そばかすが嫌いだった。跳ねた泥が肌にこびり付いたようで、洗っても擦っても落ちない。雲霧街にいた頃の暗くて、寒くて、虚しい生活を思い出してしまう。
けれどあの日、孤児院を抜け出した夜。迎えに来てくれた彼がくれた言葉は、私の人生と彼への想いをいとも簡単に変えたのだ。
背丈が彼を追い越し、独り立ちをすることが決まって、やっとこの気持ちを伝える勇気が持てた。
先に待ち合わせ場所へ着いた私は、そわそわして何度も時計を確認してしまう。
「ニナ、お待たせ。」
心地よい旋律のような声が耳に入ってきた。
ロビン、私の大好きな人だ。
優しい微笑みは、まるで絵本に出てくる王子様のように穏やかで、出会った頃と全く変わらない。つい魅入ってしまって言葉が出てこない私を見て、彼は控えめに肩を揺らしている。好きが零れ落ちてしまいそうで、ぐっと胸をおさえた。
「お店、開店前なのにごめんなさい。」
「ううん。寒かっただろう?ホットティーを貰ってきたんだ。まだ暖かいよ。」
小さなベンチ、ロビンが隣に腰掛けると肩が触れる。寒さを感じない、熱病にかかったようで、彼が手渡してくれたカップに口をつけながら静まれと自分に言い聞かせた。
「ニナ、明日発つのだろう?...不安かい?」
「ううん、ロビンとレイモンドの紹介だから。」
「そっか。...うん、大丈夫。ニナは器用だし、小さなことにもよく気が付く。なにより可愛いから、誰もが君に優しくしたくなってしまうだろうね。」
ロビンはずっとこうだ。いつだって私を喜ばせるようなことを言ってくれる。新天地への不安なんてどこかへ飛んでいってしまいそうだ。雇い主が気さくな人で、とか。近くで採れるあの果実が美味しい、とか。ひとつでも心配事がなくなるようにという心遣いが、彼が私のことを考えてくれている事実が、たまらなく嬉しい。
「...好き。」
ロビンの話が止まって少ししてから、ようやく自分の口から出た言葉に気が付いた。本当はもっとちゃんとするはずだったのに。どこが好きとか、いつから好きとか、どのくらい想っているかとか。全部、ぜんぶ。
もう一度しっかり息を吸って、宝石のような瞳を見つめる。
「ロビンが...好きなの。」
ロビンはゆっくりと瞬いた。そして自身に巻いていたストールを取ると、私の首元にふわりとかけくれた。彼の香りと温もりが伝わって、鼓動が早くなる。
「私もニナのこと、大好きだよ。」
それはきっと他の人ならこれ以上ない嬉しい返事に聞こえるだろう。だけど私は、彼をずっと見てきた私には、分かってしまった。
普段通りの柔らかい笑顔、普段通りの穏やかな声、それは何一つ特別なものではない。彼は誰にだってそうだ。人にも、動物にも、自然にも、とても大切なもののように言葉を紡ぐ。時が巻き戻ったような錯覚に陥る程に、出会った頃と何も変わらない。
彼の半分しかない背丈、そばかすを気にして、下ばかり見ていた子供。彼の私への気持ちはそこから動くことはなく、きっとこれから変わることもないと解ってしまった。
「……ありが、とう…。」
「うん。私も、ありがとう。」
鼻の奥がツンとして、咄嗟に上を向いた。先程まで薄く白いでいた空は濃く暗くなって、もう夜がやってくる。
そのうちひとつ、ふたつと星が見えた。
「…そばかす、汚いって言われないかな。」
もう嫌いだとは思っていない。ロビンのおかげで好きになれた。私にくれた言葉を、彼は覚えているだろうか。
最後にもう一度聞きたいというわがままくらい、叶えてくれないだろうか。そんな気持ちでやっと発した言葉を、彼は優しく拾い上げた。
「言われないさ。」
ロビンは立ちあがると、私の前で唄うように呪文を唱えた。手のひらを合わせて、そして開く。
彼の手から光が生まれて、ゆっくりと空へ上がっていった。眩しいけれど温かい陽だまりのような色。
私はそれを追いかけるようにただ見つめていた。
「ニナは、まだ気にしていたんだね。」
「…っ」
彼が指を弾いた。すると空に昇った光が弾けて、無数の粒が落ちてくる。時がゆっくり流れているような、不思議な感覚。
店仕舞いをしていた露天商や、たまたま居合わせた通行人が手や足を止め、感嘆の声をあげていた。
「まるで星空のようで...とても綺麗だ。夜だけでなく、昼だって君の顔には星空が見える。なんて美しいのだろうと私は思うよ。」
一言一句変わらない。私にくれた魔法の言葉。それだけでいい、もうこれさえあれば私は生きていける気がした。
頬に光が触れる。じんわりと彼の優しさが染み込むようで、とても甘い夢を見ている気持ちになってしまう。
「ありがとう、…私もそう思う。」
本当は、貴方だけの星空になりたかった。
その言葉は次に好きになる誰かのために取っておくことにする。
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