kokokisu
2019-09-30 01:26:33
6863文字
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【竜主】熱が下がらない

風邪引いた主人公の竜主

 メメントスを出た瞬間に気が緩んだのか、蓮は自分の身体が酷く発熱している事に気が付いた。無視していた頭痛が鼓動に合わせて目の奥にまで響いてくる。視界がぼやけて、曇ったガラス越しに仲間達の顔を見ている様に感じた。自身の自己管理能力の低さを嘆きたくなる。蓮の身体を重くしているそれらは、典型的な風邪の症状だった。

 長い夏がようやく終わろうとしているのか、最近は夜になると肌寒いくらいの日もあった。急激な気温の変化に身体がついていかなかったようだ。空調のない屋根裏部屋でずっと暑さに苦しんでいて、それから解放されたと思った途端に風邪をひいてしまった。
 そもそも怪盗活動は体力を消耗する。空いた時間も常に動き回っていて、身体が知らぬ間に限界を訴えていたのだろう。もっと早く気付いていれば、と蓮は思ったが、これまでのスケジュールを振り返ってみても、どこかで休息を取っている暇などなかった。

 武見内科で薬を貰い、蓮はモルガナを双葉の家に預けた。彼に人間の風邪が伝染るのかは分からないが、言葉を喋るし、イセカイでは妙な姿になるし、チョコも玉ねぎも食べるのだから、何が起きてもおかしくはない。それに弱っている自分の傍に居ても、無用な心配をさせるだけだろう。心配してくれる気持ちだけ受け取って、風邪が治るまでは屋根裏部屋に来ない様に、と伝えた。
 他の怪盗団の仲間達は、自分の異変に気付いたのだろうか。流石にモルガナには隠せなかったが、合流する双葉にまで言わないよう口留めした。風邪をひいた、などわざわざ教える事でもないので黙っていたが、誰も気づかなかったのなら不幸中の幸いだ。怪盗団のリーダーをやっているので、仲間に情けない姿はあまり見せたくない。

 明かりを消したルブランの屋根裏部屋で、蓮は久しぶりに一人きりの寝床に潜り込んだ。本当なら川上にマッサージを頼んで、夜も協力者に会いに行くつもりだったのだが。風邪の所為で貴重な一日が潰れてしまった。明日の朝までには風邪を治さないと、スケジュールを立て直せなくなる。
 いつもは眠るまでスマホを見ている蓮だが、今日は早々に電源を落とした。幸い、明日は休日だった。寝すぎても学校に遅刻する事はない。明日、せめて昼には自由に動けるようになるまで体力が回復されるといいが、と蓮は祈るような思いだった。

 ルブランの周りは飲み屋街なので、店の中が無音でも、外の喧騒は絶え間なく聞こえてくる。酔っ払いの甲高い笑い声や、女性が楽しそうに話す声など、まるで壁一枚隔てた所に人がいるかのようだ。無人ではないのに、耳に入る音が全て他人の立てた物だと思うと、蓮は孤独を強く実感させられた。
 一年だけの仮の住処を、居場所にしてくれている人達がいる。彼らの存在だけが、知らない土地に一人でやってきた蓮の心の拠り所だった。だが、彼らはあくまで協力者だ。彼らに甘えてばかりではいけないと分かっているのに、病気で心が弱っているのか、誰かに縋りたくなる。
 物音から隠れるように、蓮は布団の中に頭まで潜り込んだ。こんなに孤独を感じるのは、きっと病気で心が弱っているからだ。熱が出たくらいで、一人でいるのが辛くなるなんて。
 早く風邪を治そう。健康な状態に戻れば、自分は東京で一人でも生きていけるのだから。蓮は自分の弱い部分から目を背けるように、心の中でそう呟いた。

