12人の囚人たちがただ何もない白い部屋の中にいた。扉も窓もないその部屋は、天地すら定かでないほど曖昧な境界で構成され、どこまでの奥行きがあるのかも分からない、ただ「とてつもなく広い」ことだけ認識出来る不気味さがあった。
いつものように新たに出現した湖の鏡と呼ばれる扉を潜り、少し仕様が変化したとはいえ囚人たちのやることは変わらず、進む道を塞ぐ仮想の人間や幻想体を薙ぎ倒していくことで、今日もそれらは途中まで滞りなく行われていたはずだった。
「…えっと、皆さんはここに来るまでの記憶とか、覚えてます?僕は次の区画の扉を開けた所までしか覚えてないんですけど…」
状況を把握するまでの混乱からいち早く復帰したシンクレアが口火を切ったのを境に端も見えない白いだけの部屋の中は途端に騒がしくなる。「私も〜!気づいたらここでぼーっとしてた感じ」「某も同じでございます!!」「扉を開け一拍の空白の時間を観測しましたが、ファウストも概ね同意見ですね」「参ったなぁ、何らかのギミックなんだろうがヒントもなしか?」「それっぽいボタンも化け物もいませんしね…」「部屋の規模がどの程度なのかの推測もままならんな、誰かを一度端から端まで走らせてみるか」「つまらんジョークだな」「されば出口すら見当たらず」「わぁ〜、僕たち閉じ込められちゃったってことですかぁ?」「呑気に言ってる場合かよクソッタレ」。不本意ではあるが訳のわからない状況に置かれることに慣れてしまった囚人たちの、どこか緊迫感のない会話の応酬の中で一人、ただ虚空を見つめて微動だにしない男がいた。正確には虚空ではなく、現状把握と打破に努めて意見を交わす囚人たち一人一人を、感情の読めない昏い目で静かに追っている。常から言葉数の少ない男が黙り込んでいることに疑問を持たない彼らは、その平坦な眼差しを意に解することなく好き勝手に言葉を吐き出し続けた。
「ここに来る前の区画って何だっけ?」
「幻想体との戦闘ですよ。誰かさんの頭にくっついてたチキンのやつ」
「皮肉混ぜねぇと取れんのかその舌?」
「あれは実に美味でございましたな!」
「涎出てますよドンキホーテさん…」
「貴様ちょっと全力で壁にぶち当たるまで走ってこい」
「正気か?この面子で俺にそれを言うのか??」
「全力疾走するグレゴールさんはちょっと見てみたいですね〜」
「ぶ、む、へ、お(無様に虫親父がへたり込むのがおちだ)」
「現状の把握という点に於いては悪くはありませんが、そもそも私たちが立つこの場所の先にも床が存在するという概念は捨てた方がいいかもしれませんね」
身振り手振り、言葉の羅列、音の反響、空気の揺らめき。閉じた空間に満ちる同僚たちが齎すそれらをただ見つめるばかりで、岩のように口を閉ざしたままの男に気がついたイサンが口元に薄く笑みをしいて傍に寄る。朋との痛みを伴う別れを越えて取り戻したかつての人懐こさで、喧騒から一歩離れて凛と立つ男の背に触れながら声をかけた。そこには只管に善意しか存在しなかった。
「君はいかが思ふ?」
昏い緑の眼球が傍らに向けられた。およそ仲間に向けるようなものではない無機質さで。
「…いかでかせるや、?」
イサンの言葉は不自然に途切れた。迷うことなく伸びてきた男の右手に首をへし折られるバキリ、という音が、奇妙な部屋中に響いて喧騒を止める。混乱が一同に蔓延するほんの少し前、一瞬の空白の間に男は次の行動に移っていた。
凶行に唖然とし口を開けたままのドンキホーテを床に引き倒し同じように首の骨を折り、悲鳴を上げたシンクレアの顔面を叩き潰した。そこでようやく非難の声を上げたグレゴール、ロージャ、イシュメールを次々と薙ぎ倒し、薄ら笑いを浮かべた良秀と気が狂ったかと叫んだウーティス、静かな眼差しを向けたファウストの息の根を止めたところで一度立ち止まった。頬に飛んだ血痕を拭おうと手を上げて、血やら脂やらに塗れた手甲が視界に入り直ぐに下ろす。真っ白な部屋にどす黒い赤と肉片が散る様に視界がチカチカと明滅し男は眉間に深く皺を寄せた。
「テメェ、マジで狂ったのか?」
じくじくと疼く顬の痛みに気を取られていた男の耳に、怒りと恐れと落胆をぐちゃぐちゃに掻き混ぜてぶちまけたような、細く震えるヒースクリフの声が届く。
