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kokokisu
2015-02-16 17:46:14
3909文字
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とりあえず痴漢
加々知が腕にはめた時計をスーツの袖から覗かせて時間を確認した。今日も電車は寸分の狂いもなくホームに滑り込む。
電車の扉が開き、列の先頭に立っていた加々知は乗客が降りるのを待ってから電車に乗り込んだ。
朝七時半、電車の中には大量のサラリーマンが詰め込まれている。全身の力を使って人を奥へと押し込み、ようやく出来たスペースに自分の身体を嵌めた。これ以上は人を詰め込めないだろうという狭さなのに、身体にかかる圧迫は段々と強くなっていった。加々知と同じく会社に遅刻したくないサラリーマンたちが、既に満杯の車両へと押し入ってきているのだ。加々知は息も出来なくなるような苦しさに、天井を見上げてうんざりと眉根を寄せた。
発射した電車が一駅、二駅と通り過ぎていく。背の高い加々知は周りの黒い頭をぼんやりと見下ろしながら、ただただ早く会社に着いてくれる事を願っていた。
窓の外に見える景色が徐々に仕事場近辺の物へ変わっていく。後一駅だと思ってようやく心に余裕が生まれた加々知は、ふと自分の右側に見慣れない物がある事に気付いた。
加々知程背の高い人間はなかなかいない。その為、電車に乗っていて正面を向いている加々知が誰かと目を合わせる事など滅多になかった。だがこの日は、自分と同じ高身長の男が同じ車両に居る事に気付いた。
黒髪で自分と同じ位の年頃に見える。しかし、満員電車に乗らなくてはいけない社会人には見えなかった。その男は右耳に赤く長い飾り紐のピアスを付けていて、目尻には赤い化粧のような物がある。服装はスーツだったが、どんな職種ならその出で立ちを許されるのだろう。
加々知の視線にその男も気が付いたようだ。男だと言うのに、男の加々知に愛想笑いを浮かべて再び視線を伏せている。
その彼の表情が、どこかおかしい事に加々知は気がついた。人か電車に酔ったのか、具合が悪そうにみえる。だが加々知はそのすぐ後に、彼が体調不良で顔色を悪くしているのではないと知った。
彼は何度か後ろをちらちらと振り返っていた。とは言っても後ろにはまた別のスーツの男性がいるだけだ。暫く様子を見ていると、その長身の男は自分の背後に向かって手を伸ばし、後ろの男から逃げるように身体を捩らせ始めた。
電車では珍しくない事だが、男性しか詰め込まれていない車両では珍しい。加々知は直ぐに、彼が後ろの男から痴漢を受けているのだと気がついた。
泣きそうな顔をしている彼と男の間に腕を滑り込ませて、渾身の力で後ろの男の腕を掴み上げる。長身の加々知に上からぎろりと睨み付け、男は顔面蒼白になった。
「次、一緒に降りて下さいね」
痴漢をされていた男は、加々知に助けられて心から安心したようだ。潤んでいた目を細めて、ふうと息を吐いている。
駅に到着すると、加々知は痴漢の手首を握ったまま駅員を探した。大きな駅なので人員は多く、ホームを見回すと直ぐに見つかる。加々知は一緒に降りた被害者の彼に目配せをすると、顔を青くした痴漢の腕を引いて駅員の元へと向かった。
駅員に案内されて、加々知も目撃者として駅事務員室へと着いて行くことになった。男が男から痴漢に遭うのは珍しい事だが、駅員に自分が痴漢された事を憂鬱そうに告げる彼を見ていると、なんとなく彼が被害者になった理由が分かるような気がした。彼も背は高いが、加々知と違ってひょろりとしている。首など女の様に細い。それだけでなく、彼は話し方で分かる程、お人好しの匂いがした。痴漢被害に遭ったと言うのに、痴漢を恨んだり気持ち悪がったりしている素振りも見せない。ただただ、自分が被害に遭った事と、痴漢が自分を標的に選んだ事が信じられないと言った様子だった。痴漢をしても泣き寝入りをして終わりだと思われても仕方がない。だからこそ、加々知に助けられるまで、彼は良いようにされていたのだ。
駅員に痴漢を預けて、二人は事務室を後にした。
加々知が腕時計で時間を確認する。一応先に会社へは電話をしたが、これでは走っても間に合いそうにない。
難しい顔をする加々知を、痴漢被害に遭った彼は申し訳なさそうな顔で見つめていた。
「すみません、こんな時間まで付き合わせてしまって」
「ああ。いいんですよ。駅員さんも私がいたから貴方が痴漢被害にあったと信じてくれたみたいですし」
痴漢と言う単語を聞いて、男の表情が少し暗くなった。加々知は自分が酷い失言をしたのだと気付いた。
「
……
すみません、配慮が足りませんでした」
軽く加々知が頭を下げると、男は苦笑いをして手を振った。
