エディ
2017-11-18 00:30:10
5618文字
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花屋と漫画家 第一話「契約交際」

カライチ

 

 
 生きるか死ぬか。
 笑い事ではない瀬戸際に、ミネット松野こと少女漫画家・松野一松は追いこまれていた。スランプでもない。ネタ切れでもない。ただ自分の作品に評価が着かない。つまり、根本的に向いていないのだ。松野一松にとって漫画を描くことは「好きだった」だけで、漫画家という「職業」としてみれば天職であるとは到底言えないものだった。
 ならばなぜこの仕事だけで食べているのかと問われれば、最初に上がる理由は彼の双子の弟たちにある。一松の三つ下、学年でいえば中学も高校も同じタイミングで卒業式と入学式を迎えていた弟たちは、一松と同じく手に職をつけている。上の十四松は動物園の飼育員で、下のトド松は保育士だ。専門学校や短期大学を経てそれぞれの夢を叶え天職に就いたといえよう。四年制大学に通っていた一松はまたしても弟たちと同じ時期に卒業式を迎えた。
 しかし、高校時代にたった一度投稿した新人賞になぜだかどうして入選。自分自身が現状を飲み込めないままに受賞作は雑誌掲載となり、当時の一松にとって息を呑むほどの賞金と共に、家族や学校での知人に持て囃されることになった。当然弟たちは「兄が昔から大好きだった絵を描く仕事に就くのだ」と大はしゃぎである。夢に向かってますます燃える結果となった。
 それはいい。人間としてなんの尊敬の価値もなかった自分が、初めて目標となる存在になったのだ。結果として弟たちはそれぞれ、大好きで、適性もある、まさに天職に就いたのだ。
 しかし自分はどうだ、と一松は苦しみ続けていた。スタートラインに立ったのが早かっただけで、数歩走ったところで自分は停滞し、兄を指標に夢へと突き進んだ二人はとっくに一松を置いて人生というマラソンを続けている。収入面を取ってもみても、二人だって決して多いわけではない。日常的な体力仕事に時間外労働だって多い。一日中部屋に篭って己だけと戦えばいい労働環境とは大違いだ。そのくせ、長子である自分がいちばん薄給だなんて。
 情けない。しかし、ここで歩みを完全に止めてしまったりスタート地点に戻ることをすれば、それこそ弟たちへの裏切りのようにさえ感じていた。
「で、ミネット先生は社会人経験がおありなんでしたっけ」
…………コンビニバイト、と……猫カフェ店員…………、なら、」
「それいつまで続いたんですか」
「コンビニは一ヶ月と半分で……猫カフェはなんか一日で、駄目って」
「あのねぇ先生。ちょっと、薄すぎるんですよ。ストーリーに! 味が! ほぼ無い!」
 おっしゃる通りでという言葉は舌の上に転がしただけで一松は押し黙った。担当の言う通りである。交友関係も少なく、絵を描くこと以外にこれといった趣味は無い。どこかに出掛けたり、映画や小説を楽しむといったインプット作業が足りていない。そして、漫画だけでは生活が出来ないからと始めたアルバイトで、改めて自分がこんなにも社会不適合者かと思い知ることになったのだ。
「勿体無いですよ先生、こんなに画力があるんだし、あとはシリアスシーンっていうか心理描写だけはやたら深いっていうか……。そこは読者にも好評なんですから」
「ひひ、あざーす」
「あざーすじゃないですって。読み切り一本とか三話完結とかね、いつまでもやってられません。長期連載!」
「いや無理でしょ……こんな味気ない人生送ってた僕が
「じゃあ刺激になるようなこと、少しでもしてきてください。あ、あと、」
 前々から思ってたんですけど、先生、女性経験無いでしょう。という図星かつひどく失礼なことを言ってその日のミーティングはお開きとなった。トートバッグに入っているのは、ぺたんこの財布に、使い古したペンと三分の二が黒く汚れたクロッキー帳。決して重くはないその荷物を肩にかけてトボトボと歩く。
 バイトさえ出来ない、かろうじて人より少し絵が描けるだけの引き篭もり社会不適合者に、彼女なんか、出来るか、ばぁか。そうですよ童貞ですよ。彼女いない歴を毎日更新し続けていますよ。二十六年と数ヶ月。くそが。ブツブツと呟くも、担当が言っていたことは否定しようのない事実だった。
「僕なんで少女漫画家なんかしてるんだろう……
 アパートの自室へ繋ぐ階段を上りながら自分に問うが、それも答えは出ている。猫が好きだからとコミックエッセイを描くも世間の反応は厳しかった。ミネット松野の絵柄なら少女漫画のほうがまだ望みがあると言われ続けその自覚もある。また大きな溜息を吐き出し、安アパートの扉へ鍵を差し込む。
 これはもう、自分ひとりの力ではどうにもならないだろう。
 アパートの扉を閉め、暗い玄関で瞼も閉ざす。その裏側には、ひとりの顔が浮かんでいた。



