海と並行に走るメインストリートから山沿いに外れた通りには、戸建ての住宅が並んでいた。比較的裕福な人の暮らす住宅街で、一軒一軒が広い庭とガレッジを備え付けている。スプリンクラーの水を浴びたばかりの前庭は、夜闇でも分かる程に濡れて輝いていた。家主の几帳面さを表しているのだろう、均一に刈り込まれた芝生はゴルフ場のグリーンのように平らに均されていた。
庭のすぐ前には大きく湾曲した道路に沿って舗道が敷かれている。白いコンクリートで固められた道の上に、大きな襤褸切れが蹲っていた。
その姿を見かけた瞬間、クラウドは思わず身構えてしまった。もう記憶も消え失せかける程の昔に、あのような姿形をした存在に邂逅したことがある。廃人と化していた彼は、危害こそ加えなかったが悪夢を見せてきた。忌まわしい記憶が蘇り、久しぶりに身体が臨戦態勢になっていた。
紙袋を両手に抱えたまま、少しずつ彼との距離を近づけていく。大きさは自分よりも小さい。いやそれどころか、立ち上がっても大人の腰ほどもなさそうだ。近付くにつれて彼の身体を覆っている物が布というよりも包帯らしきものだと気付く。遠目から血だと思っていたものは、近付いてみるときらきらと輝いていた。この時期になるとドラッグストアにも置いてある、銀色のラメを含んだ血のりだった。
クラウドの家の前でしゃがみ込んでいたのは、小さな子供だった。ミイラ男の仮装をしているのだろう、全身を薄汚れた包帯で覆っている。恐怖心を煽るためか血のりまでつけているが、夜でも目立つようにラメが入っている上に、そもそも血のりがミイラ男にそぐわない。遠目だったとはいえ、子供の仮装に数十年ぶりの警戒を抱いた自分に呆れるしかなかった。
そう言えば今日はハロウィンだったか。一年で唯一、子供が外でこんな格好をしていてもおかしくない日だ。季節どころか過ぎ去る年月さえも意識しない生活を送っていたので、今日が何曜日かすらも気に掛けたことがなかった。
子供は歩み寄る人に気付いていないのか、顔も上げずに小さく縮こまっている。親は一体どこにいるのだろう。家は、ハロウィンの飾りつけはしていなかったはずだが。一人で泣いている子供を流石に放っておけず、クラウドは家の前で蹲る子供に声をかけた。
「ハッピーハロウィーン。どうした、こんなとこで泣いて。トリックオアトリートはしないのか?」
クラウドに話しかけられて、ミイラ男の恰好をしていた子供がようやく顔を上げた。目元しか見えないほど身体中を包帯で巻いた子供は、クラウドの出で立ちを確認し、ほっとしたように口を開いた。
「ちゃんとしたんだけど、ここの人怖いんだ。僕達がどんなに怖がらせても笑うだけで。皆、僕を置いて逃げちゃった」
話ながら子供はぽろぽろと涙を零し始めた。クラウドは吐き捨てるような溜息を吐いた。子供に対してではない、子供たちが脅かそうとした人物に対して、だ。この数百年で少しは普通の人間らしくなったと思っていたのに、まさかこんなに小さな子供を脅かすなんて。
クラウドはその場でしゃがみ込み、少年をあやすようにぽんぽんと頭を撫でた。
「俺も一緒に脅かしてやる。お菓子を全部奪い取ってやろう」
映画にでも出てきそうに綺麗な人だが、彼は思いの外付き合いが良かった。一人取り残されて心細くなっていた少年は、彼の提案に泣き顔を綻ばせて笑った。真っ白で骨ばった青年の手を差し出されて、少年はそれを小さな手でぎゅっと握り返した。
片腕に抱えた紙袋の中身を零さないよう注意しながら、クラウドは少年に声をかけた。
「保護者はいないのか?トリックオアトリートを子どもだけでやるなんて危ないだろう」