 昨夜は早く眠りについて、次の日はその分早い時間目が覚めた。それでも十時間以上は寝ていたので、熱も下がって体力も大分回復している。武見の薬が良く効いたのもあるだろうが、なにより身体をちゃんと休めたのが良かったのだろう。夜に動き回らず、早々に眠った自分の判断は正しかったらしい。
 充電するのも忘れて枕元に放っていたスマホを手に取る。チャットを確かめると、台風が近づいているから今日は店を開けない、と言うメッセージが惣次郎から届いていた。今回の台風は進路が悪く、関東に直撃するそうだ。ネットニュースで情報は聞き齧っていたが、身体の不調に気を取られて忘れていた。店に客がいないのなら、ゆっくり出来るので有難い。
 ベッドから起き上がろうと身じろぎした途端、蓮は頭が割れるような鈍痛に襲われた。軽く額を触り、脈を測る。昨日よりも良くなってはいるが、風邪は未だ治っていないらしかった。窓際に置いていたペットボトルを取るのさえも億劫に感じた。手探りで掴んだペットボトルから水を胃に流し込むと、炎症を起こしていた喉が冷やされて心地良かった。
 朝の薬を飲むと、蓮は再びベッドに沈んで目を閉じた。昨日の昼から食べていないので、いい加減胃が空腹を訴えてきているが、買い物に行く体力がまだなかった。
 屋根裏部屋の窓から見える分厚い灰色の雲に覆われた空が、これから訪れる荒天を予感させる。体調が良かったとしても、外に出るべきではない天気になりそうだった。客も、惣次郎も、モルガナもいないルブランの屋根裏部屋は、まるで陸の孤島だ。
 次に目が覚める時までに嵐が過ぎている事を願いながら、蓮は再び眠りに落ちた。

 無機質な振動が枕を揺らす。夢うつつだった蓮は、その音で意識を覚醒させた。いつもなら誰かからの連絡は嬉しい物だが、今は少し疎ましく感じた。まだ半ば眠っている身体を動かして、枕の横にあったスマートフォンを手に取る。薄く開いた目で画面を確認すると、蓮はチャットの送信者の名前を確かめた。
 坂本竜司。その名前を見て、蓮は緊張が解けるのを感じた。協力者の中でも特に彼は、一番付き合いが長く、気の置けない仲だ。彼が相手ならば、例えば自分が風邪で調子が悪く、ぞんざいな応答をしてしまっても構わない、と思える程に。
 彼から来ていたのは、今日の予定を尋ねるチャットだった。蓮はゲホ、と一度咳き込むと、今日は一日部屋で過ごす、とメッセージを返した。そしてスマホを投げて、再び眠りに落ちようとした時だ。間を置かずに帰ってきた、「やっぱりな」と言う返事を見て、蓮は一瞬で眠気が薄れてしまった。
「お前、昨日調子悪そうだったろ」「リーダーだからって強がってんのか?バレバレだっつーの」「今駅に着いた。寝てて良いから、着いたら鍵だけ開けてくれ」「雨降りそう」
 竜司から続けざまに届いたチャットに、蓮は面食らってしまった。確かめる前に行動してしまう所が彼らしい。蓮は、呆れたらいいのか喜んだらいいのか分からず、ベッドに仰向けで横たわって大きく溜息を吐いた。
 隠し遂せているつもりだったのに、竜司にはバレていた。彼は感情的なのでガサツに見えるが、誰よりも周りの人間を良く見ている。蓮が隠してしまいたいような過去や内面も、彼は容赦なく暴いていた。前歴の事も、出会ったばかりの頃に話してしまったのが彼だ。蓮は、竜司にはどうにも隠し事が出来ないと再度痛感していた。
 一階の店舗のドアが、ガチャガチと物音を立てている。竜司がやってきた事を察して、蓮はスマホの電源を入れた。今行くとだけチャットで告げると、マスクを着けて、重い身体を引きずるように屋根裏から一階へと階段を下りて行った。

 部屋着のまま自分を迎えた青白い顔の蓮を見て、竜司はにっと口角を上げた。まるで、自分が来たからにはもう何も心配しなくていい、とでも言わんばかりだ。蓮は彼に風邪が伝染してしまうのでは、という事だけを心配していた。
「わりいな、起こしちまって。ほら、二階行こうぜ」
 竜司が蓮の背中を軽く叩いて階段を上るよう促した。ふらつく彼の肩を支えながら、一段ずつゆっくりと昇っていく。部屋着越しに触る彼の身体が熱い事に気付いて、竜司は思わず溜息を零しそうになった。ここまで悪化する前に、蓮も休みを取れば良かったのに、と。
 蓮をベッドに寝かせると、竜司は手に提げていたビニール袋の中身を作業机の上に広げ始めた。近所のスーパーで買ってきたレトルトの粥と卵のパックに、バナナとりんご。蓮はそれらを見てようやく自身の空腹を思い出していた。
「薬も買ってこようかと思ったけど、市販よりあの女医さんの薬の方が効くだろうから。ちゃんと飲んでんだよな?」
 竜司が念押しするように蓮へと尋ねる。蓮は首元まで布団で身体を覆いながら小さく頷いた。
「腹減ってんだろ。一階のキッチンちょっと借りるぞ」
 粥のパックと卵を持って、竜司が一階へと降りていく。蓮は彼が戻ってくるまでの間、再び瞼を閉じて深く息を吐いた。
 竜司の顔を見ただけで、少し気が楽になった気がする。誰かに助けを求めるつもりはなかったが、他でもない竜司が来てくれて良かった。病気の時に一人でいると、それだけで追い詰められるのだと蓮は痛感した。


