九夏
2015-06-14 14:15:59
2712文字
Public
 

ラブライブ劇場版のアレの話

自分が感じたまま書いてます

ネタバレになるから見てない人は閲覧非推奨






















穂乃果が飛び越えたのは何で水溜りだったのかな?と言うお話。
まだ2回目なのでところどころ記憶に間違いあればすみません。
本当に個人的な考えだし間違ってると思ってもそう強くつっこまないで頂ければ幸いです(弱腰)

冒頭のシーン。初回では?と思う事がありました。
水溜りを飛び越えようとするのは子供らしいものです。でも何で水溜りなんだろうなってふと思ったんです。

今まで穂乃果は廃校の危機などを乗り越えてきました。
それは水溜りと言うよりハードルや山など大きなものを越えてきたイメージです。
問題は解決するもので、心象風景のイメージならば分かりやすく壁をぶち壊すとかでも良い訳じゃないですか。
その疑問は後半に解消される事となりました。
それを障害として捉えてしまい、壊しても、乗り越えてもいけなかったんですね。

水溜りは、「μ'sへのファンや他の人からの期待・声」の表現だったんじゃないかなと私は感じました。

当たり前ですが、雨は降っていけばやがて水溜りになります。
μ'sの人気自体はラブライブ開催時の頃から徐々に積み重なって、水溜りの様に溜まっていって。
優勝、そしてNYライブの成功により、その水溜りは大きなもの。
まるで池か湖かという様な大きさにまで広がりました。
大きさだけじゃなくて、μ'sへの純粋な想いはとても綺麗で透明な水の様にすら見える。

でもそれは、μ'sはあの時におしまいにしようと決めたμ'sのメンバー、穂乃果自身の道にふさがる形として現れてしまいました。

穂乃果が目を閉じて描いた光景は、小さな花に囲まれて、合間にある細い道がなだらかに下っていき、そこに大きな水たまりがあると言うもの。
小さな花は穂乃果の中のμ's自体とか喜びとか輝きとか、そんな素敵な感情をもたらす出来事や記憶の象徴で。
道は穂乃果自身が進んでいる人生。
緩やかに下っているのは、別に人生がどん底とかそう言う意味ではなくて。
μ'sとしての穂乃果のおしまい、終着点への下り坂なんじゃないでしょうか。

おしまいの時点で下り坂が終わり、またμ'sとは違う新しい道が開けていくはずだったのが……
気付けば大きな水溜りが出来ていた。
それを目の前にして穂乃果は立ち止まってしまう。そんな感じに私には受け取れました。

水溜りをどうするのか。結果は見てる皆さんご存知の通り穂乃果はその先へと飛び越えていきます。
ここで、今回の映画で何故わざわざ穂乃果の未来の姿を模したかの様な新しいキャラクターまで出したのかが分かった気がしたのです。

道と水溜りのある世界は穂乃果自身の世界、心です。
そこにμ'sのメンバーをそのまま出しても良いじゃないですか。
水溜りを一緒に飛び越えたり、穂乃果が水溜りにはまってしまった時助けてくれたり。
いっそ冒頭のシーンの様にことりと海未が見守って声を掛けるなんてのも有りだったのかもしれません。

でもこの世界は穂乃果の世界。他のメンバーには他のメンバーの世界、心と考えがあります。
そこでの行動に答えを出すのは、穂乃果自身でなくてはいけなかったのかなと。
その穂乃果自身を導くのは、立ち止まって思い悩みどうしようとなっている今の穂乃果自身ではまだ力が足りません。

結果、穂乃果にとって大切な物、気持ち、思い出を全て内に持ち合わせている――水溜りを飛び越えた先に居る未来の高坂穂乃果的な存在が、穂乃果を導く存在として、分かりやすく形として持ち出される事になったんじゃないかなと。
「大丈夫、飛べるよ。あの時の様に!」

小さい頃の穂乃果も、見守ってくれる幼馴染の存在があったから水溜りを飛び越えようと頑張れたと思います。
でも、結果的に飛べたのは、飛び越えてやる!と言う想いよりも。
聴こえてくる音楽に目を瞑り、リラックスして楽しい気持ちで飛んだから飛び越えられたのではないでしょうか。

あの時に聞こえてきた音楽が今の穂乃果なら何であるのか考えれば、スクールアイドル、μ'sそのもの、そしてメールの絵里ちゃんの言葉が明確にしてくれています。
「私達はスクールアイドルが好きだから」

限りある時間に輝くスクールアイドルのμ'sが好きだから。その気持ちのまま飛んで、穂乃果は立ち止まったままの状況を変化させました。
ファンの期待や声を飛び越えて、更に次のスクールアイドル達へと繋ぐ為の道に進んでいったのです。

未来の穂乃果っぽい彼女の存在がなくとも、穂乃果は自分の内で考えて、絵里ちゃん達の声を聞いて結論を出したのだと思います。
今回の話の象徴として彼女は存在したのかなと。
私は彼女が居てくれたおかげで考えや心がすとんときたのだと感じました。

結局、水溜りは飛び越えられてしまいました。
水溜りを汚す事無く、でも触れる事無く飛んで行ってしまった穂乃果達。
この行動は水溜りをないがしろにしているでしょうか?
穂乃果達がどんな想いで飛び越えたのかは、一期・二期、劇中でも通して感じられると思っています。

穂乃果達が沢山沢山考えて悩んだ結果を、水溜りは見上げて何を思うのか。
人それぞれここはだいぶ異なるんじゃないでしょうか。

劇場版見終わった後、自分がふわふわした気持ちだったのは私の気持ちの遥か上を飛んでいった皆への想いがごちゃ混ぜだったからかなと、ようやく考えがまとまってきました。
考えをまとめる為にこうやって書いてる所もあるのですが。
声を上げて、応援して、追いかけても……その先にもうμ'sが居ないのは率直に寂しいですよね。
でも、最後のライブを見れば彼女達の選択を受け入れたい気持ちもあります。
そんな気持ちが入り交じって、上手く感想が出ない訳ですよ。
ともかく凄い作りだったなとしか表現できません。
とりあえずは水溜りの部分周辺の個人的な考えをまとめてみました。
まとめないと想いが広がって溢れすぎてつらいです。うっ。

穂乃果似のシンガーが実在していたのか、未来の穂乃果が目の前に現れた的なファンタジーなのかは自由に捉えて良いんじゃないかな。
その辺りは色んな方の意見が出まくってるので割愛します。

素敵な作品をありがとうございました。
大好きなラブライブをもっと大好きになって、その気持ちは終わらせる必要はないのだと思います。
また何度も見に行きたいです。