いくら近所とは言え、夜分に他人の家を子どもが訪ねるのだ。大人の保護者がついていって見守るのが普通だ。だが彼は一人だった。友達と一緒だったと言っていたが、その中に大人はいなかったのだろう。もしいたら小さな彼を一人で置いていくはずがない。いくら、この家に住む人間が少し普通ではなく、脅し文句を言ってきたとしても、だ。
少年は緊張した面持ちで扉を見つめながら答えた。クラウドに握り締められたふっくらとした小さな手には汗が浮かんでいる。
「親はまだ仕事だよ。何時になっても母さんも父さんも帰ってこなかったから、自分達でトリックオアトリートしようって話になったんだ」
なるほど、だからかとクラウドは納得した。この辺りは治安が良い方だが、それでも夜に子供だけで出歩くなどあり得ない。親に見つかったらこっぴどく叱られるだろうが、それでも年に一度のイベントを逃したくなかったのだろう。
「子供だけでは危ないから止めておけ。夜に出歩くこと、親に許されてないだろう?」
少年がしょぼくれた様子でこくりと頷く。クラウドはくすりと笑って、少年の肩を叩いた。次回から気を付けたらいい話だ。今回は特別に、クラウドが彼の保護者の役割を務めることにした。
彼がこのイベントをどれだけ楽しみにしていたかは、準備された衣装を見たら分かることだった。今の時代ではもう神話のように語り継がれるばかりになったほど大昔の話だが、クラウドは星の危機を救う為に戦っていた。世界を滅ぼさんとする危機に立ち向かい、打ち勝った彼ですら、目にした途端に身構えるほどの出来栄えだったのだ。彼は充分すぎるほど、お菓子を脅し取る権利がある。
ポケットから取り出した鍵で扉を開錠すると、クラウドはいつもとは違う手つきでドアを開いた。ただの帰宅ではないと伝えるためだ。リビングのソファに腰かけている男を見つけると、クラウドは足の間に隠れていた少年を前へと押しやった。彼を勇気づけるように、この日だけの合言葉を口にする。
「トリックオアトリート!」
「……ト、トリックオアトリート!」
少年もクラウドにつられて声を上げた。目の前には恐ろしくて逃げ出してしまった大男がいる。銀の長髪、血管が透き通るほど白い肌に、縦に割れた瞳孔。クラウドと共に現れた少年を見て、男は人とは思えぬ美貌に怪しい笑みを張り付けた。もしかしたら仮装ではないのかもしれない。彼は少年の想像する吸血鬼そのものの姿をしていた。
ソファにゆったりと腰かけていた男が、組んだ脚を解きながら立ち上がった。暖かな電球を灯すシーリングファンに頭が届きそうな長身に、少年の身長を追い越しかねない長い脚。緩く一つに束ねられた月の光を集めて糸にしたような色合いの銀髪は、男の膝を通り過ぎる長さに伸ばされていた。
少年はこのような風貌の人間を見たことがなかった。ハロウィンで人々が恐ろしい悪霊の姿を模しているのに紛れて、本物が現れてしまったのではと思えた。隣に立つクラウドの手をきつく握り締める。彼が、銀髪の男を何も恐れていないのだけが救いだった。
上背の高い男が、クラウドを見下ろしながら口を開いた。
「クラウド、仮装をしていないお前まで俺に菓子をねだるのか?」
それを聞いて、今まで身構えていた少年は肩透かしを食らったような表情になった。クラウドがうんざりと言った様子で銀髪の男を見上げる。
「俺の仮装なんか見たいか?シンクの下の棚にキャンディがあっただろ。さっさと持ってこい」
手に持っていた紙袋をテーブルに乗せて中身を取り出しながら、クラウドは男に指示を飛ばした。
「他の子の分もこの子に持たせてやれ。こんな小さい子を脅かすんじゃない」
