著者: 雷歌/らいと
2020-10-05 01:10:53
2701文字
Public アクナイ
 

【akni / 銀博】今までも、これからも、


「つきみ?」
「はい、私のいた国ではそういう風習がありまして」
 今日の秘書を担当してくれているホシグマが、そういえば、と会話を切り出した内容。それは、彼女のいた国で行っている、月が一番綺麗に見える日に旬の植物や団子を供えて月を眺める、というものだった。
 その月が一番見える日というのが、今日らしい。
「その話をしたらいつの間にか広まっていて、甲板にて月見会なるものを開くそうです」
 イベント事が好きそうなオペレーターが数人、頭に思い浮かんだ。オペレーターだけでなく、希望する他の部署の職員や患者も体調を見つつ参加するらしい。
「なので、ドクターもいかがですか?」
「そうだね、今日の分は終わりそうだし」
 作戦記録の見直しや各種資料の片付けもほぼ終わっている。終わらない時は日を跨いでも終わらないものだが、どうやら今日はそんなこともないらしい。
 月にまつわる話は他にもあるらしく、極東のことを知るためにもいろいろと聞けて良い収穫を得た。
 ほどなくして、残りの仕事は私一人で大丈夫だからと、どうやらその月見会とやらを楽しみにしているホシグマを先に帰らせることとした。のだが。
「本当に大丈夫ですか」
 こちらを不審げに見つつ、そう何度も確認される。それは、そう言って帰らせたのに、気付けば翌日まで仕事をしていることが何回もあったからだ。
 もちろんそれはその日中に終わらせなくても良いもので、私が勝手に進めていたものである。次の日、秘書担当オペレーターだけでなくハイビスら医療担当の子たちにも叱られるのだが、それでも治らなかった悪い癖だ。
 今日は、いつまでも私が月見会に現れなかったら呼びに来てくれ、という約束で見送った。それならばと、ホシグマも納得してくれたようである。
「さて、じゃあもうひと踏ん張りしますか」
 そんな独り言を漏らして、続きを進めることとした。
 それからどれぐらいが経っただろう。ドアが開く音がして視線を向けると、そこにはシルバーアッシュが立っていた。
「おや、今日は約束があったかな?」
「いいや。お前を呼びに来た者と鉢合わせてな。ホシグマと言ったか」
「えっ」
 時計を見やれば、ホシグマを見送ってから数時間経っている。しまった、とため息を吐き出して、ひとまずさっさと片づける。
「何用か聞かなかったのだが、何か緊急の用か?」
「ああ、そうでなく」
 経緯を説明すると、なるほどな、とシルバーアッシュは頷いた。
「盟友は放っておかれると没頭しすぎるからな」
「反論の余地もありませんとも、ええ」
 呼びに来てくれて助かったよ、と苦笑を浮かべる。そうでないと今日も眠らない一夜を過ごしていただろう。
「そうだ、シルバーアッシュも一緒にどう? 月見会。どれほど月が綺麗かはわからないんだけど」
 なんとはなしにそう誘ってみたのだけど、視界の端にシルバーアッシュの尻尾がゆらゆらと動いているのが見えた。嫌ではないらしい。
「盟友の誘いとあれば」
「それじゃあ、今日も甲板へとご案内しますよ」
 あまりこの艦に長居しないとはいえ、何回か案内しているのだからシルバーアッシュはすでにここから甲板への道程を知っているはずだ。それでも時折、甲板へと案内して欲しいと言うのは、私を気分転換させるためなのだろう。
 何もなければまったく外へ出ないことを知っているのだろう。いや、それとも前の私もそうだったのかもしれない。
「そういえば、テンジンは部屋に?」
「ああ、夜目が効かないからな。部屋で休ませている」
「戦場ではとても頼もしいけど、鳥という種はどうしようもないものだからね」
「盟友、私はどうだ?」
「え?」
「テンジンのように、私も頼もしいだろう?」
 その言葉を聞いて、きょとんとシルバーアッシュを見た。冗談を言ってるような表情ではない、表情は柔らかいがその目は真剣である。
 少しして、おかしそうに笑った。
「ふふ、テンジンに嫉妬かい? 意外と社長サマは子どもっぽいところがあるんデスネ」
「ああ、そうだな。テンジンや、部下であるクーリエやマッターホルンであったとしても、お前が褒めるのを聞いて、誇りに思うのと同時に羨ましいと思うのだ」
 そういうものなのか、と小さく口にして甲板へと続くドアへと手を伸ばす。しかしドアを開ける前に、その手を後ろから握りこまれた。なにを、とシルバーアッシュの方へと視線をやれば、思っていたよりも顔が近くてぎょっとする。
 思わず離れようとして後ろへ足が動くが、すぐに背中は壁に当たってそれ以上は離れられない。ともすれば、シルバーアッシュは近づくのをやめない。逃げられないようにか、私の両側へと手を置かれて閉じ込められる。身長差もあり、ほぼ上から見降ろされて、言い知れぬ恐怖とそれとは真逆の高揚感を得ていた。
「お前だけだ、盟友。私の心をかき乱すのは」
 いつものはっきりとした物言いではなく、空気へと溶けてしまいそうな甘い声色でそう言われ、痺れるような感覚が体に走った。
 覚えがある感覚だ。けれど、こう感じていることをシルバーアッシュに悟らせてはいけないものだろう。
「光栄だよ、社長サマ。けれど、今は月見会にはやく行きたいかな」
 じゃないとまた心配して優秀なオペレーターが私を呼びに来てしまうからね、と続けて言う。動きを封じるシルバーアッシュの手を軽く叩くと、苦笑を浮かべて彼は身を引いてくれた。
 ありがとう、と言ってから甲板へのドアを開ける。外へ出て空を見上げれば、見事に真ん丸な月がそこに表れていた。
 闇夜が濃いためか、煌々と輝く月に少しだけ見惚れる。ふと、それに照らされるシルバーアッシュの横顔を見て。
「月が綺麗だね」
 そう言えば、シルバーアッシュは月を見上げつつ頷きながら言う。
「ああ、綺麗だな」
 気付かなかったなと、少し安堵の息をついて、それから月見会が開かれている方へと歩いて行った。
 月に関する話で、とある小説家の人柄を表す逸話でこんなのがある、とホシグマから聞いていたのだ。極東に関する有用な情報ではないが、とても心に残る話でずっと頭から離れないでいた。だから、魔が差して、試してみたというわけだ。
 もし気付かれて返されていたとしても、素知らぬ振りをすればいい。良い話を悪用している気になって少しだけ罪悪感があるが。
 けれど、そう、気付かれなくて良かったのだ。
 こちらを呼ぶ声に、軽く手を振る。
 きっとこれからも、ずっと月は綺麗なのだろう。空しくもそんな確信を得ていた。



end.