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kokokisu
2020-07-26 02:06:58
13782文字
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【ザックラ】Sunshine above the cloud 1
店の二階にある固定電話が着信音を鳴らしていた。
ピリリリリ、と人の注意を引いて無視させない音。夜の営業に合わせて一階で開店準備をしていた店主のティファは、その音を聞きながら独り言を呟いた。
「休業中ですよー」
彼女の声には諦観すら滲んでいた。電話を受けるべき人物は、数週間前に突然姿を消して、それ以降連絡の一つも寄越さない。こちらからの電話は当然のように取らない。怒りを通り越して、彼はそういう人間だと諦めつつある。
二年前も、彼は同じように何の前触れもなく姿を眩ませた。戻ってきてやっと落ち着いたかと思った頃に、またいなくなって。彼には放浪癖があるのだろうか。
ベルがあまりにも鳴りやまないので、ティファは諦めて電話を取りに行くことにした。店の電話の取り方を教えたマリンはタイミング悪く外出中だ。彼女より年上のデンゼルも、彼女に付き添って買い物に出かけている。
階段を上がり、デスクに置かれた電話機へと近寄る。シルバーの受話器を手に取り、耳に宛がった。
「はい。こちらストライフデリバリーサービス
……
」
言い終えるよりも先に、電話の着信は途切れた。取るのが少し遅かったようだ。
「あ
……
。あーあ、お客さん逃しちゃったかな」
まあ、依頼を受けたところで肝心の彼に連絡はつかないのだが。
電話をかけても返事がない店と、休業中ですと教えてくれる店と、どちらの方がまだ次の商売に繋がる可能性があるかは分かりきっている。昔から口を酸っぱくして言っているのに、彼は未だに人との縁を作るのが下手だった。
ティファは短く嘆息すると、一階へと降りて開業準備を再開した。
食器は洗い終えた。掃除も終わった。買い出しはマリンとデンゼルが行ってくれている。
他に必要なものは、と考えて、ティファはさあっと顔を青ざめさせた。
「いけない!ブラックペッパー切らしてた
……
!」
ブラックペッパーは、ティファの店の名物であるエッグアンドチップスになくてはならない調味料だ。彼がいた頃は定期的に安い町から仕入れて貰っていたのだが、昨夜、遂に在庫が尽きてしまった。
ティファは慌てて携帯電話を取り出すと、デンゼルの番号を呼び出して彼へと連絡を入れた。穏やかな少年の声が直ぐに答えてくれる。
「どうしたの?ティファ」
「ごめん。お使いなんだけど、追加頼める?」
デンゼルは穏やかな声で笑って、いいよ、と続けた。
不治の病と言われた星痕症候群に侵されていた頃の彼は、ずっと寝込み、常に塞ぎ込んでいた。だが病気が完治してからの彼は、年下のマリンの面倒を見ながら、店の手伝いもちゃんとやってくれる。まだ子供といっていい年齢なのに、誰かさんよりも余程頼れる家族だった。
「ブラックペッパーお願い。切れてるの忘れてて」
店の中をバタバタと見て回りながら、ティファは他に買い漏らしがないか確認した。アルコール以外で、以前は彼に補充を頼んでいたもの。気が付くと随分と在庫が減っていた。店が繁盛している証でもあった。ティファが自分で買い物に行く暇がない程、セブンスヘブンは人気店になっている。
「もし売ってなかったら、粒の胡椒ならなんでもいいよ。ピンクでもホワイトでも。あと、お店に置いてあったらグレープフルーツジュースとレモンもお願い。レモンがなかったらライムを
……
」
「待って、ティファ。紙に書くから。そんな沢山言われても、覚えられないよ」
「あ、ごめん!」
ティファを窘めたデンゼルが、穏やかな笑いを零した。
「どうしたの、ティファ。謝ってばっかり。気にしないでよ、クラウドがいない分、俺らが頑張るからさ」
その一言に、ティファは胸が締め付けられるのを感じた。
やはり彼には、分かってしまうのだろうか。彼が分かるのなら、マリンだってそうだ。心配させたくないので平気な振りをしていたが、伝わっている。
