エディ
2017-11-23 20:58:15
4257文字
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花屋と漫画家 第二話「誓約と見返りと」

カライチ

 


 振動音とともに液晶画面が”松野カラ松”を表示する。話してきたぞという第一声の明るさに、チョロ松は頬の筋肉を緩めた。自分が世話をし、そして自分自身も助けられてきた存在が相当追い詰められていたのは分かっていた。何かしらの突破口を見つけられたらと、人見知りを承知で一松にこの男を紹介したがどうやら悪い方向には転ばなかったらしい。
 撮影の合間、軽い直しであれば問題ないだろうとアシスタントに筆を持たせ、スタッフルームにはチョロ松だけが残っていた。ライトが多数ついたままの鏡台へするりと腰掛け、そこに自分の顔を写す。瞬間、カラ松が続けた言葉に顔中の筋肉が強張った。
「ああ、それでな、付き合うことになったんだ。彼と」
………………は?」
「先生の方から頼まれたんだ」
「え、うそ、ハ、ちょっと待って、お前もしかしてゲイだってこと」
「言ってない」
 鏡に映る瞳は左右に振れまくり、首筋に一筋の汗が伝った。状況が少しも読めず、一度大きく息を吸い込んでからゆっくりと吐き出した。それは通話相手にも伝わったようで、抜けた青空のような笑い声が向こう側から聞こえた。
 故意ではないことと、結論から話しているだけなのだと分かっていても戸惑わずにはいられない。人と話すのが上手いくせに要点を得ないまま切り出してこちらを困惑させる、この男との出会いは都心にひっそりと建つゲイバーだった。

 気さくで明るいこの店のママと話すことは、休みが不定であるチョロ松の楽しみだ。
 その日もカウンターに腰掛けシャルル・ジョルダンを楽しんでいた。カロン、と心地よい鐘の音が店内に響き、やがて二つ席を空けて自分とそう変わらない年の男が座った。「カラちゅん、今日は何にする?」と問われ、男はこちらのグラスを一瞥すると「カイピリーニャを頼むぜ」と少し大袈裟な動きで注文した。
 カクテルグラスに注がれた自分のグリーンの横に、透き通ったブルーのロックグラスが並ぶ。「乾杯」と明るい声に誘われ、節の目立つ男の手でステムを掴む。「ああ、どうも」と目を合わせた瞬間にお互い悟る。
 ……――――タチだな。
 男のグラスからクラッシュドアイスが崩れる音を聞いて、チョロ松も酒を飲み下す。
 店主曰く、最近頻繁に来るようになったという男は、よく利用する撮影スタジオにほど近い花屋に勤めているらしい。当たり障りのない挨拶から、お互い「美」という分野に携わる仕事をしていたこともあり店主を通して会話に花が咲いた。二杯目はお互いエメラルドミストを頼み、ファッショングラスで唇を湿らせる。
「美容家にトランスジェンダーが多いとはよく言ったものだが、ホンモノに出会ったのはこれが初めてさ」
「僕も。花屋さんなんて女性に囲まれていそうな仕事で、タチ専なのね」
「女性も花も美しいものは大好きさぁ、俺の愛情は全生物に向いてるぜぇ? 君こそ、蠱惑的なその瞳や指を持ってして、男を落とすのが趣味なのか?」
「僕はどっちも好きなだけ。男も女も、僕の指で可愛がりたいの」
 素敵だ、と嫌味なく男は言い、濡れたグラスをひと舐めしてから目を細める。
「カラ松だ。もし良かったら俺の店にも遊びに来てほしい」
「仕事用の名前もあるんだけど……、チョロ松って呼んで。お花屋さん、是非贔屓させて欲しいわ」
 舞台俳優かのようにやけに動きが大袈裟ではあるものの、直球で飾らないカラ松の物言いをチョロ松は気に入り、時間の許す限りその夜は話した。
 約束はしなくても二度、三度と会えば、お互いの職の話から店に来た男のタイプなど、ざっくばらんに話す仲へと進展するのは早かった。仕事での贈呈品や私用での手土産に花を買う機会も格段に増え、その都度、用途に的確なチョイス、アレンジ、デコレーションを施すカラ松の腕に惚れ惚れとしたものだった。
 花屋としての技術的にも、そして人間性も申し分なく気に入っていた。
 だから。だから同性愛者と知りつつも、大切な一松をこの男に会わせたと言うのに。”付き合うことになった”とは、どういう意味だ。

