セブンスヘブンのカウンターの隅にはラジオが一つ置かれている。夜は歌謡曲の流れるチャンネルに合わせてあるが、店の開店時間まではニュースが流されていた。カウンターテーブルに通信教育の課題を拡げたデンゼルの耳に、アナウンサーが淡々とした声で原稿を読み上げる声が届いた。
『神羅のミッドガル奪還作戦は当初の想定以上の被害者を出しております。関係筋の情報によりますと、戦闘員の三割近くが死傷、逃亡により損失している模様です。出現するモンスターにミッドガル近辺の生態系から逸脱したものが混じっていることが大きな原因と言われております。今回の作戦がモンスターを刺激した可能性からエッジに暮らす市民への影響が懸念されますが、こちらに関しては神羅の治安維持部門が動向を調査中とのことです。一方で、最前線の部隊は既に四番街内部に突入し、WRO隊により仮説防壁の設置が開始されました。七番街から五番街までのモンスターの掃討も順調に進んでおり、神羅の公言するミッドガル奪還も現実味を帯びてきております』
ラジオの内容が気がかりで、デンゼルは課題に殆ど手を付けられていなかった。この作戦には、彼の大切な家族が参戦している。だが彼らは家で神羅の話をしたくないらしく、ニュースで得られる以上の情報を語ってくれなかった。
彼らがモンスターに負けることを心配などしていない。クラウドもザックスも、デンゼルの知る人の中で一番戦い慣れている。街で威張り散らしている神羅兵や、宿場町をうろつく柄の悪い大人も、彼らに比べると自分と同じ無力な子供に思えた。クラウドとザックスの強さは、普通の人間からしてみれば常識外れといってもいいほどのものだ。
まず武器を持ってモンスターと戦えるというのが特別なことだった。傭兵のようにそれを生業としている人間もいるにはいるのだが、彼らは街の周辺や街道でしか戦わないし、生態を熟知しているモンスターしか狩らない。だがクラウドは、どんな場所にでも赴いて、どんなに恐ろしいモンスターでも退治してしまう。彼が事も無げに言うので知らなかったが、ティファの店にやってきた客と話しているうちに、それは特別なことなのだと分かった。
ザックスもクラウドと肩を並べるほどに強い人だ。デンゼルが生まれた頃に終結した、神羅とウータイの戦争。神羅がどうやって勝利を収めたか、デンゼルは歴史の授業で教わっていた。神羅の生み出した最強の戦士であるソルジャーが、人とは思えぬ圧倒的な力で敵国のウータイ兵を討ち滅ぼしたらしい。ザックスはその戦争に参加していたソルジャーだった。しかも元クラスファースト。戦争を我が身の事として経験していないデンゼルにとっては、クラスファーストのソルジャーなど伝説の存在に等しい。戦争の英雄とだけ聞いてとても怖い人を想像していたのに、実際にはザックスのような優しく明るい人だった。拍子抜けしたというよりも、尊敬できる人だ、とデンゼルは感じた。本当に強い人は、クラウドがそうであるように、力をひけらかしたりしない。
彼らにとってはモンスター退治など、荷物を運ぶ仕事と同じく容易いことなのだろう。アナウンサーが高揚した口調で来たるミッドガル奪還の日について語り始めている。ラジオを流し聞きしながら課題に向かっていたデンゼルが、遂にペンをテーブルに置いた。こんなことをしてもクラウドやザックスのように強くなれないと思うと、どうにも気が乗らない。
デンゼルは以前、WROの軍隊への入隊を志願したことがあった。仕事を求めてというのもあったが、なにより彼は大切なものを守る力を欲していた。軍に入れば戦闘の基礎を叩き込まれる。クラウドやザックスのように突出した力ではなくとも、プレート上に住んでいた殆どの人間が持たない能力を得られるはずだった。だがその頃のWROはもう子どもの雇用を止めていて、デンゼルの入隊は叶わなかった。子どもが戦地に赴かなくていいのは幸せなことだ、とティファは言うが、デンゼルは自分の置かれた現状に満足できずにいた。