彼がいなくなるまでは、ティファはエッジと呼ばれるこの街で三人の家族と暮らしていた。
デンゼルとマリン。血ではなく、それよりも濃い絆で繋がっている二人。
そして、クラウド。彼は子供たちにとって、兄のような父のような存在だった。ティファにとっても、彼は親愛を超えた感情を抱いている相手だ。
何でもない態度を装ってはいるが、クラウドがいないことに対してティファは心を乱されていた。
クラウドは一体どこで何をしているのだろう。彼がいないと困る。店の人手が足りないとか、そういう話ではない。家族は、皆で支え合うものだ。家族である彼がいなくても成り立ってしまうようなセブンスヘブンは、ティファの望む場所ではなかった。
二度目の星の危機を脱してから、二年が過ぎようとしていた。
あの時は確かに存在した彼の気配を、それ以降クラウドは一度も感じられずにいた。
強敵に立ち向かう自分が刹那的に見た幻でしかなかったのだろうか。願望を反映した、都合の良い白昼夢。
いや、幻だったとは思えない。
彼との誓いを思い出させてくれた穏やかな声。太陽のように温かな空気。弱い自分を力強く押し出してくれた、大きくて優しい手のひら。
全てがあまりにも本人の気配だった。
彼がライフストリームに還ってから、もう四年近い月日が流れようとしている。あの日からの一分一秒が、全て彼に与えて貰った時間だ。自分を命がけで守ってくれた彼がいなかったら、存在しなかったはずの。
クラウドはずっと、自分の命を一種の戒めだと感じていた。
誰よりも強かった彼を、自分が弱かったせいで死なせてしまった。彼の代わりに生かして貰っているのだから、せめて彼の為に生きなくては。彼のように強く、彼のように優しく、彼のように誇り高く。
そうして生きていたら、彼の死が無意味にならないと信じていた。
だが、星を守り、宿敵との決着をつけた頃から、クラウドは揺らぎ始めていた。
平和な世界で生きることが、堪らなく幸せだったのだ。ティファがいて、子供たちがいて、仲間がいて。それに気づいたとき、クラウドは身を裂くような罪悪感を覚えた。これは、自分ではなく彼が手に入れるべきものだったのではないだろうか。
クラウドはもうセブンスヘブンに居られなくなった。彼女たちの笑顔に心が温まる度、自分を許せなくなった。彼から全てを奪った罪人が、幸福に浸って良いはずがなかったのだ。
エッジでもミッドガル寄りにある地域は、崩落の跡が色濃く残り、今でも廃墟の様相を呈していた。
四年前、空からの災厄であるメテオから自らを守るために、星は地表からライフストリームを放出させた。津波のようなエネルギーの奔流は、ミッドガルを呑み込んで壊滅させてしまった。
ライフストリームを魔晄エネルギーに変える技術で、世界を支配していた神羅。その神羅が数十年の歳月をかけて生み出したミッドガルは、たった一晩で殆どの人が放棄する廃墟になった。
エッジはそのミッドガル跡地に寄り添うように生まれた街だ。ミッドガルから廃材を運び出して作られた街はどんどん大きくなり、今でも建設ラッシュが止まない。街は生き物のように成長し続けていた。
ガラクタを寄せ集めたようなエッジだが、一応中心部はある。元神羅の人間が大きい通りの交差する地点に建てた、メテオ撃退記念の巨大な慰霊碑。それ以外に何があると言う訳でもなかったが、人は分かり易い目印を好んだようだ。自然とモニュメントの周りには店が集まり、人が行き交い、仕事が生まれ、ここを中心として街の開発は進んでいた。
セブンスヘブンを去ったクラウドは、街の賑やかなエリアを避けて、ミッドガルの直ぐ傍にある廃墟に住み着いていた。この辺りにはエッジを建設する為に創られた仮設の簡易住宅が今でも残っている。
崩れかけの建物に住み着いている人もいるが、殆どがエッジにもミッドガルにも居場所のない、訳ありの人間ばかりだ。恐らく犯罪者も紛れているだろう。素性を探られたくないので、お互いに干渉をしない。クラウドはこの土地でなら誰とも関わらず生きていくことができた。
