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伊坂
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ストア派の天使(痴話喧嘩/サイマヴェ)
#M右ワンドロワンライ様より お題「痴話喧嘩」で書きました。一週間後もまったく同じ内容の喧嘩をしていてほしい。笑
「サイク!」
オーバーサイズのパジャマの上だけ。
上だけを羽織って現れたマーヴェリックに、サイクロンは微笑んだ。
「マーヴ」
と、それは穏やかに。
でも正直なところうまく微笑めているかはわからない。
何せ目の前にいるマーヴェリックは、何かのミッションに挑むかのように眦を吊り上げ、サイクロンのことをこれでもかと敵視していたので。
「きみとはもう終わりにする! もう駄目だ。僕と別れてくれ
……
」
な ぜ。
晴天の霹靂とはまさにこのことだ。
ついさっきまで
……
、数時間前まではあんなに愛し合っていたのに?
サイクロン。つまりボー・シンプソンは四か月かけてようやくこの手にした、可愛らしく美しく堅牢な男を見下ろして、柔らかな寝ぐせを湛えたブルネットにそっと口づけを落とした。ふあふあの髪に顎がこすれて気持ちがいい。これぞ朝の至福である。
いや、何故?
髪にキスをされたことに気づいたマーヴェリックが、やめろ駄目だと言うようにサイクロンから距離を取る。目の前の恋人のことを、深く深く愛している目で。
「
……
は?」
台詞と表情がまるで合っていない。というか、別れる、と言いながら着ているのはサイクロンのパジャマだし、だから袖が余り気味だし、下着は穿いているようだけれど両脚は丸出しだ。起き抜けの、ただただ可愛い恋人の姿。いつもと違うのは、恨めし気な表情と、真一文字に結ばれた唇だけ。
でもそれだってサイクロンのことを憎んではいない。
こちらを憎んでいない恋人を、どうして憎めるというのか。
ピート・マーヴェリック・ミッチェル。伝説で現役のアヴィエイター。
貫く者。空を浴びる者。
したたかで、でもとてつもなく不器用でもある人。
ヘーゼルの瞳は部屋の光を取り込んで青と黄色のグラデーションを描いている。
撫でたくなる眉毛に、頬の高いところは光を反射してぴかぴかと明るい。
唇に力をこめているせいで、心なしか頬がむうと膨れて見えるのが可愛らしい
……
。
心当たりならなくもなかった。
正確に言えば、目の前のマーヴェリックが、(はっ、こうしちゃいられない)とばかりに足踏みをはじめ、右往左往のお手本のようなことをやってのけ、おそらくは洗顔のために、洗面所へと向かっていくのを見て(もしや)と思った。
キッチンの置時計は『9:47』。
日曜日の、それは穏やかな9:47だ。
つまりーー、つまりだ?
起きたいと告げていた時間に、サイクロンが起こさなかったことを、この可愛らしい恋人は怒っているのでは
……
。
「イ~~~ッ」
そんな奇声が洗面所から響いたかと思うと、今度はパンイチ姿の彼が自室のクローゼットへ向かい、出てくる。黒の、アディダスの、ジャージ姿になって。
というか、イ~~~ッて何だ。初めて聞く声だ。こんなドタドタと落ち着きのない足音も初めて聞く。まるで玄関の向こうにスクールバスが来ていて、ププーッと三度目のクラクションを鳴らされているかのよう。
サイクロンは何度かのまばたきのあと、(何だ
……
)という気分になって作りかけのフレンチトーストに向き直った。
卵液しみしみのフレンチトースト。
熱が通ってふわふわのフレンチトースト。
あとはマーヴェリックが、天使のようなマーヴェリックが「走ってくる!」と声を掛けてくるのを待てばいい。駄目押しでコーヒーも落としておこう。ヨーグルトにブルーベリーの実を散らしたものも。
「さて、朝食が出来たが」
サイクロンには確信があった。
マーヴェリックはただ恐れているだけだ。サイクロンという、この年になって出来た恋人に、甘やかされるままに甘えて自分が変わってしまうことを。
「き、きみは悪魔だ
……
!」
「そう、ストア派の天使を堕落させることの、なんと楽しいことか」
首にタオルをかけ、腕にスマートウォッチを嵌め、ダイニングを通り過ぎようとしたマーヴェリックは、恐ろしいものでも見るようにサイクロンを見、食卓を見、そしてサイクロンを見た。
嘆くような表情で「できたてのフレンチトーストだ
……
」と呟いた。
「淹れたてのコーヒーも」
「
……
うううう」
「君のために作ったのに、君は走りに行ってしまうのか?」
「
……
うううう」