クラウドと出会って今の家族と一緒に暮らすようになるまでに、デンゼルは何度も辛い喪失を経験していた。彼の実の両親に、身元を保護してくれたルヴィとの別れ。プレートの崩落もメテオの襲来も、デンゼルには避けようのなかった悲劇であることは事実だ。それでも運命に足掻くことさえできなかった自分が嫌で受け入れ難かった。力がないから、子どもだから、身の丈に合った不運を受け入れろと言われているようだ。
クラウドやザックスのように強くなりたい。ただの憧れではなく、デンゼルはそう願っていた。もしまた世界が危機に瀕した時、家族を守れる力が欲しい。悲劇が自分達を襲ったとしても、皆を守れるように。家族の繋がりを大切に思うデンゼルにとって、強くなりたいと望むのはごく自然なことだった。
ランチタイムを過ぎたセブンスヘブンに一人の来客が訪れる。金髪を短く切り揃えて撫でつけた髪型の、きつい目つきをした妙齢の女性だった。よく見ると可愛らしい顔立ちをしているが、それに似つかわしくない黒スーツを身に付け、格闘用のグローブを手に嵌めている。彼女はイリーナだ。ティファが親しくしているので、デンゼルも彼女の名前は知っていた。
彼女はどこか硬い表情を浮かべていた。店の中に入ると、カウンターだけに明かりの灯った薄暗い店内を見回している。
「ティファならいないよ。マリンと一緒に買い出しに行ってる」
店の主人を探しているのだろうと、デンゼルは彼女にそう声をかけた。
「あら、そうなの?まあいいわ。今日はティファに用があってきたんじゃないから」
イリーナの全身から漂っていた緊張感が微かに緩んだ。デンゼルは不思議に思ったが、何も言わなかった。仕事の服を着ている時の彼女は『タークス』だから、デンゼルもマリンも本当はあまり関わってはいけない、彼女を詮索してはならないとティファに教えられている。
イリーナはデンゼルの隣の席に腰かけた。彼が聞いていたニュースラジオに彼女も耳を傾ける。ミッドガル奪還作戦を神羅とWROの共同で進行するに至った経緯を有識者が説明しているところだった。年齢の割に小難しい社会情勢に興味があるらしい。イリーナが感心した様子で口を開いた。
「民放は聞かないの?そっちの方が面白いでしょ。流行りの曲とか流れててさ」
「嫌いじゃないけど、今はクラウド達が奪還作戦に参加してるから。このチャンネルが一番、情報が早いんだ」
なるほど、とイリーナが呟く。デンゼルの聞いているニュースは神羅が運営している放送局による報道だ。神羅軍部とのコネクションが強く、情報の質は民放とは比べられない。
「二人が心配?」
カウンターに肘をつきながらイリーナが尋ねた。
「ううん、まさか。あの二人がモンスターに負けるはずないよ」
そう言いながら、デンゼルは大きな溜息を吐いた。
「でも、こうやってニュース聞くしか出来ないのが悔しいよ。僕もクラウドやザックスみたいに戦えたらな、って思う。二人みたいに強くなりたい。そしたらティファやマリンを守れるのに」
イリーナが苦笑いを零した。マリンはともかく、ティファは守られるような女性ではない。彼女はデンゼルに戦う姿を見せたことがないのだろうか。
カウンターチェアを回して、イリーナがデンゼルへと向き直った。
「ミッドガル奪還作戦で沢山の被害者が出ているってことは知ってるわよね。怪我して前のように戦えなくなった人もいるし、モンスターに襲われて命を落とした人もいる」
デンゼルが暗い表情で俯いた。戦いたいなど、軽率なことを言うべきではないと諭されるのだろうか。だが今は平和な世の中だとしても、いつまた争いが起こるか分からない。そうなったとき、戦う力のない人間は蹂躙されるだけだ。
デンゼルは反論しようとしたが、続くイリーナの言葉は彼の予想に反したものだった。
「クラウドとザックスは無傷で帰ってきているでしょう?不思議だと思わなかった?彼らがどうしてそんなに強いのか。私達タークスだってモンスターとも戦えるし、マテリアも扱える。血のにじむような戦闘訓練を受けているから。でも、彼らの力は人間離れしているわ。どんなに訓練してもあんな力は手に入らない。……彼らはソルジャーなの。戦士という意味じゃなくて、私達とは違う特別な肉体を持つ人間という意味よ」