携帯電話と、バイクのフェンリル、武器である合体剣とマテリアが、クラウドの所持品の全てだった。馴染みの客だけ話を付けて、デリバリーの依頼はセブンスヘブンではなく携帯にかけて貰うようにしている。クラウドはそれで生きていくために必要な金を稼いでいた。
クラウドは一日の殆どを、バイクで荒野を駆けて過ごしていた。ミッドガルを出てカームの街へ向かえば、バイクで片道5時間はかかる。もっと遠くの町や村へ向かえば、数日エッジへ帰ってこないこともあった。
最高速度を出すバイクを操るのはかなりの集中力を使い、運転中は他に何も考えられなくなる。クラウドは一日の大半をバイクに跨って過ごすこの仕事が自分の天職だと考えていた。
何かを考え始めると直ぐに思い詰め、塞ぎ込んでしまう自分には、考えない時間こそが必要だ。風よりも早く走るバイクに乗っている間は、過去の残像からも逃れられた。
一人で生きるようになってからも、昔の仲間達は時折電話をかけてきた。電話には出ないので、留守番電話にメッセージを残してもらってばかりだが。それでも飽きもせず連絡をしてくれるのは、きっと生存確認も兼ねているのだろう。メッセージの再生履歴で、彼らに自分が生きていると伝えていた。
バレットも、リーブも、シドも、ユフィも、電話越しでも分かるほどに生き生きとしていた。連絡はないが、ナナキやヴィンセントも同じだろう。星を救う旅を終えて、皆がそれぞれの在るべき場所へ帰っていった。一年にも満たない旅だったが、彼らと過ごした時間はクラウドにとっても尤も幸せな記憶として胸に刻まれていた。
彼らが前に進んでいることが素直に嬉しい。皆、クラウドにとって大切な人だ。だから彼らは彼らの新しい人生を幸せに生きてほしい。そして、自分のことは過去の人間として置き去りにしてくれることを望んでいた。
クラウドは自分が幸せになるために、誰かが犠牲になるのが怖かった。だから大切な人ほど遠ざけていた。
明け方にエッジを出発し、仕事を済ませて直ぐにカームの街を出た。それでも住処に帰れたのは夕方を過ぎた頃だった。
クラウドは疲労が溜まっていた。バイクの運転がそもそも体力を使う。加えて、道中に沸いたモンスターの相手。そして昨夜の寝不足。まほうのマスターマテリアならあるが、これはケアルで回復できる類の不調ではない。
ここ最近、眠れない日が続いていた。治安の悪い地域なので仕方ないが、それにしても夜が騒がしい。今までにこんなことはなかったので、この辺りに新しく住み着いた人間の仕業だろう。耐えられなくなったら、静かなところに引っ越した方が良いのかもしれない。
まだ日は沈んでいないが、シャワーを浴びて休もうかと考えていた。そんな彼の元に、一本の電話が入った。
発信元を見てクラウドは眉根を寄せた。今日は厄日なのだろうか。電話帳に登録するのも躊躇われた名前がディスプレイには表示されていた。
少し放置してみたものの、相手は諦める様子がない。クラウドは諦めて着信を取ると、この上なく不機嫌な声音で答えた。
「もしもし」
「お、やっと出たか。ったく、どんだけ客を待たせるんだぞ、と」
久しぶりに聞いた、特徴的な口調の男の声。クラウドは相手に見えないと分かっていながらも目元を険しくしてみせた。
「お前らからの仕事なんて受ける気はない。切るぞ」
電話口で軽薄な言葉を並べ立てたのは、レノという男だった。神羅の総務部調査課、通称「タークス」に所属している。縁を切りたいくらいの相手なのだが、腐れ縁は今でも繋がっていた。
「わー!待て待て!なんだよ、まーだ根に持ってんの?」
根に持っている、どころではない。感情が上に振れることの少ないクラウドだが、彼らが相手のときだけは例外だった。自分から何もかもを奪った組織の人間から電話がかかってきて、接客をしてやれるほどクラウドはお人よしではない。
それに彼とは個人的にも少なからず因縁がある。星を守る戦いに参加していたクラウドが、彼らと刃を交わしたのは一回や二回ではない。神羅が今以上に利権で動いていた頃、汚い仕事を全て引き受けていたのがタークスだ。ミッドガルのスラムがプレートに潰された日のことは、数年経ってもティファが悪夢に見るほどだった。
