ざぁざぁと雨が降り、深い霧が漂う島。暗い暗い、森の奥。びしょ濡れの身体。彼はまた、仲間のために実家の歴史と向き合うことになった。
「はるか昔、この島が偉大なる航路に海流で飛ばされる前、この島は北の海にあり、ジェルマの被害にあった」
訥々と静かに語るは、こちらを恨むような顔をした島長と名乗る老人。島についた時、別の島民が船をこちらにとめるように誘導している間に、霧の中から声をかけ、森の奥まで誘導してきた。だから、仲間に一瞥する暇なく、姿を消すことしかできなかった。女の島民と一緒にあからさまにこちらに殺気を向けていたから、気づいてしまった。
「島の人々は痛みにボロボロになり、我々は恨みを抱いた」
「……それをなぜ、おれに聞かせる?」
「お前が、ヴィンスモーク家のものだからだ」
女に弱いがバレていた。そして、仲間に弱いもバレていた。料理人はぎゅっと唇を噛みしめる。
「竜骨のそばには、爆弾がある」
「!」
「お前の仲間たちには、上陸すれば爆弾を破裂させると脅した」
そしてがんじがらめにされていく。また、大嫌いな、決別したはずの実家に縛られていく。
「覇気を使ってもいい。お前がこれを食い尽くせば」
目の前に置かれた塊には、見覚えがあった。
「はるか昔、この島の救世主が吐き出した島民の痛みをおれたちの前で食い尽くせば」
そして、霧の中と茂みの中、周りに巣食う気配は、殺気、蔑み、怨嗟。マイナスの感情でたっぷりと囲まれてしまえば。
「お前の船と仲間は助けてやる」
優しい彼はもう、逃げられなくなってしまった。
「……約束しろ」
おれはもう、関係ないと叫んだところで、船が、彼らの家が殺されるのなら。
「あいつらとサニーに手を出さずに、そこでじっと見てろ」
彼の背のに倍はある、肉球型の痛みの塊を、受けることには、何一つためらいはなかった。
「あぁ、約束するとも。だから」
そして、島長はさらに調べ上げていたことを告げた。
「手から、痛みを受けろ」
彼が手を、大事にしていることも、とっくに調べ上げていた。
「わかった」
だが、彼は躊躇いなく手から伸ばした。
「仲間と船に、手を出すな」
再三繰り返し、大きな大きな痛みの塊に、容赦なく触れた。
肉球が弾けるように、彼の腕を痛めつけ、やがて全身まで広がり、痛みをきつく押し付け始めた。
――――――
「どうした、ヴィンスモーク」
光がほとばしる。痛みが、彼に吸い込まれ、あちこちに傷口を広げていく。
理不尽に苦しめられたであろう、島民の痛み。
痛い。痛い。痛い。身体中が救難信号を発している。
覇気で防いでも、体が軋むように痛い。
けれど、料理人はいくら痛みを食らっても、悲鳴をあげなかった。
「悲鳴をあげてもいいんだぞ」
島長が煽る。けれど、料理人は歯噛みして黙ったまま、全身を痛みに漬けて、くらい続ける。紅がぽたぽたと、脚を伝い、大事な腕が覇気で防いでも悲鳴を上げ続ける。痛いと示した顔は、衝撃と金髪で隠れて見えない。
――痛いって声に出して言ったら。
瞳を半開きにして耐える、
――悲鳴を、漏らしちまったら。
彼の頭には一つしなかったから。
――みんなが、ここまできちまう。
サニーが傷ついたとしても、サニーが行けと背中を押して、きっと彼等はここまで来るだろう。
するとどうだろう。この痛みの塊は、理不尽にこの島に残り続けてしまう。
――ようやく、この忌々しい塊がなくなるわ。
島民の声が嬉しそうに響く。ただ、料理人は島民を喜ばせようとしてこれを受けているわけではない。
――見ろよ、あいつの苦しそうな様子。
――自業自得よ。顔も見たいけど、見えないわね。
嘲笑が響くのが、耳に届く。誤った嘲笑。彼はジェルマではないのに。彼はもう、決別したのに。歴史が逃がしてくれない証拠。
けれど、彼は沈黙したまま、それをもまとめて食った。
――おれが。
彼が、痛みに顔を揺らがせながら、これを受け続ける理由は。
――これを、おれが全部食い尽くしたら、
そう、ただ1つだけ。
――仲間も、守れて、おれのせいで仲間を狙われる理由が、また1つ減る。
仲間のため、ただ、ただ、それだけ。
――だから。
痛みの塊は半分ほど、彼の背丈近くまで減った。頭の中を必死に無にして、彼は淡々と無言で、残り半分と痛みを受ける。
