19歳の料理人の記憶にあったのは、夕暮れの街からの帰り道ら森の中に入ったところまでだった。後は、きっと疲れて眠ってしまったのだろうと思う。街までかなり遠かったから。
だからか、夢を見た。奇妙奇天烈と言わんばかりの夢を。彼は、この夢から早く覚めなければならない。夕食の用意をしなければならないから。空腹の仲間たちの、胃袋を満たさなければならないから。
―――――
奇妙奇天烈な明晰夢だとすぐにわかったのは、この夢の出来事が2週間前に類似しているからである。彼、いや、麦わらの一味は、そのときに空飛ぶ船を目撃した。ゴツゴツとした岩に乗った船。巨大な金獅子をつけた船。金獅子のシキの船である。
なぜ船が空を飛ぶかは、よく知っていた。彼のフワフワの実の能力によってだ。そして、金獅子は先程自慢げにこの島について紹介したところ。
「ここは、メルヴィユ!」
冒険好きの海賊にはうってつけの島だ、と。
しかし、奇妙奇天烈と枕詞がついている訳は、2週間前と大きな違いがあるからだ。
「航海士はもらったァ!!」
その言葉とともに不意をついて筋肉隆々の腕に拘束され胸元を揺らしたのは、麗しい航海士の体ではなく。
「あ……っ!?」
「サンジィ!!?」
「あのバカ!!何を」
桃色のシャツを体に羽織った、テンガロンハットの細身の野郎。つまり、料理人自身だった。仲間たちは当惑に叫びながら落ちていく。
「離せ、こんのクソ野郎!!」
彼は守られるべきレディではなく、彼は守るナイトだ。落ちていく仲間を眼下にし焦りながらも、すぐに捕らえられた体を動かそうとたくましい腕の中で身を捩る。体は動く。頭も動く。だから、さっき、航海士と呼ばれたことをそのまま流した。夢の中ならば、2週間前の航海士が苦しんだ状況を思いのままに変えられるかもしれない。
「なんだ、暴れる気か?」
だが、その腕は固く、強かった。ぐぐっと、せり上がり皮膚を弄りながら、首元をくっと抑えたかと思えば。
「…か、は……」
どすり、と腹に鈍い痛みがはしり、瞳がぐらと揺らいだ。不意をつかれた重い拳。いつもなら耐えられるのに、意識が遠ざかっていく感覚がする。
「サンジっ!!!!!」
金切り声が響くも、意識は落ちていく。ならばもしかしたら、ここで、夢から覚めてしまうのかもしれない。
「ジーッハッハッハ!それでいい!」
「サンジ君っ!!」
ここが夢の中とはいえ、彼のために叫んでくれる航海士と息を呑んでくれた考古学者、そして、その他が、このあと無事でいてくれるように願いながら。彼はふうと瞳を閉じ、敵の腕の中に簡単に攫われていった。
→
「……ん…、っ」
「クァー!くぁーっ!」
隻眼を開ける。聞き覚えのある声。仲間たちが空腹に食をねだる声ではなく、金髪をくりくり揺らすような音だ。
「ここ、は……っ、て」
「クァッ!?」
「……ちげぇよ。てめぇのせいじゃねぇ」
夢の中なのに痛いという感覚があるのを不思議に感じながら、料理人は視界を動かす。透き通るようなプール。プールサイドの椅子の下に彼は転がっていた。頭にあったテンガロンハットは、目の前の鳥、2週間前に彼らとともに戦ってくれた鳥、ビリーがかぶっていた。そして、
「……これ、は」
そばにコロンと転がっていたのは、橙色の音貝だった。つん、とくちばしで頼んでもないのにビリーが突く。遊んでいるつもりなのだろうか。
『おい!もうすぐ嵐がくんぞ!』
聞き覚えのある声、いや、自身の声に料理人は瞬きする。
『進行方向、反らせ!!』
近くで監視電伝虫が睨みをきかせているから料理人は声を出せなかった。けれど、ぱくりと煙草をくわえ、納得した様子で紫煙を吐き出す。夢の中なのに、こんなに彼がさらわれる根拠となるものを用意してもらえるとは、なんと親切なことだ。
そして、今更その右腕に、記録指針が嵌っていることに気づいたのだった。
――夢の中のおれは、ナミさんのフリをしたんだな。
心のなかで納得して、一服終える。ともすれば、こっちは。
「お前は?」
「くぁーっ!」
やけに嬉しそうな様子を見せるビリー。バタバタ暴れて説明してくれたが、彼にはてんでわからなかった。彼が理解出来たのは、ビリーを庇って気絶してしまったことくらいだ。夢と現実の間の夢の話なんてものがあるのはややこしい。さすが、夢だ。
「クァァ」
「…大丈夫だ、もう突くなよ」
麗しの航海士もここに連れてこられたと仮定すると、どこかに出口があるはずだ。彼はあたりを観察する。もちろん、抜かりなく、監視電伝虫に餌をやって夢中にさせてから。
「……ん?」
こぽこぽと泡立つプールの水に気づき、ぴくりと眉が揺れる。大きめの排水溝。プールの水が逃げる先。ならば、自身も逃げられるはずだ。
「くあっ」
音もなく水に飛び込むと、ビリーもついて来た。どうやら、料理人を乗せてくれるようだ。排水溝を除け、一旦息を吸いに地上に顔を出す。
「頼むぜ」
息を止めて、料理人はビリーの柔らかな毛をその白い手でぎゅうっと抱きしめる。ビリーは決意した顔で泳いでいく。その排水溝の水の強さに逆らいながら、彼は息を止め続けた。
―――――