「何の用だ。これ以上無駄口を叩くつもりなら切るぞ」
「分かった分かった。この件はお前が適役だってお上の判断だ。社長直々のご指名で、この番号にかけてみたんだぞ、と」
また、ルーファウスか。
クラウドは思わず溜息を漏らした。
星の危機の最中、神羅の社長であるルーファウスは命を落としたと思われていた。だが彼は悪運強く生き残っていた。彼らタークスは今でもルーファウスにこき使われている。
「
……
どうして俺なんだ」
「電話じゃちょっと説明が難しいな。ツォンさんもいるから、ヒーリンに来てくれないか?お前のバイクなら、日が変わる前に着くだろ」
無茶苦茶な依頼だ。これから休もうかというほど疲労も堪っている。タークスの為にそこまでやってやる義理はない。
断りかけたクラウドに対し、レノはまるでたいしたことではないように言葉を続けた。
「お前も知っといて損はない情報だぞ、と。元ソルジャーで、宝条の実験体だったサンプルに関する話だ」
それを聞いた途端、クラウドの目の色が変わる。
「
……
それって、まさか」
震える声で問い正したが、レノはそれを聞き届ける前に笑いながら電話を切ってしまった。こちらから何度かけ直しても、不通の音しかならない。獲物がエサに食いついたことを確認して、彼は満足したのだろう。
クラウドはまだ熱を放出するバイクのエンジンを再び始動させた。燃料のメーターを確かめる。ヒーリンまで往復するくらいの燃料は残っていた。
砂除けのマントを翻してバイクに跨る。グローブを嵌めた手でハンドルを握り締めながら、クラウドは固く目を閉じた。
「ザックス」
数年ぶりに彼の名前を呼んだ。自分でも情けなくなるほどに、悲痛な音だった。
胸がざわつく。喉が焼ける。昔の記憶が蘇る。思い出すのが彼の笑顔ばかりなのは、彼がいつも笑っていたからだ。
夜に沈もうとするエッジを抜けて、クラウドはニブル平野へとフェンリルを走らせた。療養施設のヒーリンは、ミッドガルからグラスランドエリアへ向かう途中の山沿いにあった。カームに向かう方が近いか、というほどには離れている。一日にこれだけの距離を走るのは、余程急ぎの仕事が入ったときくらいだ。だが、クラウドはその距離を遠いと感じなかった。
神羅への憎しみも、捨てられない悔恨も、今の彼の心を動かさない。クラウドはただ、失ったはずの大切な人への想いだけを溢れさせていた。
峻険な山道を、巨大なバイクが轟音を立てて山頂へと駆け上っていく。日が落ちて視界が悪く、ライトに照らされた数メートル先しか道が見えない。少しでも判断が遅れたら、道を踏み外して転落してしまう危険な走行だった。だがクラウドはその常人離れした運動能力と動体視力でハンドルを操作し、少しもスピードを落とさずにフェンリルを走らせていた。
山頂に近い峰を水平に切り落としたような広場に、白い円筒形の建物が見える。クラウドは施設へ続くスロープの前でフェンリルを止めた。
ここがクラウドの呼び出されたヒーリンだ。一時期はルーファウス神羅がここで療養していた。星痕症候群、という病が流行った頃の話だ。
表向きは一応療養施設なのに、病人が足を運ぶには余りにも辺鄙な所にある。施設へ至る道へ監視カメラがいくつも目を光らせているのも、物々しさを加速させていた。ここは実質、神羅の別拠点だ。
クラウドはバイクから合体剣を取り出すと、それを背負って櫓のようなスロープ通路を上り始めた。
建物に入る前から気配を感じる。殺気ではない。いたずら好きの猫が、チョコボのぬいぐるみを狙っているような感覚だ。
彼らは遊びのつもりだろうが、じゃれてくる爪はモンスターのように鋭い。クラウドはぴり、と空気を張り詰めさせて、施設のドアノブを掴んだ。
扉を開くと同時に、クラウドの頭を目掛けて金属製のロッドが振り下ろされてきた。そちらを見もせずに強烈な一撃を剣で受け止める。同時にクラウドは反対方向へ素早く手を翳した。強力なマスターマテリアの光るバングルが見えて、拳を振りかぶっていた男が口を曲げる。
「腕は鈍ってないようだな」
悔しさを誤魔化すようにスキンヘッドの男が呟いた。タークスのルード、クラウドに電話をかけてきたレノの相棒だ。
