意識を失っていたのだと、教会の穴から見える空が星を瞬かせているのを見て気付いた。粘ついた血のこびり付いた床から飛び起きて剣を掴む。辺りを見回したが、セフィロスの姿は見つけられなかった。
自分を殺さずにいなくなるなど、あの男に限ってあり得ない。何か企みがあって潜んでいるはずだ。
危機意識を失うべきではないと頭では分かっている。だが教会を埋める耳が痛くなる程の静けさに、クラウドの張りつめていた戦意は徐々に霧散していった。
気が付くと胴体を焼けた鉄に貫かれているようだった痛みが消えていた。クラウドは腹部をそっと撫でた。服に穴は開いているが、傷は何も残っていない。まさか全ては悪夢だったのだろうか。そう思いたかったが、教会の床に滲み込んだ血だまりがそれを否定する。
星と月の明かりだけを頼りに教会の中を見回して、クラウドは一人の男の影を見つけた。日に焼かれた木の長椅子の間に蹲った大柄な男。セフィロスかと反射的に剣を構えるが、その人の髪は黒く逆立っていた。
ザックスだ。戻ってきてくれた。クラウドは感極まった息を漏らして彼の元に駆け寄ろうとした。
「来るな」
鋭い声に刺されて足が止まる。彼の言葉には強い拒絶が込められていた。
「ザックス、……」
ソルジャーの蒼い瞳が暗闇の中に浮かび上がる。問い詰めるような視線がクラウドを射抜いた。
「お前は、いつから知っていたんだ?」
クラウドはザックスとの再会を喜ぼうとしていた。だが彼の態度を見て気付いてしまった。彼を傷つけて苦しめているのは自分だ。
ザックスは怯えている。セフィロスに肉体を乗っ取られていた間も、彼に意識があったのだろうか。自らの犯した罪と、これから更に深い罪を犯すであろう自身に恐怖していた。
「俺はデンゼルを襲った。セブンスヘブンに火を放った。ティファとマリンを殺そうとした」
「それはあんたじゃなくてセフィロスがやったことだ」
彼に言い聞かせるように、クラウドは静かな声で答えた。彼が背負うべき罪などない。セフィロスに肉体を乗っ取られていなければ、彼は彼のままでいられた。彼はその肉体と一人の男への執着を利用されてしまっただけだ。
クラウドは自分を遠ざけようとするザックスの元へと近寄っていった。まるで見捨てられた子供のように震える彼を抱き締める。だがザックスは強い拒否を表して、クラウドを力任せに突き飛ばした。血走って滲んだ青い双眸が、クラウドだけを見つめている。
「今の俺はジェノバ細胞に操られているモンスターだ。お前だって見ただろ?俺が、セフィロスに乗っ取られるのを。ツォンの言ったことは正しかった。俺はあいつに身体を奪われる前に消えるべきだったんだ」
「そんなこと言わないでくれ」
悲痛に顔を歪めたクラウドが訴える。再会した彼と過ごした時間は、何にも代え難く尊いものだった。それを彼自身に否定されたくない。彼にも幸せだったと認めて貰えなければ、ただ大切な人たちを傷つけたという事実しか残らなくなってしまう。
「あんたは、セフィロスじゃない。一緒に旅をした俺が一番知っている。あんたはコスタで俺を愛してくれた。ゴールドソーサーで俺に言ってくれたこと、今でも覚えてる。それにゴンガガで俺を両親に紹介してくれた。俺のこと、恋人だって、言って……」
それを聞いたザックスがクラウドへと痛々しい笑みを向けた。
「だからクラウドは俺を憎めなくなったんだな。セフィロスに利用されているだけだって、分かってたのに」
「違う」
クラウドは悲愴な面持ちで首を振った。ザックスは確かにここにいる。こうして自分と話している。彼が彼であることに疑いようなどない。
「飛空艇の便が出来たら、またゴンガガに行くんだろう?二人とも、ザックスとまた会えたことあんなに喜んでくれていたじゃないか。ザックス、あんたはちゃんと生きている。あんたはあんただ。セフィロスじゃない」