「てめっ!!ナミさんにもこれしたんだろ!!!焼き鳥にすんぞごらぁ!!」
「くぁーー!!?」
ひどい目にあった。料理人は今さきほどビリーをしばいた後だった。息を止め続けた先の湖に飛び込んだ挙げ句、敵に襲われかけて電撃を浴びさせられたのだ。水中だろうとあれくらいなら蹴り払うことくらいできたのに。
「ったく、でも、ま」
どこかしょんぼりした顔のビリーに、ため息混じりに彼は笑った。
「ありがとよ」
「クァー、クァー!!」
「それはやめろ」
抱きついてこようとしたビリーにはきちんとストップさせてから。雷が来ないその足を掴んで、空へ舞う。
「ここは……」
独り言ち、周りを見る。森だらけの島。2週間前、彼が落ちたのは春島だった。ならば料理人のかわりに航海士が春島に落ちているのではないか。あの島は乱暴な獣が多かったから、大丈夫だろうか。きっと夢の中だから大丈夫だろうが、夢の中だろうと、彼は彼女に傷ついてほしくはなかった。
「……サニーは、無事か」
料理人はほうっと息をつく。視界に、彼らの船が目に入った。傷ついてはいるものの、無事だ。つかの間、大きな土煙が見えた。
「サンジー!!?」
「いぃっ!?」
料理人は目を丸くした。サソリやらライオンやらに大量に追われる船長が、こちらに気づき、向かってきたからだ。
「ったく!!トラブルメーカーが!!」
腕まくりし、敵を蹴飛ばす前に、またビリーが飛び出した。バチバチとした雷が、目の前の敵をもあっという間に焼きつくす。
「うぉぉぉぉ!!」
船長の目が爛々と輝く。夢の中でも変わらない彼に、料理人は大きくため息をついたのだった。
――――
「なー!サンジは航海士じゃねぇだろ!なんで狙われたんだ!」
「ナミさんの代わりに声吹き替えたからだろ」
ビリーが生焼けにしたサソリに完全に火を通してやりながら、料理人は夢の中の船長と会話をする。
「ふーん!じゃああいつバカだな!!」
「そりゃ同感だ。だが、ナミさん狙われるのはごめんだから黙っとけよ」
「むー!サンジはうちのコックだし!そしたら守りゃいいだろ!」
「うるせぇ。レディを危機に瀕するようなこと言うんじゃねぇよ」
料理人はサソリをひょいとちぎって、顔をしかめる。味はしない。火に近づいても熱くなく、夏島だというのに暑くもない。2週間前の出来事と合わせてもここが夢の中であることを証明するにはお釣りが来るくらいだ
「うめぇなぁ、サソリ。なぁ、ビリー」
「ビリー?」
「こいつだよ、ビリビリってくるだろ……なっ」
「てめぇにしちゃいいネーミングセンスだな」
「おれにしちゃあは余計だ!」
ムキーとがなってきた船長相手にケラケラ笑いながらも、料理人は立ち上がる。
「よし、みんなを迎えに行こう」
「わかんのか!」
「あぁ、なんとな……く……?」
だが、刹那、料理人はくらりと視界を揺らした。体を痺れが襲う。雷のような、痺れではない。急に毒が回ったような、痺れ。
「サンジ?」
「あ……」
返事すらできず、ふら、と体がもつれ、どさりと体が地に倒れた。
「サンジっっ!!!」
船長の焦る声を聞きながら、料理人はまた意識をどこかに放り投げた。
→
ざざっ、ざざっ。雑音が響く。混濁した意識。まだ夢の中なのか。夢の中の自分が勝手に動いている。2週間前のメルヴィユの中で勝手に動いているのを、自分は俯瞰してみている。夢の中でよくあることだ。明晰夢を見ていたと思えば、切り離されて、また戻る。
「寝てろ、アホ」
「そーだぜ!お前、思った以上にひでぇ目に合わされたんだろ!」
「お腹も怪我してる……それに」
毛布の中の自分はふらふらと立とうとしている。それを剣士と狙撃手と船医が止める。
「あいつっ……!」
船長の苛立つような声。料理人を傷つけられた怒りに揺れているのだろう。
「……サンジくん」
航海士がなにか言いたげに、近づいてきた。だが、夢の中で勝手に動く彼はまたふっと意識を落とした。
ざざ、ざざっ。
雑音がまた響く。シキの笑い声。彼の体がいる場所は、シャオの家の中。壁にもたれさせられ、毛布に覆われている。
まだ、彼は夢の中の体を動かせず、夢の世界の上にいて、引き続き状況を俯瞰しているような状態だった。さっきみたいに夢の中の体や口を意思を持って動かせたなら、どんなにいいだろう。仲間と協力して、シキを追い払うことならできるはずだ。迷いなんて、ないのだから。
「サンジはナミとここに居ろ」
「ふざけんな……たたかう」
覚醒した彼から勝手に口から吐き出された言葉。それはきっと自分の意識が体にあればそう言っていただろう言葉だった。
「ダメだっ!!ここに居ろっ!ナミ!サンジを頼むぞ!」
「でもっ」
「いーから!!いろっ!!」
船長達は駆け出して行った。拳を振り上げて、ぶん殴るって怒鳴りながら。きっと船長は、料理人の言葉を守ってくれている。本当は、彼がコックだと言いたくて言いたくて仕方ないだろうに。
そして、航海士は、酷い顔をしていた。彼の方を見て、酷く傷ついた顔をしていた。先程言いかけたこと。きっと、優しい航海士は、彼が自身のかわりに傷ついたことを悔やんでいるのだ。
――何やってんだ、早く慰めろ!
