sfaddict117
2022-12-22 21:38:52
5300文字
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いとしい予定調和

新刊収録作品#18※全年齢

いとしい予定調和

〈年齢操作有〉

 フラッシュバック。数年経って起こることも珍しくないって話だから、てっきりそういう類のものだと思っていた。
【終わった。釘崎と飯食って帰る】
 十四時二十六分、一級案件にしては悪くない時間だ。五時三十五分着【終わったら連絡しろ】の後に正しく表示されたことを確認してスマホをポケットに仕舞う。送信失敗に気付かずにいようものなら大変なことになる。不在着信十二件の履歴を見た時の戦慄はなかなかのものだった。
『終わったら連絡しろ』
 下手したら「おはよう」を上回る勢いで繰り返されるこの要求は俺たちが無事四年に上がって、夏以降ほぼ全ての任務に各々一人で出向くようになってからより一層顕著になった。
 別に、おかしな話ではないと思う。俺だって二人がどこでどんな任務に当たっているかは気になるし、遅くまで帰って来なけりゃ心配もする。
 だからまあ二ヶ月後、寮から出て三人散り散りになった時を思えば――そんでもって俺には前科があるから尚更、分からない話じゃなかった。
 ただ、それがあまりにも唐突で――誕生日に何が欲しいかと何気なく尋ねた、まさかその返事に同居を提案されるなんて思わないだろう、普通。

 ◇

――で、保留にしたまま二月になったって?」
 ハア~っと盛大に溜息をついて釘崎がフォークを口に運ぶ。パスタに絡みついた濃厚そうなクリーム色を見て、やっぱりそっちにしたらよかったと思った。
「『伏黒、最近機嫌悪いよな』って、アンタ、無神経も大概にしないとマジでそのうち殺られるわよ」
「デスヨネ……
 いつまで経っても煮え切らない俺に、伏黒は随分前から焦れている。いらいら、ぴりぴり。それでもメッセージは途切れない。自分が出張中だろうと、出先から時間と場所を聞き出して、一言。
「嫌ならさっさと断りなさいよ」
「いや別に、嫌ってわけじゃ」
「じゃなきゃその場で返事してるわ」
 半熟の卵がスプーンから滑り落ちる。俺、オムライスの卵は固焼き派なんだけど。とろとろでつやつやして、デミグラスソースに生クリームまでかかっちゃって。まるで別の食べ物だ。
……だって、さ。気に掛けてくれんのは分かるけど、そこまで? って気がしないでもないっつーか……これで一緒に住んだりしたら俺、そのうち取って食われんじゃね? それが若干不安っていうか」
 なんて、まあ、冗談だけど。と付け足したところで釘崎は一ミリも笑わなかった。残念、スベったか。
……ねえアンタ、まさか」
 その時、ポケットの中でスマホが震えだした。
「やば、伏黒かも」と慌てて受話器マークを叩いてスマホを耳に押し当てる。
 この半年ですっかり履歴を埋め尽くした名前は、言っちゃ悪いが苦手な字面と化していた。あの三文字が目に入るとなんだか心臓が落ち着かない。だから極力、見ないようにしてしまっていた。
 結果的に電話は伊地知さんからで、内容もただの業務連絡。緊急の任務でも応援要請でも「ちょっと。顔に出てるわよ」――認めよう。伏黒からじゃなかったら、それはそれでもやつくのだ。だけどその理由が俺にはどうにも分からなくて、そのせいで返事も決まりきらないというか、なんというか。
「あーあー、鈍い男って本ッッ当最悪。なによ、とっくに出来上がってんじゃ――待って、もしかして伏黒の奴、最初からこうなんの狙って……? コワッ」
……わり、何の話だっけ」
 伏黒はまだ任務中らしい。既読のつかない画面ごとスマホを閉じて、今度はテーブルの端に置く。結構手こずってんのかな。怪我してなきゃいいけど。
 さっき取りこぼした卵を掬って口に入れながら、何やら苦々しい顔をしている釘崎に首を傾げた。