彼女は感情のない視線でデンゼルを見据えた。
「今回の作戦、ザックスとクラウドがいなかったらもっと死傷者が出ていた。彼らがいたから生き残れた人間も沢山いる。奪還作戦の遂行のため、神羅は彼らのような戦力を増やしたいとかんがえているわ。私が今日ここに来たのはティファとおしゃべりする為じゃない」
イリーナの表情はますます硬くなっていく。
「デンゼルも、彼らのような英雄になりたい?彼らと肩を並べるような強いソルジャーになって、人類のために戦ってくれる?」
デンゼルはティファから聞いたタークスの話を思い出していた。彼らの仕事の一部である、ソルジャー候補者の勧誘。人さらいのようなものだと聞いていた。
ティファとイリーナは親しくしているようだったが、それでも彼女たちの間には一定の距離感があった。クラウドやザックスに至っては神羅を憎んでおり、食事中に彼らの話題を出すだけでも渋い顔をされるほどだった。だが、それが唯の毛嫌いではないことをデンゼルも理解していた。
タークスは悪い人達ではないが、正しいことをする人達ではない。だから、彼らに心を許してはならない、とティファには云い聞かせられている。彼女の誘いに裏があるのだろうということは、デンゼルでも察しがついていた。きっとこれはティファに相談すべきことなのだろうとも。
しかし。
「僕もソルジャーになれるの?」
正しくない方法だとしても、クラウドやザックスのような力が手に入るのなら。自分をただの無力な子どもではなく、戦場で頼ることのできる人間として扱ってくれたのは彼女が初めてだった。
デンゼルの問いかけにイリーナは堅苦しい表情で頷いた。
「適正があればね。……リスクがないとは言わないわ」
そもそもが人攫いのための詭弁だ。これはターゲットに教えるべき情報ではないとイリーナも理解していた。だが相手がティファの家族であると考えると、口が勝手に動いてしまう。もしこれで彼が怯み、逃げだそうとしたら、こちらも強硬手段に出ることになるだろう。
イリーナの心配は杞憂だった。デンゼルは強く頷いてカウンターから立ち上がった。
「僕もクラウドやザックスみたいに強くなりたい」
イリーナが彼の細い手を掴んだ。作戦は成功だ。それを実感した途端に、ドクンと強く心臓が脈打った。頭を過ぎるのはティファの笑顔だ。彼女と話すとき、自分も自然と笑っていた。あれはもう失われてしまうのだろうかと思うと喉が締め上げられる。
ツォンは今日のような任務を数えきれないほど乗り越えてきたのだろう。今更ながら彼が遠い人のように感じた。先輩のレノとルードが、自分とティファが仲を深めていることを揶揄ってきたことを思い出した。あれはきっと彼らなりの警告だった。イリーナは心の中でティファに謝ることさえできなかった。
ミッドガル奪還作戦は七番街から街を反時計回りに四番街を目標地点として進行していた。部隊は既に四番街へと辿り着き、魔晄キャノンによって開けられた外壁の穴には仮説防壁が設置されている。後は外壁を建設するWRO部隊の護衛が仕事だと聞いていたが、クラウドとザックスだけは別の任務を言い渡されていた。
七番街から四番街までのモンスターはほぼ駆除できているが、八番街から時計回りに三番街までの区画はまだ手付かずだ。四番街の外壁建設が終わり護衛も不要になったら全軍でミッドガル内のモンスター掃討を開始する。だが、二人には先行して八番街内部の調査を行って欲しい。彼らの属する分隊長から前日の作戦終了時にそう言い渡された時、彼らは怪訝な顔をした。だが逆らう理由もなかったので、二人は七番街から中央を走る線路跡を辿って八番街へと向かっていた。
声の反響する線路の中を歩きながら、ザックスはどうでも良さそうな口調でクラウドへ声をかけた。
「俺ら、随分頼られてるみたいだな」
