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伊坂
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あなたはオーボエ(フェニとマーヴ)
フェニックスの話を聞いてあげるマーヴが書きたかっただけ。フェニにお姉さんがいるという捏造があります。CPなしのつもりだけど、最後らへんル→マ。笑
「ドの音が少しずれてる?」
ひとりごちた言葉を、そのまま繰り返すように問いかけてきたマーヴェリックに、フェニックスは「はい」とどこか面喰らいながら頷いた。
まぶしい人だ。
感心するような、不思議がるようなヘーゼルの瞳がまぶしい。
フェニックスはだんだん、逃げるように視線を下げ、それから店の中央にあるバーピアノを眺めるべく顔を上げた。
肩を弾ませ、鍵盤をたたくブラッドリー・ブラッドショー。
フェニックスの視線を追うように顔を上げたマーヴェリックが、ふっと顔を綻ばせたのがわかった。
背中に目などついていなかったけれど。わかる。わかるものだなとフェニックスは静かに微笑する。
ただでさえまぶしい人が、ふんわりと薄い雲を纏ったように穏やかになったから。とてつもない人だ。こんな人が小さな頃から自分を甘やかしていたというのだから、ルースターの精神力には恐れ入る。こんな人に甘やかされ、可愛がられ、肯定され、願書を抜かれた。
フェニックスの脳裏に、プロミネンスを纏うようだったルースターの瞳がよみがえる。黒々とした日食中の太陽。暗黒の球体から、赤い炎がにじみだすのをフェニックスは確かに見たのだ。
あんなにも正しく、憎しみという感情を発露させる人間を初めて見た。
知らなかったのだ。穏やかで明るく、粘り強く優秀なルースターしか自分は知らなかった。
どうなるんだろうと思った。マーヴェリックを強く憎むルースターに、自分が出来ることなど何一つ無かったから。
「全然わからない」
と、マーヴェリックは呟いた。
フェニックスの肩越しから。ご機嫌に腕を交差させて黒鍵を叩いているだろうルースターの背中を見つめて。
曲はさきほどから『猫ふんじゃった』だ。
即興的に、どんどんアレンジが加わっていく『猫ふんじゃった』。
これはピアノに寄りかかっているアメリア・ベンジャミンのリクエストに応えての選曲なのかもしれない。
「絶対音感とかいう?」
ハードデックは少し前に開店したばかり。マーヴェリックは上唇についた泡を、ぺろ、と舐めながら問いかけてくる。
「いえ、私は持ってません。ただ姉がああやって、パブリックピアノのずれてる音に気付いて、オクターブ上の音を使いながら演奏していたことがあったなって
……
」
「お姉さん?」
「ああ、ほらまた。ルースターの奴、ドだけ高いほうのドを使ったでしょう? 今」
「言われてみれば?」
てっきりアレンジの一環だと思ってたよ、とマーヴェリックは呟いて、ビールグラスの内側についた泡をのんびり眺めている。なんだか変な気分だった。相手は上官で、しかも伝説級のアヴィエイターで、二回りも年上なのに、どこか女の子を口説いている気分になってくる。頬杖をついて、ぷに、と盛り上がっている頬が、少女を見ている気分にさせるのだ。
「五つ上に姉がいるんです」
だからこれは。
フェニックスにとって「甘え」だった。ちゃんと自覚のある「甘え」。自宅のカウチに身を沈めるような、お気に入りのブランケットを手繰り寄せるような。そんな、くつろぎを求めての雑談だった。仲間にも、友達にも、誰にも話したことのない胸のうち。
「ああ、お姉さんが絶対音感を?」
「そうです。姉はずっと音楽の道で、今もオーケストラの楽団員を」
「それはすごい。楽器は何?」
「ヴァイオリンです。大佐。オーケストラの音合わせってわかります?」
「演奏の前に、みんなが音を出しているあれだろう?」
