ふらふらと足がもつれる。けれど、大仰な荷物を持っているわけでもなければ、足をくじいたわけでもない。代わりに、こほりこほりと咳がもれて喉がチクチクと痛む。体は氷点下に近いのに奇妙なほど熱い。全て料理人には未だ起こったことがない現象。
原因は、昨日。船番中に仲間たちが大雪の中からなかなか戻って来ないから、ずっと甲板の上にいたのだ。きちんとコートを着て、マフラーまでつけて。それでも最後の仲間が戻ってくる頃には体はキンキンに冷えてしまって震え上がっていた。。他の一味がごめんなとか動物が罠にかかっていたとかどうとか雪が深すぎてあーとか繰り返し謝っていたが、別に待っていたわけではないし船番をしていただけだとさらりと返すだけだった。
そして次の日、一人で出掛けている最中、なんともなかった体にこんな異変が起こったのである。
「……あちぃ」
かすれた声を思わず漏らす。歩く度に雪が溶けてしまいそうなほど体が熱く感じてきしきしと痛む。それでも彼が外に出なくてはならなくなったわけは、単純に調味料の買い足しだった。昨日の詫びに買いに行くと何人かが呻いていたが詫びもなにもないと返して、彼はふらふらと雪の中を歩いてスパイスの瓶を買いに向かった。彼らに体が暖まるものを食べさせてやりたかったからだ。
「……っ」
こほりと咳が漏れ出す。息を吸い込む度に喉に引っ掛かる感覚がして気持ち悪い。それでもふらつきながら、彼は雪の中をサニーへと戻る。まだ少し遠い。30分くらいある。急がねば。けれど、熱の体は気づかなかったのだ。見聞色に妙な気配があると。
「……ん……っ?」
背中で何かが揺らめく。黒い影が、ぶわりと料理人を包んだかと思うと、口許を布できつく塞いだ。ぐら、と視界が揺れていくが、熱にしろ彼の丈夫な体に薬が染みるまでインターバルがあった。
「なに、すん、だ!!」
黒足が、蹴飛ばす。背中の人影を、蹴飛ばした。けほり、と咳が漏れ出し、呼吸を求めるようにふうふうと熱い息の音が出入りする。
「……」
離れた影は無言だった。蹴りが浅かったか、手のひらに布をつかんでゆらりと体を揺らし、料理人の方を見つめてくる。顔が見えなかったのは何か仮面をつけているからだ。真っ白な、なんだ。狐か。逃げなければ。いや、倒さなければ。
「っ、ちく、しょ」
ぐらと視界が揺らぐ。料理人は、体を翻す。逃げることを選んだが、どちらにしろ無理だった。足がもつれて、雪に体が吸い込まれていく。
「……う」
雪の中に崩れ落ちた体は、簡単に動かなくなってしまい、ゆっくりと意識が闇の中に落ちていくだけだった。
ーーーー
「……っ……う」
料理人は、重い視界を開けた。ぼんやりとぼやけた視界。何かふかふかの体に埋もれている感覚がする。熱いほど暖かい背中。かくかく揺れる背中によって、何処かに拐われているのだ。けれどその暖かさは冷えた体に染み渡る。
「だれ、だ……?」
顔をあげようとしたら、何かふかふかのものが頭を繰り返し撫でて、瞳を閉じるように促す。熱に支配された体は、簡単にそれに従うようにうとうととまどろみ始めた。
「あった、けぇ」
見知らぬ背中に体を預けるなんて。それでもその暖かさは奇妙な安心感を料理人に与えていた。ゆっくりと従うように瞼が閉じていく。闇の中でゆらゆらと体が揺れているのがわかる。あと、雪をするような音。足を怪我しているのだろうか。
「っ、は……う」
こほりこほり。ふう、ふう。自分が苦しい咳や息を吐き出す度に、何度もなだめてくれるふかふか。一体、なんなのだろう。このまま、どうなってしまうのか。でも、考えていられない。あんまりにも暖かかったから。そんな中途半端な意識の中、料理人は暖かさと謎に翻弄され続けていた。
「……ん……」