 ◇

「誰が、誰を取って食うって?」
……え~っと」
 ちょ、釘崎さん? いくらなんでもそりゃなくね?
 買い物して帰るってのに荷物持ちを断るから、珍しいこともあるもんだと思いきや。
 ピコン。じりじりと壁際に追い詰められる中、縋るように視線を落とせば【対症療法。知らなきゃググれ】って、いや、分かるけど。それが必要なのって俺じゃなくてむしろ伏――
「悪かったな、不機嫌で」
……あー」
 逃げ場はない。伏黒はどんどん距離を詰めて、俺の顔の真横に手をつく。え、ちょっと、なんか――近くね?
「なあ」
――っ」
 長い睫毛に縁取られた目が、十センチもない至近距離で俺を見る。
『春から、俺と一緒に住め』――そう言ってのけたあの時と、同じだった。
……伏黒、ごめん」
 たとえば、さっきのオムライス。たしかに美味しかったけど、卵の具合もソースも、俺が好きなオムライスはあれじゃない。俺と伏黒の関係だって同じだ。これぞって距離感がちゃんとあって、それはこんな、熱っぽいやつじゃない。
「やっぱり俺、一緒には」
「おまえ、計算したことあんのかよ」
……へ」
 けいさん? と首を傾げた俺に「だろうな」と呆れた顔をして、伏黒はスマホを取り出すと電卓ツールを立ち上げる。壁ドン状態からはあっさりと解放されていて、促されるまま俺はその手元へ視線を落とす。
「学生向けアパートの平均家賃が六~八万円。初期費用として敷金、礼金、仲介手数料にその他諸々。仮に月八万円の部屋を借りる場合、不動産屋による違いはあるにしろ最低でも四十――大体六十万前後はかかると思っといた方がいい」
「ろくっ……!?」
「加えて家具に家電。こっから持っていけるもんなんざ精々細かい調理器具程度で、生活すんのに必要な家具家電一式ほぼ全部買い揃えなきゃなんねえ。冷蔵庫に洗濯機にベッド、それからスマホ。俺やお前のは高専からの貸与だからな。全部一人暮らし用、必要最低限のスペックで揃えたところでざっと二十~二十五万、細けえもん込みで三十万って考えとくのが妥当だが――それ、払う意味あるか?」
……って、どういう」
「オマエ、自分の部屋なんか使ってねえじゃねえか」
 電卓が閉じられる。暗くなった画面の上から「なあ、虎杖」とあの声でもう一度呼ばれて俺はどうしていいか分からず、ただ黙って伏黒の言葉を待つ。
「週末、金曜の夜から月曜の朝まで。オマエ一回でも自分の部屋戻ったかよ。俺の部屋から任務行って、帰って、火曜もそのまま」
「で、でも! 昨日と一昨日は」
「戻ったよな。俺が出張だったから」
 一昨日の夜。歯ブラシが無いって気付いて、コンビニに走った。厳密にはコップも皿も枕もなかったけど、別に二日ぐらいいいだろって――俺じゃない、伏黒が。
「つーかおまえ、来週から教習所通うの忘れてんじゃねえだろうな。その金も掛かんぞ」
「うっ!」
「車欲しいっつってたよな。家賃にプラスで駐車場代にガソリン代に保険代、そもそも車自体いくらするか考えたことあんのかよ。中古だってタダじゃねえんだ。車種は? 予算は?」
「う、ううぅ……
 最後に通帳を見たのは確かまだ半袖だった頃だ。朧げな残高に大体の給料を足して、なんとなくの出費を引いて――あまりの不確かさに青褪める。いや、いくら俺でも貯金が無いわけじゃないけど、先を見据えて堅実に、なんてタイプでは到底ないわけで。
「半額になれば全然違うだろ。浮いた分立地や広さに掛けられるし、家電だって良いやつ揃えた方がいいに決まってる。オマエ、今更一人分の買い出しして一人分の飯作る感覚戻せるか? 掃除や洗濯だって一人で全部こなすより分担した方が楽に決まってる。逆に何かデメリットあるなら言ってみろよ」
「な……ない……
「ねえだろ。じゃあ、」
「け、けど!」
……なんだよ」
 声を上げた俺を伏黒が見下ろす。いつの間にか地面にへたりこんでいた俺は、再び言葉に詰まった。
 今まで何一つ言い返せない俺が、ここに来てまともな反論なんかできるわけないのに。俺が何を言うか気が気じゃないって、伏黒の表情にはそういう、不安や焦りみたいなものが滲んで見えた。
……なんつうか、その……このままずっと俺のことで神経質なの、伏黒だってしんどいだろ……? 一緒に暮らすより、むしろ一回離れた方が」
「誰が神経質だ。勝手な解釈すんじゃねえ」
「履歴見せようか? ほとんど伏黒なんだけど」
……オマエ、伊地知さんから連絡来たろ」
「へ? 来たけど――あ」
 業務連絡。祓った呪霊の形態や数が事前情報と一致しているか、俺自身に怪我はないか。それから――
……今日は、ちょっと忘れてて」
「俺はここんとこ毎回、自分のついでにおまえの生存報告もしてる」
「マジ!?」
「伊地知さんも暇じゃねえんだ。一度に済んだ方がいいだろ」
 たしかに連絡は忘れがちだけど。だって一年からずっと、そういうのは伏黒がやってくれてたから――忙しいのか連絡つかない時もあるし、先に高専戻ればいっかって、それで結局忘れたままなのが常態化して「できればご一報いただきたいのですが」って、今日なんかは若干苦言を呈されたわけだけど。
「嫌ならおまえが改めろ」
 昼間送ったメッセージに返信はなかった。いつの間にか既読になって、それだけ。考えてみりゃ鬼電だって、映画観てて電源切ってたとかスマホ置いて出てったとか、そういう時で――あれ? なんだ、別に全然普通じゃん。
「帰ってくるって分かってりゃ連絡する手間も省ける。それにもうオマエが部屋に居るのに慣れた。……虎杖、オマエは違うのか」
「う……
「今更一人で住みたくねえ」
 伏黒も俺も、イメージじゃなく実体験として一人暮らしを知っている。世間がどんなに賑やかで、自分がどんなに寂しくても――凍えるような雪の日も、嵐の夜も。静まり返った部屋でたった一人で過ごす気持ちは高専に来たら忘れてしまって、今まで思い出すこともなかったけど。
……違わ、ない」
 昨日も一昨日も、鳴らないスマホを眺めては伏黒早く帰ってこないかなあって、そればかり思っていた。
「俺も、伏黒と一緒がいい」
 頷くと最近殺気立っていた仏頂面がようやく少し緩んだから俺はそれが嬉しくて、心臓は相変わらずどきどきしたけどもう気にならなかった。取って食われやしないって分かったんだ。そのうち収まるだろう、と。
「卒業まで時間ねえんだ。今から物件探すぞ」
「おうっ!」
 立ち上がって、先を行く背中を追いかけた。

