kokokisu
2021-03-11 01:16:18
3334文字
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【ザックラ】蜜蜂のザックラ


 店の蜜蜂に手を出す男は鋭い針で貫かれる。分かっていても男は手を出さずにいられなかった。
 ステージが光り輝くように薄暗いフロアで、革のソファの隣に座った彼。燕尾型の洒落たスーツは彼のために仕立てられたのではないだろうか。均整の取れた身体で見事に着こなしていて、所作の美しさを引き立てていた。まだ二杯も飲んでいないのに、彼の醸し出す空気に充てられて酩酊したように感じる。客の男は前から狙っていた一人のハニーボーイから接待を受けていた。
 彼の白い指先がマドラーで茶色いグラスの中を掻き混ぜている。羽のように密で長い金色の睫毛が瞬きの度に煌めいていた。男が彼の横顔に見惚れていると、しっとりと湿った薄桃色の唇が、やたら語尾の甘い声を紡いだ。
「できたぞ。15年のロック。それじゃ、ごゆっくり」
 この店で接客をしている側の人間とは思えない、素朴な少年のような言葉遣いだった。彼の洗練された外見とは似つかわしくない。だが彼の美貌と声を知った後だとその落差も魅力的に感じた。
 男は席を立とうとする青年の手首を掴んで引き留めた。
「いくらだ?」
 その言葉に青年が眉を顰める。
「悪いが俺はフロア担当だ。あんた、VIP会員か?個室付きの蜜蜂なら俺じゃなくて……
 青年が言いかけたところを、男は彼に無理矢理キスをして遮った。身じろぎする青年の口に酒の滲み込んだ舌を捩じ込み、ソファに押し倒して、彼の白いシャツ越しに胸を弄る。小さな乳首を爪が掠めた瞬間、青年はびくりと過敏な反応を示して見せた。なんだ、男慣れしているじゃないか。男は先ほどまでの青年のそっけない態度を思い出して思わず内心ほくそ笑んだ。
 男に口内を蹂躙されて、蜜蜂の青年は苦しげに顔を赤らめていた。酒と会話とショーを楽しむためのフロアで、青年は身体の敏感な部分を掠めるように触られる。ソファとテーブルの隙間に隠れてしまい、隣の席の人間は見えなくなるような薄闇の中だった。青年は服越しに男の手に嬲られて目尻に涙を浮かべていた。抗議するよう細められていた青い目が諦観に染まっていく。男が押さえつけた細い身体は、鋭い快感を与えると反射のようにぴくりと跳ねた。
 部屋なら取ってある。酒はもういい。それよりも早くこの男を喘がせたい。
 捕まえた蜜蜂を巣へ連れ帰ろうとした時だった。起き上がるよりも強い力で、男の身体は宙に浮いた。自らの重さでシャツが食い込み、首元が締め付けられる。男は背中からクレーンで持ち上げられて吊り下げられているような感覚を覚えていた。
「お客さん、困りますよ。そいつもちゃんと断ったでしょ?フロア担当だって」
 突如現れた別のハニーボーイが、男のシャツを背中から鷲掴みにして持ち上げていた。肥満気味の男は自分の状況を理解して、驚愕に言葉を失った。自分を美しい蜜蜂から引き離した男は、同じくハニーボーイの衣装を身に付けている。端正な目鼻立ちは、この店で接客を担当している人間だと納得できる顔だった。だが彼は、鍛えていると一目でわかる腕で、軽々と大の大人を持ち上げている。彼にとってはネズミを摘まむように容易いことらしかった。そのハニーボーイの衣装を着た黒髪の青年が、ただの接客業の人間ではないと男も直ぐに理解した。
 青年は金髪のハニーボーイに目配せすると、男をどさりとソファに下ろした。男が手を付けた蜜蜂はすぐさま席から離れて、その逞しいボーイの後ろに隠れてしまう。
 未練がましく男がハニーボーイへと手を伸ばした。それを遮るように黒髪のボーイが間に割って入った。
 文句を言おうとした男だったが、その青年の表情を見て一瞬で言葉が消え失せる。
「こいつは観賞用だ。次に指一本でも触れてみろ、触った指から切り落としてやる」
 男の口から引き攣った悲鳴が漏れ出した。立ち上がる前にその場から逃げ出そうとして、手で床を掻きながら店の出口へと向かっていく。