――だか、ら……。
痛いとも言わず、受け続ける。もう、周りも何も見えなかったし、見なかった。
耐えることにひたすら集中する。
頭から溢れ出した紅が、瞳を染めたから。雨粒が混じり紅が溜まりになっても、腕が下がりたがっても、彼はそれがなくなるまで、ひたすらに、食らい続けただろう。
「……!」
だが、大きな手にぐいっと体がひかれた。痛みの塊に浸かっていた体が、引きずり出されていく。なぜ、どうして。邪魔をする。まだ、食いきれていないのに。
「っ!」
料理人はとっさに手を伸ばした。痛みの塊に、手を伸ばした。
けれど、それすらも、止められた。
「よこせ」
息散らす身体。既にボロボロの伸ばした腕を受け止められた。料理人は食い尽くすのに夢中で気づかなかっただけだ。
「コック」
剣士の登場に、気づかなかっただけだ。
状況は、変わっていた。島長は、謎の音が村から聞こえてそちらに向かって、消えていた。蛇に睨まれる蛙のように固まり、戸惑う島民が残る、森の中。
なぜ、どうして、やつがここにいると言わんばかり。
「痛ぇだろ」
仲間の助けをもってここに来た、剣士。
ただ、今はそんなことを言わなかった。
そんな事を言っても、目の前しか見えてない料理人には届かない。
「……てめぇは前に、クソデケェの抱えたろ」
料理人はそちらを向かず、淡々と言った。受け止められた大切な腕を話とともに逸らそうとした。
「はなせ」
だが、馬鹿力。それだけでなく想いの力が乗っかって、全く動かない。
「あれは、おれだけが抱えなきゃいけなかった」
剣士はきっぱりと言った。なぜ料理人が知っているかなど、回りくどいことは聞かず。
「これは、てめぇだけが抱える必要ねぇやつだ」
「……っ、なんだよ、それ」
「だから、もう退いてろ」
剣士は料理人をさらに引っ張った。痛みから、逃がすように。ようやく、彼の視線がこちらを向いた。
「おれが、後はもらう」
剣士は、その塊に腕を突っ込んだ。もうわかっていた。これごと無くさないと、無理やり引き離したとしても、料理人は。
「っ、渡さ、ねぇ!」
きっと、船には戻らない。
「離れろ」
「うるせ、ぇ」
喧嘩をするように体を差し出し、引き合い、残りの痛みを奪い合う。
「はなれ、ろ!」
「うる、せぇ!!!」
想いを声に出す。体は、ボロボロになる。
けれど、先程よりも、きっと料理人の痛みはましだっただろう。
「ッ……」
痛みの塊は、ついに塵と消えた。
残るはぜぇぜぇと息を吐き散らす、身体二つだけ。
「……わる、かった」
「あ?」
「余計なの、負わせた」
剣士に吐き出された言葉は怨嗟ではなく、素直な謝罪だった。痛みの塊は、消えた。ここまできたなら、仲間たちもきっと大丈夫。
もう、終わったのだ。料理人の中では。
だから、剣士に対して謝罪をすれば、この件は終わった。そのはずだった。
「おい」
視界がぐらと揺らぎ、倒れ込む身体、1つ。ボロボロになったのに、受け止める身体、1つ。
ばかにするなと、体を引く。
自己完結するなと、体を引く。
目を合わせろと体を引く。
剣士の中では、何一つ終わってやしない。
「痛ぇか」
だから、意識喪失に逃さなかった。
「痛ぇか、って聞いてる」
彼は料理人の本音も苦しさも、一つも聞いていない。ただ、残りの痛みを半分肩代わりした。
たった、それだけ。
だから、料理人が負っている痛みを、少しでも吐き出させないと気がすまなかった。
「っ」
料理人は、唇を揺らし、抵抗した。言ってやらないと示そうとした。
けれど、半分の半分でも、痛みを分かち合ったなら、もうばれていたのはわかっていたから。
「……痛ェ」
ついに溢れだした、言葉一つ。
「痛ぇ、よ……」
そして、ふうっと失った意識。
「そうか」
剣士の静かな声。
馬鹿にするでもない、むしろ当然と言わんばかりの、一言。
やがて、赤い瞳がギロと光る。
「約束が違うぞ、ヴィンスモーク」
そして、それを狙う身体、1つ。
慌てて呼び寄せられた島長は証拠を見て、今更苛立ったようにスイッチを握りしめる。
「お前だけが痛みを食らうのが」
サニー号に仕掛けた爆薬のスイッチを握りしめる。剣士は一瞥すらせず、傷ついた料理人を抱えあげていた。