疑念はあったが、クラウドは敢えて何も言わなかった。神羅がザックスを警戒しているのは分かっている。頼っているというより、持て余しているのだ。ザックスは恐らく弱体化した神羅の手に負えるような相手ではない。
だが今はそんなことを考えても仕方がない。神羅との契約は、奪還作戦が終わるまで効力がある。ミッドガルを取り戻したら神羅が満足するのなら、最後まで付き合ってやるしかないだろう。
歪んだレールを避けて歩を進める。非常灯の鈍い明かりに照らされた駅のホームが見えた。八番街の入り口だ。
「正直、二人だけの方が動きやすい。他の人間を庇うことを考えなくていいから」
クラウドの言葉にザックスが笑い声を上げた。
「ああ、俺らだけなら遠慮なく剣を振り回せるな」
それを聞いたクラウドが渋面を見せる。昨日、仮説防壁の建設現場で起きそうになった事故を思い出した。モンスターが一人の傭兵を捕まえて逃げ去ろうとするのを、ザックスがその人ごと切り伏せようとしたのだ。寸での処で気づいたクラウドが魔物の腕を斬り落としたので男性は助かった。ザックスが男性に気付かなかったのか、それとも気付いた上で剣を振るったのかは分からない。疑いたくなかったが、あの時に彼の見せた躊躇いの欠片もない蒼い瞳は、今でもクラウドの網膜に焼き付いていた。
線路から駅を抜けて、二人は八番街跡地に辿り着いた。完全に落下したプレートがスラムを押し潰しており、二層構造だった跡形もない。他の街は壁に沿ってプレートの残骸が残っているのだが、ここは八等分されたピザと同じ形に空が開けている。富裕層の住むエッジの住宅街に近いので、安全性を確保するため先にプレートを落してしまったという噂もある。どちらにせよミッドガルを再建するとなると、半端に残った構造物は邪魔にしかならない。プレートの基盤を全て落してしまってから街を作り直すのだろう。
二人は廃墟の街を見回したが、魔物の姿は殆ど見当たらなかった。外壁に穴の開いた四番街が侵入経路だったとして、その対極にある八番街にモンスターが少ないのは当然だ。だがわざわざ神羅が依頼してくるのだから、何か厄介な敵が残っているのではと予想していた。クラウドもザックスもそう警戒して身構えていたので、八番街跡地の牧歌的とも言っていい光景に暫し唖然とするしかなかった。
ザックスが剣を肩に担ぎながら零した。
「いない敵をどうやって倒せばいいんだ?」
クラウドが頭を軽く振る。
「……何をやらせたいんだろうな、神羅は。とにかく、余り離れないようにしよう」
二人はお互いの死角を補い合うようにして、八番街の外壁側、エッジに向かって進軍した。
鉄骨と鉄板で継ぎ接ぎに補修された八番街の外壁に凭れかかりながら、ツォンは神羅の研究員であるチャドリーに持たされた端末を見つめていた。黒いディスプレイに表示されるのは二つの数字で、小数点以下4桁まで表示されたそれは時間の経過と共にそれぞれが刻々と数値を変えている。この端末が特定の数値を表示している間にツォンには為さなければならない仕事があった。猶予は充分に与えられているものの、相手がこちらの思惑通りに動いてくれるとは限らない。タークスの任務ならばこの程度の難度は珍しくもないが、今回のターゲットは特に行動パターンが読み辛かった。気の張りつめる緊張感が自然とツォンの表情を険しくする。
イレギュラーパターンの対応策を考えている内に、ツォンの持つ無線に連絡が入った。配役に不安は残っていたが、彼女は無事にやり遂げたらしい。ターゲットと共にこちらへ向かっているという報告を聞いて、ツォンは直ぐに携帯電話でルーファウスへと連絡を入れた。
「もしもし、ツォンです。デンゼル確保に成功しました」
入電を受けたルーファウスが珍しく硬い口調で返した。
「ご苦労。交渉する時間は充分にありそうだな」
「はい。これからおよそ35分後にロックオンが開始されるので、イリーナがこちらに到着次第、時間を調節して交渉に入ります。それから一時間はミッドガル内の屋根のない場所なら捕捉可能だと聞いております。レノにはこのままバックアップを続けさせようかと。護衛はルードだけで問題なさそうですか?」