「あんたらは鈍ってるみたいだな。平和ボケでもしているのか?」
クラウドは剣で受け止めていたロッドを受け流し、体勢を崩した男の腿を足蹴にした。いて、と楽しそうに笑うのはレノだ。
どうせ彼が、元ソルジャーを試してみようなどと言い出したのだろう。ルードは性格的に、このような悪ふざけを企む男ではない。
「なんだよ、元気そうじゃん。行方不明って聞いてたから、てっきり落ち込んでんのかと思ったのに」
「
……
住む場所を変えただけだ。そんなことより、本題を言え。俺は世間話をしにきたんじゃない」
クラウドの言葉は端的で、冷淡だった。いつもの彼ならタークスの悪ふざけにここまで突き放した態度を取ることはないが。ザックスに関する情報を餌にここまで引き摺りだされて、気が立っている。
部屋にはタークスの主任であるツォンもいた。レノとルードでは埒が明かないと、クラウドは彼に水を向ける。
ツォンは言葉を選ぶように重々しく口を開いた。
「まずは、部屋を見てくれ」
彼らのいる円形の部屋には入り口とは別にもう一つ扉があった。無骨な鋼鉄の扉のロックをカードキーで解除して、その先にある階段をツォンが下りて行く。クラウドは無言で彼の後に続いた。レノとルードも二人を追った。
療養施設から階段を下りると、そこには短い通路があった。軍事施設のように無機質な造りで、患者を収容する場所には見えない。右側の壁の一面には扉が三つ並んでおり、一つ一つが独立した部屋になっているらしかった。神羅ビルの監禁部屋を思わせる。療養施設と名はついているが、ここは紛れもなく神羅の管理する施設だ。通路の作りといい、セキュリティといい、雰囲気が神羅ビルの上層階と全く同じだった。
通路の一番手前にあった部屋のロックパネルに、ツォンがまた別のカードキーを宛がった。扉のセキュリティを解除して、中へクラウドを招き入れる。
案内された部屋は、療養施設というよりは実験室に見えた。壁も床も天井も、清潔感のある白で統一されている。部屋の中央には空になった医療用のベッドが一床。ベッドサイドに置かれたモニタは、電源が入っておらず黒い画面を映し出していた。バスユニットもあるが、新品同然の状態で、一度も使われた形跡がない。
寝たきりの人間でも匿っていたように見える。神羅にとって余程重要な人物を、外の世界から切り離して隠していた部屋。そのような扱いを受ける人間は、ルーファウス以外では、神羅の幹部くらいしか思いつかない。
だが、ツォンがわざわざ自分をここに連れてきた、という事は。
ツォンがクラウドに問いかけた。
「ザックスのことは覚えているか。元ソルジャー・クラスファーストのザックスだ。彼はつい数日前まで、この部屋で眠っていた」
どく、とクラウドの心臓が脈打った。
やはり彼だ。ザックス・フェア。クラウドの大切な人。救えなかった人。ミッドガルを臨む丘で、確かに彼を見送ったはずなのに。
ツォンがクラウドに資料を手渡した。見知らぬ部屋で横たわるザックスの写真が右上に張り付けてある。
カルテには身体に残った銃痕の数とその位置が示してあった。手術でザックスの体内に残留した銃弾を取り除いた記録だ。
心拍数と血圧も記録されている。生きた人間の数値だった。
喜びよりも、戸惑いと怒りが湧き上がってくる。
あの丘で死んだと思っていた彼は、生存していたのだ。クラウドが知らなかっただけで。
クラウドはツォンの元に歩み寄ると、険しい顔で彼の襟首を掴み上げた。
「何故隠していた」
怒りの漲った視線を受けて、ツォンは苦々しく眉根を寄せた。レノとルードがクラウドを引き放そうとするのを片手で牽制する。
「そうする、必要があったからだ。彼を守る為に」
その言葉を聞いて、クラウドは呆然となった。ツォンを締め上げていた手を離す。
咳き込むツォンの元に部下の二人が駆け寄った。だからこいつ呼ぶのいやだったんですよ、と愚痴っているのはレノだ。
「守る
……
?神羅のあんたがザックスを?殺そうと、したくせに?」
クラウドが覚えているザックスの最後の姿。大量の神羅兵に囲まれて、身体中を穴だらけにして、硬い地面に横たわっていた。本当なら、英雄と呼ばれ、ミッドガルで大切な人と暮らしていたはずなのに。彼という人間の人生は、神羅によって弄ばれ、全て奪い尽された。
