kokokisu
2020-07-13 02:06:42
5137文字
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【ザックラ】The color of the sky 8


 クラウドを覆っていた布を外し、彼を丸太に凭れさせて固定するよう突き刺していたバスターソードを引き抜く。自身の身丈ほどもある巨大な剣を背負ってから、ザックスはクラウドを肩に抱え上げた。
「待たせて悪かったな。近くに良い温泉があるらしいから、行ってみようぜ」
 意識して明るい声でそう言うと、ザックスは地図を片手にクラウドを目的の場所へと連れていった。

 この辺りの土地はライフストリームに押し上げられ流されて、常に地形が変動している。何十年も更新されていないらしい地図は、温泉の位置を探る為に殆ど参考にならなかった。真っ直ぐ向かっているはずなのに目印に辿り着かないと思いきや、起点としていた村の位置がそもそも変わってしまっていたのだ。ミディールの看板に書かれていた距離と、村に着くまでに掛かった時間が一致していなかった理由がようやく分かった。ザックスは雑木林の中を彷徨い歩き、殆ど偶然の様にして目当ての温泉まで辿り着いた。
 蔦はう幹の太い木が生い茂った森の中に、水流に削られて丸まった石の敷き詰められた浅い沢が現れる。水は透き通っていて、川底にまで地面と変わらず眩い光が届いていた。
 川の流れを一部遮り、岸を掘って水を溜めてある場所があった。その付近だけ日が差してやたらと明るかった。地面が熱くて周囲に植物が育たず、土肌が露わになっている。立札も何もないが、これが温泉なのだろう。大きな岩に囲まれた湯気立つ小さな池の前で、ザックスは背負っていたクラウドを肩から下した。
 
 この辺りには神羅兵が訪れた痕跡すらない。逃亡兵がまさか進路を外れて温泉に立ち寄るなど考えなかったのだろう。こちらへ来る道も暫く踏み分けられた形跡がなかったし、ここでならクラウドと二人で湯浴みできそうだ。
 ザックスはいそいそと自分の服を脱ぐと、クラウドも裸にして彼を温泉へ連れて行った。早速浸かろうとしたが、足を水面下へ突っ込んだ刹那、ザックスはクラウドを大げさに抱え込みながら後ろに飛び跳ねた。身の危険に反応して心臓が急激に脈を速めている。神羅兵が現れたというわけではない。ザックスが何も考えずに入ろうとしていた温泉はとんでもない熱さだった。湯に付けて直ぐに引き上げた足が、今になってヒリヒリと痛む。
 丁度ザックスが踏み込んだ場所の近くの石の間からは、いっそ冷たいと感じる程の熱さの湯が噴き出していた。だから川の水を引き入れているのだろう。天然の温泉なので、雑な温度調節しかされていないようだ。
「こりゃ、あぶねーな。俺が先に入って良かった」
 クラウドと一緒に飛び込んでいたら、二人して全身に火傷を負っていただろう。クラウドは声一つ上げないだろうが、彼の白い肌が爛れるところなど見たくない。
 ザックスはクラウドを抱えて川の近くへ回り込み、熱湯と水が混ざり合っている所へ向かった。まず足の指先をいれて温度を確かめる。丁度いい湯温の箇所を見つけると、先に湯の中へ入っていった。水底まで安全であることを確認してからクラウドの脇に手を入れて抱え上げ、彼の顔が水につかないよう気を付けながら湯の中に身体を沈める。
 思わず声を漏らすほどに気持ちが良かった。休まず歩き、戦い続けて、意識していた以上に身体は疲れていたようだ。湯に浸かったところから手足の感覚を取り戻していった。
 旅の道中は川で水を浴びたり濡らした布で身体を拭いたりするのがやっとだった。そんな自分達が温泉とは。湯に浸かるなどプレートに住む道楽な金持ちだけが楽しむ贅沢の一種だ。久しぶりに娯楽を味わっている気分で、ザックスは沈みかけていた心が軽くなるのを感じた。
 二人の身体の汚れが湯に溶けて浮かび上がり、温泉内の対流に押し出されて川の水へ戻り流されていく。ザックスは片手で自分の顔をばしゃりと洗うと、クラウドの顔も濡れた手で擦ってやった。長旅で余程汚れていたのだろう、洗ってやるだけ彼の肌は白くなっていく。日に焼けたのだと思っていたが、実際は拭うくらいでは取れない程に汚れがこびりついていたようだ。神羅屋敷から助け出したばかりの彼は、今のように生白い肌をしていた。元から白い上に、四年も日を浴びていなかったのだから無理もない。