「お前だけが、嘲笑われるのが……!」
その指がスイッチにかかる。ぐっと押せば、終わり。
「当然の歴史なんだ!」
かちりと乾いた音が、本当は響くはずだった。
「許さねぇぞ」
振り返れば、冷たい声。拳の鳴る音。
「おれの仲間に、あんな重くて痛ェもん押し付けて」
「ひ」
「勝手に当然とか、歴史とか、決めつけて」
もう、止まらない。麦わら帽子の下の、剥き出しの瞳。
「ただで、済むと思うなァ!!」
拳の音、一度。刹那で仕留めると、そちらは見ずに身を翻す。
「……ゾロ」
船長は、剣士の方に近づいた。
「サンジは」
「生きてる」
「痛ぇって、いえたか」
「言った」
「……そうか、ありがとうゾロ」
船長はふっと笑って、傷だらけの二人を、ぎゅうっと抱きしめる。
「痛かったな」
そのたくましい腕には優しさだけしかのっていなかった。
「……半分の半分でもいてぇ。あんな理不尽な塊」
剣士は船長が料理人を抱えやすいように自身の姿勢を変えた。
「なのにこいつは、おれよりも食らってるのに」
そして、気を失って倒れたままの料理人を持ち上げ、
「最後まで、痛ぇと言わなかった」
気に食わないと言わんばかりの口調の中に、料理人の優しさを認めながら、最後まで一緒に抱えてやる。
「あぁ、だから」
船長は瞳をギロリと向けた。痛みの塊が消えてなお、つけ狙うような気配。まだ、怒りはおさまっていない。
「これ以上、痛くするのは、許さねぇ!!」
覇王色の覇気がぶわりと敵をなぎ倒す。しかし、理不尽な復讐と悪意に暴れ狂う集団は、船という人質を失ってなお容赦なく料理人を狙ってくる。
「ゾロ、まだやれるか」
「やる」
勿論それを許さないのが、二人だった。料理人を背中に寝かせて、拳を鳴らして、刀を光らせて。たち塞ぐように、鋭く眼光をむき出しにした。
「覚悟しろよ」
覇王の覇気が溢れ出し、敵を寄せ付けない。刃が鋭く剥いて、理不尽な島民をなぎ倒した。
「これ以上、こいつに」
「痛みは、負わせねぇ!!」
島民たちは今更、震えた。
過去に聞いていたジェルマたちは理不尽な理由で島民を痛めつけたと聞き、邪魔だから、忌々しい歴史だからという理由で塊をヴィンスモーク家の息子に処理させようとぶつけ、そのざまを見つめて嘲笑った。自分たちに実害は今までなかったのに。
しかし、今、この二人は、仲間を痛みに染められた怒りのみを拳と刀にのせて、吹き飛ばしている。
どちらが、正当だろうか?言わずとしれた。
そんな理性が復讐の歴史に狂った島民にあったのなら、別だろうが。
この島の理不尽な歴史は、終わったことは確かだった。
―――――
「サンジ、だめだぞ。寝てないと」
「いや、でも」
「そうだぞ!まだまだ聞け!おれさまの作戦を!」
「あんたのだけじゃないでしょ」
目を覚ました途端、開口一番、謝罪をした彼。
だが、彼らは、逃さなかった。
どうやって仲間が彼を助けに行ったか、彼に仲間たちは滾々と聞かせた。
航海士が霧をさらに濃くして、船長と剣士を行かせただとか。考古学者が体を生やして、仲間がいるふりをさせたとか。船大工と狙撃手がサブマージで爆弾を探しただとか。音楽家と船医が揺動している隙に、操舵手が船を動かしたとか。
決して、彼を犠牲にさせないと大きく示した。
「わかったな」
「……わかってるよ」
「ぜったい、お前だけ痛くしたりしねぇからな!!」
「ん……」
船長が料理人に対して、追撃のように言いたいことを言っている。料理人はそれを聞きながら耳にタコができたように困った顔をしていた。しかし、仲間たちのことが愛おしいと思っている顔も、見せていた。
「けっ」
剣士はそれを横目で見ながら、囁いた。もう料理人に対しては話はつけていたから。そんな余裕とともに、少しだけ口元を緩めながら、こっそり包帯をほどいて小さく欠伸をしたのだった。
「あ、おいチョッパー、マリモが包帯ほどいてるぞ」
「あ!?何こっち見てやがるアホコック!」
「ゾロ!だーめーだーぞ!」
「サンジ〜!人の話はちゃんと聞け〜!」
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