sfaddict117
2022-12-14 18:08:07
4892文字
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待ったは聞く、但し待つだけ。

伏誕小説2021/新刊収録作品#5※全年齢

待ったは聞く、但し待つだけ。

 武者震いという言葉を聞いたことがある。そんなふうに体が震えるとか、腹が痛くなるとか。そういやガキの頃は掌に人って字を三回書いて飲めばいい、なんて津美紀から聞いた話を結構長い間信じていた気もするが、つまりはそういう、何の根拠もない民間伝承が後世にまで伝わるほど、緊張状態というのは思考力も判断力も鈍っていて、結果バグを起こした脳が様々な身体諸症状を起こさせる、そういうものなんだと思う。なんて、それこそ何の根拠もないのだけど。
……でさ、いつまで経っても先生来ねえの。したら電話来て、急用思い出したから先帰ってるって。ひどくね? 俺二時間近く待ってたんだけど」
「最悪だな」
「先生ってばちっとも悪びれずに『自分で帰ってきてね~』って。その時点で十時過ぎてたし、俺完ッ全に先生のことアテにしてたから帰り方とかなんも調べてないし。つーか山ん中だし下手したら終電終わってんじゃねって、慌てて改札潜ったらスイカに六百円しかなくてさ。そん時はマジでめちゃくちゃ焦った」
 “その時は”なんて、まるで今は落ち着いているかのような物言いがおかしくて、確かになと相槌を打つ裏でそっと笑いを噛み殺す。夜の山で置き去りにされた時なんかより、今の方がよっぽど焦って慌てているくせに。
 断然腹が痛くなるタイプ、あるいは全く何とも無いタチだと思っていたが、虎杖の場合は口数が増えるらしい。コンビニで買ったカップ麺が大当たりだった話、期待して観た映画が難解すぎた話、最近高専の周りでよく見かける黒猫の話に、五条先生に置き去りにされた話。どう考えたって本能的な時間稼ぎだ。じゃなきゃ付き合っている人間と布団の上だなんて状況下で担任教師のトンデモ話を延々繰り広げるわけがない。
――で、ギリ終電間に合う感じで一安心したら、したらよ? 三つ前の駅で事故って運転見合わせ。え、これマジで帰れないパターンあるじゃんって慌てて泊まるとこ探そうとしたんだけど、先生に鬼電したせいでスマホの充電二十パーでさ」
「だから急に既読つかなくなったのか」
「そうそう。ラインしてる場合じゃなくなった。いやホント、周り何もないからね? マジで山。全然人いないし、駅出て二、三歩で真っ暗だし」
「普通に通信出来てたけどな」
「あー、なんか最近観光に力入れ始めたみたいでさ。駅だけは都会感満載なのよ。スイカも使えたし。……いやホント、あのまま先生と連絡取れなかったらどうなってたんだろ……つか先生最初なんつって俺のこと置いてったと思う? 『あ、あそこになんか良さげな店が」
「心配した」
「あるから、待ってて……って」
「何かあったのかと思った」
……心配、かけたのは、その……ゴメン」
「別に。いい」
 それきりぴたりと言葉が止んで、部屋の中が静まり返る。遠くで一度、足音と微かな話し声、それから扉の閉まる音がしただけで、他には何も聞こえない。というか、元より静かな場所なのだ。むしろ俺と二人なのに三人もしくは四人を彷彿とさせるテンションで延々喋り通せる虎杖の方が凄いというか、流石はムードメーカーという感じだ。たとえ今日のそれが全くの空元気だったとしても。
「なんだよ」
「い、いや。なにも」
 腰を浮かせて手を伸ばすと虎杖の体があからさまに強張って、素知らぬ顔で問い掛ければ先程までとは打って変わって、まるで戦闘中のような固い声を寄越した。
「何も……なんでも、ない」
 俺の動きに全神経を研ぎ澄ませて、まるで動物のようだ。しかし俺の目的が斜め後ろ、さっき自販機で買ったペットボトルだと気付くと、バレないとでも思っているのかほうと深く息を吐いた。
「で?」
 脱力したばかりの肩がびくりと跳ねて再び空気が張り詰める。居心地悪げに泳ぐ視線は絶対に俺と目を合わせようとしない。
「で……?」
「続き」
……あー」
 虎杖はぎこちない笑みを貼り付けて頬を掻く。
 調子狂うんだけど、なんて心の声が今にも聞こえてきそうで、正直、俺はかなり気分が良かった。場の主導権は完全に俺の方にあって、俺の一挙一動が虎杖を翻弄している。
「結局その後電車来て、どうにか帰って来れた。……つーか今思ったけど、次の日普通に朝会ったよな? だからまあ、置いてきぼりくらったって、それだけの話なんだけど」
「そうか。……それで?」
 虎杖の顔は困惑を通り越していっそ苦しげだ。疑問符をいくつも浮かべて、伏黒が何考えてるか少しも分からないって、そう書いてある。そんなもの、隅から隅までオマエのことしかないというのに。
「話題、山ほどあるんだろ」
……迷うな、何話そ」
 時計は二十三時を差していた。そりゃあ、欲を言えば今日中にしたいけど。だからといって急かすとか無理強いするとか、そんなことはしたくなかった。
 緊張してる。まだ心の準備が出来てない。怖い――黙っていたところでどうせ全部筒抜けなのだから、いっそ正直に言えばいいのに。俺が水を飲む間中わざとらしく視線を逸らしているのも、そのくせ俺の動向が気になって仕方がなくて、瞬き一つだって意識せずにいられないのも、全部緊張のせいだって。そうしたら、俺は。いや、俺がしてやれることは、どの道たった一つしかないのだけど。
……まあ、悩めよ。時間ならある」
 十二月二十二日二十三時、温泉旅館にて。
男の二人旅としてはこれ以上ない正しい距離感で並べられた二組の布団、その一方で向かい合って、もうすぐ一時間になる。
 無限に繰り広げられる世間話に相槌を打ちながら、俺は虎杖が腹を括るのを――俺に抱かれる覚悟ができるのを、静かに待っていた。