「ああ、充分すぎるくらいだ」
ツォンが腕に嵌めた時計を確認する。そろそろイリーナが到着する頃だ。レノからも、彼らが目標地点に近づいてきていると連絡が来ている。通話を終えようとしたところで、ルーファウスが彼を引き留めた。
「前にも言ったが、人質は最終手段にしておけ。ザックスが星の敵であるということをクラウドにも理解させたい。人質を見たらあいつは逆上して話を聞かなくなるだろう」
「承知いたしました」
通話を追えながらツォンは訝しんだ。弱気だ、いつもの社長らしくない。いくらクラウドの戦闘能力が規格外とは言え、相手の感情を慮るなど。まさか神羅を生まれ変わらせるという意志の表れだろうか。もしくは神羅の指導者である彼には、タークスである自分には見えない何かが見えているのか。自らの失態が神羅を危機に貶めている事態に、ツォンは苦々しい感情しか湧かなかった。
ツォンは射干玉色の髪を丁寧に撫でつけた。彼の目的を達成させるのがタークスの仕事だ。その為に正しく機能することが存在意義である。余計なことを考える必要はない。
もう直ぐ八番街の外壁に辿り着くという時に、クラウドはその男の姿を確認した。驚きよりも先に警戒心が芽生える。反射的にクラウドは合体剣に手を伸ばしていた。何人もの傭兵の命を奪ったモンスターが出現したときよりも、タークスと遭遇したときの方が厄介ごとの生じる予感がする。
クラウドとは対照的に、ザックスは明るい笑みを浮かべて見せた。
「よう、ツォン。久しぶりだな。クラウドから話は聞いてるぜ。お前が俺の身元を保護してくれたんだって?」
その言葉にツォンは唇を歪める笑みを浮かべた。彼の存在そのものがタークスの主任になって一番の失態だ。彼に感謝をされると自分の過ちを嘲笑われている気分だった。
手にした端末で座標を確認する。ロックオンまであと10分程。交渉するには十分な時間だった。
ツォンが話しかけてきたザックスではなく、クラウドへと視線を向けた。軽い侮蔑が込められた眼差しだった。
「お前はザックスに彼の正体を明かしたか」
その一言にクラウドの表情が凍り付いた。まるで死刑宣告でもされたかのようだった。
ザックスが何の話だと問い正す間もなく、ツォンは冷淡な声で彼に告げた。
「お前は四年前にクラウドを庇って命を落としたが、ジェノバ細胞によって蘇った。普通の人間にできる芸当ではない。今のお前はジェノバの現身だ。神羅はそう結論づけた」
彼の言葉に激昂した様子でクラウドが声を荒げた。
「違う!ザックスはザックスだ!……俺は、ちゃんと証明しただろう!」
「ああ、彼は確かにザックスのコピーではない。彼の記憶も恐らく本物なのだろう」
彼らのやりとりをザックスは呆然とした表情で見つめていた。ジェノバは分かる。ソルジャーの身体に埋め込まれる細胞だ。だが、コピーとは?自分は本物ではないと疑われていたのだろうか。
珍しく感情的なクラウドも、タークスとして振る舞うツォンも、どこか外の世界のことのように思える。二人は何かを知っていて、自分だけが知らなかった。それだけしか今は分からない。
怒りに震えるクラウドへと、ツォンは冷え切った声で告げた。
「精密検査の結果、ザックスの肉体は全てジェノバ細胞に浸食されていると分かった。お前も同じような状態だが、ザックスとは決定的に異なる。ザックス、いや、お前の隣にいる男は、肉体的特徴がセフィロスとほぼ一致しているんだ。外見以外はセフィロスだと言っても良い。こんな事は他のソルジャーでもあり得なかった。お前の隣にいる男はザックスではない」
クラウドが違う、と震える声で呟いた。だが、それから先の言葉はなかった。ザックスの問いかけるような視線から逃げるように顔を逸らしたまま、追い詰められた表情で俯いていた。