 ザックスは彼を温泉の淵に凭れさせて、まず自身の身体を洗った。汚い手でクラウドの身体を擦る気になれない。村で石鹸くらい買えば良かったと今更思う。クラウドが顔を水につけてしまわないよう見張りながら、頭のてっぺんから足の爪先まで汚れを落としていく。温泉の水が濁っていき、川の水と噴き出す温水で入れ替えられるまで暫くかかった。
 クラウドの隣に腰かけたザックスが、膝の上に彼を移動させた。自分の身体を彼の為の座椅子のように使いながら、ザックスは彼の入浴の補助をした。
 浅い川と比べ、ここは浮力が助けてくれるので幾分かやりやすい。温水なのでクラウドの身体が冷える心配もしなくて良かった。
 体を擦るついでに、ザックスはクラウドの手首を掴んで持ち上げ、腕の肉付きを自身のそれと比べた。ずっと眠っていたことと、年が自分より少し若いというのもあるかもしれないが、彼の腕は細くて少し頼りなく感じた。この腕でよくバスターソードを手に取り、セフィロスに立ち向かえたものだ。彼には普通の一般兵とは思えない力があるらしかった。
 ザックスは彼の身体を洗いつつ、隅々まで観察し始めた。脇を擦り、口を付けたこともある胸を撫で、そこから下ろした手の指先が腹部に触れたとき、中指の長さ程の縫い跡があることに気付く。背骨の浮いた彼の背中を触ると、そこにも対になるような傷跡が。
 ぞわ、と首筋が泡立った。これはセフィロスにつけられたものだ。なんて容赦ない。
 残っていた傷はそれだけではなかった。彼の身体を詳しく見分すればするだけ、神羅に切り刻まれた後が見つかる。初めて彼を抱いた時は、彼の身体に残った他の男の跡に頭が眩んで気付いていなかった。
 神羅屋敷の地下に残された資料。失敗2:神羅の兵士。外的刺激に無反応、と書かれていた。それを確認する為だけに、宝条はどれだけの行為を彼に試した?考えるだけで腸が煮えるようだった。
 ザックスは固く目を閉じると、意識のないクラウドを、得難く尊い宝物で在るように背後から抱き締めた。英雄に腹を貫かれ、耐性のない魔晄に漬けられて、神羅の狂った実験で異物を身体に埋め込められても、彼はまだ生きている。既にこれだけの奇跡が彼に降り注いでいるのだ。意識が戻らないことに絶望するなど、きっと自分は欲が深すぎた。
 身体の他のパーツを全て洗い終えると、ザックスはクラウドの白い太腿を撫で上げた。セックスを連想させる行為なので後ろめたさがある。だが温泉に浸かるなど滅多にない機会だ。クラウドの身体の汚れを隅々まで洗い流すため、ザックスは彼の足の付け根に手を差し込んだ。
 鼠径部を優しく擦り上げて、ずっと気になっていた汚れを落とす。クラウドは食事だけでなく、排泄にも補助を必要とする。その為、この辺りは特に汚れやすかった。
「ごめんな、ずっと洗ってやれなくて。気持ち悪かっただろ」
 ザックスが独り言を呟く。当然、クラウドは返事をしない。萎えた性器を擦って貰いながら、俯いた彼は魔晄の瞳に揺らぐ水面を映していた。
「よし、終わり」
 ぱ、とザックスがそこから手を離す。恥ずかしかったろ、悪い、とクラウドに囁いた。
 ザックスは水の滴る髪を搔き上げて、大きく息を吐きながら温泉の淵に凭れかかった。温泉は丁度いい温度で、長く浸かっていても上せない。クラウドを膝の上に座らせたまま、溺れないよう彼の顔を上向けて顎を優しく支える。そうして二人は暫く心地よい浮遊感に身を任せた。
 耳に届くのは川のせせらぎと鳥の鳴き声くらいで、木洩れ日は肌を撫でるように優しい。数日前にバノーラ村で命を賭して戦ったのが嘘のようだ。世界中の街や村が自分達にとって心の休まる場所ではなくなった今、ここは夢で描く楽園のように平和だった。
 ソルジャーとして生きていたときも、こんなに凪いだ時間を過ごしたことはない。クラウドと温泉に浸かっていると、身体だけでなく心も癒される。湯治、という言葉があるのを思い出した。これならクラウドの心を侵している魔晄も、融けて流れ去っていくのではないだろうか。