 二十二日、任務の後から翌日丸一日予定を空けておけと伝えたのは二週間前のことだ。ちなみに金は一円も出さなくていい、そう言うと虎杖は訝しげに首を傾げた。
「え、なにそれ。どっか行くの?」
「行く」
「どこ?」
「ここ」
……マジで?」
 スマホを差し出すと虎杖はぎょっとして、俺は予想と違わない虎杖の反応に小さく安堵した。
 “温泉旅館”“露天風呂付客室”――この字面に冷静な反応を返されては、逆にこっちが動揺してしまう。
「え、何? 任務の後行くってこと? 遠くね?」
「二時間あれば着く」
「あ、そんなもんなんだ……いや、でも。えぇ……?」
「なんだよ」
「や、すげえ綺麗なとこじゃん。年末近いし、めちゃめちゃ高いんじゃ……?」
「別に」
「別にって、いくらすんだよ」
「だから、大したことねえよ。素泊まりだし」
……うん?」
「飯は適当に食ってきゃいいだろ」
 虎杖は決して察しが悪い方じゃない。その日に泊まりで出掛けようと誘うことが何を意味するか、手放しに乗ってこない様子を見ると――いや、まだ半信半疑というところだった。
……とにかく、半分出すし、なんなら俺が奢るって。……誕生日、だし」
「いい」
「だから、なんで?」
……
「なあ」
……
「伏黒ってば」
「うるせえな。もう予約してんだ、黙って空けとけ」
「なんでキレんだよ……
 戸惑ってますと書いてある顔を掌ではたくと思ったより痛そうな音がして、案の定不細工な悲鳴が漏れた。しかし俺の意識は生々しい唇の感触にほとんど奪われていて、謝罪の言葉が出るはずもない。
「なんだよ、今日の伏黒わけ分かんね――
「体で払えってことだ、馬鹿」
 我ながら気持ちの悪いことを言っている自覚はあった。だけど「ゴメン、今月金無いから!」なんて、オマエが一番使いそうな逃げ道だけは潰したかったからと白状するのはあまりに癪で、かといって他に理由らしいものも浮かばないのだから仕方がなかった。
 虎杖の反応をそっと伺えば耳まで真っ赤にして固まっていて、その存外嫌そうじゃない様子に、俺は生まれて初めて誕生日が待ち遠しいと思った。