そうであると信じたい、といった様子のクラウドに、ザックスが静かな声で告げた。受け入れ難い運命に身を委ねたような口調だった。
「……俺、思い出したよ。ライフストリームの中でセフィロスに呼ばれたんだ。クラウドに会いたくないか、って。罠だって分かってたのに、誘いに乗っちまった。俺、もう一度、お前と話したかったんだ」
ザックスは酷く悲しい笑みを浮かべた。世界の全てが暗闇に沈む直前に見たのは、魔晄中毒で言葉もまともに喋れず、表情もない、廃人のようなクラウドの姿だった。彼を命の限り守れたことは誇りだった。だが死の間際、彼と二度と会えなくなるという事実は胸を深く貫いた。彼をもう守れない、その後の彼と二度と関わることはないと思うと、それまでの自分の生を虚しくすら感じた。ライフストリームの中で彼を見守りながら、途方もない寂寥に包まれていたのは事実だ。
自分だけがあちら側にいることに耐えられなかった。意識を取り戻したクラウドと言葉を交わしたかった。二人でミッドガルを目指していたときには叶わなかった夢の続きを見たかった。セフィロスの言った、『お前はまだ生きている』という誘惑は、罠だと分かっていても抗えなかった。
自分と死に別れても強く生き延びたクラウドを見つめて、ザックスは口元だけで小さく笑った。
今のクラウドは自分がいなくても生きていける。ティファたち家族といる姿を見て確信した。喜ばしいことのはずなのに、素直に祝福することができなかった。自分の居場所がここではないと分かったからだ。
「親父とお袋のこと、裏切っちまったな。俺はもうとっくに死んでいたのに。全部思い出したよ。俺は神羅兵に身体中を撃ち抜かれて死んだ。あのミッドガルの丘で、お前を残して。それが俺の最後だ」
クラウドの視界が暗く落ちていく。雨の降り頻るミッドガルの丘、銃弾で穴だらけにされた身体を横たえた彼。声をかけても返事はなく、青い空の色をした瞳がこちらを見つめ返さない。残されたのは、彼に託された形見の剣とソルジャーとしての誇りだけ。本物のザックスの生はそこまでしか存在しない。彼と再会するまでクラウドを苛み続けていた現実が再び彼に襲い掛かってきていた。
ザックスはまた凄まじい痛みを感じて頭を両腕で抱えた。ジェノバ細胞がザックスの意思に反して彼の身体を書き換える激痛だった。ザックスの肉体がその所有者の意思に相応しい形へと作り変えられていく。ソルジャーだった頃は意識すらせずに抑え込んでいたはずだが、ザックスは最早それに抵抗する術が分からなくなっていた。
「クラウド、頼むから俺を……」
最後まで伝えることは叶わなかった。声帯の支配を失い言葉は途中で途切れてしまう。
ザックスの黒い髪は根元から色が抜け落ちて、背中を覆うように伸びていく。元からの長身が更に伸びていき、胴体も手足も分厚い筋肉の鎧が膨れ上がっていった。晴れ渡った空の色が星のエネルギーと同じ翡翠の色に変わり、瞳孔は蛇のように縦に割れる。
もう愛しい人の面影も残っていない。クラウドが憎み合うことを定められた男の妖しい笑みがそこにあった。
クラウドの手の先が冷たくなっていった。ザックスの身体は完全にセフィロスの意のままになっている。クラウドは何故セフィロスがザックスの姿を見せたのかを理解した。彼はまだ『生きている』らしい。セフィロスがそう意図すれば、彼はいつでもこの肉体に戻ってくる。目の前にいる自分と殺し合いを続けてきたこの男こそが、今のクラウドにとっては人質だった。
「ザックスが愛しいか?俺を殺せないほどに」
男はクラウドの耳元で低く囁いた。罪を犯せと唆した蛇はきっとこのような声で果実の甘さを説いたのだろう。
二度目の喪失。足元から這いよる絶望に、クラウドは頭の芯が揺らぐのを感じた。ザックスの笑顔を思い出すと、剣を取り落としてしまいそうだった。クラウドは必死で自分の守るべきものの存在を考えた。星を、家族を、仲間を、この男は奪ってしまう。