「気持ちいいな、クラウド」
 ザックスが満面の笑みで問いかける。クラウドは金色の長い睫毛からぱたりと水を滴らせた。

 視界に在るのは溢れ出すライフストリームで過剰に育った植物で、清流が岩にぶつかって崩れる音が心地よく響いている。
 長い沈黙が流れていた。ザックスは彼にそれを告げるタイミングを計っていた。口にしてしまえば、後は自分が動いて、クラウドはただ従うだけだ。
 ずっと臨戦態勢だった身体はザックスの思考を狭めていた。それが今、穏やかな時間を過ごしたことで、全身の緊張が解かれている。ザックスはようやく冷静に現状を見つめることができるようになっていた。
 クラウドを、ミッドガルに連れていくべきではない。ザックスはその結論に至った。
 過酷な気候の土地を連れ回し、水も食料も充分には与えられていなかった。何度も神羅の襲撃に遭い、彼を危険に晒した。そして彼を、物言わぬ彼を慰み者にして、自身の心の支えにした。断罪して欲しいのに、クラウドは意識を取り戻さない。
 常ならば、ザックスは必要以上に自分を追い詰めたりはしない。彼の精神力は並みの兵士とは比べものにならないほど強かった。だが、身のすり減るような辛い長旅とクラウドの状態に関して告げられた事実は、彼の生来の明るさに暗い影を落としていた。
 誰よりも何よりも大切な、『トモダチ』のクラウド。こんなに大切なのに、彼は自分の心を救ってくれたのに、自分は彼を救えない。彼の身に降りかかった不幸と同じだけ、ザックスはその事実を呪いたくなった。
 この土地は神羅の干渉が少ない。見張りをしていたのも、離れた地域から出向して来たらしい者ばかりだ。村を離れたところでソルジャーのザックスが目立つ行動を取れば、そちらを追ってくるだろう。
 その上、この村には魔晄中毒に詳しい医者がいた。巻き込みたくないと考えてはいたが、神羅兵さえいなくなれば彼にもさほどの危険はないはずだ。
 ザックスは鉛のように重たくなった口を開いた。
「クラウド、ここでお別れだ。俺はお前をミッドガルに連れて行けない」
 ぴく、とクラウドが動いた気がした。水流に動かされたのだろうか。
思いの外泣きそうな声が出てしまい、ザックスは取り繕うように明るい調子で続けた。
「お前が邪魔って訳じゃないよ。でも、ミッドガルは危険だ。配備されている神羅兵の数が、今までの比じゃない。……俺は会いたい人、いや、会わなくちゃいけない人がスラムにいるんだ。だから絶対にミッドガルに向かう。でも、お前がそれに付き合うことなんてない」
 クラウドの身体を返し、ザックスは彼と正面から向かい合った。
 ここで彼と別れたら、もう戻ってこられないかもしれない。せめて悔いを残さないよう、ザックスは彼の顔を目に焼き付けた。
 ライフストリームに染まった瞳がこちらを見つめている。何も感情のない、虚無な顔。何をされても、言われても、彼は決して抵抗をしない。
 だが、彼は自分の意志を持っていた。
「おれも、いく」
 川の音にかき消されかねない、吐息のような囁きだった。ザックスは驚きが先立って、一瞬何が起こったのかを理解できなかった。
「クラウ、ド……?」
 恐々と彼の名前を呼んでみる。クラウドはそれ以上何もしゃべらない。首を支えきれず、顔をかくりと俯けて、う、ああ、と呻いている。
 意識の表層を漂っていた言葉を、彼はかろうじてすくい上げた。彼の強い意志がそれを実現させていた。
 ザックスが連れて行くから、ではない。彼は自分で、ザックスと共にミッドガルへ行くと決意していた。
 ザックスは嬉しさなどとは表現できない、もっと強い衝動を感じていた。震える手で彼を抱き締める。そのまま彼の暖かい生身の肩に顔を埋めた。泣きそうなほどに胸が詰まる。また、彼に救われた。
「悪い。本当に、悪かった。俺は絶対に、お前と一緒にミッドガルに辿り着く」
 彼はここにいる。損なわれてなどいない。誰よりもそれを信じなければならない自分が、疑ってしまっていた。
 ミッドガルへは、クラウドと向かわなくては意味がない。だって、ずっと一緒だと、彼と約束をしたではないか。