……やっぱ、もう、大丈夫」
 わかった、とぎこちなく頷いたあの時と同じように耳まで赤くして、虎杖は呟いた。
 唐突な宣言に俺は溜息混じりで赤らんだ頬に手を伸ばす。すると案の定虎杖の肩が跳ね上がった。
「どこが大丈夫だよ」
 呆れ半分に引っ込めかけた俺の手を、しかし虎杖が慌てて引き留める。
「い……いい、いいから」
「だから、どこが」
「っとに、いいんだってば……!」
 そうして、一瞬。視界に影が下りて、すぐにまた明るくなる。一瞬でも確かに残る感触に、意識より先に体が動いた。
「虎杖」
……っ、ちょ……今、ダメ……恥ずい……
 顔を隠そうとする手を払い退けてもう一度口を塞げばまた全身強張って、だけど俺は退かなかった。だって、大丈夫なんだろ?
 無遠慮に舌を捩じ込んでも意外なことに抵抗はなく、それどころかおずおずと背中に回された手が俺の浴衣を握りしめるから、俺の方は完全にその気になってしまって体中を熱いものが駆けていく。
 まだだ、まだ逃げ道を残してやらないと――早く早くと理性を蝕む欲望をギリギリのところで押さえつけ、なるべく丁重に押し倒す。すると虎杖は大人しくそうされて、あの嘘くさい「大丈夫」はまさか本当だったのか、考える余裕もないまま浴衣の合わせ目に手を伸ばす。
……オマエ、普通この状況で吹き出すか?」
 本当、心臓に悪い――小刻みに体を震わせて、泣き出したのかと思いきや、虎杖は吐息だけでくすくす笑っていた。さっきまでと一転、俺が不機嫌さを露わにしても虎杖は動じることなくひとしきり笑って、あーおかしいと涙まで拭う始末だ。
「や、なんか俺の方が誕生日みたいだなって」
「あ? どこが」
「だって、覚えててくれたんだろ。前に秘境行きたいつったの」
 温泉、それも電波さえ怪しいような山奥に行ってみたい――半分思い付きのようなその話は言われてみれば確かに記憶に残っているが、正直今言われるまで、というかさっきの置き去りの一件を聞いたって掠りもしなかった。
……別に」
 別にも何も、完全にただの下心だ。誰にも邪魔されず二人きりになれて、物音も声も気にしなくていい。季節的に温泉に惹かれはしたが同じような人間が山程いるのは明らかで、それでもダメ元で検索すれば偶然良さげな所が見つかった、それだけの話だ。とはいえ、風呂上がりに「これどうやって着んの?」と軽く羽織っただけの浴衣姿で首を傾げる虎杖を見た瞬間は、我ながら最高の選択をしたと思ったものだけれど。
 浴衣を握っていた指が緩んで、虎杖の手が背中に触れる。隙間なくくっついても布越しではもう満足できなくて、剥き出しの首筋に唇を押し付けると仄かな浴槽の匂いと直に触れた体温が腹の底を重くする。
――あと、伏黒今日ずっと優しかった」
「普段は違うみたいな言い方すんな」
「いやいや。あんな楽しそうに俺の話聞いてくれる伏黒、絶対レアでしょ」
 一時間前結んでやった帯を解くと「あ」と声を漏らして、しかし後を追うのは視線だけだった。耳だってまだ赤いままで、それなのに困惑の色は却って落ち着いた気がするから、なるほど根拠の無い覚悟でも口にすることは大事らしい。もしも“人”を三回飲ませていたらどうなっていたのか、なんて。
「案外余裕だな」
 嬉しいのが半分、不安が半分。天秤に乗ってゆらゆら揺れて、結局後者に傾く。それなのにむしろ迷いを煽るようなことを口にしてしまう俺は、ひょっとしたら虎杖以上に緊張しているのかもしれなかった。
……あの、さ。伏黒」
 曝け出した鎖骨に歯を立てると聞いたこともない声が上がって、なんだよとたった一言返事を寄越す余裕もないくらい、どこもかしこも熱くてたまらない。早く、虎杖の心が揺らいでしまう前に全部奪えと身勝手な本能が追い立てる。
……待っててくれて、ありがと」
 腕が首に回され、緩く引き寄せられるままにキスをすれば「伏黒、好き……」なんて蕩けた顔で言うのだから、俺はもう虎杖が愛しくて苦しくて、あと一秒だって我慢できなかった。