kokokisu
2020-05-09 23:01:35
2257文字
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【丸主】林檎


 丸喜がスクールカウンセラーとして執務をしていると、保健室には絶えず生徒が尋ねてきた。彼の人柄は、秀尽学園の多くの生徒達から好意的に受け止められている。保健室に入り浸るのは、彼のカウンセリングを希望する人間だけでなく、単純に彼に懐いている生徒も多かった。
 この日の昼休みも、一人の生徒が保健室を尋ねてきた。ノックの音を聞き、丸喜は研究資料から視線を上げずにどうぞ、と返事をする。足音から男子生徒だろうとは予想していたが、訪れた男子生徒の顔を見て、丸喜は思わず破顔した。
「来栖君。どうしたの?珍しいね」
 生徒の名前は来栖暁と言う、四月に秀尽学園に転校してきた二年の男子生徒だった。丸喜は彼に個人的な研究の手伝いをしてもらっている。と言っても、研究に関する思考を独白して、それを聞いて貰っているだけなのだが。無口な彼が時々口にする個人的な意見は、いつも丸喜に強い閃きを与えていた。
 彼は基本的に丸喜から誘わないと姿を見せない。丸喜が彼に連絡を入れるのは、研究に煮詰まって違う角度から意見が欲しい時が主だ。最近は研究も順調に進んでいて、彼に助けを求めたのは数週間も前だっただろうか。暁が突然現れたのは、丸喜にとって青天の霹靂だった。
 暁は丸喜へと軽く微笑んで見せると、後ろ手に保健室の鍵を閉めた。丸喜が少し困惑する。
「他の生徒が来たら鬱陶しいから」
 うんざりと言った口調で漏らす暁を見て、丸喜もああ、と納得する。彼に対して友好的な生徒が、この学校には極端に少ない。
 彼は不名誉な肩書を背負ってこの学校に転校してきた。今も背負っている、と言った方が正しいかもしれない。彼が転校しなければならなかったのは、地元での暴力事件が原因だ。それによって前歴持ちとなり、保護観察処分になってこの学校に転校せざるを得なくなった。学校の生徒達は、彼を手の付けられない不良として扱っている。
 暁と直接話した丸喜は、彼を本当に良い子だと思っていた。その事件について彼は自ら話そうとはしない。話したくないのか、教える必要がないと思っているのか、それとも無意味だと思っているのだろうか。丸喜も彼の口から弁明を敢えて聞く必要などないと思っているので、深くは問いたださなかった。事情を知らなくても、彼が自分の唯一無二の協力者である事に変わりはない。
 暁はソファに腰かけたのを見て、丸喜もデスクからそちらへ移動する。彼の斜め前の席に座ると、丸喜はカウンセリングをする時のようにゆったりと背凭れに身体を預けた。
 丸喜が優しく微笑みながら、保護者のような口調で暁に声をかけた。
「お昼はもう食べた?」
「まだ。ここで食べるつもりできたから」
 そう言って暁が取り出したのは、購買で買ってきたらしいパンと缶コーヒーだった。丸喜は思わずそれだけ?と尋ねそうになったが、その言葉を寸での処で飲み込んだ。
 食事と言うよりおやつのようで、とても栄養が足りるとは思えない。彼は親元を離れて暮らしている。昼だけでなく、朝も夜も似たような食事をしているのではないだろうか。
 学校には様々な家庭環境の子供が通っている。丸喜もそれは知っていて、だから彼だけを心配するのは不公平ではないか、という懸念があった。そもそも、彼の食事の心配をすることは、カウンセラーの仕事の範疇を超えている。
 暁はつまらなさそうな顔でパンの袋を開けた。数口で食べてしまい、今はスマホの画面を眺めながら缶コーヒーを啜っている。その味に何か不満でもあったのか、彼は露骨に顔を顰めた。
……こんなに不味かったっけ」
 暁が呟いたのを聞いた途端、丸喜は好機を得たと言わんばかりに笑みを浮かべた。
 ソファから立ち上がり、自分のデスクへと向かう。引き出しの中に常備している紙パックジュースを取り出すと、暁の元へと戻った。
 丸喜は暁の手から缶コーヒーを取り上げた。暁が驚いて目を丸くする。
「カフェインは余り身体に良くないよ。君は未だ若いしね。僕のと交換しよう。これを代わりにあげる」
 暁の空いた手にジュースを持たせて、丸喜は嬉しそうに微笑んだ。
「野菜や果物は嫌いかい?これなら、美味しいし飲みやすいと思うけどな」
 パックに描かれた林檎のイラストを眺めながら暁が苦笑を浮かべた。
「懐かしいな、子供みたいだ」
「えっ、そう?僕は好きなんだけど……
 大人の丸喜が今でも好んでフルーツジュースを飲んでいると知り、暁はますます面白そうに笑った。
「ありがとう。いただくよ」
 暁が紙パックにストローを刺しながら、丸喜に視線を寄越した。
「そのコーヒー、どうせ捨てるつもりだった。舌が肥えたのかな、もう飲めないみたいだ」
「そんなに?」
 言いながら丸喜が暁の飲みかけのコーヒーに口を付けた。彼が言う様に酷い味はしない。普通の缶コーヒー、としか丸喜は思わなかった。
 暁はコーヒーを飲み下す丸喜を黙って見つめていた。紙パックに刺したストローを噛み締める。林檎ジュースは胸焼けしそうに甘い味がした。
 缶を空にした丸喜が暁に向かって笑みを浮かべた。
「不味いって程じゃないよ。喫茶店とかの味じゃないけどね」
 暁はストローから口を離すと、感情のない声で呟いた。
「間接キスだな」
 思いもよらぬ事を言われて、丸喜は面食らってしまった。彼なりの冗談だとは分かるが、何と返したらいいのか分からない。相手は年下の男子生徒だというのに、不必要に顔が熱くなっていくのだけを感じた。