ツォンに反論することができない。ザックスが変わってしまったのは事実だ。ツォンの言うような肉体の変化は分からなくても、彼の心が形を変えているということはクラウドも分かっている。それでも受け入れると決めた。過去の記憶と感情を引き継いでいる彼は、確かに蘇ったザックスなのだ。だがそれはツォンに話して通じることではない。
クラウドが言い淀む姿を見て、ザックスは全ての感情の失われた声で呟いた。
「……ツォンだけじゃなくてクラウドも疑っていたんだな」
とっくに自覚していたことだ。何か黒い物が内側に巣食っているようで、心も感情も制御できない。次第に身体までその何かに浸食されてきている。これだけは紛れもなく自分の物だと思えるのは、クラウドへの愛情だけだった。だがその感情さえも制御できずに、自分に衝動的な行動を取らせようとする。ザックスはもうクラウド以外の人間への興味を失っていた。必要ならば、いや、もっと些細な動機でも、自分はきっと人の命を奪うことが出来てしまう。こんな存在が何と呼ばれるかをザックスは知っていた。モンスターだ。
クラウドの様子を見てツォンは失望の溜息を漏らした。やはり彼は、『ザックス』に入れ込んでいる。彼が復活したと告げた時、ジェノバなら斬ると言い放った彼はもういない。こうなるともうクラウドとの交渉を理想的な形で終わらせるのは不可能だ。ルーファウスの言う切り札を使うときが来たらしい。
朽ちた建物の影に隠れていた部下へと目配せをする。赤髪の彼はこんな状況下でも余裕のある笑みを浮かべていた。栗色の髪をした少年を肩に抱えて、鼻歌混じりにこちらへとやってくると、ツォンの斜め後方に立ってザックスとクラウドへ向かい気さくに手を上げている。
ツォンはクラウド達とレノの間に立ち塞がるようにしながら二人を見据えた。
「ここからは取引だ。冷静になってよく考えるんだな、クラウド」
クラウドは自分の目に映るものが信じられなかった。頭を強く殴られたように言葉が失われて、声が出なくなる。この場所に在ってはならない存在がそこに連れ出されていた。
デンゼルが死んだように眠ったままタークスに抱えられていた。細身のレノの肩に抱え上げられた身体は脱力しきってだらりと手足を垂れている。まさか死んでいるのではと一瞬考えて、クラウドは全身が冷たくなった。あり得ない、生きている彼でなくては、タークスの交渉の材料にならないはずだ。状況を正しく判断できたのではなく、そうあって欲しい、そうでなくてはならないという思いから浮かび上がった推測だった。デンゼルの身体が呼吸に合わせて微かに膨らむ。彼の生存が事実であったことだけが、クラウドの正気を辛うじて保っていた。
タークスは任務を達成する為なら人命を惜しまない。神羅からの命令で七番街のプレートを落下させたのも彼らだ。デンゼルの命と引き換えに、彼らが求めるもの。クラウドには思い当たることが一つしかなかった。
ツォンがレノの名前を呼んだ。レノが眉一つ動かさずにナイフをデンゼルの首に宛がう。クラウドがほぼ反射的に剣を掴むのをみて、ツォンは至って冷静な表情のまま彼を片手で制した。次にクラウドがタークスに敵意を向けた瞬間に、デンゼルの白く柔らかい喉にナイフが突き立てられる。彼を失いたくないという強い感情が、クラウドの足をその場に留めていた。
その場から一歩も動かず、ただ状況を静観するザックスを一瞥して、それからツォンはクラウドへと視線を向けた。
「ザックスを始末しろ。でなければデンゼルの命はない」
もしくはと続けて、ツォンはザックスに抑揚のない声で語り掛ける。
「お前が自害してくれるならクラウドとデンゼルに手を出さないと約束しよう。お前にザックスとしての意識が表層にでも残っているのなら正しい判断をしてくれ。今のお前は、ジェノバだ。ザックスであるという自我を保てなくなった途端に、お前は星の敵になるだろう。お前はその身体をジェノバに利用されてクラウドたちを殺したいか?」
クラウドの視界が暗くなる。絶望と強い怒りが、彼の皮膚一枚下で嵐のように吹き荒れていた。ザックスとデンゼル。どちらも失うことのできない大切な人たちだ。彼らを失うくらいなら、世界が滅んでもいい、というほどに。