「あら一松、元気だった? 部屋の居心地はどう? いい仕事部屋になっているのかしら」
「居心地はすごい良い、ありがと、えと、」
「あんたからは”チョロ松”でいいって。今更でしょ」
 くねりと手首をしならせながら、チョロ松は笑った。一松にとって高校の先輩にあたる。美術部を卒業したのちにメイクアップアーティストの道を進み、男のまま、女の心も持つ彼は、今では業界に欠かせない腕の持ち主となっている。
 部活の後輩であり、自分が卒業する直前またたく間に校内で話題となってしまった一松のことを、卒業後も何かと面倒を見ていた。高校時代から人とうまく付き合えず、しかし絵に対してはまっすぐに感情を示す一松のことを、チョロ松は気に入っていた。
「部屋、ほんとありがと。でもごめん。結局ずっと家賃払えてない、から、」
「あたしだって最後の方は払ってなかったわよ。もうあたしのアパートみたいなもんだし、これからも気にせず使っちゃってよ。実家、仕事しづらいんでしょ」
「しづらい、のは、まぁ」
 両親との仲はよく、兄弟とは言うまでもない。けれど、弟たちが社会に出始めた頃、同じ屋根の下で生活しながら自分だけが篭って仕事をしていることにどうしても耐えられない時期が来てしまった。その苦しみは、たとえ上手く言葉に出来たとしても肉親にこぼせるものではない。切羽詰まった一松を救い出したことをきっかけに、一松とチョロ松はさらに親交を深めることとなった。
「それで今日はどうしたの」
………………なんつーか……、そろそろ漫画家やめたほうがいいかもって、」
「またそれ? だからね一松、漫画を描くのやめても、絵で食べていくのがあんたにとって一番良いのよ」
「でも本当に向いてないんだよね。今日担当にも言われた。今日っていうかずうっと言われてるし僕もわかってるんだ。本当、リアリティに欠けるしさ、乙女心とかちっともわかんないし。チョロ松にアドバイス貰ってなんとか描けた話もあるし。けど僕みたいなゴミが今更恋愛したって、」
「分かった分かった。ストップ。そうね、乙女心、ねぇ……。相変わらず好きな人とか、」
「出来るわけない」
「そうよねぇ」
 ふぅ、とやけに色気のある溜息をつき、綺麗に飾った爪で自身の頬を撫でる。チョロ松の動向に一松は黙って視線だけを向けていた。「おとめごころ、恋愛……経験、オンナの心理、ねぇ……」小さく呟き、時折男らしく唸る。「あ、」と空気が抜けたような声の後、まっすぐに一松の瞳を見る。
「知り合いに花屋が居るんだけど」
「お花屋さん?」
「そう。すっごいイタイやつで、まぁ、その、少し変わってはいるんだけど、悪い人間じゃない」
「ふぅん……花、か。そうだよね、何か理由がなきゃ花なんて買うことないし」
「さすが。そうよ、色んな理由があるでしょうけど、必ずなにか、生活の濃い色が背景にあるでしょう? 彼はいつもそんな人達と対面して仕事をしているの。色んな話を聞いて、色んな人の心に触れているはずよ」
 会うだけでもどうかしら、というチョロ松の提案に、一松は珍しく首を縦に振った。