銀髪の男は無言でキッチンへと向かった。木製の棚からミニチョコレートバーの大袋を取り出してリビングへと戻ってくる。彼の吸血鬼のような風貌と、子供が好むお菓子の詰まったハロウィン仕様のパッケージとが、笑えるほどにミスマッチだった。
少年は二人のやり取りを唖然とした表情で眺めていた。先ほど、仲間たちとここを訪れたときとは大違いだ。チャイムを鳴らして扉を開いた男の表情は今でも忘れられない。トリックオアトリートをする子供にあんな冷たい目を向ける大人は初めてだった。
クラウドも銀髪の男と一緒にこの家に住んでいるらしい。まさか彼も男の仲間なのだろうか。彼も変わった瞳の色をしているし、少し人間離れをした美しい顔をしている。
しかしながら二人のやり取りを聞いていると、クラウドだけでなく銀髪の男も途端に人間味を帯びて見えた。クラウドが家の中で動く度に、吸血鬼の住む古城か何かのように思えていた家に、わざとらしいほどの生活感が吹き込まれていくようだった。銀髪の男に抱いていた恐怖心が跡形もなく溶けていく。
この家にトリックオアトリートを試みたとき、チャイムに応えてドアを開いた男の青白い顔に表情はなく、背筋が凍るような冷たい視線を向けられた。トリックオアトリート、と誰かが震える声で呟いた。男は一言、「失せろ」と言って扉を閉めた。
ハロウィンに興味のない人間がいるのは珍しいことではない。何もくれなかったら家に悪戯をして帰るのが常例だ。だが、彼に対してはどうしようもない恐怖を感じた。人間がおいそれと関わってはいけない存在がそこにいるようだった。
短くクラウドとやり取りをしていた男が、少年の抱えるパンプキンのバスケットに大袋ごとキャンディを突っ込んだ。
「脅かすつもりはなかった。他の子どもたちにも渡しておいてくれ」
「いいの……?」
少年がおどおどと男を見上げる。クラウドが少年に優しく微笑んで見せた。
「お菓子が欲しかったんだろう?気にするな、家では誰も食べないから。でも、もう家に帰るんだぞ。子供だけで夜に外を出歩くのは危ないからな」
彼の優しい微笑みを見て、これがハロウィンだという実感が湧いてきた。緊張に強張っていた少年が嬉しそうに笑みを咲かせた。クラウドに見送られて、お菓子の一杯詰まったバスケットを手に家を出ていく。
危惧していたイベントが終わり、クラウドはほっと溜息を吐いた。扉の鍵をかけると、部屋の明かりを一つ落とす。窓のカーテンの隙間から少年の行方を見守った。街灯もない暗い通りを歩いて行き、三軒隣の家の中へと入っていった。
こんなに近くに住んでいるのに、クラウドはこの日まで少年の存在も知らなかった。近隣の住民とは必要最低限しか関わらないようにしているので、彼の親の顔もおぼろげだ。ここに引っ越してもう何か月経つだろう。人間社会にうまく馴染んで暮らしていると思っていたが、彼も自分もまだまだ努力が必要らしかった。
二人きりになった薄暗い部屋で、クラウドはじとりと銀髪の大男を睨みつけた。
「あまり目立つ真似はするなと言ったよな、セフィロス」
クラウドに言われて、セフィロスと呼ばれた男は溜息交じりの息を漏らした。
「目立つも何も、俺は家に居ただけだが」
セフィロスはクラウドの買ってきたワインを紙袋から取り出すと、二つのグラスにそれを注いだ。透明なグラスが赤黒い液体で三分目まで満たされる。一つに口をつけながら、もう一つをクラウドに差し出した。クラウドは奪うようにそれを手にすると、勢いに任せて赤ワインを煽った。
「あんたはハロウィンも知らないのか。仮装した子どもが家に来たらお菓子を渡す。それだけの話だろう。何のためにキャンディを用意していたと思っているんだ」
セフィロスがくつくつと笑みを零す。