料理人は夢の中の自分を急かし、詰った。けれど、夢の中の自分は航海士を慰めるでなく、思わぬ行動を取った。
「ビリー、ナミさんを頼む」
「え」
「……ごめんな、ナミさん」
飛び出して来そうな航海士を制し、夢の中の自分はとびきり穏やかな声を吐いた。記録指針を恭しく足元に置き、ニコリと笑った。
「このままじゃみんな土に埋もれちまう」
「さんじ、くん?」
「ナミさんも、苦しい思いをしちまう」
「なに、いってんの?」
――まさか。
自身の体が勝手に動く様子を俯瞰していた彼は唖然と固まった。未来のことを素直に吐き出して、彼女を混乱させている。だが、その行動の先読みし、咎めることはできないのも彼だった。夢の中の彼の思いが、痛いほど伝わってきたから。
「もう、そんなの」
航海士の絶望に息を呑む顔は、バタンと閉じた扉に隠された。ビリーが心配そうな声でかき鳴らすように叩かれる戸を塞ぐ。
「見たく、ねぇんだ」
――……バカ、野郎。
ぽつんと漏れた声。けれど、どれだけ悪態をついたところで、夢の中で勝手に動く自分は止められない。
「面倒だ、まとめて相手……」
岩が転がり、土が獅子に変わり、彼らを囲みだす。シキが彼らと逆方向に向かい始めた料理人を見た。
「サンジっ!?お前、何で!」
「おい、無茶すんな!サンジ!」
土の隙間から姿が見えたのだろう。船長と狙撃手が金切り声を上げた。シキが狙いを見つけたと言わんばかりにこっちに飛んで来る。
――それしたら、もう。
ならば、獅子の土が、彼らを飲み込む前に。航海士が、扉を破り、出てくる前に。
「仲間として、連れてけ」
――もどれ、ねぇぞ。
夢の中の勝手に動く自分は、未来が見えているのであれば。彼らとともに戦うでなく、やすやすと彼以外誰も傷つかない茨の道を選んだ。
夢の中で、麦わらの一味と決別することを示して。
「……サン…ジ……!?」
船長がわなわなと震えるような声を出したか、夢の中、勝手に動く自分には響いていなかったようだった。やがて、邪魔だと思ったのか、シキがぱちんと指を鳴らして、土獅子と岩獅子を増やしていく。船長や剣士が、砕いても、巨人の腕を作っても、すぐに代わりを作れるように。
「おれは、あんたについてく。だから、あいつらと故郷を見逃してくれ」
「ほほう、偉く素直だな」
「脱出したのは、あいつらの前でこれを言う為だ。あいつら、聞き分けがねぇバカだからよ。立場が、わかんねぇんだ」
偽りだらけの言葉を吐く自分を、ひたすらに見せられる。けれど、やはり、咎めることはできずにいた。仲間がやるなら咎めるだろう。しかし、行っているのは自分で、ここは現実ではなくて夢で、しかも仲間を傷つけないために行っているのであれば、ことさらに。
「そうか、歓迎しよう」
大きな岩が飛んでくる。夢の中、勝手に動く自分とまだ納得できずに叫び続けては土音に声をかき消される仲間たちとを引き離す、新たな船のような大きさ。それに容易く乗った。
「てめぇらぐれぇの海賊団なら、おれの代わりは山ほどいんだろ」
そう吐き捨てた言葉が聞こえたのか、夢を見せられ続けた料理人が土の獅子の間から見えた彼らの顔は、夢とは思えないくらいにリアルだった。
シキが満足そうに笑っていたのを耳にしながら、また夢の中の彼は意識を揺らす。同時に、その夢を見ていた彼も、意識を揺らすのだった。
→
「……っ、バカが」
まだ、夢からは覚めるどころか、元に戻っていた。勝手に動き、仲間と決別した彼自身の尻拭いは、
「あの抜け方は、海賊にとっちゃ致命的だ」
引き続き夢の中で体を動かせるようになった料理人がやることになってしまった。
「でも、てめぇでそう決めたんなら」
体に抱えたダイナマイト。麗しの航海士が2週間前に考えた作戦を、彼は実行するしかない。
「やるしか、ねぇじゃねぇか」
助けが望めない、たった、一人の状況で。
「……ガスマスクすらねぇ」
苛立ちつつも、ぎゅうっと口元を、いつの間にか着替えさせられていた黒スーツと青シャツの袖を咥えて塞ぐ。まさか、航海士もそうだったのだろうか。
「ぐ」
「が!?」
苛立ち任せに見張りを容易く蹴り飛ばし、ダフトグリーンの側に躊躇いもなく近づく。そして、ことりことりとダイナマイトを置いていく。
「っ、ぐ……?」
匂いは感じなかったのに、不意にぐらりと世界が横に揺れて、二重になった。この夢はことさらに奇妙だ。味覚や気温は感じないのに、痛覚だけは酷く敏感だ。
「……うっ……、くそっ…」
ぜぇぜぇと息を荒くする。袖で塞いだとしても気休めだった。口や鼻に容赦なくダフトグリーンの毒素が飛び込む。
「っ、は……、う」