男に斬りかかろうと剣を振りかぶる。その瞬間、男の顔はクラウドの愛しい人のものに変わっていた。中身はセフィロスだと頭では理解していた。だがクラウドは、中空に掲げた剣を振り下ろすことができなかった。
男がザックスの顔で、彼とは全く異質な笑みを口元に浮かべた。剣を構えたままのクラウドの頬にそっと手を添える。
「お前が愛して欲しいならお前だけは愛してやる」
クラウドの愛する人と全く同じ声だった。肉体だけを模倣しているのだと、クラウドも頭では理解していた。
命を懸けてでも止めなくてはならない相手だ。他ならぬザックス自身が終わりを望んでいる。それでも身体は動かなかった。
ザックスを失いたくない。どんな形でもいいから生きていて欲しい。自分には、星を守るために愛する人を殺すなどできない。
クラウドの唇は震えていた。家族と彼を天秤にかけて家族を選び、今度は星と彼を天秤にかけて彼を選んだ。何も失いたくないのに、大切なものが多すぎて取り零してしまう。罪を犯したのは、犯しているのは、きっと他ならぬ自分だ。
廃墟となったミッドガルの中心部には、地下へと届く巨大な穴が開いていた。直径はおよそ50メートル、穴の底は見通せないほどに深い。だが拡がっているのは暗闇ではなく、空間は淡い光に包まれている。その光の影は薄く緑に色づいており、星の瞬く夜中でも漏れ出した明かりが荒れ果てた街を仄明るく照らしていた。穴から溢れ出す光の正体はライフストリームだった。
0番街の中心部には以前の神羅本社跡地が残っている。現神羅社長であるルーファウスの父が造り上げた施設であり、今でもこの星で最も巨大な建築物だ。メテオの襲来で街は破壊されたが、本社は奇跡的に建物の形を保っていた。だがその眼前に広がっていた0番街のメインストリートは、メテオ襲来により地盤から破壊され、神羅の地下施設諸共地の底に沈んでしまった。同時にこの場所からはライフストリームが溢れだし、メテオの完全な落下を防いだ。人の手の及ばぬほど地下の深いところを流れるライフストリームが露わになっているのはそのためだ。いわばここは、星の負った傷の修復過程の土地である。乾ききらない瘡蓋のようでもあった。元神羅本社の目の前にその傷口が生まれているのがまた皮肉であった。
ルーファウスはこの土地に新たな魔晄炉を建設しようとしている。星が自らを修復しようと、世界を巡るエネルギーがこの傷跡に集まっているらしい。植物も生えないほどに土の枯れていたミッドガルだが、今は郊外だけでなく魔晄炉近辺の街中でも植物の自生が確認された。メテオという起爆剤がこの土地にどれほどの影響力があったかを如実に物語っている。ルーファウスはその傷口に引き寄せられたライフストリームを魔晄エネルギーとして活用しようと企んでいた。
これだけだとルーファウスの行いは過去の神羅とまるで変らないように聞こえるだろう。ミッドガル奪取の目的が魔晄炉再建と踏んで、星の危機を経験して尚その傲慢な行いを続けるのかと反感を覚えるものもいる。だが、彼は真摯に何が人類の存続に必要かを思案した。星がミッドガルに常時では有り得ない濃度のライフストリームを集めているのが非常事態への対応だとしたら、人類も同様、難民の溢れかえるミッドガルエリアで魔晄エネルギーの消費が増えてしまうのは致し方がない。彼はミッドガル復興と共に、星への影響が軽微である代替エネルギーの開発も進めていた。復興の目途が立つまで神羅の旧時代の技術に頼りはするが、段階的にエネルギーの依存先をそちらに移行するつもりでいる。神羅の負債を払い終えるまで、払い終えてからも、ルーファウスは神羅の社長としてどんな謗りも受ける覚悟でいた。
