エディ
2017-12-21 21:57:13
7809文字
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花屋と漫画家 第五話 「休日」

カライチ

 日差しも、気温も、この時期にしては柔らかく過ごしやすい昼下がり。街のそこかしこが煌めき、カフェのカウンターにそっと居座る人形でさえ赤い帽子を被っていた。テーブルに向き合う恋人同士は手を重ねて穏やかに微笑み、大きなコーヒーボトルと小さなミルクマグを受け取った親子は、浮き立つ気分のまま弾けるように笑いながら店を出て行った。
「先生、ココア、ぬるめで作ってもらった」
「ありがと」
 平日の真ん中、クリスマスまであと三日、カラ松と一松は緩やかな休日を共にしていた。


 :


「えっ、今日休みでしたっけ。嘘だろ」
「嘘じゃないわよ。年明けまで一日もお休みあげられないからって、先週話したばっかりじゃない」
「おーう……ミステイク……
 その日、一日の休みを経てカラ松が出勤すると、店主夫妻がそろって妙な顔をした。何かやらかしただろうかと背筋を正せば、唐子から「あんた今日休みじゃない」と呆れたように返される。クリスマスから年末年始と怒濤の連勤を控え、情けのような二連休が与えられたのは、先週のことだったとようやく思い出す。
 幸いまだ朝は早く、何をするにも時間が有り余っている。
 さてどうしようかとUターンをしたところで、トン、と何かにぶつかった。すぐに謝ると「こちらこそ、……アレ?」とベレー帽が声を発した。
「先生! 今から時間あるか?」
「暇に決まってますけど」
「デートしよう」
「デッ?!」
 跳ね上がった一松の手を即座に握り、カラ松は歩き出す。
 仕事のつもりだったのだ、予定などあるわけない。けれど直帰するのはなんとなく悔しい。そこに一松が来た、というのがカラ松の言い分だ。「いつも仕事の片手間だったからな。君とゆっくり話がしたい」と無駄に決めた顔で囁かれ、一松はほとんど反射的に頷いた。
 そうして二人は、商店街から少しばかり歩き、運動公園に隣接したカフェに来ていた。
 ココアのカップに浮かんだマシュマロが、一松の吐息に揺れる。
「猫舌なのか? 先生、猫グッズが好きなのは知っていたけど、ふふ、本人も猫っぽいな」
「猫が好きってとこだけは認める。……漫画にもよく描いちゃうし」
「へぇ、そういえば先生が初めて描いた漫画って、どんな作品だったんだ?」
 ゴクリ、とカフェラテを飲み下し聞くと、一松は唇に着いたマシュマロをぺろりと舐め取っていた。
「猫が、……人間の男の子に恋をする話、だよ」
 ペロペロとこびりついた白い塊を舐め、少し照れたように一松が言う。
「へえ、そのあらすじだけで面白そうだ。それで賞を貰ったんだろう?」
「まぁ、ね、過去の栄光ってやつ。絵、描くの本当に好きで、猫も好きだったから、描いてみたいなっておもったの。投稿は……弟たちに背中押されたせいだけど」
「好きなものを形に出来るってのは、いいよな。その漫画の話、もっと聞いてもいいか?」
「面白くないよ? 猫は、別に人間になったりしないし、当然結ばれるわけじゃないし。――でも、死ぬまで愛する人間と居られて、ちゃんと幸せだったよ、って、はなし、…………恥ずかしいな、なんか」
 ズ、とわざと音を立てて飲む姿に、カラ松は目を細める。
 出会ってからまだ半月ほどではあるが、一松らしい漫画だと、カラ松は心中呟いた。心理描写に定評があると言っていたが、きっとその作品でも微細で丁寧な、そしてどこか切ない物語が綴られているのだろう。読んでみたい、と、何度目かも分からない欲求を胸に抱く。
「それ、単行本とか無いのか?」
「まっさか。別冊なんちゃらって特別号に載っただけだよ。実家にまだあるかもしれないけどね」
「うーん、じゃあ、次に描こうとしてるやつは? ほら、この間担当さんに褒められた、って話してたよな?」
「あー……えっと、王道だけど……、学園ものとか挑戦しようかと思っ、て、」
「そりゃあいい。スクールラブか」
「無難ですから。それで、さ、ついでに頼みなんだけど……カラ松さん、学生の頃なんかスポーツとかやってなかった?」
 最後の一口を飲みきった一松は、口端を人差し指で拭いながらおずおずと尋ねた。思わぬ申し出に、カラ松は飲もうとしていたカップを口元から下げる。
「部活程度だが、バスケはしていたぞ。今もたまに母校で遊ばせてもらったりはする。金曜に来るあの子は、俺の後輩なんだ」
「バスケ……か。描いたことも関わったこともない……
「頼みって? バスケ部の練習内容とか?」
「それもあるけど、その、」
「スケッチとか」
「それです」