 ◇

 蓋を開けてみれば貯金は思っていた以上にあった。だからといって同居をやめる考えに至ることもなく、伏黒の言った通り立地や間取りにこだわってそれなりの家電を揃えた結果、寮を出た俺たちは想像以上に快適な生活を手に入れた。
 だから、気付かなかった。というか、返事をしたあの日から毎日忙しくて――今思えば、それも狙いのうちだったのだろうか。俺の日常は伏黒と一緒にいるか任務に出てるかの二択で、一人で考える暇もなかった。
 フラッシュバック。伏黒は俺が死ぬのが怖くて、だから俺に執着するのだと、そう思っていた。けど、その一言で片付けるには無理があるって――違う、嘘だ。そんなんじゃないって、本当は最初から気付いてた。
 隣に入り浸りだったのは伏黒が来いと言うからで、俺がその頻度を疑問に思い始めた矢先「用ある時にいねえと面倒だ」と、伏黒は自分の部屋にDVDプレーヤーにジャンプまで備え付けて俺を黙らせた。報告書も授業の課題も一人でこなす奴が、寮に戻ってまで俺に用なんかあるはずないのに。いつしか夕飯は交代制になって、何かにつけて引き止められてはそのまま寝落ちするのが日常になって――俺が風邪引いたら迷惑だって、ベッドに引き摺り込まれた時はさすがに抵抗したけど「……嫌なのか」って、いつも偉そうなくせにやけにしゅんとするから何も言えなかった。実際二人だとあったかいし、男同士だからまあいっかってその時の判断が致命的で、あの時から据え膳だったと言われてぐうの音も出ないのが今の俺だ。
 落ち着いて考えてみりゃ伊地知さんへの連絡だって案外ちゃんとしてて、そもそも伏黒が俺の分まで連絡するって普通におかしな話だし、連絡する手間が省けるどころか不在着信記録は日夜更新を続けている。曰く、いつ帰ってくるか分からないと色々面倒だからって、もういい加減素直に心配だって言えばいいのに。
 俺たちは全然普通じゃなかったとようやく気付いたのは一緒に暮らし始めて二か月後、マジで取って食われる経験をした後の話で、釘崎には「嫌なら出てけばいいじゃない。嫌ならね」なんて会うたびに冷めた目で言われるけど、やっぱり同居を解消したいと切り出したところでどうせ上手く言いくるめられるに決まっている。スマホだって変わらず鳴るだろう。
 今夜もきっと、今から一歩浴室を出れば俺は向こうのベッドに引き摺り込まれる。まるで自分のものみたいに俺を呼ぶ伏黒をどうにも拒みきれないのだから、新しい暮らしと同様、俺はこの熱っぽい距離感にもなんだかんだ馴染んでしまっているのに違いなかった。