しかしながらこの星の傷跡を狙っているのは、神羅カンパニーだけではない。前にセフィロスがメテオを落したのは星のエネルギーをその傷口に集め、奪い取るためだったはずだ。彼がエッジから再びミッドガルへ向かったと聞いてツォンは直ぐに四年前のことを思い出した。メテオを落そうとした当事者であるセフィロスは、ミッドガルに星の傷口があるということを知っている。
ツォンはイリーナから受け取った二台の端末を確認した。一つはセフィロスに破壊された衛星レーザー、グングニルの起動装置の予備だ。ザックスに取り付けたポジショニングシステムは未だに起動しており、彼らの現在地が伍番街の教会跡地であることを示している。こちらを起動するのは、レーザーで確実にセフィロスを始末できると確信出来たときだ。グングニルだけではセフィロスを始末できないことは既に証明されてしまっている。
もう一つの端末は、グングニルの起動装置と違い、画面の表示も何もない。ただの黒く四角い、赤いスイッチに頑強なカバーの取り付けられただけの物だ。こちらが、神羅の保有する奥の手だった。
ターゲティングが必要で、常に星の周囲を公転する衛星から放たれるグングニルとは用途が違う。こちらの衛星の公転周期は星の自転と同じ速度に設計されていた。星の傷跡の大きく残るミッドガルの上空には、常に一基の衛星が浮かんでいる。機内にはマテリアとミスリルを合成した巨大な運動エネルギー弾が搭載されていた。ツォンの持つ端末のスイッチで起動すると、弾が地表へと落下する。火薬や魔晄エネルギーによる出力ではなく、弾の質量と運動エネルギーによって対象を破壊する兵器だった。物を落とすだけという原始的な攻撃法に聞こえるが、マテリアによって増幅される一弾の攻撃範囲はミッドガル全域に及ぶ。
この兵器が開発されたのは偶然ではない。神羅はセフィロスの復活を予期していた。この星にジェノバ細胞が存在して、彼にその意志がある限り、彼は顕現することができる。彼はもはやセフィロスではなく、『ジェノバ』だ。かつてこの星を支配していた古代種は、ジェノバと争い滅ぼされた。滅んだ古代種に代わり、今度は自分たちがジェノバと戦わなければならない局面になっている。ジェノバとの終わりなき戦いは、その侵略者の飛来した星に生きる生物の宿命なのだろう。
ミッドガルには星の貯蔵したエネルギーへと直結する巨大な穴がある。復活したジェノバの王であるセフィロスがこの地に現れることは明白だった。だから常にミッドガルを攻撃対象とする破壊兵器が開発された。
この兵器を一度発動したらミッドガルは完全な更地になる。星の歴史上で人類を最も豊かにした神羅の文明の再興は、その瞬間に夢と潰えるだろう。ミッドガルに住んでいた人間も、故郷を完全に失うことになる。ツォンの手に収まるほどの大きさの端末だが、起動するには相応の覚悟を求められた。
セフィロスは必ず神の槍で仕留める。こちらの破壊兵器はあくまで保険だ。しかし相手がセフィロスである以上、持てる手段を出し惜しみするべきではない。必要なときに使うため、神羅はこの兵器を開発した。その時が今まさに訪れている。
端末をチャドリーに用意させるまではツォンが独断で進行した。だが実際にこの兵器を利用する為にはルーファウスの物理的な許可が必要だった。ツォンが端末の操作を行うと、衛星とルーファウスの元に信号が送られる。それを確認したルーファウスが安全解除装置を解除したら弾は落下する。どちらかの操作が欠けても衛星兵器は起動しない。
ツォンは携帯電話を取り出すと、ルーファウスへと緊急連絡を入れた。
「社長、『グングニル』と『ロンギヌス』の操作端末をイリーナに届けさせました。『ロンギヌス』の利用は最終手段だということは心得ております。ですがセフィロスの動きは読めないので、現場判断での利用許可をいただいても」
ツォンの端的な報告を聞いたルーファウスの声が硬くなる。