 厄介な客の後ろ姿を見送り、黒髪の青年は溜息を吐いた。
「だからフロアに出るなって言ったろ、クラウド」
 クラウドと呼ばれた金髪の青年が、気落ちした様子で目を伏せる。
「今日はハニーボーイが足りないって聞いたから……。でも、ザックスがフロアに来てるなんて知らなかった」
 もう一人の青年、ザックスは、普段から接客をしている訳ではなかった。筋肉質な身体を無理にワイシャツの中に押し込めている。店で最も大きなサイズの制服でも彼には窮屈らしく、ボタンの縫い付けられた布が引き攣っていた。
 それに構わずザックスは笑みを浮かべながら腰に手を当てた。
「似合うだろ?俺、綺麗な顔してるから」
 暫く衣装をクラウドに見せつけた後、ザックスははっと我に返った。
「ってか、今はそんなことどうでもいい。クラウド、お前はフロアに出るの禁止。支配人命令だ」
 ザックスはクラウドに指を突きつけて、険しい目をしてそう告げた。
「さっきも男に押し倒されてただろ。今日みたいに俺がフロアに出てる日ばっかじゃないんだ。特にお前は男に狙われやすいんだから」
 真摯な忠告だった。クラウドは他の蜜蜂にはない魅力を持っていて、一部の客を強く惹き付けて止まなかった。蜜蜂の館で働いている人間は基本的に夜の世界に慣れているのだが、クラウドだけはいつまで経ってもどこか初心な雰囲気を漂わせている。それは彼を見守っているザックスの影響でもあるのだが、当の本人たちは気づいていない。遊び慣れた人間は、彼の魅力を敏く見抜いていた。そしてそう言った客ほど、『フロアの蜜蜂には手を出さない』というルールを守らない。
 ザックスはクラウドが自分以外の人間に触られるのが許せなかった。夜の街の娯楽施設で働いている以上、多少は覚悟しなければならないのだろうが。それでも恋人は特別に守りたいと思うのは、自然な心情だ。
「お前も元軍人だけどさ。四年も動けなかったんだからやっぱ鈍ってるだろ。あ、俺の身体はソルジャーだから特別ってだけだぞ。お前が弱いって言ってるんじゃないからな。とにかく、クラウドは可愛いすぎるから裏の仕事やってて。お前の魅力に気付いたら女も男もお前のこと狙い始めるぞ。今日だって俺が気付いてなかったらフロアであのおっさんに犯され……
 過剰と言っても良いほどの心配性を発揮する恋人に、クラウドがうんざりし始めた時だった。
「ザックスー!今日はフロアなの?こっちに来なよ!ボトルあけちゃう!」
「あ、ずるーい!ザックス、こっちのテーブルについて!次は私だって、前に約束したよね?」
「え、ザックスきてるの?やった、今日こそ同伴お願いしちゃお!」
 女性客の黄色い声がフロアに響き渡る。言い逃れようのない、ザックスの不貞の証だった。
 ザックスは引き攣った笑みを浮かべてクラウドへ視線を向けた。彼は怒っているとも悲しんでいるともとれる表情を浮かべている。しまった、と口から漏れそうになった。だからフロアは駄目だと言ったのに。
「あの、クラウド……、クラウドさん?これはお仕事だから……
 先ほどまでの説教じみた口ぶりはすっかり消え失せている。ザックスは最早、クラウドに身持ちを固くしろと言える立場ではなかった。
 クラウドはきっと目元を険しくしてザックスを睨み上げた。
「ああ、分かってる。仕事なんだろ、行ってこい。俺も仕事だ、あんた以外の奴とキスでもなんでもするさ」
 ぷいと顔を背けて、クラウドはつかつかとフロアへと戻っていった。ザックスが情けない声でクラウドを呼ぶ。彼は振り返りもせずに、接客用の笑みを惜しげもなく客へと振りまき始めた。素っ気ないと思っていたハニーボーイの嫋やかな笑みに、客が次々と骨抜きにされていく。
 また別の男が、彼の放つ甘い香りに引き寄せられていた。クラウドがトレイに乗せたドリンクを手に取る振りをして、彼の細い腰へと手を伸ばしている。彼は背後から忍び寄る男に気付いてもいない。
 あれでは甘い蜜を背負った蜜蜂が飢えた熊の鼻先を舞い踊っているようなものだ。ザックスは物憂げに眉を顰めて天を仰ぐと、再び彼の針になるためフロアを駆け抜けていった。