開いた大事な手のひらが緑に染まり始め、吐き気がした。けれど、泣き言を聞いてくれる仲間なんていない。彼はもう一人だ。一人でやらなければならない状況に夢がなったのだから。
「…これで…」
苦しみを頭の奥に押しやり、導火線を束ね集めた。準備完了。カチカチとライターを鳴らす。
「なん、とか」
火がついた途端雪の地面がぐらついた料理人の身体を吸い込んだ。火薬に着火するのは、すぐだった。
「……っ!!」
強い轟音。爆風が吹き荒れ、ダフトグリーンと白雪を舞い上げる。そして、舞い上げるのはそれだけでなく、
「がはァ!」
料理人もだった。ぶわりと舞い上がった体は、どかりと雪の中に力なく落ちた。頬に雪をつけ、ぜぇぜぇ、と息を吐き散らし、襲い来る痛みと体を蝕む毒に耐えながら、次を霞みゆく視界で睨む。まだ、足りない。残りのダイナマイトにも火をつけなければ。
「く……、う」
けれど、夢の中なのに増していく苦しみだけはやけにリアルで、体がなかなかついてこなかった。
「…成る程、ダフトグリーンを焼き払い」
「……っ」
「ここを、襲わせる」
不意に胸倉を掴まれて、頭をくいと上げさせられる。ガスマスクをしたシキが、料理人の目の前に立っていた。
「最初からこのつもりだったのか?小僧」
料理人の顔が、焦りに見開く。想定通りだったのに、体がまともに動かないせいで、予定が狂わされた心地だった。
「当たり、前だ……」
だが、彼は虚勢をはった。こいつは、2週間前、航海士を苦しめた許されざる敵。船長が2週間前はぶっ飛ばしてくれたと言えど、
「いきなり、人をさらったり……故郷を、滅ぼすなんていうバカを」
夢の中で、目の前にピンピンしているとすれば、
「信用なんて、出来るかよ……」
絶対に許すわけにはいかなかった。
「……馬鹿な真似を」
「っ、く!」
虚勢は軽く見破られ、大きな手のひらの指先に顎と頭を挟まれる。木に叩きつけられる。不意にそう感じた。けれど、
「おらァ!!」
彼の目はまだ死んではいない。気力を絞り、怒りとともに右足を振り上げる。
「ぬ……!!」
擦るような鈍い音がして、シキが呻く。その普段ほどではないにしろ、強靭な足が腕を叩いたのだ。どさり、と料理人を柔らかな雪の中に落とすほどには。
「っ、ちったぁ、効いたかよ……」
衝撃に耐え、毒に侵される苦味に喘ぎながら、地から睨みあげてその痛みに歪んだ顔を嘲笑した。
「未来からの、仕返し」
優しく麗しいレディを、2週間前にあんなに苦しめた仕返しだ。そう、吐き捨ててふらと立ち上がる。
「もう、いっぱつ……!」
放ちかけたもう一撃。だが、持ち上げた足がすとんと固まったように地に落ちて動かなくなった。
「……!」
焦りと苦味に息を吐き出した途端、見えた。
ガスマスク越しのシキのあからさまに苛立った顔と、強い腕が。
「忌ま忌ましい!!」
「っ!?」
今度こそがしりと顎と頭をその大きな手で掴まれた。腹を殴られたとき以上の力だった。決して軽くはない体がその力で軽々と浮かされる。振りかぶりかけた足の抵抗は虚しく宙を切り、手は宙を揉むだけ。そして、そのままダフトグリーンの木の幹に、その身を怒りとともに強く叩きつけられる。
「っあ……ああ!!!」
毒粉が雪に紛れて大きく舞った。ざらざらの木の幹に擦り付けられた金髪の頭。鮮やかな緑色の毒が音を立てて蝕み始める。抵抗に伸びかけた手がぱたんと落ち、反らした喉の奥から苦しい声がついに溢れ、眉根が苦しみにひくんと歪んだ。
「ジハハハハハハハ」
しかし、拷問はそれだけでは終わらない。呼吸を調える隙すら与えず、さらにきつく押さえられ、頬を潰すように木にじわじわと擦られた。磔にされながら、毒を丁寧に刷り込まれていく。
「くっ……、ん、ぁぁ……、か、は………」
ざりざりと金色の頭を転がすようにされれば、びきぴきと乾いた音が響き、また瞳を閉じ喘ぐ。強靭な足も両腕もとうにぶらんと力なく垂れ下がり、浮いていくだけ。
「さっきまでの威勢はどうしたァ」
「………っ、は…、うぁ……ああっ」
「小僧!」
あざ笑うように木から離されて煽られても、もう虚勢は張れなかった。ライトグリーンの痣が全身を苦しみだけに揺らしながら蝕んでいく。浅い呼吸を繰り返すだけで、肺までまともな酸素が入ってこないのだろう。固い指で頬を絞めるように揺らされれば、口を苦しげに半分開いたまま、閉じた瞼をひくんひくんと揺らし、詰まったような呼吸音をひたすらに漏らした。
「海賊が故郷だの家族だの言っちゃいけねぇよ」
だからこそ、瞳を閉じて呼吸に上下するだけの囚われた体は、もうそれ以上の危機に気づけなかった。
「そんなんでてめぇの命危ぶめてちゃ世話ねぇよなァ!」
宙に浮く鋭い鉄の杭。
軽々と投げられた、もう動かない体。
「っ………あぁぁ!!」