「お前が俺の知らない間に甘党になったと思っていた。わざわざその為に用意していたのか。ハロウィンの存在は知っていたが、今日がそれだとは気づかなかった」
「……本ばかり読んでいるからだ。テレビを点けろと言っただろう。下らない番組ばかりだが、時勢を知るには最適だぞ」
恨みがましく呟いて、クラウドは空になったグラスに自らワインを注ぎ足した。今回のことで近所に妙な噂が立たないといいのだが。少年が無断外出の後ろめたさから親に今日の出来事を隠してくれることを願わずにいられない。
セフィロスはグラスを手にしたまま再びソファに腰かけた。ワインを水のように飲み下すクラウドの喉元を見つめる。
「吸血鬼か……」
「吸血鬼?」
セフィロスの呟きにクラウドが問い返した。
「あの少年と一緒にやってきた少女が俺を見てそう言ったんだ。俺は仮装などしていないのに」
クラウドは堪らずに噴き出した。真面目な顔をして何を言うかと思えば。
「あんたの銀髪、目立つからな。目も縦に割れていて猫みたいだし」
ワイングラスを手にしたままセフィロスの隣に腰かける。クラウドはからかうような口ぶりで続けた。
「悪い意味で捕らえなくても良いんじゃないか。映画とかの創作に出てくる吸血鬼は大概が美形だ。そのイメージで言ったなら、むしろ誉め言葉かもしれない」
辛口のワインを口に含むと、クラウドはそれをセフィロスにも口移しで飲ませた。零れた赤い液体が顎を伝い、シャツを染める。
「不老不死ってのも同じじゃないか。まだ吸血鬼の方が怖がられないで済むかもしれないぞ。星を滅ぼそうとしていた厄災よりも、ときどき人の血を吸っている、くらいの方が無害そうだ」
薄く笑ったセフィロスがクラウドをソファに押し倒した。疎ましそうにしたクラウドが、その体勢のまま器用にグラスをサイドテーブルに置いている。挑発した自分が悪いのだろうが、もう少しゆっくりとワインを楽しみたかった。
セフィロスはクラウドの首筋にキスを落とし、同時にきつく歯を食い込ませた。急所に近い部分を襲われて、クラウドがひゅっと息を漏らす。これに興奮してしまうのは、お互いが命のやり取りを嫌というほど繰り返した相手だからだ。彼の刃は何度も肉体を貫いた。それが彼の執着の表し方だったので、クラウドは変質的な性癖を身体に植え付けられていた。
痛みを快感に変えて身震いするクラウドを見下し、セフィロスは緑に染まった瞳を笑みの形に細めた。
「トリックオアトリート。準備の良いお前のことだ、俺の分の菓子も用意しているんだろう?」
まさか彼は、吸血鬼と呼ばれたことを揶揄ったのを根に持ったのだろうか。首筋に本気で牙を立てて、血を吸う振りをして、これで仮装のつもりなら笑ってやりたい。
クラウドは渋い顔をして彼の細い瞳孔から視線を逸らした。子どもに渡す以外に菓子の準備などあるはずがなかった。クラウドにとってキャンディは、ハロウィンに子供に配るための道具という認識だ。甘いヌガーを食べるセフィロスなど、似合わないを通り越していっそ不気味だろう。
「………」
無言が返事の代わりだった。クラウドが自分にはトリートの準備をしていないことを確かめると、セフィロスは飴の包み紙を剥がすようにクラウドの服を脱がせ始めた。引き締まった肉体を乳白色の肌が覆っている。赤く色づいた粘膜は、刺激を与えると直ぐに反応して柔らかく隆起した。子どもに見せていた優しい笑顔は消え失せて、自分にだけ見せる艶やかな表情を浮かべている。こちらの方がセフィロスにとっては砂糖の塊よりも余程甘美なものだった。
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