「私、あれがすごく苦手で。すごく不気味な音に聞こえてしまって」
フェニックスは懐かしむように言った。語り始めてしまえばとんとん拍子だ。
あれはまだ自分が小学生の頃。姉はすでに子どもオーケストラに所属していて、明るく、礼儀正しく、リーダーの器だった。溌溂としていて、情熱の塊で、人一倍真面目で、負けず嫌いで。
今でも思い出せるな。
両親と共に姉の発表会に出席したときのことだ。
履きなれない靴を履いて、よそ行きの服を着て。
何か、緊密な空気に圧倒されて、自分がいていい空間なのだろうかと不安になって。そうしたらはじまったのだ。オーケストラの音合わせというものが。
前兆。そう、前兆というもの。
オーボエの低音に、あらゆる弦管楽器の音がからみついていく。忍び寄るようで、縋りつくようで、それが幼い自分をとてつもなく不安にさせた。ずれているような、そうでなく合っているような。わからなさに恐怖して高揚した。これが前兆。答え合わせがないままにぴたっと止むのもなんだか怖かった。ぴたっと止んで、そして始まる。大いなるものが現れる。
それは何か、とてもぼんやりとした『覚悟』だったと記憶している。
私は一生、姉には敵わない。
だから姉を追わない。姉を恐れない。憧れないまま、憧れていよう。
「言われてみれば、どこかおどろおどろしい音だもんな」
「大佐もそう思います?」
「うん。そういう本格的なオーケストラとか久しく行ってないけどね。そうだった気がする」
「私、姉の言う合奏の快さというのが、全然わからなくて
……
」
姉のヴァイオリンの音はいつまでも耳に残って、それは現実に聞こえているものなのか、ただの余韻なのか、時々判断が下せなくなった。その幻聴めいた美しく豊かなひびきに囚われていると、世界に置いていかれる気がした。秋になり、冬になり、半袖のまま冬の原っぱに佇まされているような寒気。
親は自分にも音楽を学ばせたかったようで、でも習い始めたピアノは続かなくなって、代わりにダンスをはじめた。身体を動かすのが楽しかった。体育の時間も。
勢いをつけて足を伸ばして、狙い通りに身体が動くことの感動。この自分を動かしているのは、他の誰でもなく自分なのだという充実感。自分の決定権は、自分が握っているという鮮やかな発見。
自分に、同年代の他の子どもたちと違ったところがあったとすれば、それは『自分を動かしているのは自分』という大発見が、すでに強くあった点だと思っている。
そしてその大発見は、音楽を愛する姉や両親たちから、自分一人がそっと外れる、ということを意味した。
「
…………
」
マーヴェリックはただ瞼を開け閉めして、甥であり、教え子であり、それ以上であるルースターの背中を見つめ続けていた。目は彼を見つめながら、けれど聴覚は、すべてフェニックスのほうに向けている。フェニックスが話しやすいように。フェニックスが甘えやすいように。
きっと、音楽を続けていたらわかったのかもしれない。わかって、途端に歓迎されて、音楽というものにのめりこむ瞬間がきたのかもしれない。自分だけの快さを手に入れる瞬間が。語り掛けるまでもなく、手に入れたばかりの快さを合奏で共有できるような体験が。
一人で音を出して、旋律をさらうだけでは得られないもの。
他人と音を合わせることで、たちまち大きな感動になるもの。
姉におとずれた、その、泣きたくなるほどの感動が、自分にもおとずれるのかという不安から音楽を選ばなかった。逃げて、一人になろうとした。選ばなかったのに、姉は気高く自由で優しかった。
「僕もいまだにわからないよ」
「大佐も?」
「周りに合わせるという感覚が、乏しいんだと言われてきた」
「でも」
「うん。でも君とボブが僕の後ろを飛んでくれて、必死に、奇跡を奏でようとしてくれたことは、僕の一生の財産だ」
フェニックスは、あ、と思い出す感覚に、目を丸くしながら「オーボエ