ずぶり、ずぶりとその足に鈍く突き刺さり、腕の袖を突き破る。脇腹をかすめ、胸をかすめ、掠れた喘ぎ声を轟音に飲み込みながら、やがて雪と月下に彼を幾度と串刺しにして止まった。
「ふん」
ライトグリーンの痣に蝕まれたまま、三日月の如く反らされた体。大事な腕や手は地の方に投げ出され、杭にきつく挟まれる。膝を折り曲げられるように掲げられた足は鉄の檻にとうに絡め取られ、とくとくと鉄の杭づたいに赤い液を雪に散らす。黒いスーツも青いシャツも一部裂け、露出した肌からじわじわと紅とダフトグリーンが混ざり染み込んでいく。仰向けの体は常に薄れた酸素と毒を吸い続けるも、固い檻が縛り抜け出すことができず、逆さの眉を歪め、苦味にただただ喘ぐことしかできない。金髪は緑に蝕まれ、もう苦しい顔を隠してくれず、力なく風雪に揺れていた。
「総会が終わっても生きていられる悪運があれば、一生生意気な航海士として使ってやろう。ジーッハッハッハハ!」
笑い声とともに、足音が去る。閉じられていたはずの隻眼が、痛みにうっすら濁り、宙を泳いだ。
―――――
――ナミさんは……こんなに、苦しい目に、合わされたんだな……。
ここは、夢の中。けれど、苦しいだけは本物だった。視界が逆さの世界で、苦しさしかない彼が想うのは仲間のこと。夢から覚めたあとではなく、2週間前に苦しい目に合わされた仲間のこと。
――きっと、さむくて、いたくて、くるしくて。じょうぶ、な、おれ、以上に。
自分が今夢の中で痛いことなんてどうでもいいなんて思った。ここは、現実ではないから。酷い夢なだけだから。
――だっ、たら。
まだ、復讐は足りない。未来からの復讐は。
「っ、う」
右手を動かそうとすれば、酷く痺れたのかまた声が漏れた。左手を動かしても同じ。ダフトグリーンの毒素はまだ流れ込んでくるから当然だ。それでも。
――おれは。
ポケットを膨らます、予備のライター。
逆さに見える、導火線の束。チャンスは、一回。
――……ひとりで。
もう誰ひとり苦しませることを選ばなかった料理人は、ライトグリーンに犯された手を、震えながら動かした。火を付けて投げたライターは、回転しながら導火線の上にぽとりと落ちる。火が、導火線に移って、広がっていく。彼の、狙い通りに。彼を一人で問題解決に導こうとする。
――そしたら……。
強い爆発音が響き、強い熱と力が包む。
彼の意識は、持っていかれた。孤独な復讐完了への安堵とともに持っていかれた。
彼の夢の中の身体なんて、夢の中の仲間さえ守れればどうでもいいというように。
――――
そろそろ目が覚めるのだろうと思っていた。彼が苦しみから解放されるときは、その時くらいだろうから、と。
けれど、そうはならなかった。まだ、彼は夢の中。
緑に蝕まれた額で眉がひくんと苦しげに揺れ、隻眼がゆっくりと力なく持ち上がった。
「サンジ……、え、起きたのか、だ、大丈夫か!!」
「大丈夫なわけないだろ!!まだ全然治療できてないんだぞ!!!」
冷たい木の廊下にボロボロの足が横たえられ、体には船医の上着が羽織らされて、その毛むくじゃらの腕に頭を凭れさせられている。そして、視界に入る。助けたはずの仲間たちと、ビリー。
「っ、は……、う」
「お、おい、喋るなって」
言葉を吐こうとすると、ぐらっと視界がまわり、勝手に瞳が閉じられてしまった。二人が制すように頭を撫でる。でも、
「なん、……で」
「え」
「きや、が……っ、た」
料理人は、そう吐き出さずにはいられなかった。あんな海賊を抜けるには最悪の、全員をバカにするような決別の仕方をしたのに。
「来ねぇわけねぇだろ!!!」
「ウソップ!?」
「ルフィも、ナミも!!おれも!!みんなも!!海賊だろうとなんだろうと、あんな別れ方させてたまるか!」
船医が咎めるようにいった言葉を無視し、狙撃手はダフトグリーンで固められた思考に突き刺すように言った。
「お前だけが一人で全部抱え込んで、ウソだらけのわけわかんねぇ言葉で守られて終わるなんて、まっぴらごめんだ!!」
震える声で、でも確実に届くような声で言った。
「だから、みんなで来たんだ!!!」
料理人は荒く息を散らしながらその言葉を聞く。
「サンジじゃないと、イヤなんだぞ、みんな」
船医が付け足した言葉が、ストンと腑に落ちた。彼らの心に引っ掛かった言葉は「代わり」だったのだろう。
「それだけじゃねぇけど!今これ以上やるとドクターに叱られちまう!」
「だから、サンジは寝て……!?」
料理人は薄く開けた瞳をはっと見開いた。
雨霰のような斬撃が降り注ぎ、辺りを切り刻んでいく。
「うわぁっ!!」
廊下が崩れ、地に引っ張られる。痛みはあり、意識を連れて行かれそうになったが、