 都合良く仕事着で、目の前にはハーフコートがある公園、さらに運良く置き去りにされたバスケットボール。ひとつ、ふたつ、と地面に打ち付けられたボールは、パシリとカラ松の大きな手に収まった。
「ちょっと空気が抜けているが、まぁドリブルも問題ない。こいつを少し借りようか」
「おねしゃす」
 トン、とスニーカーを一歩踏み出したカラ松は、小気味良いリズムでバウンド音を響かせる。ボールを操りながらゆったりと走り、ゴール下でまた停止する。三度、ボールが地面を離れ、流れるようにカラ松の手に吸い付く。
 パシュッ!
 フォームを取ったカラ松の右手から、ゴールポストへ一直線にオレンジ色の球体が吸い込まれていった。白いネットを揺らし、落ちたボールをカラ松が受け止める。
「すご……
「資料になりそうか?」
「期待以上に。ごめん、しばらく描いててもいい? 自由に動いてくれれば、それでいいから」
「任せてくれ」
 トン、トン、トン。軽やかな音が湿度の低い空気に響く。
ぐるり、と片足を軸に回転し、摩擦音を立てて停止する。脚を、背筋を、首を、そして肘をスルリと伸ばし、右手首を軽く振る。放物線を描きながら、高い冬の空にボールが何度も浮かんだ。
一松のクロッキー帳がまた一枚めくられる。
「捗っているみたいだな」
「うん。写真の模写より、やっぱ本物がいいな。助かる」
「ちょっと休憩してもいいか?」
「あっ、もちろん、……ごめん、ずっと動かせちゃった」
「いいんだ」
グィ、とパーカーの袖で顎の汗を拭った瞬間、二人の間で盛大な腹の虫が鳴いた。ぱちくりと目を見合わせ、カラ松だけが眉を下げて笑った。
「すまん、出勤前に食ったから腹が減ってしまって……、恥ずかしいな」
「や、僕もおなかすいた」
「どうする、カフェ戻るか? それかどっかランチ入るか……先生はどこ行きたい?」
 ムズ、と、一松の口元が蠢いたのをカラ松は見逃さなかった。いつも口元を覆っているマスクは、今は顎元に皺を寄せている。小さく薄い唇がどう動くのかを、カラ松は辛抱強く待った。
 やがて、空から雪が降るように、ささやかに言葉が渡された。