……
」と呟いた。
マーヴェリックが目をしばたたく。
「オーボエ?」
「『あなたはオーボエ』
……
」
姉が言った言葉だ。
兵学校へ願書をしたためる自分のところへ現れて、あなたはオーボエ、と姉は言った。オーボエが好きなの。オーボエのために音を合わせるのが。オーボエは構造上、当日の音程調整ができない。ヴァイオリンのように弦の張り具合で音を調節したり、クラリネットのように樽を抜いて音を調節することができない。でもそれが好きなの。オーボエのあの、神秘的なラの音を前に、みんなが心をそろえるのが好きなんだ。
合わせられない自分に、離れていく自分に、姉は優しく、手を添えてくれたのだ。背中を押してくれた。合わせられない楽器もあって、だけど私は、オーボエが好きなの、ナターシャと。
「???」
急にオーボエと言われて、きょとんとしているマーヴェリックに、フェニックスはあはっと声を上げて謝った。すみません大佐。私にとっても財産ですよ。勿論ボブにとっても。
そうか。
これがそうか。
姉におとずれた、誇らしいほどの感動。
他人と力を合わせることで、信じ合うことでのみ発動する魔法。
そうか。いつのまにか、自分も合奏ができるようになっていたんだな。誰より息が余って、誰より息が苦しくて、だけど、信じる仲間たちのために飛び続ける。そういうことができる自分になっていた。
「ねえ大佐。今度の日曜日、空いてませんか?」
「おいちょっと! 何マーヴ口説いてんだよ!」
「ルースター! ドの音がずれてたんでしょ?」
「ああ、よく気づいたな。いやそうじゃなくて! フェニックス!」
「一応ペニーに言っといたら?」
「それならアメリアに言っといた。じゃなくて、何マーヴ口説いてんの?!」
音楽が止んで十秒ちょっとの出来事。
駆けつけるのが早いなと思って、フェニックスは自分とマーヴェリックの間にルースターの席を作った。
こっちには背中を向けていたはずなのに、フェニックスが笑い声をあげた瞬間に演奏を切り上げてやってきたのだ。
少し前にフェニックスが受けた報告なら、『許さないけど、愛してるって言ってやった』というものだ。それ以上のことはまだ知らない。そんな憤然とした告白があるんだって、驚きつつ笑った。
「やあ、可愛い演奏をありがとう、ルースター。フェニックスのお姉さんの話を聞いてたんだ」
「へぇ、姉貴いるんだ? てかマーヴを誘うなら俺を通してもらわないと!」
「いや、いや、なんでだ坊や」
「今後の休暇は可能な限り俺と過ごしてもらうって言っただろ? どんだけ無駄にしたと思ってんだよ!」
「
……
、重いよルースター」
「「「ボブ!」」」
相変わらず、ステルス機もびっくりな性能でフラリと現れたボブに悲鳴が重なる。
「遅れました。お姉さんの結婚式の話だね?」
「そう。実は日曜日にサンディエゴに来て式を挙げてくれんの。私が地上にいるうちにってね。ボブは来てくれることになったから、大佐とあんたもどうかなって」
「ええっ? そういうことならマーヴと行くよ! おめでとう!」と、ルースター。
「おめでとう! って、僕もか? ええ
…
? 問答無用なのかい?」と、マーヴェリック。
「重
…
」と口にしたボブに、「激重
…
」と声を合わせて肩をすくめ合う。
もうじき、カランカランと鐘が鳴って、ハングマンやコヨーテ、ペイバックやファンボーイ達も姿を見せるだろう。
いつのまにか、たぶん合奏の快さに近い何かを体験できている自分に気づいて、微笑むマーヴェリックに、フェニックスは照れ笑いを返した。
『あなたはオーボエ』
(あんまカプ無しって書かんのですが、なんか、フェニとマーヴで話をしてほしくて、それだけの話でした)
波箱はここから
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