「痛てて……サンジは!?」
「……っ、だい……じょうぶ」
「ウソつくなよ!」
仲間たちの身を案じ、意地でも耐えた。
「騙すに飽きたらず…やってくれたなァ!小僧!」
宙に舞うのは怒りの表情しかないシキだと、声色でわかった。きっと、誰かが料理人の正体をばらしたのだろう。ならば、
「っ、……おれ、おいて……逃げ、ろ」
彼らだけでも、逃さなければ。先程腑に落ちたにも関わらず、無意識にそう思っていた。
「この期に及んで何言ってんだよ!!」
「そうだよっ!逃げるんなら一緒にだぞ!」
反論が来るのは、わかっていたのに。
「…どこに逃げようとも、皆殺しの運命に変わりはない!」
雪の獅子が荒れ狂い、彼らを囲む。弱った体を動かす前に、狙撃手と船医が彼を庇うように抱きしめた。
「獅子威し・御所地巻きィ!」
体が、動かない。せめて、その体で船医と狙撃手を庇おうとしたのに、夢の中の彼らは彼の都合よく引き離してなんてくれなかった。むしろぎゅっと強く抱きしめて、彼を守ろうとした。
「絶望の内に死ねェ!!」
歯を食いしばり、彼らもろとも散らないためには、と考え続けた焦る瞳に、
「ぬ…?」
映る、赤い閃光。
雪獅子が全て赤い鞭に掻き消され行く。彼らの前。守るように立ちはだかった、たくましい赤い背中。目立つように輝く、麦わら帽子。
「ルッフィ!!」
狙撃手と船医が声を弾ませ、料理人を抱きしめる手を緩める。ぼんやりと霞む瞳に、船長の真剣な顔が映った。
「…ル……フィ……」
「サンジ。あいつを倒して、みんなで帰るぞ」
あぁ、やっぱり、彼にはかなわない。
料理人が力なく頷くと、ぐうっとまた意識が連れて行かれる。狙撃手と船医の心配そうな声が響く。遠く、遠く。
――ナミさんも、こんな気持ちだったのかな。
苦しくて苦しくてたまらないところを、優しさと厳しさいっぱいに助けてもらって。
――クソ嬉しくて、たまらなかっただろうな。
そんなことを考えながら、彼はまた意識を落とす。今度は、温かい何かに、守られるように。
→
「……サンジ?」
驚いたような声がする。もぞり、と重たい腕を動かすと、柔らかな布が手を擦る。暖かい。ここはもう、夢の中ではないことが料理人にはわかった。
だから、重い瞼を開ける。揺らぐ、視界。薬の匂いが鼻に飛び込んでくる。
「目ぇ覚めたのか!」
狙撃手の嬉しそうな声。そして、天井のライトがやけに眩しい。
「ここ……、は……、っ」
「お、おい、大丈夫か」
酷くかすれた声が溢れた。体を起こそうとすると、けふ、と苦しい息が溢れて、視界がぐらんと揺らいだ。疲れて眠っていただけのはずなのに、夢の中と同じ苦しさが残っていて、料理人は酷く困惑した。
「お前、覚えてねぇのか?何があったか」
「……ん、話してくれ」
「仕方ねぇな、サンジは……」
「病人にウソつかないのよ」
「わ、わかってるよ!」
病人という言葉に引っかかったが、航海士の優しい声にどこかほっとした。
「まだ無理せずに寝てなきゃだめだからな」
「……はは、無理しちゃだめな理由まだ、聞いてねぇのにか」
「うぞっぷ!はやくはなじでぐれよ!ざんじがむりずるよ!」
「おいおい、ドクターをからかうなよー」
船医の蹄に額を撫でられながら、狙撃手がこほんと咳払いをして話し始めるのを聞く。
「お前さ、三日前買い物に行くって言ったっきり帰って来なくて、心配になってその日のうちに探しに行ったんだ。そしたら、森ん中でぐったり倒れてて」
「おれがそれを見つけたまではよかったんだがなぁ、おめぇを苦しめた木が二週間前にナミが苦しんだばっかの木で、うかつに近寄れなかった」
いつの間にか船大工もそばにいて、説明に加わっていた。料理人は瞬きし、気づく。まだ微かに手の甲に残る、ライトグリーンの痣。まさか、現実でも、ダフトグリーンに苦しめられていたなんてと言わんばかり。
「ダフトグリーンの毒素が強い時期だったのよ」
「だからロープか何か持って来ようって言ってたのに、ルフィが我慢出来なくなって、腕を伸ばして助けたの」
「あ、でも、ルフィさんは運よく感染せずに済んだんです。ヨホホホホ!」
考古学者が視界に入り目をハートにするも、船長に助けられたと聞き、目を元に戻した。
「結構危なかったんだぞぉ。もう全身毒まみれで、三日間苦しんで寝たまんま起きなくて……。チョッパーがダフトの解毒剤作ってなかったらどうなってたか……!」
「ほんどによがった、毒のせいでひどい夢見てたんだろ?ずっとうなされてたから、すごく……」
あっ、と声が漏れる。狙撃手と船医が顔を見合わせた。料理人は、ん?と眉をひそめる。
「どうした……心配や迷惑かけたことなら悪かったし、謝るよ」
