伊坂
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サーバルキャットのアイスくん3

サーバルキャットのアイスくん・1 →https://privatter.net/p/9812392
サーバルキャットのアイスくん・2 →https://privatter.net/p/9843304
サーバルキャットのアイスくん(しんどいアイス編) →https://privatter.net/p/10033409
サーバルキャットのアイスくん・2.5 →https://privatter.net/p/10055063

※最終話です



 サーバルキャットの『アイス』はアイスではなかった。
 南アフリカのサバンナで生まれて、独り立ちしようかというところで人間に捕まった。
 母を、兄弟たちを守れたのは偉かったろうか。別に偉くなかったかもしれない。もっと自分の脚が速ければ。もっと自分に危険を回避する能力が合ったなら。兄弟たちを救って、自分も無事で居られたかもしれないのに……

 サーバルキャットの『アイス』は、サバンナではほとんど無敵だった。そのときはまだ『アイス』と呼ばれることはなかったが、木登りしてトカゲを捕まえたり、熱砂の中に潜むネズミを捕まえたり、捕まえたネズミの大きさを兄弟たちと競ったり、毎日が楽しく、無敵だった。飛び上がって蝶々を捕まえることもあった。前脚ではしっと捕まえることもあったし、動きの鈍い蝶の場合は、そのまま口で迎えに行っておやつにすることもあった。長い手脚を使って、湖沼の水面近くを泳ぐ魚を捕ることだってできた。
 その頃、サバンナは少し不穏だった。砂で霞んだ空の向こう。羽ばたかない、機械の鳥がたまに飛んできては遠ざかっていく。ジープという、機械の心臓を積んだ人間たちの乗り物もよく出入りしていた。『アイス』はそうした騒々しさや、金属の匂いを煩わしく思いながらも、食料が豊富なこのサバンナを離れる気はなかった。昼間は葦の葉でこんもりとした湿地に潜み、寝たり起きたりを繰り返しながら世界が薄暗くなるのを待つ。顔や、耳が、夕暮れの色に染まりだしたら、楽しい狩りの時間の始まりだった。
 その夜はいつもと違って、『アイス』は狩りに出るべきか否か少し迷った。なまぬるい風に乗って、嗅ぎなれない、よくない匂いが漂っていた。『アイス』は大きな耳をピンと立てながら水場へと向かい、そこで二種類の足音を聞いた。道具の音。話し声と思しき空気の震え。人間たちが来ている。すぐ近くまで、人間たちが猟にきている!
 抜き足、差し足で『アイス』は水場の様子を窺い、身を低くしながら歩きだした。なぜって、水場を駄目にされたら、自分たちの生活はままならなくなるからだ。平気で湿地を焼く人間たちだ。平気で水場を独り占めする人間たちだ。アイスは岩陰から水場を見やって、同じように警戒心を露にしながらもそこへ向かっていく弟たちと妹の姿を見た。気をつけろ。人間がいるぞ。姿を隠して俺たちを狙っている!

 サーバルキャットの『アイス』の四肢は、発砲の音と同時に動き出していた。夜の空気を破裂させる、針のような音。よく音を拾う耳が、音のした方向を向き、跳ね返ってきた反響音までも拾う。左耳が勝手な方向に向くのを忌々しく思いながら、『アイス』は水場へ駆け出していた。兄弟たちは動揺して、弾むように身をひるがえしている。『アイス』は疾駆しながら、人間たちの狙いが自分たちサーバルキャットなのだとわかった。夜行性の自分たちが動き出すのを待って、水場に狙いを定めて銃口を向けていた。連中の狙いは自分たちの毛皮なのだ!
 『アイス』は闇の中で目を凝らした。自分ができることは何かと考え、知恵を絞った。紫と藍がまだらに交じり合う空を猛禽類が飛んでいる。自分に翼はない。天空に逃げるという道はない。疾走したところできっと人間達は自分か兄弟たちをしとめるまでこのエリアを出ていかないだろう。どうする? どうすればいい!
 二発、三発と響く銃声の音に、『アイス』は一か八かの賭けに出ることにした。怪我をして、うまく立ち上がれないふりをした。人間が二人、何かを話しながらこちらへと近づいてくる。『アイス』は息を殺して後ろ脚に力を込めた。二人とも来たか……。そう、おそらく猟にきている人間というのはこの二人。連中はおそらく、『アイス』が被弾したと思って油断して近づいてきているはず……