「……お前が『ロンギヌス』を持ち出すとはな」
マテリア弾搭載衛星であるロンギヌスは、ルーファウスにとって実用的な兵器ではなかった。衛星に信号を送信した時点でミッドガルという土地は痕跡も残らずに消え失せることが確定する。その影響はミッドガルだけでなく、隣接するエッジにも少なからず及ぶだろう。普通に考えれば恩恵よりも被害の方が大きい代物だった。
加えて、神羅は再建した魔晄炉を街の中心に据えたミッドガル再興計画を立てている。ミッドガルに拘るのは、以前この土地に住んでいる人間の郷愁を慮っているからというだけではない。今でも修復すれば稼働可能な魔晄炉やエネルギー貯蔵施設、外壁や鉄道など、神羅の遺構と言っても良い膨大なインフラがミッドガルには残っているからだ。だがミッドガルにロンギヌスを放てば、それらが全て無に帰してしまう。一からそれらを作り直すのは、まさしく神の創生を人類が真似るに等しい難事だ。ミッドガルを取り返そうとしているのだからと神羅を支持している民衆も手のひらを返すだろう。事前に何の警告もなく、神羅が隠し持っていた兵器でミッドガルを灰燼と帰したのは、セフィロスという一人の男を倒すためだったと言って納得する人間がどれほどいるか。以前のように武力で民意を押さえつけていた頃の神羅とは違う。WROの台頭もあり、神羅はエッジに住む全ての人間を抑え付けるだけの兵力を有していなかった。街で流布されている『生まれ変わった神羅』というのは、神羅の軍事力の明らかな衰退を隠すためのものでもあった。
しかしながらそれだけの犠牲を払ってでも倒さなければならないのがセフィロスだ。ルーファウスは普段の余裕のある口調とは打って変り、感情の無い落ち着いた声でツォンに告げた。
「お前の能力も現場での判断も信じている。私自身が下す判断と同じ程度にだ。だが敢えて言わせてもらう。『ロンギヌス』は使うな」
彼の立場では、そう言うしかないのだろう。だが信号が発せられたときは、使うなとまで言われた兵器を発動するべき時だと理解してくれるはずだ。ツォンは言外の意味まで察して返事をした。
「かしこまりました」
ツォンの会釈が通信機越しに見えるかのようだった。ルーファウスはそれから更に言葉を付け加えた。
「お前を捨て駒にするつもりは微塵もない。セフィロス討伐が叶わなければ、どんなに無様な姿を晒しても生き延びろ」
返事をする間もなく通信が切れる。
ツォンは苦笑を零した。ルーファウスは神羅の社長であり、それにふさわしい才気が具わっている。偽悪的な態度を取るのも、生き馬の目を抜く世界で生きてきた彼の癖なのだろう。だが時折、彼は身内の物だけに甘さを見せた。その極地のような言葉が先ほど彼の口から発せられた。彼は、作戦遂行の駒である人間には、死んでも任務を達成しろと言うべきだった。
だがそれを窘めようとは思えない。彼が人に甘さを見せても足元を掬われないよう、タークスが彼を守ればいいだけの話だ。その甘さが今の神羅を強くしているのは事実なのだから。
荒れ果てたミッドガルに眩い太陽の光が降り注いでいた。穴の開いた天井から差し込んだ日差しが瞼越しに瞳孔を焼く。肉体も脳も夜明けの気配を感じる前から目覚めていた。だがクラウドは瞼を開くことも、肉体を起き上がらせることもしなかった。そうして見える現実が自分にとって受け入れ難い物だと分かっていたからだ。
伍番街にある屋根の崩落した教会の床にクラウドは横たわっていた。硬い板張りの床での睡眠ですら休息になるほど肉体を酷使した。全身に釘を打ち付けられたように身体が痛む。身体の至る所に昨夜の感覚が生々しく残っていた。
思い出すと吐き気が込み上げる。自分の大切な人たちを殺した男に、クラウドは何度も何度も犯された。剣を交わす戦いなら、どちらかが倒れればそこで終わる。だが昨日の凌辱に終わりはなかった。苦痛で何度意識を失ってもまほうで蘇生され、何度も何度も刀と男の物に肉体を貫かれた。