剣を握るクラウドの手は震えていた。ひと時でも神羅を信じて彼らに手を貸した自分が余りにも愚かで、救いようがなくて、憎く感じた。ザックスを見つけ出したと馬鹿正直に連絡をして、正体を確かめるために彼を騙して故郷まで連れていった。神羅の取引に応じて、彼の身体を調べさせた。端から神羅はザックスを始末するつもりだったのだろう。ザックスを信じられずに神羅に従ってしまった。その結果、何も知らないデンゼルの命まで危険に晒している。どうしたら二人を救える。自分は誰に向かって剣を振るえばいい。
誰が動いても状況が変わる、という空間だった。隣の男が動いたことに真っ先に気付いたのはクラウドだ。その行動が何をもたらすかを頭が理解する前に、彼はレノの腕から子どもを奪い取っていた。マスターマテリアから何らかのまほうの力を引き出したのだろうか。だが彼はライフストリームから失われた古代の力を引き出すために、瞬きほどの時間も有さなかった。マテリアを装備していたとしても、ライフストリームを漂う思念と交信し星の持つ力を引き出す、という手順を踏まなければならない人間には不可能な身のこなしだった。
子どもを奪われたレノが、あり得ない事態に呆然としていた。彼も荒事には慣れている。相手がどんな行動にでるかのパターンは全て頭に叩き込み、どう身体を動かすべきかまで想定してあった。だが、交渉材料の子どもを奪った男の動きは、彼の戦闘経験の範疇から逸脱していた。モンスターでもまだ生物の常識に当て嵌まった動きをする。
胴体を強い力で引かれるのを感じた。自分が今まで立っていた空間を鈍色の光が走った。子供を奪った男がレノの首を落そうと振るった刃の軌跡だった。
仕損じた男がタークスの二人から大きく距離を取って跳躍した。何の感情もない目で、腕に抱えた子どもの寝顔を見つめている。大切なものを取り返した、という表情ではない。
「ザックス……」
刺激しないよう、恐る恐るといった声音で名を呼んだのはクラウドだ。タークスの二人に鋭い視線を向けながら、ザックスはクラウドに向かって場違いに明るい笑みを見せた。
「これで気兼ねなくこいつらと戦えるな」
肩に背負ったデンゼルを抱え直しながら彼が言う。彼の剣の切っ先は、ツォンとレノに向けられていた。過去に自分の命を救った男だという容赦は一切ない。彼の目に映る二人は、クラウドを苦しめる選択を迫った人間、というだけだった。
タークスの二人は冷たい汗が流れるのを感じた。ザックスの強さは人間が立ち向かえるものではない。交渉を試みようとするだけ愚かだった。ツォンがちらと手元の端末の数値を確認する。射程圏内に入るまであと数十秒。このままでは子どもが巻き込まれてしまうが、そうしてでも仕留めるべき相手だと実際に対峙してツォンも感じていた。
クラウドは青い顔でザックスの抱えるデンゼルを見つめていた。タークスが彼を捉えている時よりも、身体中が強い警戒信号を発している。タークスは、デンゼルをクラウドとの交渉の材料にする価値がある存在として扱っていた。こちらが動かなければ彼が殺されることはないはずだった。だが、ザックスは。
二人きりになった寝室で、彼は嗚咽を漏らしながらクラウドに訴えてきた。ティファもマリンも、デンゼルも、邪魔だと感じる時があると。
タークスを睨みつけていたザックスが、クラウドから向けられている視線に気づいた。悲愴な表情だった。デンゼルを取り返さなければ彼が自由に動けないと思ったから、彼の為に取り返したのに。何故彼は、まるでモンスターに子どもを攫われたときのような顔をしているのだろう。
「ザックス、デンゼルを……」
クラウドは許しを乞うようにそっと手を伸ばして、振るえる声で呼びかけた。彼を返して欲しい、と言いそうになっている自分に気付く。家族の首元にナイフが突きつけられていたというのに、彼は何も躊躇わずに動いた。腕に自信があったからではないだろう。彼はきっと、デンゼルの命に興味がないのだ。