「いや、それはいいんだ。お前は悪くねぇし、しんどいんだからいっぱい休んでくれていいんだけどよ」
「あいつなら、まだ機嫌直ってないわよ」
航海士があからさまにため息をついた。料理人は、更に首を傾げながら、眉を下げる。
「あいつって、……ルフィか?腹減らして、迷惑かけたとか?」
「違う違う、おめぇが毒食らったり体調悪くしたせいじゃねぇ。そこはアニキが保証すんぜ」
「そうよ。あれはあいつが――」
「サンジが目ェ覚ましたんだろ!!」
金切り声が響く。噂の『あいつ』の声。
「病室で暴れんな、あのアホの体に障る」
「ゾロ大丈夫だ!おれは暴れねぇし、サンジを苦しめねぇ!元気にするんだ!わかってんだろ!」
「やり方が強引すぎるから止めてんだ……うごぉっ!」
「まてーい、ルフィ!サンジはまだ……」
「大丈夫だ!!話をさせろーっ!」
「ぎゃひぃん!」
剣士が倒れた音がした。立ち塞がる狙撃手をも簡単に押し退けられた。機嫌が悪そうな船長が、料理人のまだぼやけた視界に映る。
「あのなぁ、サンジ!!お前どーいうことだ!」
「お、落ち着いてよ、ルフィ。サンジはまだ…」
「お前はおれの仲間なんだぞ!」
「あ……?」
船長の言葉に布団に横たわったまま驚いた声を漏らす。彼のふくれっ面は、晴れない。
「『代わりは山ほどいる』とか『あいつらは見逃せ。あんたについてく』とか!『おれをおいて逃げろ』とか!勝手なことばっか言ってんじゃねェ!」
「えーと……」
料理人はわけが分からなかった。それらはすべて夢の中では意思があれどなかれど言ったが、なぜそれを船長が知っているのだろう。
「悪夢を見たんでしょう?」
「むーっ!!」
考古学者が少しだけ助け舟を出してくれた。手で船長の口に絡めて、いっとき押さえつけながら。
「ルフィが言うには、全部あなたが苦しみながら譫言みたいに言った言葉らしいわ」
「え?」
「ルフィは、悪夢の中であなたが誰かから私たちを庇って頼らなかったことが我慢出来なかったみたい」
料理人は大きくため息を漏らした。夢の中で勝手に動かれて、勝手に魘された言葉の余波が、ここまで来るなんて思わなかった。
「でも、それは夢の中のおれが勝手に言っただけで、おれは思ってねぇし……」
「ぷはっ、でもサンジなら言うだろ!」
「言わねぇよ、レディ以外になんか」
「いうっ!だいたいサンジは――」
「ルフィ、そこまでにしなさい」
説教を放とうとした船長を止めたのは、航海士だった。むっとした彼。だが、彼女は負けていない。
「サンジくんは起きただけ。まだ治ってないの。毒も体にあるし、苦しそうなのわかるでしょ?」
「む、それはわかってる!」
「それにサンジくんはあんたに迷惑かけたから怒ってるって言ってたわよ、ねっ?」
「……うん」
「それは違うぞサンジ!それは謝らなくていいし、苦しいならゆっくり休まなきゃだめなんだ!でもっ!」
「わかってるよ。ルフィ」
航海士に助けてもらったことに礼を言いながら、料理人はふうっと大きく息をついて言った。
「さっきも言ったが、夢の中だから、夢の中で好き勝手したんだ。悪かった」
「え」
「わかってる。お前の言いたいことは」
きっと彼は勘で気づき、心配している。夢の中で、仲間を想いすぎて、彼を苦しめきる方を選んでしまったことを。すべて抱える方を、選んでしまったことを。
「それで苦しくは、もうなってねぇ」
でも、それも、夢の中で全部助けてもらったから。
だから、もう心配はない。
「……なら!」
その言葉だけで、伝わったのか。船長は笑顔になった。どかりと料理人のそばの椅子に腰掛け、彼の目を見てすっぱりと言った。
「いいよっ。安心したっ」
「……!」
「じゃあ後は、ちゃんと休んで早く元気になれっ!」
「ん」
ポンポン頭を撫でる船長の言葉に、料理人もほうっと安堵して、柔らかな布団に沈み込む。周りの一味も、ほうっと同じ息をついたのだった。
→
「ったく」
「あっ、ありがとうゾロ……安心して腰抜けたぜ」
剣士がひっくり返っていた狙撃手を起こしながら嘆息する。料理人が無事に起きて、船長の機嫌が戻ればもう、この一味にはなんの心配もない。
「よぉし、サンジ。なんかほしいもんねぇか?」
「ほしいもん……」
料理人は口を噤んだ。けれど、即座に、
「遠慮なんかすんな!」
「そうそう、任せろっ」
口々に優しい、でも譲らない言葉をかけられて、ふうっと息をついた。
「……あったけぇもん、飲みてぇ」
「あったけぇもん?」
「はちみつ入りの、ホット、レモネードとか……みんなにも」
難しければとか、大変ならいいとか、付け足そうとする前に、
「よぉし!任せろっ!!」
「はいはい!私も手伝いまーす!」
狙撃手と音楽家が嬉しそうに張り切って出て行った。考古学者がくすりと笑いながらついていく。