自身を犯す男をどんなに口汚く罵っても彼は愉悦に浸っていた。ザックスを苦しめたのはお前だと詰り、死者を引き留めようとする姿が如何に無様だったかを嘲笑う。
クラウドが男に手を掛けようとすると、彼はザックスの顔になり、クラウドを恋人のように愛撫した。クラウドは彼との幸せな記憶に囚われて身動きが取れなくなった。そして男がその顔と声で告げるのは、まるでザックスの心境を代弁したかのような呪詛の言葉だった。
『お前のせいで俺は死んだ』『せめて安らかに眠りたかった』『親父とお袋になんて言えばいい』『家族の方が大事なら愛して欲しくなかった』『俺の居場所は初めからなかった』
ジェノバ細胞は相手の思考を読み取る。ザックスの顔を借りたセフィロスが造り上げた言葉だと予想はついていた。クラウドの心を読み、ザックスに言われたくなかった言葉を口にする。だがそれでも、クラウドの精神は摩耗していった。ザックスの顔で、声で、繰り返し呪われる。
次第にクラウドは意志を保てなくなり、懇願した。もう許して欲しいと。憎い相手に膝を付いて、泣きながら救いを求めた。彼と一緒のところに向かえるならそちらのほうがいいかもしれないとまで考えていた。
だがセフィロスはクラウドを解放しなかった。彼はクラウドを甚振る以外の楽しみを持たなかった。ライフストリームの中で自己を保つため、彼はクラウドへの執着以外を全て捨ててしまっていたからだ。
男の気配を感じた。教会の床から立ち上がると、クラウドは唯の無意識で剣を背負った。そのまま幽霊のように歩き出して外へと向かう。燦燦と降り注ぐ日差しに銀色の髪を輝かせながら、男はそこに立っていた。
「お前も来い」
クラウドの腕を掴み、男は背に生えた漆黒の羽で空へと浮かび上がった。そのまま男はクラウドをミッドガルの中心部へと運ぶ。クラウドはもはや自分がどう扱われるかにすら興味を抱いていなかった。
メテオ災害後に様変わりしたミッドガルを、クラウドが虚ろな目で見下ろした。神羅の命令でザックスと一緒に護衛をしていた四番街外壁の仮説防壁は建設がほぼ終わっている。これからミッドガルは再興するはずだった。神羅だけでなくリーブのWROもそれを望んでいた。だがこの男を止められない。それにさえ関心を抱けない。希望も願いも、全てが過去へと流されて消えていくように感じた。
セフィロスは0番街の中心部、ライフストリームの開けた巨大な穴の淵に降り立った。この星のエネルギーであるライフストリーム、それがもっとも集まっているのがミッドガルの中心地だ。ジェノバ細胞を持つモンスターは既にこの土地へ引き寄せられている。
淡くライフストリームを溢れさせる穴を覗き込みながら、セフィロスは目元をうっすらと笑みの形に細めた。メテオの落下まではならなかったが、この星に十分すぎる程の傷跡を残してくれた。かつてクラウドに敗北し、寸前のところで阻止された星の支配の続きを行う時が来ていた。
隣に立つクラウドの肩を掴むと、セフィロスは彼の身体をぐいと抱き寄せた。
「お前もジェノバ細胞の持ち主だ。だが、私はお前とはリユニオンするつもりはない。お前はお前のままでいると良い」
セフィロスはクラウドを生かすことにした。彼の弱みを完全に掌握した結果、彼の戦意は消え失せている。今の彼には剣を交わす価値が無い。
それに、とセフィロスは強い力でクラウドを抱いて薄っすらと笑んだ。
ザックスの肉体に宿り続け、彼の思念と同調し続けた結果だろう。セフィロスはクラウドへと強い独占欲を抱くようになっていた。愛情と呼ぶには歪すぎる。彼の全てを奪い尽したい、彼に他の誰かが干渉することを許せない、という強い執着だ。家族を失い、愛しい人を失い、憎しみ抜いた男の他には世界に何も残らないという絶望を味わわせたい。セフィロスはただそれだけの為にクラウドを生かしておきたかった。