 ルブランのカレー皿に、出来立ての卵粥が注がれて湯気を立てている。窓側の壁に凭れてベッドに座った蓮は、膝の上に置かれた料理をじっと見つめていた。
「どうした?まだ食欲ないか?」
 竜司にそう言われて、蓮は軽く首を振った。昨日の夜から何も食べていないので腹は空いている。食べ物を取りに行く気力さえなかったので、ベッドの上から動けなかっただけだ。
 カレースプーンで掬った卵粥を吹き冷まし、口に運ぶ。久しぶりの食事は胃に滲みる様だった。腹が減っていたから、この一口にここまで満たされるのだろうか。違う、と蓮は直ぐに首を振った。
 まるで作戦会議をする時のように、竜司は屋根裏部屋のソファに座り、漫画雑誌を読んでいた。特にこちらを気に掛けるでもない。いつも通り、この場にいるのが当たり前だ、と言った様子だった。強風ががたり、と立て付けの悪い窓を揺らした時だけ、竜司は外を気にする素振りを見せた。
「停電とかならねえといいけどな」
 それだけ言って、また漫画雑誌へ視線を落としている。台風が迫っていても、彼にとって風邪をひいた仲間の元へ駆けつけるのは、ごく自然な事の様だった。
「早起きなんだな」
 蓮がいつも通りを装って軽口を叩いた。
「早めに出たんだよ。雨酷くなりそうだったから」
 竜司が漫画のページを捲りながら答えた。
 ぽつぽつと雨が降り始める。振り始めた雨は一瞬で豪雨に変わった。これから外に出ようと言う人はもう殆どいないだろう。陸の孤島である屋根裏部屋に、竜司まで巻き添えに連れ込んでしまった。蓮はそれを気の毒だと思う余裕もない程、彼の出現を密かに喜んでいた。
 竜司の用意した食事を、蓮は殆ど平らげてしまった。後少しで食べ終わる、と言う所で、彼に礼を言っていなかった事に気付いた。
「竜司」
 名前を呼ばれた竜司が、素面で蓮を振り返った。
「どうした?」
 組んだ脚の上で、竜司が漫画雑誌のページを弄んでいる。おかわりか、と聞く直前に、蓮が両目に涙を滲ませていることに気が付いた。
「あ、なんで」
 蓮も遅れて自分が泣いていると理解して、戸惑いながら手のひらで目元を擦っている。竜司も蓮に負けず劣らず動揺して、咄嗟に彼へ何と声を掛けたらいいのか分からなかった。竜司は、自分がこの部屋に訪れるまで、蓮が一人の寂しさと戦っていた事を知らなかった。
「おいおい、大丈夫かよ……
 何が何だか分からないまま、竜司は蓮の座るベッドへ近寄り腰かけた。蓮はまだ涙が止まらず、遂には布団に顔を埋め、嘔吐き初めてしまった。いつも感情表現の希薄な蓮が、子供のように泣いている。竜司は訳が分からないまま、傍に寄り添い、彼が落ち着くのを待った。
「わ、悪いっ……、俺、こんなに、自分が弱いって、知らなかった」
 蓮がしゃくりあげながら、弁明するように言葉を紡ぐ。竜司にとっては何でもない行動だったのかもしれないが、蓮は彼が来てくれた事で、本当に心が救われていた。身体を壊している時に、一人でいるのは辛いのだと、だが耐えなければならないと思っていたのに。風邪の時は強がらなくてもいいと竜司に教えられて、蓮は思わず涙を流す程、嬉しくなってしまった。
 竜司は蓮の言葉の本意が分からず、ますます戸惑いの色を濃くしている。
「は?いや、風邪位誰だってひくだろ。別に、お前が特別弱いって訳じゃ……
 竜司の全く見当違いな返事に、蓮は思わず笑みを零すと、軽く首を振った。その拍子に、止まらなかった涙もようやく治まっていった。
「一人で全部、どうにかしないといけないって、思ってたから。本当は助けて欲しかったみたいだ。竜司が来てくれて良かった。ありがとう」
 蓮が涙に濡れた顔に笑みを咲かせる。その笑顔の屈託なさに、竜司は思わず照れてしまった。普段は無口な癖に、思わぬ時に素直な事を言うのだ。
「おう……。別にこんなの、どうってことねえよ」
 敢えて礼を言われるような事をした覚えもない。気恥ずかしさから後ろ頭を掻くと、竜司は悪戯っぽく笑ってみせた。