ツォンはクラウドの怒りを一身に受け止めていた。自分が神羅に忠誠を尽くす限り、避けては通れない敵意だった。両手がミッドガルの住民の血で汚れ切っている自覚はある。そんな人間が、たった一人の男を救おうとしたくらいで弁明をする必要もない。
「ザックスは神羅屋敷での実験を乗り越えて生き延びた。彼は、意識を取り戻した瞬間から宝条にとって貴重な実験サンプルになってしまったんだ。捕まえられずにソルジャーの秘密を漏洩してしまうくらいなら、処分しなくてはと判断されるほどに」
クラウドは努めて感情を押さえ込んでいた。ここで彼を殺したら、得るべき情報が得られなくなる。
「タークスは科学部門でも治安維持部門でもない。生き延びた彼を保護すると決めたのは私だ。誰に命令されたわけでもない。四年前、ミッドガル付近の丘で瀕死だった彼を、カームの街へと連れていった。治安維持部門の支配が強いミッドガルは危険だったからだ。だが、二年前にカームで神羅に対する反乱が起きた。ルーファウス社長の同意も頂いたので、彼の身柄はヒーリンに移動させた。こちらの方が医療設備も整っていたのでな。経過観察もしやすかった」
案の定、ルーファウスもこの件に一枚噛んでいた。つまり、自分が一年前に呼び出されてヒーリンを訪れた時も、ザックスは直ぐ近くにあったこの部屋にいたのだ。あの男はそんなことおくびにも出さず、星の危機を救って欲しいだのとのたまっていたか。とんでもないペテン師だ。
「ザックスを保護した理由はなんだ。何に利用するつもりだった」
尋問に近い口調だった。ツォンは、罪を告白するような表情で彼の疑問に答えた。
「
……
彼は、私の同期だった。捕まってしまえばまた宝条に利用されるのだと思うと、耐え難かった。それだけだ」
思いもよらぬ返答に、クラウドは何も言えなくなってしまった。神羅である彼の言葉など、一切信用できない。だが、この冷徹で計算高い男が、情に訴えかけるなど愚かなことをするとも思えなかった。
「昔のことはもういいだろ。それより、お前をここに呼んだ理由だぞ、と」
ツォンと共にその現場に居合わせたレノが二人の間に割って入る。滅多に見せない弱みを晒す上司が追い詰められているようで、苦々しい感情が湧いてしまった。口を出す必要などないだろうが、とても放っておけない。
クラウドはようやく自分が感情に流されて冷静さを欠いていると自覚した。レノの言葉は正しい。今何よりも優先するべきは、神羅への復讐ではない。ザックスの所在を確かめることだ。
じわりと、クラウドの胸に希望が湧き上がってきていた。死んだと思っていた彼が、まだ生きていたこと。彼が眠っていた部屋を見て、ツォンから話を聞いて、あの日を生き延びた彼の写真を見せられて。堀を固めるように、これが現実なのだと思えてきた。
彼が生きている。それだけで、クラウドは四年前のあの日から全てをやり直せるような気がしていた。タークスの彼らがいなかったら、耐え切れずに感情を吐露していたかもしれない。
「ザックスはどこにいる」
クラウドは、その答えを聞いたら今にも飛び出しそうな口ぶりだった。
ツォンが静かに首を振る。
「まだ掴めていない。彼は数日前に突然意識を取り戻し、施設を脱走した。社長がいなくなったヒーリンには、医療スタッフしか残していなかったからな。ソルジャーの彼を止めることはできなかった」
「彼はそれまで眠っていたのか?」
ツォンは躊躇いがちに視線を伏せた。
「
……
どちらかというと、死んでいたと言った方が正しい状態だったかもしれない。刺激に無反応で、意識は完全に失っていた。脈はあったし呼吸もしていたが、彼の身体は人間が生きていく上で必要な栄養素を必要としていなかった。食事はおろか、点滴すらも」
ツォンの話を聞いている内に、クラウドは夢から現実へと引き戻されていくようだった。
そうだ。確かに自分はあの丘で、彼の命が果てるのを見届けたのだ。
「お前は魔晄中毒だった。だが、人間が生きる上で必要としていたものは与えられていた。意識がなくても、身体を生かし続けるために必要だったからだ。ザックスは違う」