虚ろな目をしたクラウドが問いかける。
「……星のエネルギーを、ライフストリームを奪うのか」
「それがジェノバの存在意義だ」
彼の返事を聞いて、クラウドは泣き出しそうな顔で眉を寄せた。
「誰も、殺さないでくれ」
戦う意志を失った男の最後の懇願に聞こえた。今までの彼なら剣を持って立ち向かってきたはずが、今は宿敵に大切な人間の命乞いをしている。何とも哀れな姿だ。彼をここまで零落らせたのが自分だということに恍惚すら覚える。セフィロスは喉を鳴らすような笑い声を上げた。
「命はライフストリームに還るだけだ。何を恐れる?家族が恋しいのならお前がそのライフストリームを取り込んでやればいい。ジェノバを受け継ぐお前には私と同じことが出来るはずだ」
彼と自分とでは見えている世界が違う。視界に写る景色が色を失っていった。これが絶望なのだろう。
星と家族と仲間達とザックスと、大切なものを全て失おうとしている。セフィロスを止めなければ、何もかもを奪われてしまう。自らの命を懸けてでもこの男は倒さなければならない。そのために自分は剣を背負っている。
だが、彼を倒せない。剣を掴めない理由は明白だった。セフィロスはザックスだ。ザックスがまだ生きていると希望を持たせる唯一の存在。クラウドはそれに対して剣を振るうことができなかった。
ザックスの顔と声で言われた台詞が蘇る。『俺はお前に裏切られた。』クラウドは膝から崩れ落ちそうになった。弱い自分は星も家族も仲間たちも、そして他ならぬザックスも救えない。
セフィロスが星のエネルギーを奪おうと、ミッドガルに空いた穴へ手を翳す。クラウドはただ黙って見つめていた。その視界の端で黒い影を捕らえる。声を上げる前に、クラウドはセフィロスと共に肉体を槍に貫かれていた。
タークスがミッドガルにいる。その、警告ともとれる言葉をクラウドが発することはなかった。隣の男は肉体を肩から腿にかけて穴が開いていた。至近距離にいたクラウドも、真上から右肩と肺を貫かれている。言葉の代わりに口からは血が込み上げ、クラウドの白い顎は真っ赤に染まった。手で強く押さえつけても、穴の開いた樽のように腹から血が地面へと流れだしていく。糸の切れた人形のように膝が折れる。セフィロスは忌々しそうに顔を歪めて、クラウドが視線を向けていた先を睨みつけた。
熱した鉄の槍が貫通したようだったが、武器に実態がない。口径の大きな銃で撃たれたのかもしれない。狙いはザックス、いや、セフィロスか。
霞む視界でツォンの手元が動くのが見える。クラウドは反射的に庇おうと、彼を突き飛ばした。同じタイミングで空から降ってきた熱線がクラウドの腕を穿つ。床を付いて身体を支えようとしたが、失血と苦痛で地も天も分からない。ぐらりと上体が傾いたクラウドの直ぐ傍らにはライフストリームの噴出した跡があった。セフィロスが引き留める間もなく、クラウドの肉体は淡い光に満ちた穴に吸い込まれていく。
ツォンは初めからセフィロスをここに落とす寸法だったのだろう。ライフストリームに落ちたものは、この星に生きた全ての生命体の蓄えた膨大な思念に襲われて自我を保てなくなり、そのままライフストリームの一部となる。どんな兵器も通用しないセフィロスを殺すのは星自身ということだ。
クラウドは小さく嘲笑を漏らした。星の敵である彼を庇い、身代わりになってしまった。途方もない過ちを犯した悔恨すら感じなくなっていく。血が失われて自身の生が終わろうとする感覚は、クラウドにとって甘美な救いだった。これでようやく彼と同じところに行けるのだと、地の底に落ちながらそればかりを考えていた。
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