「あの、さ、カラ松さん……嫌だったら良いんだけど、その、ここじゃ寒いし、ゆっくり話せない、から、えっと、……

 僕の部屋でも、スケッチさせてくれない。お礼、なんでもするから。
 降り落ちた言葉にカラ松が瞳を大きくし、発言した張本人は顔を真っ赤に火照らせていた。



 コンビニエンスストアで適当に買い出しを済ませ、二人分のビニール袋が外付け階段で揺れる。靴下履きで踏み込んだ板張りはとても冷たく、「言っとくけど、めちゃくちゃボロいからね」という一松の忠告通りの部屋で、カラ松はひとつ身震いをした。
「チョロ松がいろいろ、り、リノ…………改造したから、住みやすいんだけどね。交通の便は最高だし。そんなに出掛けないけど」
「リノベーションじゃないか?」
「それ。暖房の効き少し悪いから、あったまるまでちょっと待って。インスタントだけど、お茶とか、ある」
「お構いなく。それにしても、すごいな。ザ・漫画家の部屋、ってかんじだ」
 花屋の作業台に引けを取らないほど大きな机の上には多種多様なペンが並び、その脇にはずらりと色とりどりのカラーインクが陳列されている。一部が整頓され、一部は積み上げられている資料集は、絵画に限らずジャンルは多岐に亘っていた。壁にはプッシュピンで指示書であったりメモであったり、無数の紙切れが暖房器具の風で揺らめいていた。
「見てくれだけデショ」
「いや、最近はパソコンで何でも出来るって聞いていたから。ちょっと感動した」
「あー……、僕も一応持ってはいるんだけど、まだ箱から出してないっていうか……、アナログのが向いてるんだよね」
「こう、手に馴染むよな。作ってる! ってかんじがして」
……分かる?」
「よぉーく分かるぜぇ、自らの手で、まさに目の前に、傑作を作り上げていく! 失敗すると戻すことは出来ないが、それをうまくリカバリーするのも楽しかったり、だろ?」
 プラスチックトレーに乗せられた炒飯を片手にカラ松は笑う。まだ少しだけ温かい肉まんを頬張りながら、一松も大きく頷いた。
「それそれ。なんか嬉しい、共感してもらえることって、あんまないから。仕事だから大変だけど、」
「仕事なのに、楽しい。よな? やめられない」
「うん」
 ほわり、と部屋の温度と同様、体温も上昇していく。
 腹を満たし、一息つき、そして一松は再び筆記用具を広げた。絵画教室から漫画研究部、そして美術部と文化部にしか所属していないうえに交友関係の狭い一松は、カラ松をデッサン人形にしながら質問を重ねていく。
 「双子の弟のひとりは野球部だったけど、あんまり、部活として成り立ってなくて」と前置きし、常の練習内容からタイムスケジュール、女子生徒との関わりに至るまで小さな声で尋ねていく。そこから構想を膨らませ、主人公自身の人物像も定めていく。
 カラ松の経験談やちょっとしたアイデアに、一松の表情は止めどなく変化した。無愛想で取っつきにくい目元や声といった印象は、もはやカラ松の中で消え去ろうとしていた。

「はー、助かる。そっか、主人公も女子バスケ部にして、」
「マネージャーという手もあるが、対等な立場というのも良いんじゃないか? 先生は絵も上手いし、試合のシーンなんかも臨場感が出そうだ」
「うぅん……でも、やっぱり筋肉の動きとかがイマイチ。ユニフォームとか練習着ってもっと薄いもんね?」
「そうだな。あ、上、脱いだほうがいいか?」
「っえ、…………いいの? 寒くなければ、み、見せて欲しい、……かも」
 寒さには強い方だから問題ないと返し、カラ松はガバリと黒いパーカーを脱ぐ。肌着ごとシャツを首から抜き、乱れた前髪を散らすように首を振った。
 そこでカラ松は、はた、と気付く。
 自分が何を申し出たのか、を。
 初めて上がった他人の家で、上半身を曝け出し、それも、相手に凝視させるために。訝しむでも嫌悪するでもなくすんなりと流されたが、もしや一松も不審がっているかも知れない。自分は男に裸体を見られることに一切の抵抗はないが、普通ならありえないことだろう。
 やっぱりシャツくらいは着ようかと言おうとして、カラ松は口をぽかんと開け放した。