どさり、と下ろされる。暖かさが、消えた。顔に冷たい風が吹き付けている。いや、消えていない。背中にはかさかさしたものが、体にはふわふわしたものがかかっている。さっきよりは冷えているが、暖かさは消えていなかった。
「……」
ここは、どこだろう。何処に浚われてしまったのだろう。どうなってしまうのだろう。考える余裕はなかった。頭をまたふわふわしたものが撫でて、料理人は、気を失ってしまった。
ーーーー
「……ん」
瞼をきゅっと揺らす。体が、ぽかぽかと暖かい。咳や苦しさがずっと薄れている。ゆっくりと瞳を開けると、ぼやりとぼやけた視界の奥になぜか見覚えのある木の天井。分厚い布団と冷たい氷嚢。そして、
「サンジ」
船長のびっくりするような丸い瞳。料理人も同じくで頭が回らなかった。ただ、反射のように、
「ルフィ」
と船長の名前を呻くだけで。
「だいじょーぶか?」
「……わからねぇことだらけで頭が痛い」
「何いってんだ。おれたちだってだぞ!」
船長はホッとしたのかいつものむすっとした顔になって椅子を引き寄せた。なんで、と問う前に口を開く。
「ごとって音がしたと思ったら、サンジがサニーの甲板にぐったりしてたんだ。布団とかかぶってさ」
「は……?」
料理人は、きょとんとするばかり。船長の口は止まらない。
「チョッパーがサンジが風邪引いてるって大騒ぎしてすぐ何とかしてくれたけど!!何であんなとこで」
「……待て待て待て」
料理人は、船長の口を塞いだ。思考が追い付かないのか、むーっとうめく船長を制して。
「おれは、妙なやつに襲われて、拐われてたんだ。でも、拐われたんじゃなくて、そいつはおれをサニーに返してくれたってことか?」
「むむ!?」
「……でもなんで?訳わかんねぇ」
「狐の恩返しじゃないですかね?」
料理人は、ん?と首をかしげた。音楽家がヨホホと陽気に笑っていて、料理人のそばに近づいてくる。
「きつね?」
「サンジさんの体、いっぱい毛がついてたんですって。狐の毛」
「あっ、そうか。きのーたすけたやつか?」
「待て待て待て待て」
話が飛躍しすぎていてわからない。料理人は二人を止める。
「狐ってなんだよ。昨日助けたって?」
「サンジさん私たちのごめんなさい全然聞いてくれなかったですもんねー」
「そーだぞ!!そーいうとこダメだぞ!ちゃんとごめんは聞け!」
「いーからおしえろ」
料理人がぶすっとしたようにいうと、音楽家が仕方ないですね、と説明してくれた。
昨日彼らは大雪の中急いでサニーに戻っていた。料理人を一人船番させている申し訳なさと、雪がひどくなるうちに戻らねばと思ったらしい。
「その帰りがけに私たちはおきつねさんを見つけたんです」
罠にかかった狐が、サニーの帰り道にいた。足に挟まったカニ挟みが痛そうで、必死に暴れていたが、どうにも強固で外れないらしい。早く帰らなければ雪がひどくなる、と一味は思ったが、
「助けてやろう!」
と船長や船医が言ったため、狐を助けるために罠をはずすやら治療することになったのだ。
「で、帰りにな!おれーしてーってついてくるからさ、また今度にしろって、サンジが待ってくれてるって帰ったんだ!」
「……要は、お前らの礼に化けた狐の背中に運ばれて帰ってきたってことか?」
「たぶん!」
そんなことがあるのだろうか。理解しがたい話だが、すとんといくつか腑に落ちることはあった。料理人は、ふうっと力を抜く。
「第一おれたちの話聞いたり」
「ついていかせてれば」
「こんなことには!!」
「……ヘイヘイ悪かった」
「また反省してねーな!!!!!」
船長やら音楽家やらがムキーッと怒るのを横目にしながら、料理人は少しだけ痛む頭をさすり、小さく笑った。その頭には、ふわりと柔らかな毛が残っていた。
<end>
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