……それって、……つまり何か仕事の手伝いをってこと、なのよね?」
「もちろんだ」
「僕はただ体験聞かせてやってって頼んだだけのはずだけど……まぁいいわ。花の資料提供とか、あとはお前でデッサン練習とか? 確かに良い資料にはなるだろうけど、」
「いや? ちゃんと交際を申し込まれたぞ」
「おいおいおい本当にそっちの意味なのかよ、おいこらてめー僕の可愛い後輩に手ぇ出してんじゃねえだろうな。僕はお前がノンケに手ぇ出さないっての信じて託したんだぞおいこら」
「ウェイウェイ、ヴェ、ゔ、うぇいとだちょろまぁつ……少々大声が過ぎるぞ……っ!」
 電子機器に向かって遠慮なく罵倒を浴びせかけると、カラ松が呻き声を上げた。
 チョロ松は、カラ松が好む男がどういった傾向かを十分に知っていた。細かい部分は置いておくにしても、一番重きを置いていたのは「ノンケには手を出さない」という一点ではなかったのか。あまりの気迫に少し押されていたカラ松も、心外だと弁解する。
「仕事の一環だ。話しただけじゃどうにも……俺が彼氏に、あの子が彼女になって接してあげれば、自ずと女性の目線や心情を理解できるんじゃないかと思ったのさ」
「まぁ、それが一番手っ取り早いけど……大丈夫なんだろうな?」
「んん?」
「僕の大事な――弟みたいな存在なんだよ。泣かせたりしたら……傷つけたりしたら、許さないよ」
「ふ、もちろんさ。そこは心配いらない。何度も言うがストレートを落として遊ぶ趣味は、俺には無い。そもそも彼のことは全くタイプじゃないし、割り切った関係だと向こうだって十分理解しているだろう」
 少々無遠慮な物言いにムッと唇をすぼめるが、この男の言う通りだとチョロ松もゆっくり瞬く。
 他人と打ち解けづらく、そして他人の経験談をすぐに自分の中で昇華出来る器用さも持ち合わせていない一松が、恋愛のハウツーを学ぶなら実践することが確実であり最も早いことには違いない。同性同士という一番の難点も、女性の扱いに長けている上に男役(タチ)しかしないこの男であれば得意分野といえるだろう。そして何より、一松はストレートであり、カラ松は同性愛者しか相手にしない。
 つまり、「間違い」は起こらない。
 言い切ってもいいだろうと、カラ松は、そしてチョロ松自身も感じていた。鏡に映る自身はまだ困惑した表情のままではあるものの、この状況に納得をし始めていた。そして、ふと思いつく。
……ん? でもそれってお前に見返り無さすぎるんじゃないの?」
「そりゃあそうだが、お前の頼みを断る気になれない。力になりたいじゃないか」
「変に紳士なんだから。僕がウケだったら一晩相手頼みたいくらい。っていうのは冗談で……ねぇ、こういうのはどう?」
 どうか上手くいきますように。そう願いを込めて、チョロ松は携帯電話を握る手に少し力を込めた。



「ぼ、僕が、……店先で、絵を?」
 交際を始めて三日目、一松は、再び訪れた花屋の店先で分かりやすく狼狽えた。
 カラ松には当然日中この店での仕事がある。一般的な恋人たちのように休みを合わせてデートをするだとか、そんな時間をかけて親睦を深めている場合ではない一松は、大の苦手とする外出を余儀なくされていた。カラ松の休みを待つわけにはいかない。そも、たまの休みくらい勤務時間外であるこの交際ごっこから開放されるべきだろう。ならば一松が日中カラ松の職場に赴くのが最適だというのは、明らかだった。
 丸一日かけて決心を付けた一松は、交際相手に会うために花屋へ足を向けた。そうしてまたしても抜群の営業スマイルとともに言われたのが、チョロ松からの提案だった。
「もちろん君さえ良ければ、だ。ライブペイントって言うのか? 描いている姿だけでもちょっとした客引きになると思うし、……あとは店内に絵を飾ったり、可能ならお客さんにプレゼントも。店長にはもう話してあるんだが、店の宣伝効果になるだろう?」
「そ、うだよね、僕ばっかり助けてもらうことになるもん、ね……
「ああいや。無理はしなくていい。週に数度とも言わない、君の好きなときにしてくれるだけで、俺は嬉しい」
 慌てて付け足すカラ松に、一松は胸に妙なモヤを感じた。この男はどうしてここまで親身になれるのだろう。自分にはちっとも理解ができない。世のため人のため、そして花のためとかいう博愛主義のせいだろうか。チョロ松もチョロ松だ。どうして自分のような何の利用価値もない人間にこんなにも手を掛けてくれるのだろう。
 それを今考えたところでしょうがない、とマスクの下で唇を緩く噛む。
「ううん、毎日来る。やらせて」
 この無償の好意を無碍にすることが、もっとも冒涜だろう。そのくらいはこの卑屈根暗ゴミ人間にも分かると、一松は視線も合わせずに言った。
 想像よりもずっと早くきっぱりとした決断に、カラ松は三度大きく瞬いた。マスクから覗く一松の頬はほんのりと赤みを差していて、カラ松の頬もむずりと痒くなった。「そうか、嬉しい」と言いながら、居心地が悪そうにカーディガンの裾を握っていた一松の手に指を滑らせる。
 びく、と小さく跳ねた手を、布からゆっくり解くように握り込む。冷たいと思っていたその手は、少し湿っていて、とても温かかった。
「ありがとう、先生。とても嬉しいぞ」
「大袈裟。そんな難しくないし、一応、本業だし……まぁ底辺漫画家ですけどねぇ……店の評価下げるようにはならない、と、いいけど」
「いいや、人より秀でている分野がひとつでもあれば十分じゃないか」
「だから、おおげさ、……ン、ねぇ、手ぇやめて、」
 ふにふにと柔らかく、所々硬いしこりの目立つ絵描きの右手を、カラ松はなおも握っていた。するりと全ての指と指を絡ませ、ふいに持ち上げる。
 チュゥ、
 と、一松にとって馴染みのなさ過ぎる音とともに、手の甲に柔らかい皮膚の感触が伝わった。
「っ、な゛、なに、しっ…………っ?!」
「じゃあ早速今日から頼むぜ、ハニー」
 手の甲から唇を一センチだけ離し、少し上目でカラ松が一松を見る。
 女性扱いをされることが、こんなにも心臓に負担がかかるのかと、一松は先程よりもずっと熱を集め、茹だりそうな脳みその隅っこでまたしても白旗をかざした。