「初めまして。松野カラ松だ」
……ちわ。僕も松野、です…………
 絶対に無理。と、一松は心中で叫んだ。
 耳に飛び込む快活な声。清潔感のある髪。黒いパーカーの袖はまくられ、否が応でも逞しい腕の筋肉を見せる。しかしその体躯を包むのはステッチの愛らしい青いエプロンだ。そして何より、キリリと鋭い角度をつけた太い眉とは対照に厚い二重まぶたを持つ目尻は若干下がっている。その甘い目元は満面の笑みを形作り、こちらを見ているのだ。おまけに背景には、花があしらわれている。もう勘弁してほしい。降参だ。
 さっそく俯き、目も合わせず、マスクをしっかと鼻上まで上げた一松は再び「無理だ……」と心のなかで白旗をあげながら呟いた。十四松やトド松、そしてチョロ松とも違う。同じ外で働く人間だとしても、ここまで自分と間逆な空気を纏った人間がいるものなのか。花屋なのだから、視界に花が入るのはしょうがないけれど、それにしたってこのオーラはなんだろう。物理的に眩しい。
 自己紹介もままならない一松を覗き込みながら、カラ松は特に気にした様子もなく会話を進めていた。
「下の名前は?」
「ミネット」
「へえ、漫画さんと聞いていたんだが、君は海外のひとだったのか? その響き、フランス語だろう。まるでスモールなフラワーにつけられた名前のようだ。漫画家先生、花は好きか?」
「そこそこ」
 じゃあもっと好きになってくれると嬉しい、とまたしても先程の全力の笑みをぶつけられ、一松は呻く。営業用と分かって入るものの攻撃力がえぐい。偏屈さや陰鬱さが更に目立ってしまう。居た堪れない。そう思いつつも本来の目的を果たすため、一松はなんとか会話を続けた。
 チョロ松とひょんなことから知り合ったというカラ松は「ある程度のことは聞いているぜ」と言った後、切り揃えられた爪と少し荒れの目立つ指でいくつかの花を集めていった。
「人の心を理解するのは難しいよな。特にガールたちは、多面性を持ちすぎている」
 青、白、薄い紫、上品な色合いが彼の手の中に収まっていく。
「でも確かに、俺は色んなお客さんと会ってきたからな。話すことは好きなんだ。何を目的にここへ足を運んでくれたのか、どんな理由があってその花が欲しいのか。少しわけを聞けば、その後ろ側にどんな出来事があるのかも想像出来る」
……すごいね。僕には絶対に無理」
「無理なことはないさ。そうだ、こんな客がいたんだが、――――
 そう言ってカラ松は話し始める。「あんな出来事が、」「まさか、こんな目的だったなんて」「彼女はそんな理由で、」と次々と体験を話していく。そのどれもがドラマのようで、一松は黙って頷きながらこれで一本描けそうとまで思えた。しかし。
「まぁ、よくわかんないけどね。僕だったら喧嘩しても仲直りに花はないわ」
「そうか? ううん、難しいな」
「話は面白いし、許可貰えんなら読み切りで使いたいくらい。でも言われてるのは連載なんだよね。僕自身がそういう心情わかんないと……少女漫画とか描けない、やっぱりもう、無理なんだ」
 チョロ松に悪いことしたな、と呟く一松を、カラ松はしばらく黙って見詰めた。眉を寄せ、水の染みた床へと視線を向けてしまった目の前の男を、カラ松もやはり別の人種に感じていた。自分とは真逆の世界に生きる、真逆の感性を持った人間。きっとこんな機会がなければ、それこそ花に興味のない一松とは街ですれ違うこともなかったかもしれない。
 しかしカラ松もまた、チョロ松には日頃から世話になっている。放っておくことも出来るし、自分が言えることは全て渡したと伝えるだけで終わりだ。けれどこのまま返すのは、どこか忍びないと感じていた。
「なら、こういうのはどうだろう」
 手の中に包んでいた、青紫色の小さなブーケを一松に向かって差し出す。

「俺は、君のことを淑女だと思って口説こう。愛そう。君はそれを女性として受け止めてくれ」

 ぽすん、とごく僅かな音を立てて愛らしくラッピングされた花束が一松の胸に落ちる。「は、」という呼吸音以外、一瞬反応を返せなかった。
「な、に言ってんのおまえ、馬鹿か?」
「この方が効率的じゃないか? 君に女性になれと言ってるわけじゃない。ただ俺が、君をそう扱うだけだ」
「え? ああ、……うん? ……なる、ほど?」
 カラ松が女性の扱いに長けてそうなことは確実だ。いくらカラ松の体験談を聞いたところで、きっと少しも身になることはないだろう。
……でもなんか、一方的に女扱いって、きしょいね」
「たしかになぁ」
「口説く、ってことは、それは恋愛をしろ的な、?」
「少女漫画を描くんだろう? 恋する少女が王道じゃないのか?」
「だったら……………………つ、きあう、ふり? ……とか」
「それは俺も考えたぜ」
 へにゃりと笑ったカラ松に対し、一松はギュウと眉を寄せた。
 どうする、ありえない、しかし。
 一方的に恋愛感情をぶつけられたところで、何か意味を成すとは思えない。ならば、自分も擬似恋愛をすることで少しはその心情を理解できるのではないか。これは、最後に残された、とっておきの機会なのではないか。
 背に腹は代えられぬ。そしてもう後はない。一松はマスクを少しだけずらし、薄い唇を動かした。

……ぼくの、連載が決まるまで、でいいので、……付き合ってくれませんか」

 この、恋人ごっこに。
 カラ松は片眉だけ上げ、「いいぞ」と受け入れた。
「じゃあ今日から宜しくな。”子猫ちゃん”」
 バッ! と顔を上げれば、カラ松は無駄に美しくウインクを寄越した。「ミネットの意味、分かってんじゃねえかよ」とマスクの中で呟く。かくしてミネット松野の契約交際恋愛体験記は、羞恥に顔を染めることから始まった。