「お、おい! でかした! 無傷だぞ!」
「じゃあ何だ、生まれつき足が悪い猫か」
「すごいぞ。麻酔銃を持て。生け捕りにしよう。毛皮で売るよりずっと高く売れる!」

 サーバルキャットの『アイス』はびっくりして、びっくりしたときにはもう遅かった。敵がまさか敵意を持たずに近づいてくるとは思わなかったのだ。害意を向けられたその瞬間、飛び掛かって仕留めてやろうと思っていたのに。ちくっとした痛みが腹部に走り、網のようなものをかけられる。人間たちは何やら興奮した様子で『アイス』の毛並みの美しさを褒めていた………。四肢の感覚が遠ざかり、死ぬのではないかという恐怖に背中の毛が逆立つ。逃げろ、走れ、と命令するのに、体はぴくりとも動かない……

 次に目覚めたとき、『アイス』は檻の中だった。そうして出会ったのが、トム・アイスマン・カザンスキーだ。線のような光が差し込む暗闇で、「猫がいる」と彼は不思議そうに呟いた。「生きてるか?」となめらかな声で言い、「どうするかな」と困ったように言った。季節はずれの雨の色のような目を輝かせ、「マーヴェリックならどうするか」と笑った。
 『アイス』は鳴けなかった。
 甘えるような声を持っていなかった。
 四肢が、自分の思い通りに動くことに安堵し、目の前の人間をじっと凝視した。
 男は一度、倉庫のような空間を去り、そして飲み水を戻って檻の前に戻ってきた。
 三日後、なぜか『アイス』は『アイス』と名付けられ船乗り猫になっていた。

 つまりサーバルキャットの『アイス』とは、『アイスマンが拾ってきた猫』の略だった。
 トム・アイスマン・カザンスキーは飛行機乗りで、ある空域を監視するために、空母という巨大な船に乗ってインド洋にきていたのだ。『アイス』はソマリアという国の貨物倉庫でアイスマンに見つかって、敵勢力の資金源とならないために回収されたと、そういうわけだった。

「おい、どうして置き去りにしなかった?」
「普通に重火器の箱だと思った。生きた猫が混じってるだなんて誰も思わないだろ」
「俺に嘘ついたって意味ないぜ? アイス」
……マーヴェリックならどうするかと思って」
「へぇ」
「『エイリアン』ってわかるか? 映画の」
「ああ、そういや猫が出てくるな」
「あいつ、なんでか人間と同じくらい猫を心配してハラハラしてたなって。急に思い出して
 トム・カザンスキーはサーバルキャットの『アイス』の頭をなでながら、隣に座る男とそんな話をしていた。深い緑色の上下に身を包んだ二人。マーヴェリックとはこの場にはいない、二人の友であるらしかった。
「命拾いしたな、猫」
 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。
 サーバルキャットのアイスは、この人間たちが軍人という種類の人間であることを理解し始めていた。どうやら毛皮にされる運命は免れたのだろうということもわかった。多分、あの格納庫とかいう暗闇に置き去りにされれば数日後には餓死していた。だから、トム・カザンスキーという男が、命の恩人であることには間違いがなかった。
 空母、エイブラハム・リンカーンの中は広くて快適で、『アイス』は、なぜか多くの乗組員たちに歓迎され、まるで仲間の一員であるかのような待遇を受けた。倉庫にネズミがいたということで呼ばれることもあったし、ネズミを捕まえて、何か果物を貰うこともあった(ネズミも食べた)。
 後で知ったことには、船乗りに猫は縁起物らしい。砂漠の嵐作戦以降、偵察、警備飛行の連続で、リンカーンの飛行士たちは疲弊と緊張と退屈を抱えていた。『アイス』は自由に跳びはねて狩りができる陸地が恋しくて仕方なかったが、同じように故郷が恋しい軍人たちと甲板の上で夜風を浴びるのは悪くない気分だった。
 拾い主であるトム・アイスマン・カザンスキーは、「レンジャーが通る」と暗い海の向こうを見つめながら言った。「あっちの船にマーヴェリックがいる」と。そして、「いつか会わせるやる」とも。
 夜目がきく『アイス』の目には、通り過ぎていく丘のような船を見つめるトムの表情が本当によく見えた。
 ヘルメットの帽体を握って海を見つめる彼は、今すぐにも駆け出したい恋猫の瞳をしていた。