「冷蔵庫、あの二人じゃ開けられないわ」
「おれもタオル絞ってきてやらァ。ゾロ、手伝え」
「わかった。てめぇは大人しく寝てろ」
船大工と剣士もタオルを絞りに行き、人数が一気に減った。船長はベッドに潜ったままの料理人のそばの椅子を陣取り、離れない。
「なー、だふとぐりーんってどんくらい辛ぇんだ?」
「あんたずぅっとどんくらい苦しいんだ、まだ目覚めねぇのか、ってサンジくんの周りうろうろしてたから見てたんじゃないの?」
「……それナミさんのときもやってたからことさら見てんだろ」
「むーっ!それですんげぇ苦しそうだったからどんくらいかなって思ったんだ!」
船長はそう主張する。航海士は小さくくすりと笑った。
「例えようのないくらいめちゃくちゃ辛いに決まってんでしょ。ねぇ、サンジ君」
「あぁ。おれでこうなら、ナミさんはものすごく苦しかったんだな、って思うくらいに」
「……もう、今はあんたのがしんどいのに」
航海士は呆れたようなため息をついた。
「じゃあサンジも、ナミくらいいっぱい休まねぇとな!」
「わかってるよ」
「よろしい。素直なサンジくんのほうが好きよ」
「あっ!ナミさん!!」
船長がさもありなんというように言い、航海士がフォローすれば、料理人は声を上げて喜んだのだった。
「レモネード飲んだら、着替えてまた寝るんだぞ」
「おう、ありがとな。ドクター……でも」
着替えがない。料理人はふらと立ち上がろうとする。だが、気づいたのか船長が素早く立ち上がった。
「おれが持ってきてやる!サンジはまだ寝てろ!」
いつもは鈍感な彼にそんな気の利いたことを言われると、料理人は任せざるを得ない。
「わり、……ウソップに聞きゃわかる」
「悪くねぇ!まかせろ!」
「じゃあ、チョッパーも休憩がてら飲みものもらいに行ってきなさいよ。私、診てるから」
「わ、わかった!サンジ、ちゃんと寝てるんだぞ!」
船長は料理人をぽんぽんと叩いて、外に飛び出していった。真似するように船医も叩いて、ついていく。航海士は呆れたように笑って、開けっ放しの扉を閉めた。
「ナミさん」
「なぁに?」
「ありがとう。いっぱい、フォローしてくれて」
料理人はメロリンせずに嬉しそうに言った。航海士はゆっくりと船長が座っていた椅子に座る。
「あのね、サンジ君」
「ん?」
「あんた私を気遣って隠してるけど、私とロビンはどんな夢見たかだいたい知ってるの」
「……え?」
戸惑いの声が漏れる。だが、航海士はさらっと付け足した。
「ルフィが聞いた時のうわごととは違うんだけど。あんた何回も、シキがどうとか、私がどうとか言ってたから。ロビンと一緒に考えてたの」
「あっ」
料理人の顔が恥ずかしさで赤くなった。筒抜けだったのだ。聡明なレディたちには。どんな夢だったかだけでなく、彼がどんな気持ちだったかまで。
「ご、ごめん、ナミさん……」
「なんで謝るのよ。ルフィ達に言ったりなんかしないわよ?」
「い、いやその」
慌てる料理人を見て、航海士はくすくすと笑い声を漏らした。そして、いたずらっぽい瞳を彼に向けたあと、耳元で囁く。
「あの時はもう、クソ嬉しくてたまらなかったわよ」
「え」
「あんたと、同じでね」
「ナミさん!大好きだァ!」
航海士はとびきりのウインクを彼にくれた。料理人は目をハートにして、とびきりの愛情表現で返す。
「あー!何ひそひそ話してんだァ!!」
「ずりぃぞォ、教えろォ!」
そこにちょうど着替えを持ってきた船長やレモネードを持った狙撃手や船医が入ってきた。考古学者の手がそれを支え、船大工と剣士が絞ってきたタオルが続く。そうなると保健室に入らないので何人かは外だ。それでも話は誤魔化せなかったが。
「サンジ君と私とロビンだけの秘密よ、ね」
「ふふっ、そうね」
「残念だったな」
「何だよそれぇ、ずりぃぞ」
「おしえろぉ!」
「ちょっと、飛び掛かってこないでよ」
「おいおい、せっかくの濡れタオルを台なしにする気かァ!」
「教えろ」
「強引に迫るのはだめよ、ゾロ」
「病室で暴れるなァ!」
「はい、サンジさんレモネードです、熱いうちに」
「わり、ありがとな」
船長と狙撃手が保健室の外に飛び出した航海士を追いかける。二週間前の音貝の取り合いを思い出して、料理人は少し笑いが込み上げた。
「ちょっとぉ、ロビン助けてぇ」
「わかったわ」
「ぎゃー、能力は卑怯だァ!」
賑やかな悲鳴を聞き、呆れて笑う。そして、さっきの航海士がくれた幸せな一言を思い出してにやけつつ、料理人は暖かなレモネードを啜るのだった。
<END>
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.