「いや、悪いのはあの人ですし。全く、なんで僕みたいなのを選んだんでしょうね。でも、可愛い女の子が被害に遭うよりはいいのかな」
加々知は彼に何で男が標的にされたのか、思わず口に出しそうになった。痴漢されたばかりだというのにそんな事をっ口にするお人好しさが外見から滲み出ていたんじゃないですか、と。二度目の失言をしそうになっていた自分に気付き、寸での所で言葉を呑み込む。
携帯電話に会社の上司から電話がかかって来た。男に一言断って対応をする。事情聴取は終わったので直ぐ会社に向かうと告げると、加々知は通話を切って携帯をポケットに滑り込ませた。
「それでは私はそろそろ行きます。次から気を付けてください。そうだ、窓に背を向けて乗るといいらしいですよ」
そのままホームを去ろうとする加々知を、男が慌てて引き留める。
「あっ、待って。今度、是非お礼をさせてください」
「これくらいでお礼なんて
……
」
男が懐から名刺入れを取り出し、すっと加々知に手渡した。反射的に行先に向かおうとしていた身体を男へと向け直し、加々知も名刺入れをスーツの内ポケットから取り出す。名刺を交換し終えると、加々知は急ぎ足で会社へと向かっていった。
駅から会社に向かう道すがら、加々知は男から貰った名刺を確認していた。
「
……
シロサワさんですかね。聞いたことない苗字です」
彼の肩書きは製薬会社の薬剤師だった。聞いたことのない会社名だが、あの化粧とピアスが許されると言う事は、外資系なのだろうか。
加々知の元に白澤から電話がかかってきたのはその日の昼休みの事だった。
「あ、繋がって良かった。今朝はお世話になりました。ハクタクです」
一瞬誰の事か分からなかったが、声と不明の電話番号で誰だか分かった。朝に痴漢から助けた彼だ。
「お仕事中だったら留守電残そうと思ったんですけど、今は大丈夫ですか?」
「ええ。食後の一服中です」
受話器に当たらぬよう煙を口の端から漏らしながら加々知が答えた。
会社の入口にある屋外の喫煙スペースには、加々知の他にも喫煙者がぞろぞろといる。場所を移動したかったが、加々知は火をつけたばかりの煙草を惜しんでそこから動けなかった。
「今日のお礼の事なんですけど、早速今日の夜にでもどうかなって。明日、金曜日ですし。食事、奢りますよ」
白澤の声はどこか嬉しそうに聞こえた。今日痴漢に遭ったばかりだと言うのにお気楽な人だと加々知は少し呆れてしまった。
「お礼なんていいと言ったじゃないですか。あれくらいでご馳走になるなんて気がひけます」
「僕の気が済まないんですよ。それに、僕もう今日の夜の予定キャンセルしました。その人の分を代わりに食べてもらう、ってのでどうですか」
どうしてそうまでして食い下がるのか、加々知は理解できなかった。加々知の沈黙で白澤も怪しまれている事を察したらしい。
「
……
こんな事、初対面の君に電話で言うのもなんだけど」
白澤の声が重々しくなる。その沈痛な声音で、加々知は彼が電車で顔色を真っ青にして耐えていた事を思い出した。
「僕、いつもあいつに痴漢されていたんだ。君に今朝、助けてもらうまで。でも恥ずかしいから誰にも言えなくて、本当に、辛くて」
もしかしたら泣いているのかもしれないと言う程、白澤の声はか細くなっていった。それ以上を言わせるのは、加々知も心苦しくなった。
「分かりました、今日の夜ですね。私も予定を開けておきます」
「ありがとう加々知くん。君って、本当に優しいんだね」
白澤は待ち合わせ場所を今日加々知が降りた駅と指定して通話を終えた。
加々知は吸い終わった煙草を消すと、ぼうっとした面持ちで仕事場へと戻っていった。
今日会ったばかりの初対面だが、加々知は白澤に同情していた。男が痴漢をされた所で気持ち悪い位で、心に傷を負ったりしないだろうと言う考えが、今日の出来事ですっかり払拭される。白澤は非常に気の毒な男性だ。それこそ、痴漢被害にあった女性と同じくらいに。
しかし彼を憐れむと同時に、加々知はだんだんと痴漢した男の心境が分かるような気がしていた。白澤は男性だと言う事は分かっているのだが、彼には妙な色気がある。加々知の興味の対象は女性のはずなのに、彼と話している間、ずっとおかしな気持ちにさせられそうだった。碌に知らない相手に疑いもせず自分の過去を離したり、お礼と言って食事に誘ってきたり、ここまで来ると誘われているのだろうかと勘違いしそうになる。彼は純粋に感謝していて、自分にお礼をしたいだけなのだろうが。
恐らく白澤は、無意識に人を誑かす何かを持っているのだ。あれでは今日の痴漢から逃れられても、また別の男が加害者になってしまうだろう。加々知は、ここで出会ったのも何かの縁と思い、彼が自分の身を守る為に、自分に出来る事なら何かしてやろうと言う気になっていた。
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