クラウドの表情と態度にザックスは頭の中をぐるぐると掻き混ぜられているように感じた。彼からの愛情、信頼、今までに一度も疑ったことのないものたちが、途端に土台を失って形を崩していくようだった。
まさか彼は、自分がデンゼルに危害を加えると疑っているのだろうか。この子どもが彼にとって大切なものだということは充分に分かっている。だから危険を犯してまでタークスから取り返した。捕まった傭兵ごとモンスターを斬り殺そうとした時とは違って、クラウドの気持ちを慮ったつもりだった。
酷い頭痛がザックスを襲う。どこからともなく声が囁いてくるのが聞こえた。
『クラウドはお前よりもデンゼルのほうが大切らしい』
違う、と否定しようとしてもう一度クラウドを見やる。子どもの命乞いをする親はこんな顔をするのだろうか。彼は怯えた表情で、こちらへと縋るように手を伸ばしている。デンゼルを返してくれ、と声が聞こえるようだった。
ザックスは腕に抱えたデンゼルへと視線を落とした。初めて会って話したとき、クラウドを慕っているのが分かって微笑ましいと思ったはずだった。今は全く違う思いを彼に抱いている。憎しみというほどの強い感情ではない。例えば目的があって森を歩いているとき、行く手を塞ぐシダが現れたときのような感情だった。邪魔だ。
深く眠った子どもの首は片手で握り潰せそうに細かった。こうすればクラウドは迷わなくていい。簡単な話だ。もっと早く気付くべきだった。片手でデンゼルを抱えたまま、ザックスはもう片方の手で剣を掴んだ。
悲鳴が聞こえたような気がした。魔力の波が襲い掛かってくる気配を肌で感じて、ザックスは反射的に自身の周囲に防壁を展開する。同時に飛び掛かってきたクラウドがザックスの腕から子どもを奪い取った。
子どもの安全を確かめると、彼は信じられないものをみるような顔をザックスに向けた。その魔晄と同じ色をした両目からは涙が流れている。
時を止めるまほうだった。対象の人どころか、クラウドはその強大な魔力で八番街廃墟全体の時間を凍り付かせていた。タークスの二人も巻き込まれて、武器を構えたまま石像のように固まっている。
マバリアを解いたら自分の時も止まってしまう。ザックスは流れるガラスのような膜の中で一歩も動けずにいた。振り向きもせずに走り去っていくクラウドの後ろ姿が遠ざかっていく。
彼はデンゼルを選んだ。彼はデンゼルを選んだ。彼はデンゼルを選んだ。
絶望がザックスの中を黒く塗り潰していった。自分が考えているのか、誰かに囁かれているのかもわからない声が脳内で響いていた。ザックスにとって受け入れ難い事実を何度も何度も繰り返している。哀れむように、嘲笑うように、怒りを煽るように。
心臓を握り潰されるような痛みがザックスを襲った。頭痛が脈と共に強くなっていく。クラウドから知りたくなかった真実を告げられた時に経験した痛みと同じものだった。彼が傍に居る時は直ぐに治まってくれた。だが今は際限なく強くなっていき、ザックスは堪らずに頭を抱えて蹲った。
『もう充分だ』
自分の声ではなかった。だがその言葉はザックスの口から発せられていた。
クラウドのまほうが解除され、八番街の時が動き始めた。タークスの二人は停止から開放された瞬間に現場の状況を把握した。ザックスが一人で取り残されているが、クラウドは彼を倒さなかったようだ。クラウドとデンゼルの姿が消えている。彼らを追うのは諦めて、後はこちらで片を付けるしかない。
ザックスの周囲を覆っていたマバリアが消え去っていった。彼が解除したからではなかった。ザックスは身体の支配が徐々に失われていくのを感じていた。手足の動きだけでなく、舌の動きや瞬き、視線に呼吸に心臓の脈動までをも、何者かが奪っていく。クラウドへの感情を巧く制御できなかったのと同じことがザックスの肉体にも起きていた。ザックスが自分の身に起き続けていた変化を理解すると同時に、彼の全てはその男に乗っ取られてしまった。
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