それ以上は聞きたくない。クラウドは耳を塞ぎたくなった。
クラウドは酷い眩暈を覚えていた。ツォンの退路を断つような事実確認。それで、彼が語る『ザックス』という存在の真実を嫌でも分かってしまう。
いっそ、目覚めてくれなければ。それでもいいから彼に会いたいと叫ぶ自分を無視して、クラウドは心の中でそう嘆いた。これは彼が絶対に望まない未来だったと、分かっていたからだ。
肺から絞り出すように、クラウドが呻いた。
「ジェノバ細胞か」
ツォンが沈痛な面持ちで頷いた。
「すまない、クラウド。私がもっと早く決断するべきだった」
「謝らないでくれ」
クラウドはツォンの謝罪を拒むように手を掲げた。どんな状態になっているとしても、彼の現在を知らないままでいたかったとはとても言えない。それに、知らない所で下されたツォンの決断を自分が受け入れきれていたとは思えないからだ。
クラウドは深く呼吸をした。落ち着きを取り戻すために。あの日を思い出し、現実を受け入れていくと、頭は嫌でも冷えていく。
受け入れがたい運命を乗り越えることには慣れている。ただ、元の生活に戻るだけだ。だが彼をこれ以上、ジェノバ細胞に弄ばせることは許せない。
「真実が知れて良かった」
クラウドの穏やかな言葉にツォンは胸が詰まった。ザックスに生きていて欲しかったと願う気持ちは、きっと彼も変わらない。いや、それ以上なのだろう。彼にとってザックスは命の恩人だ。
「ザックスはミッドガルへ向かったそうだ。ここで働いていた医療スタッフが脅されて、ミッドガルに繋がるハイウェイまで道案内をしたそうだ。それが四日前。ザックスの足なら、とっくにミッドガルに着いているはずだ」
「街は捜索したのか?」
クラウドからの問いかけに、レノが答えた。
「現在進行形でな。でも、姿を見たって奴らからの通信がことごとく途絶えてるぞ、と」
それで自分を呼んだのか。クラウドはようやく得心した。
ザックスにとって神羅は敵だ。この施設から逃げ出したのも、彼らが信用ならないからだろうし、彼を狙う神羅関係者を追い払うのも納得がいく。
だが自分は、彼と同じ境遇だった人間だ。彼がジェノバ細胞に操られているのだとしても、生前のザックスをコピーしているのなら、相応の振る舞いをするかもしれない。クラウドの身体能力なら、元ソルジャーのザックスを捕まえる勝機がある。
「これ以上、この件に人員を裂くわけにはいかない」
ツォンは沈痛な面持ちをしている。彼は、ザックスを生かした自分の判断がミスだったと考えているらしかった。
「だから神羅の人間じゃない俺に尻ぬぐいをさせようってわけか」
タークスの彼らは神羅カンパニーの復興で手一杯のはずだ。それで、危険な仕事をこちらに振ってくることがある。内容と報酬次第でクラウドはそれを片づけてやっていた。そうしなくては、彼らが昔の仲間達にまで根回しをして協力させようとするからだ。
皮肉な物言いをするクラウドにも怯まず、ツォンは真っ直ぐに彼の魔晄の瞳を見つめ返した。
「そう受け取ってくれて構わない。その前に、クラウド。お前が彼を見極めてくれないか。彼が本当にジェノバ細胞に操られているだけなのか、それとも意識を取り戻したザックスなのか」
「
……
そいつが本物のザックスかもしれないと思う根拠はあるのか?」
クラウドが怪訝に思い目を細めた。まさかツォンは、彼が本物ではないかと期待しているのだろうか。
ジェノバ細胞のコピー能力は、ツォンも知っているはずだ。例え言動や記憶が本人と一致していたとしても、それはジェノバが相手から記憶を盗んだだけにすぎない。クラウドはジェノバのその特質に誰よりも苦しめられた経験を持つ人間だった。
四年前、ジェノバ細胞に侵されていたクラウドは、久しぶりに再会した幼馴染のティファから記憶を読み取って偽の人格を形成した。本当の記憶を取り戻すまで、どれが自分の記憶でどれがジェノバの作り出した記憶か、脳を掻き混ぜられているように混乱していたのを覚えている。ティファの助けがなければ、恐らく今でも自分を失ったままだった。
