冬灯夜
2023-10-02 21:08:27
4985文字
Public ルミナリア
 

正義の答えが出る日まで

#ルミナリア版ドロライ企画【ユーゴ】【ANSWER】
ユーゴが思い出してから亡命するまで
・主にリゼットと幼馴染みへの感情

 リゼット・レニエという人物は、僕にとって心地よい大人だった。
 怖いかどうかで言えば、正直最初は怖かった。でもそれはレオの祖母、アデールさんに感じる怖さと似ているように思えた。つまり、厳しい指導の裏には確かに僕達生徒への温かさがある、ということだ。先輩方が皆、教官を慕っている姿も理解の一助になったと思う。……それはそれとして、授業は大変恐ろしかった。
 何よりも教官は誰に対しても態度を変えない。先輩方にも、僕にも、幼馴染みにも、同期にも。
 間違ってもそれを今後にどう生かせばいいのか導いてくれて、出来ることが増えれば褒めてくれる。こんなにも大人を頼りに思ったのは初めてかもしれない。多分、僕は教官に憧れていたのだと思う。まあ、それはレオもセリアもミシェルも、一年生皆がそうだろうけれど。
 実の所、僕は“大人”に少しばかり苦手意識があった。
 僕の生まれ育った家は……温かみというものは、少々欠けていた。愛はあった、と思う。
 トレアン村の人々は優しかったが、端々に“あの”ル・サント村の、という哀れみを見せていて、僕もレオもセリアも、随分気を遣ったものだ。
 セリアの叔父さん夫妻にはとても感謝している。セリアだけでなく僕とレオも引き取ってくれたおかげで、三人バラバラにならずに済んだ。それだけに、迷惑は掛けられないと思っていたけれど。
 騎士学校へ提出する書類の出身地はトレアン村にしょう、と提案したのは僕だった。嘘を吐くのではなく、言わないでいよう、と。レオもセリアも少しホッとした顔で賛成してくれて、その提案は間違ってなかったと密かに胸を撫で下ろした。もしも隠したことを責められたら、僕が二人に頼んだのだからそう言うようにして欲しい、と言うと二人揃ってため息を吐かれた。
『馬鹿だなぁ、ユーゴは。なあ、セリアお母さんや』
『本当にねえ、レオお父さんや』
『ふ、二人とも何だい、その顔は』
『あのな、ユーゴにだけ背負わせるわけねえだろ』
『これは私達三人で決めたことなの。分かった? ユーゴ』
 呆れ顔で、けれど優しく真っ直ぐに言う二人に、僕は俯くように頷いた。少し、ほんの少しだけ涙が出そうで。そうだ、僕達は三人一緒だ。ずっと。これからもそう在る為に、前へ進むんだ。
 そうして迎えた騎士学校での日々は、予想を遥かに超えていた。
 僕らを“あの”目で見ない人々。頼もしい先輩方に同級生。村とは全然違う生活と授業の日々は忙しく、とても充実していた。

 だから、ほんの少し落胆したのだ。

「ル・サント村……という名前に聞き覚えは?」
 そう訊ねた教官の声には僅かな躊躇いが乗っていた。入学して一年近くが経った頃の任務でのことだ。
 ……ああ、教官もなのか。この人でさえも、そんな風に気を遣ってしまうのか。
 書類はトレアン村になっている筈だからどこで知ったのだろう、なんて疑問よりも先に、その落胆が来てしまった。
 聞き覚えはある。詳しい。もちろんだ。
 行ったことはない。……そう、あの惨劇から一度も足を踏み入れたことはない。
 嘘ではないギリギリを答えたのは、僕だけの話ではないからだ。僕がル・サント出身と知れれば必然、レオとセリアもそうだと分かる。教官が簡単に他人に言うとは思えなかったが、騎士学校での日々をかつてのような視線と共に過ごしたくはない。
 ……いいや、本当はそれだけではなく。教官もあの頃の大人達と同じになってしまうのか、と。裏切られたような失望から殊更意地になってしまったのかもしれない。
 今は任務を果たすのだと森の奥へ進んで……結局その後、教官が故郷について問うことはこなかった。態度もいつもと変わらなかったし、エドさんに息がぴったりだと言われて簡単に浮上してしまったのだから、僕も単純だ。まったく、レオのことを言えない。
 だって教官は間違いなく尊敬すべき大人だったから。きっと故郷のことを察しても変わらず接してくれているのだ。任務前の模擬戦で驚く程の恐怖を感じたのだって、教官の言う通り眉間に銃を突きつけられれば誰だって平静ではいられない、というだけのこと。