マーヴェリックの唇は、サイクロンの目の前で耐えるような形になっていた。きゅっと結ばれ、赤くなったり白くなったりを繰り返している。困り眉のなんと可愛らしいことか! 今が勤務中で、ここが執務室でなくてよかったと思う。
柔らかそうなそこはーー、実際とても柔らかくて、そこに仕舞われている舌に舌を重ねると、サイクロンは全身で感嘆の吐息を上げるようになる。『昨夜』もそうだった。マーヴェリックは覚えていないかもしれないが、『今朝』もそうだった。
六時にセットされていた寝室の電子時計は、確かに仕事をした。その音にマーヴェリックは一度起き、マーヴェリックを抱いていたサイクロンも薄っすらと目を開けた。
『うぅん
……
、う~ん
……
?』
アラームを止め、だけれどもベッドでもぞもぞとするマーヴェリックは初めてではなかった。寝起きの頭で、肌ざわりのよい温もりを求めて、タオル地の枕カバーが頬にこすれて気持ちいいままに身体を寄せてくる。けれどマーヴェリックがそうして微睡の間にあるのは五分かそこらで、今朝もそうかと思われたのだが
……
。
自分ではない誰かの足の甲が、するするとふくらはぎを撫でていく感覚。
うっとりと柔らかく身をよじりながら、マーヴェリックは目の前にある物体
――
サイクロンに頬ずりをしてきたのだ。
ああーー。なんて甘美な。
額と額がくっついて、吐息と吐息がくっついて、眠気と眠気がまじわりあう
……
。
『エンジェル
……
?』
『はぁ
……
、んん
……
、サイク
……
?』
思うがままに体をこすりつけあうのは恍惚の境地だった。
内股に滑り込んでくるマーヴェリックの腿の感触。
油断しかない素肌を、愛する人の素肌に愛されている感覚。
甘えるようなマーヴェリックの声に、サイクロンは目の前の身体をゆっくりと抱き寄せた。そして目を閉じたまま満足そうにしているマーヴェリックに、優しく、柔らかく、うっとりと囁いてやったのだ。
『可愛いピート
…
。もう少しだけこうしていたいと言ったら
……
?』
『うん? うーん
……
? そうしようかな
……
。あと、いちじかんくらいなら
……
?』
『七時に起きる?』
『うん
……
、そう
……
、そうしたい
……
。きみの身体がきもちよくて
…
、ふぁ
……
、だらく、しちゃうよ
……
」
なまぬるいベッドの上。ゆったりとした恋人の心音。
サイクロンは「ふふ」と低く笑いながら、マーヴェリックに自分の唇を埋めた。唇はマーヴェリックの唇から少し離れたところに落ちたが、すぐ口端にたどり着いて、正しくいつものキスになる。
『堕落したらいい
……
。そのほうが都合がいいよ? 私には
……
』
『んぅ
……
、じゃぁ、あと、いちじかんだけ
……
』
かすれた応答があって、互いの吐息が寝息へ変わっていく。愛しい人。大切な人。ずっと自分の腕の中に収めていたい人
……
。
『サイク
…
? 一時間して、僕が寝てたら
…
、ちゃんと起こしてくれよ
……
?』
寝落ちる間際、そんな言葉を聞いたような気もするし、聞けていなかった気もする。
シーツをすべる腿
…
。
重なり合う胸
…
。
すべてが心地よくて、何も考えられない
……
。
『ハァッ?!』
そしてマーヴェリックは飛び起きた。枕元の電子時計は9:45。どう見直してもサンフランシスコ標準時9:45だ!
そんな! 一時間だけと言ったのに!
起こしてと願った恋人もいない!
日課のワークアウトがあるのに!
マーヴェリックとしては、裏切られた気持ちだったのだろう。せっかくの休日なのに、もう四時間も時間を無駄にしてしまった!
一応言っておけばサイクロンは7時きっかりに目覚めて、眠っているマーヴェリックを起こそうかとも思った。けれどあんなにも安らかに、あんなにも心地よさげに眠る恋人を揺すり起こすなんて無理な話だったのだ!
勤めを忘れて、安息の吐息をこぼす天使とは、こうも愛らしく美しいのか。
にっこりと微笑み、枕を抱かせてやり、毛布をかけ直してやってそっと寝室を出た。そして今に至る。
「私としては君と朝食を食べて今日一日を始めたいが」
「食べるよ! 君が作ってくれたフレンチトーストだもの!」
「ありがとう、完璧な休日の始まりだ」
「言っておくけど二度目はない! 次からはちゃんと起こしてほしい!」
「もちろん」
サイクロンは思う。恋人のためにうやうやしく椅子を引いてやりながら。悪魔のように目を細めて。
二度目はないだと? こっちの台詞だ!
普段からあなたの始末書にどれだけ時間を無駄にさせられていると思う。
それをわかってもらうためにも、これは次も『ちゃんと起こさない』でやろうと心に誓うサイクロンだった。
波箱はここから
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