逃亡中の彼がザックスとして振る舞っていたのなら、それは恐らく現場にいた人間の情報をコピーしたからだろう。紙面上だとしても、彼らはザックスの経歴を知っていたはずだ。
ツォンは思慮深い表情で顎を撫でた。
「根拠と言えるほどのものではない。彼にさらわれた医療スタッフが、気になることを言っていた。お前はここの医療スタッフと面識はないはずだな?」
「ああ」
「スタッフに渡した資料にも、お前とザックスの関係は記載していなかった。だが、意識を取り戻したザックスが、そのスタッフを捕まえて開口一番に問いかけたそうだ。『クラウドはどこだ』、と」
クラウドの瞳が揺らぐ。見てもいないのにその光景が脳裏に浮かんだ。
まるで、ミッドガルの丘から目覚めたばかりのようだ。
自分達を追い詰めた神羅の人間に捕らえられている。戦って、意識を失っている間に、一緒に逃亡していたはずの『トモダチ』がいなくなっていた。そしたら彼は、真っ先に自分を呼んだのではないだろうか。もし自分が同じ状況に陥ったとしても、彼と同じように振る舞った。
あの頃の自分たちには、お互い以外に頼れるものがいなかったのだ。どちらか片方でも欠けるなど耐えがたいことだった。その別れを先に経験していたクラウドは、本物か偽物かもわからないのに、ザックスの振る舞いに心の深くまで共鳴してしまった。
「
……
ザックスはミッドガルに向かったんだな」
「エッジで何度か目撃情報がある。だが、情報がいまいち錯綜していてな。出現ポイントが絞れていない」
ツォンはクラウドに資料を見せた。ザックスを追ったタークスのメンバーから報告のあった時間帯と地点をエッジのマップに記載したものだ。
報告地点は街中に拡がっており、しかも明らかに移動範囲がおかしかった。その日の午前中に街の東端で見かけたと報告があったかと思うと、数十分後には西端に出没している、と言った具合に。ザックスがバイクなどの足を手に入れていたとしても不可能な移動速度だ。ツォンの部下がザックスと他人を見間違えるなどのミスをしたのでなければ、この報告には説明がつかない。
この有様にはツォンも手を焼いているようだった。信頼できる部下ばかりなのだが、と零している。
「エッジ自体発展中で、また街の全貌を我々でも把握しきれていない。開発計画と自治が、街の成長スピードに追い付いていないんだ。だがターゲットは恐ろしい速さで街の構造に順応して逃げ回っている。我々は作戦の通りに動くのが仕事だ。そもそも作戦が立てられない相手と地形では
……
。タークスはゲリラ戦には向いていない」
クラウドは何の役に立たない資料を押し返した。元よりタークスと連携するつもりはない。ザックスのことは自力で探す。
「共有する情報はこれで全部か」
ツォンが口を閉ざす。もう話すことはない、もしくは話せることはないのだろう。こうなると、彼は拷問しても口を割らない。
クラウドは踵を返して部屋を出て行った。ヒーリンを去ろうとするクラウドを、レノとルードが引き留める。
「おいおい、今からミッドガルに向かうのかよ。もう夜中だぜ」
「たった数時間早くエッジについた所で、状況は変わらないだろう。部屋ならあるぞ」
「ベッドが変わると眠れないんだ」
クラウドは片手を上げて後ろ姿で彼らに返事をした。そのままロッジを足早に降りていく。彼の珍しい冗談を聞いて、タークスの三人は怪訝そうに視線を交差させた。
ミッドガルに続くハイウェイを、鋼鉄の狼が走っていた。暗い夜の闇の中で目を光らせ、廃墟に寄り添い三日月形に拡がる街へと真っ直ぐに駆け抜けている。
バイクのエンジン音に、男の声がかき消された。雄叫びのような、歓声のような、胸に渦巻くありったけの感情を込めた叫びだった。
ザックスが、生きているかもしれない。
例え嘘でも良い。初めて与えられた希望だった。胸に抱きしめて、夢が醒めるまで酔いしれても、誰も責めやしない。
クラウドは久しぶりに胸が熱くなっていた。こんな高揚、いつ以来だろう。夜道を走り、少し身体を冷やさなくてはとても眠れそうになかった。
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