺はもうカンセルの言葉が耳に入ってすらいなかった。昔の俺ならひと目で抱きたいと思うような女の写真なのに、今は彼女が裸になったとしても勃つ気がしない。クラウドの方が良い、いや、クラウドじゃないと駄目だ。
「悪い、俺帰る」
カンセルは面食らっているようだったが、直ぐに諦めて俺を引き止めることはしなかった。こいつは俺のことを理解しすぎている気がする。紹介したい女、というのは、クラウドのことを自覚させるためのダメ押しだったのかもしれないと思うほどだ。
クラウドにメールを入れようとして、止めた。これだけ長い期間俺と接触しようとしなかったのだから、返事が来ない可能性もある。もしかしたらあいつを気に入った大尉が俺と会わないよう命じているのかもしれない。それか大尉のことは勘違いで、新しい男を作ったか、女に興味を抱くようになった可能性もある。
だがそんなことは問題じゃない。俺はクラウドをもう一度恋人にする。俺はクラウドと、クラウドは俺と一緒にいるべきだ。
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