 ――そう、思っていたのに。

 特別授業。恐怖。死。
 あの日。炎に包まれたル・サント村で、僕に銃を突きつけたそいつは、目の前の。嘘だ。嘘だ、そんなの、ありえるわけ、
「触るな!」
 嘘だと繰り返す脳内とは裏腹に――僕は伸ばされた教官の手を反射的に叩き落としていた。
 記憶と恐怖をどうにか閉じ込めながら帰路へつき、どうかしたのかと心配する幼馴染みに何でもないと答えて早々に部屋に引っ込んだ。
……なんで、こんな」
 自分でも驚く程に途方に暮れた声が零れた。目を閉じてもあの光景が蘇る。
 布団に包まって、ただ必死に震えと恐怖を抑え込むしか出来なかった。


 朝、目が覚めても夢の中にいる気がした。
 空は晴れ晴れとしていて、温暖なシルヴェーアでは稽古日和だ。ル・サントでもこんな日にはよくレオと木剣で打ち合っていたものだ。
『眉間を撃ち抜く』
 冷えた声が頭の中に響く。ベッドから起こしたばかりの身体が再び倒れ込んでしまった。
 薄紫の髪を揺らし、酷薄な瞳が僕を見下ろしている。
 何かの間違いだと叫ぶ心とは裏腹に、僕の身体はあの恐怖を覚えている。つい昨日まで忘れていたのに。
 授業に出なければ。レオもセリアも、ミシェルや先輩方も心配するだろう。のろのろと身体を引きずって訓練場に向かい――教官を目にした途端、崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
……ユーゴ?」
 セリアが訝しげに声を掛ける。何でもない、と口にするしかなかった。
 授業中は目の前のことに集中すればいい。ミシェルと組んでレオ、セリアと模擬戦を行う。……振るいはしなかった。
「ごめんなさい。上手くサポート出来ませんでしたね」
 ミシェルには気を遣わせてしまった。僕の不調だと分かっているのに、触れられたくないのだと察したのだろう。こちらこそごめん、と短く謝ってその場を離れた。
 あの人のもの言いたげな視線から逃れるように。
「は……はッ……
 ばくばくする胸を押さえながら、震える呼吸を吐き出す。だって今日も変わらなかった。教官は教官のままで。
 ――でも、僕は、思い出してしまったのだ。
……嘘だと、言ってくれ」
 物陰に座り込んで、呟く。
 僕の記憶に誰が嘘だと言えるというのか。だから繰り返し嘘だと声が響いて、その度に蘇る姿が、声が、それを否定する。
 近くで誰かが話す声が聞こえて、ふらりと立ち上がる。
 今はただ、ひとりでこの記憶に立ち向かうしかなかった。


 彼女は、僕達を騙していたのだ。
 その結論に至るのに丸一日を要した。
 信じたくなかった。けれど思い出した記憶の中の兵士は、どう頑張って見ても教官――リゼット・レニエに相違ない。冷酷な瞳で見下ろし、まるで授業でもするかのように振る舞い――引き金を引いた。
 裏切られたのだ、何もかも。
 顔も見たくない。けれど授業は続く。どうしたらいい。レオとセリアにどう言えば。言えるわけがない、今日だって二人は元気に彼女に返事をしていたのに。
 何か声を掛けようとする彼女を避けて、せめて平静を取り繕おうとしているのに、どうしても彼女を目にすれば恐怖とあの時の瞳が蘇る。イェルシィ先輩が声を掛けてきたのは、そんな時だった。
「教官と喧嘩でもした?」
 いつものように軽い調子の問いに、言葉が詰まる。
 喧嘩、ではない。喧嘩になどなり得ない。裏切られ、故郷を焼かれた痛みは。
……いえ」
 そう答えるのが精一杯の僕に、そっか、とイェルシィ先輩は静かに呟く。と次の瞬間、イェルシィ先輩はパンッと手を叩いた。
「じゃ、あたしはいつでも話聞くからさ。あ、何か言いづらいなーってことあったら、あたしが代わりにきょーかんにビシッと言っちゃるしー!」
 何でも言いな、と笑うイェルシィ先輩に、言えませんよ、と言葉には出来ない。
 だけど、あえて明るく振る舞うイェルシィ先輩に引っ張られて、僕は少しだけ笑った。
……はい。ありがとうございます」
 きっと見れたものじゃない笑みだったろうけれど。
 騎士学校は優しい。温かくて、光に満ちていて、――戦場へ向かう場所だというのを忘れそうなくらいに。