 サーバルキャットの『アイス』はアイスではなかった。
 おそらくは毛皮にされるため人間に捕まり、なぜか空母猫を経て、トム・アイスマン・カザンスキーの猫になった。
 小さな顔に、豹柄の体毛、長い手足。
 すこし丸みを帯びた三角耳は、危機や好機を間違いなく捉えるレーダー。
 草原だろうが、砂漠だろうが、この足は想いよりも早く駆けることができる。
 目の色は飼い主と同じ薄氷のブルー。
 好物は鶏肉。卵やエビ、カニ。甘い果物も好きだ。あとは蝶々。トカゲを追いかけておやつにすること。あとはそう、少し前からこの家で暮らすことになった、マーヴェリックも好きだ。
 マーヴェリック。飼い主であるトム・カザンスキーのお気に入り。僚機というらしい。一生を伴にする存在。嫁のようなもの。離れているときも相手のことを想い、そして共にいるときは身を寄せ合って愛し合う。黒毛の人間で、『アイス』をブラッシングするのがトムよりも上手かった。宝石のようなきれいな目の持ち主で、いつもとてもいい匂いがする。これがマーヴェリックかと思った。トム・カザンスキーという男を、ただの恋猫にしてしまう男……
 
「いいなぁ。俺も空母猫してる『アイス』を見たかった!」

 冷凍庫から氷菓を出した彼は、黒い猫がじゃれついてくるのを上手いことを躱しながらソファに腰を下ろした。
 長いまつ毛が頬に影を作る。脇の下から、黒猫がぬるっと顔を出してマーヴェリックの手元を覗き込む。
「アイスだ!」
 そう言ったのは『リブ』だった。マーヴェリックと『アイス』が砂漠で拾った山猫。『アイス』が最近夢中になっている存在。
 退屈していた『アイス』は、『リブ』とマーヴェリックが楽しそうに見ている紙切れを見て驚いた。そこには少し若いトムがいて、同じように少し若い『アイス』がいた。
 リンカーンの甲板や船内で撮られた写真がそこには散らばっていた。

「俺の隊もリンカーンに配属されてたらなあ」とマーヴェリック。
「レンジャーだったな」と眼鏡をかけたトム。
「リンカーンのそばを通り過ぎるとき、俺、レンジャーの甲板からそっち見てたよ」
「俺も見てた」
「へぇ……
「ずっと好きだったんだ」

 ゆっくりとトムが近づいてきて、ソファには影が落ちていた。
 眼鏡をはいだトムがマーヴェリックの頬を撫で、唇に口づけを落とす。
 『アイス』はほとんど特等席といっていい位置から、その優しい口づけを見守っていた。
「いいな! おれも船に乗ってみたい!」
 写真を覗き込んでいた『リブ』は、そう言って振り返ったのに飼い主二人が「ちゅー」をしていたものだから、あれまという顔をして顔を下げた。
……ははっ」
 トム・カザンスキーが、咽ぶように笑いだして『アイス』の頭を抱き寄せる。
 アイスが二匹並んでいるのが可笑しかったのか、同じように笑いだしたマーヴェリックとリブが愛しくて、サーバルキャットの『アイス』は幸せな気分のままごろごろと喉を鳴らした。


(おしまい!)





(最後までお読みいただきありがとうございました。この猫のシリーズは加筆とか修正して一冊の本にまとめたいなと思っています。書籍版には、サーバルキャットのアイスくん2.5の『寝室編』が8000文字くらい、そしてサーバルキャットのアイスくん4という1000文字程度の短いおまけSSが付く予定です!)





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