…………っか、……こいい……!!」

 きらきら、きらり。
 一松の瞳がめいっぱい見開かれ、天井の照明や窓から差す光をすべて取り込んだ。頬がわななき、ペンを握ったまま両手が口元に添えられる。
「カラ松さんがそんな良い身体してるなんて聞いてないっ……!」
「え、うん? そうか……?」
「花屋って、なんかこう、もっと可憐なイメージっていうか……腕、いつも捲ってるから、筋すごいなって思ってたけど、身体まで、そんな、」
「見えないところじゃ体力と筋力がものを言う仕事だからなぁ。でも、そんなにか?」
「そんなに、だよ。僕、昔から全然筋肉つかなくて、いいなぁ……
 ぺとり、と一松の低い体温が、曝け出されたカラ松の二の腕に触れる。瞬間的に力の入った筋を辿りながら「かたい、……」と呟かれ、カラ松は口端を引きつらせる。
「スッ、スケッチ! どんなポーズがいいんだ?!」
「あ、えっとね、さっきシュートしたときあるでしょ? そう、それで……、」
 一松の指がスルスルと肘から手首までを撫で、微調整にと腰骨をツイと動かした。そしてペン軸を一回転させ、真剣な顔つきで一松が視線を向ける。
 自分から提案しておいて、カラ松はえも言えぬ感情の行き場を探していた。
 友人とも言いがたい。むろん恋愛対象と見ているわけではない。けれど放っておくことが出来ない。出会ったその日の夢を挫折しかけていた表情はもう見たくない。毎日顔を合わせる度、次々と見せるいろんな表情を、そして何よりも喜んだ時、嬉しいとき、はにかんだように小さく笑う表情がもっと。もっと見たいのだ。
 ぐるぐると渦巻く思考を絶つように、数分におきに一松が声をかける。「ありがとう、次はね、」と控えめに微笑む一松は、店先で絵を描くよりもずっと生き生きとして見えた。それは先程カラ松が浮かべ、欲していた表情そのものだった。

 頬を照らす太陽がオレンジ色に移っていく。
 気温が徐々に低下し、再び衣服を纏った後も雑談を交えながら延々と続けていると、わずかに窓ガラスを震わせて軽やかなチャイムが鳴り始めた。四時を半分回ったことを告げるその音に、一松が長く細い息を吐く。
「よし。かなり資料集められたし、もうちょい練って、キャラクター案もいくつか出せそう」
「それは良かった」
「本当、一日ありがと。休みだったのにごめん。ちゃんと、お礼する。なんでもいいよ」
……ん? もういいのか?」
 スピーカーが最後のメロディを奏で、町に反響し終えると、やがて元の沈黙が訪れる。
 カラ松は、自分の心が分かりやすく焦慮に駆られるのを意識した。一松を目の前にすると湧き上がる感情の正体を知りたい。この空間で、この時間をもう少し続ければ分かるのではないか。逆に、これを逃してしまえば、またコントロールの聞かない己の感情を持て余すことになるに決まっている。
 気付けば、「まだもう少し、続けないか」と口を滑らせていた。
「ほ、ほら、他にはなにか苦手なポーズ? 構図? とか、あるんじゃないか?」
……にがて、」
「おっ、その顔はあるんだろう、ンン〜〜? 俺がどんなモデルもしてやるぜぇ?」
「や、無理」
「無理っことはないだろう、このカラ松に任せてくれ子猫ちゃんアーハン?」
「だって、……、」
 キスシーン、だもん。苦手なの。
 だんだんと見えなくなった顔は、尻すぼみの告白を残しとうとうすべて隠されてしまった。しかし、カラ松の目には真っ赤に染まった耳がありありと晒されていた。
 反応を示さないカラ松に、無言の空間が耐えきれないらしい一松が、居心地が悪そうに唸る。顎元にあったマスクを引き上げると、「だから、」だとか「そうじゃなくて」だとか、言い訳がましい接続詞がぽろぽろと落とす。それらはマスクに遮られ、くぐもった声となりカラ松の耳へ届く。
……少女漫画だから、やっぱり出てくるんだよね。洋画とかさ、やったら強烈なキスシーン模写したりして。でもイマイチで。担当変わっても必ずそこ突かれるから、そのコマだけ誤魔化してきたんだけど」
「、ああ」
「そりゃさ、キスしてるときに見える風景とか、どれくらい苦しいとか、近いとか。なんかそういうのってさ、妄想じゃカバーできないし、」
「うん」
「だからってさ、フリでいいからキスしようとか、言える相手いるわけないし。ああもう何言ってんだろ僕、ほんと、うん、だからさ。もう描けなくてもいいかなって、死ぬわけじゃないし。あ、死ぬのか、漫画家生命。笑える」
 ちっとも面白くなさそうな声音で吐かれた嘲笑さえ、マスクの中に消えていく。蛇口の壊れた水道のように、途切れ、掠れ、しかし止めどなく喋り続ける赤い耳を見つめ、カラ松はゆっくりを息を吸い込んだ。