男が首を横に傾けて仰ぎ見るように視線を向けると、ものの見事に引き攣った顔でこちらを睨みつける傷の多い男と目が合い、男は溜め息を一つ吐き出して少し丸めていた背を伸ばした。汚れて隙間から赤が染み出す手を数度振り、特段急ぐ様子もなく立ち尽くしたヒースクリフへと近づいていく。
「おい、何とか言えよ!」
距離は数歩で埋まった。
「イカレ野郎!何がしてぇんだ!?」
汚れた掌はすぐに喉元に届いた。
「聞いてんのかクソッタレ!!テメェがしてること理解してんのかって聞いてんだよこの○×△□!?!?」
あらん限りの罵詈雑言を吐き出すヒースクリフのシャツを掴み、真っ白な床に引き倒す。加減なく叩きつけた衝撃で呼吸を詰まらせて顔を歪める男に馬乗りになり、再び吠えようとヒースクリフが口を開けるより先に告げた。
「イサンは今朝コーヒーを零しシャツの袖を汚していた」
「……は?」
「ドンキホーテは寝癖が直らず右側頭部が通常より跳ねていたし、シンクレアは左薬指を切り絆創膏をしていた。グレゴールは腰の調子が芳しくなく常より左側に重心が傾き、ロージャは空腹を覚えて早く帰還したがっており、イシュメールは前日の読書が深夜に及んで寝不足、欠伸の頻度が多かった」
「何の話してんだ?」
「全員に言えることだがそれを加味しても良秀とウーティスは戦闘経験が豊富で、私が彼女らに手を伸ばした瞬間腕を落とされなかったのは何故だ?ファウストがただ無抵抗なまま状況を打破する知識一つなく頭を叩き割られたことに違和感を覚えないのか?血気盛んな貴方が、この後に及んで私と呑気に会話していることが異常だとわからないのか?」
男が澱みなく吐き出した言葉を聞いて、ヒースクリフは組み敷かれたまま黙り込む。その目には貼り付けたような困惑と怒りがあったが、男の目はその奥で自分を覗き込む不快な視線を捉えていた。茶番だ。チカチカと目の前が瞬いた。疼きは鈍痛に変わっていた。強く瞼を一度閉じる。
息を吐いた。肺の中の重い澱みを吐き出すように。しかし言葉を紡ぐために吸い込んだ空気がどうしようもなく腥く、結局胸の不快感は消えてはくれなかった。
目を開く。眼下でこちらを見上げる紫色に冷えた視線を返して、深く深く眉間に皺を寄せたままムルソーは言った。
「そもそも、貴方たちが一度も『管理人の安否』について言及しなかったこと自体、有り得ないことだろう」
首を掴んだ掌に力を込めた。骨の折れる鈍い音とほとんど同時に意識が白んで、ぐわんと地面が揺れるような感覚の後にぶつりと途切れる。
「お、出てきた」
呑気な声に目を開けると、扉に程近い場所で座り込んでいたヒースクリフと視線が合った。ムルソーの顔を見てふん、と鼻を鳴らした彼はそのまま立ち上がると、少し離れた場所でファウストたちと話している様子のダンテを「時計面ァ!」と大声で呼び寄せる。
お疲れ様でしたムルソーさん、と笑うシンクレアの左薬指にはポップな兎柄の絆創膏、跳ねるようにこちらに向かってこようとしているドンキホーテの右側頭部の髪はひょこひょこと踊っている。ロージャはお腹が空いたよグレッグ〜と嘆き、彼女に凭れかかられたグレゴールは腰が死ぬ!と悲鳴を上げて、イシュメールはそんな二人に呆れた視線を向けつつふわぁ、と欠伸を噛み殺していた。その向こうで何やら揉めている良秀とウーティスを宥めようと右往左往しているイサンの袖口には、茶色い染みが出来ていた。
息を吐く。即座に吸い込んだ空気はお世辞にも澄んでいるとは言い難かったが腥くはなかった。視界は未だチカチカと瞬き顬の疼痛は最早爆発しそうな頭痛に変わっていたが、臓腑を掻き毟りたくなる違和感は消え去っている。己の両腕に血肉は滴っていない。
《ムルソー》とダンテが片手を上げて近寄るのに黙ったまま突っ立っているムルソーを怪訝そうに見たヒースクリフの紫の目は、白と赤だけが鮮明だった部屋の中より鮮やかに、混濁した感情を込めてムルソーを見る。
「……おい、何かあったのかよ」
ぶっきらぼうにこちらを労る声に首を振った。鼻の中から鉄錆の匂いがしたが特に気にせず、ぱっと光に支配された視界の向こうで焦ったようなヒースクリフたちの声を聞きながらムルソーは淡々と言う。
「なにも」
判定成功。
(選択した囚人に▫️▫️▫️▫️▫️の精神ダメージ)
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