 カシュール村占領作戦の任務を命じられたのは、次の日のことだった。
 セリアは先行し、僕とレオと……彼女が周囲を制圧してから村へと向かう。
 道中、レオが“教官”を褒める度。彼女が冷静に窘める言葉を吐く度。どうしようもなく腹の底から苛立ちが湧き上がる。
 よくも平気な顔をして“指導”が出来るものだと。
 抑えきれずに毒を吐いても彼女は反論せず、ただ任務を遂行するようにと、戦場から生きて帰る為にもと言うばかりで。
 ――どの口が!!
 僕達の村を焼いたのは誰だと思っているんだ。それでも戦場で連携の乱れは命取りだ。レオとセリアの為にもと言うそこだけを受け取って、ただ前へ進む。
 カシュール村に着くと、作戦と違い既に戦闘が始まっていた。
 セリアは上官の無謀な作戦を止められないと悟るや、誰よりも深くへ斬り込んでいった。それを聞いた瞬間、僕は走り出していた。兵士を無駄死にさせるわけにはいかない、と一人で向かったセリアの優しさが今は恨めしい。
 いいや、セリアが悪いわけがない。セリアとレオ、二人の優しさを守るのが僕の務め。けれどまただ。また、連邦が僕の大事なものを傷つけようとする。
 ゆるせない。ゆるすものか。
 必死に駆けて、まさにセリアへ振り下ろされようとしていた剣を弾いた。
 僕が守るべき二人。
 そして僕が、戦うべきは。
 駆けつけてきたレオと彼女を後目に、少しずつ自分の心が固まっていくのを感じていた。


 その任務の直後だ。僕達三人がル・サント村追悼祈念式典の護衛に抜擢されたのは。
 ……ああ。全部無駄だった。
 彼女にバレてしまった時点で、いいやもしかしたら最初からだったのかもしれないけれど。僕達が、レオとセリアがあの視線から解放されて楽しく過ごせる日々を望んでも、その努力も何もかもを連邦は無為にする。僕達が研鑽を積んだことなど関係なく、ル・サント村の生き残りだからと、ただそれだけで選考し、周囲に知らしめることを何とも思っていない。
 このまま騎士学校に――彼女がいる連邦に居続けることは出来ない。
 ならばどこへ行く?
 帝国へ行くしかない。学生に分かる範囲の機密など大した情報でないにしても、連邦が帝国に罪を擦り付けた生き証人であるということは、少なからず有利に働く筈だ。無策で逃げるより、亡命して交渉を持ちかけた方が幾らかマシだ。
 無論、利用はされるだろう。だが、利用される場所を選ぶことは出来る。エンブリオの力だって帝国には有用だろう。レオとセリアが一緒なら、僕はどこへだって行ける。どんな手を使ってでも二人を守ってみせる。
 なのに。
 僕とレオに発現したあの力。傍にはいられない。どうしたらいい。レオと離れるなら、セリアは? 二人の為に何が一番いい?
 ぐるぐると考えながら村に戻る途中、また連邦兵が民間人とブレイズ、僕の幼馴染み達を犠牲にしようとしている所に遭遇した。
 法王のことはどうだっていい。けれどレオとセリアだけは守らなければと、反旗を翻していた連邦兵を手に掛け――レオに見られて――セリアと、法王と、彼女が来て。
 レオとセリアに全てを話そうと口を開いて――

 ――失望した。

 口封じに放たれた弾丸。
 ここに至っても尚、無意識の内に連邦に、あの女に期待を懸けていた自分に。
 情けなくて、許せなくて、どうしようもなく厭わしい。
 信頼も尊敬も、この一年の全ては、一発の弾丸と共に砕け散った。
 連邦に裏切られたあの日と同じように。

 僕はもう迷わない。
 大事な幼馴染みの傍にいられなくたっていい。恨まれたっていい。二人が無事であるならば、僕はどんな泥だって被る。
 僕は自らの意思で帝国に渡ると決めた。
 ル・サントの惨劇を、真に終わらせる為に。