……それが、上手く描けるようになったら、先生は嬉しいのか?」

 せっかくだから。時間が勿体ないから。――なんとなく、まだ、帰るのが惜しいから。
 カラ松の頭の内側で、いくつもの言葉が浮かんでは消える。そのどれもが舌に乗せられることはなく、無言のままそっと肩に手を添える。
 一体何を聞かれたのだろう、と訝しんでいた一松の睫が、わずかに震える。
……直接じゃなければノーカン、だよな? キスってのはな、こうするんだ」
「っへ、……、ッ?!」
 一松の目に映るすべてが、カラ松だけになった。
 マスクの紐を辿る指先にそわりと首の毛が立ち上がる。カサついた指先が耳に到達し、薄いおうとつを、くにゅり、こねられた。
 その瞬間、背骨を駆け抜けるような電流がほとばしり、一松の喉奥から反射的に声が上がった。
「ンゥッ……、ンン、!!」
 大きく跳ね上がった身体をなだめるように、カラ松の大きな手が背をゆっくり撫で上げる。それすらも感じ入るようで、一松の瞳にうっすらと水の膜が浮かび始めた。ドクドクと異常な速さで脈打つ心臓のせいで、肺が縮こまる。しかしカラ松は容赦も加減も無くいっそう深く唇を合わせ、一松は助けを求めるように目の前の胸にしがみついた。
 カラ松の硬い指は、耳や顎、頬、目尻をも次々と辿っていく。閉じることも出来ない両目は、ぼやけたカラ松の睫毛だけを映す。
「ッ、ぁ、……?!」
 マスクの紐を、カラ松の指がゆるく弄った。同時にその膜を隔てた一松の唇に湿った柔らかさが伝わった。
 れる、にゅる、にゅくりと蠢くそれがカラ松の舌であると理解した瞬間、一松の睫を乗り越え、とうとう涙が頬を伝い落ちる。ゼロ距離にあるカラ松の瞳がひどく時間をかけて持ち上がる。紐を伝っていた指が、じわり、じわりとマスクの内側に侵入し、呼吸を忘れた一松の唇に辿り着く。
 視線が、交差した。

「っや、…………!!」

 強い衝撃に、カラ松はたたらを踏んだ。
 ハッ、と勢いよく顔を上げれば、耳も首もすべてを赤く染めた一松が、口元を覆いながら今にも崩れ落ちそうに身体を震わせていた。その瞳からはぼたぼたと涙がこぼれ落ち、水気の多いマスクに吸い込まれていく。
 しまった、の息を飲み、次々と濡れていくそこへ触れようと手を伸ばすが、小さな破裂音と共に阻まれた。

……か、えって、」
「、ごめ、先生、やりすぎた。すまない、」
「帰って。僕も、っ……ちょっと考えらんない、から、ごめん一人にさせて。お願い、」
「っ、…………、」
 指先を伸ばし、しかし肩に触れる前に空中で握りしめた。
声を殺して泣く一松はひどく震えていて、しかし抱き締めなどすればそこから何もかもが崩れ去る気配がした。
…………――本当に、悪かった、
くたりと力をなくしたカラ松は、最後にまたひとつ謝罪を残し、部屋を出る。

 安っぽい蝶番が軋みを響かせた後、カラ松は玄関扉を見つめ、しばし立ち尽くした。
 ドクドクと鳴り止まない鼓動に呼吸が浅くなり、酸素を求めて口を開く。冷たい空気に晒され、唇はつい先ほどまで触れていた熱を求めてわななく。
…………いちま、つ、」
 呼びたくて、けれど口にすることを拒んでいた音が、いつの間にかこぼれて落ちていた。