「案外、可愛いとこあんだなお前。ああ、そっか。お前、こっちじゃ一人だもんな。俺はガキの時から風邪でも怪我でも一人でどうにかしねーといけない時が多かったから。だから時々お袋が看病してくれんの、めちゃくちゃ嬉しかったっけ」
 蓮の隣に腰かけて、竜司が蓮の頭をがしがしと撫でた。年下の弟の様に扱われている事に、蓮は先ほどの自分の涙を恥ずかしく思った。
「こっちにいる時は俺がお前の隣にいるから。絶対一人になんてさせねえよ」
 竜司は少し前にも同じ意味の言葉を蓮へと伝えていた。蓮の助力もあって、わだかまりの生まれていた陸上部との関係は、前に進み始めている。陸上復帰しないかとまで声を掛けられたが、彼は蓮と始めた怪盗団を続けることを選んだ。蓮や仲間達と怪盗団を続ける事の方が、彼にとっては今やるべき事だったからだ。
 熱に浮かされた瞳で蓮が竜司を見つめる。蓮は、彼の言葉が友情から発せられるものだと分かっていた。だが今は、それ以上の意味を持たせたくて仕方がない。病気の時に優しくされて、しかもそれが竜司だった。風邪の所為だけでなく、蓮は胸が苦しくなり、感情を抑えられなくなってしまった。
 蓮が隣に座る竜司に凭れかかり、そのまま彼とベッドに倒れ込んでいった。初めは支えて起こそうとした竜司だが、彼の身体が異様に熱い事に気付くと、抵抗を止めてしまった。
彼にはまだ休息が必要らしい。このまま暫く寝かせてやろう。
 そう思った竜司が、自分だけベッドから抜け出して、蓮を寝かせようとした。だが、蓮の熱を帯びた腕は、竜司の腰にしっかりと巻き付けられていた。何か様子がおかしいと竜司が察したのは、前髪で隠れた蓮の表情が、とても後ろめたそうだったからだ。
 ルブランのベッドで仰向けになった竜司の上に、蓮の発熱した身体がある。眩暈を覚えながら這いずり上がり、蓮は真上から竜司の顔を見下ろした。
「竜司、助けて、熱い」
 蓮の充血した大きな目を見て、竜司は慌てて起き上がろうとした。だが蓮はそれを阻止するように、殆ど落下するようにして、全身で彼に覆い被さってしまった。
 蓮は高熱でおかしくなってしまったのだろうか。竜司は慌てて彼の肩を掴んで抱き上げた。
「おい、蓮!お前、全然熱下がってないだろ!ほんとに薬飲んだのかよ!」
 竜司の鋭い言葉に、蓮がぼんやりとした視線を向ける。風邪で意識が朦朧としている蓮の顔つきは、罪悪感を覚える程に艶めかしかった。竜司は思わず正常な思考を奪われそうになったが、寸での処で踏み止まった。彼は病人だ。やって良い事と悪い事がある。
 しかし、竜司の理性的な判断は、熱に浮かされた蓮の手により、呆気なく崩されてしまった。
 皮膚の下が沸騰しているように熱い蓮の手が、竜司の頬を包み込む。相手に焦点を合わせるのがやっとの瞳で竜司を見つめながら、蓮は必死な声音で囁いた。
「風邪、伝染してもいい?」
 竜司の表情は、嫌だ、と言うような物ではなかった。蓮はそれだけを確かめると、殆ど意識を失いながら、竜司と口を重ねてしまった。
 熱の所為か、蓮の口の中は舌が火傷しそうに扱った。口を離すと同時に、蓮は身体を支えきれなくなり、竜司に全体重を預けるように倒れ込んでしまう。竜司は現状を何も理解出来ないまま、蓮の上体を両腕で支えていた。
 さっきから蓮が、彼らしくない事ばかりしている。急に涙を流したり、一人が寂しいと弱音を吐いたり、男友達の唇を奪ったり。それら全てが風邪の所為、で片付けられそうな所が厄介だった。もし蓮が病気でなかったら、迷わず彼を押し倒し、取り返しのつかない過ちを犯していただろう。そしたら完治した彼に何と言って責められていたか分からない。
 竜司が理性を呼び戻そうと必死になっていた所に、蓮が熱にうなされながら、強力な一押しを加えた。
「台風が過ぎたら、惣次郎さん、店開けるかも」
 竜司はそれを聞いた途端、自ら蓮を抱き寄せて、彼の唇を自分の唇で塞いでいた。