騎士学校の聖堂は獅皇アグライアを臨む、源獣に最も近い場所だ。
敬虔な生徒だけでなく、学内では静かで落ち着ける場所として人気がある。だから人が多い時でも一定の静寂が保たれていた。
今日の授業が終わり、夕食まではまだ少しある微妙な時間。ふと足を向けてみると、赤紫のリボンが目に入った。
「こんばんは、ヴァネッサさん」
こちらに背を向けて座っている、一つ上の先輩に声を掛ける。
「セリアか。こんばんは」
振り向いたヴァネッサさんは、膝の上の本を閉じた。しまった、読書中だったみたい。
「すみません、お邪魔しちゃって
……」
「いいや、そんなことはない。そろそろ暗くなるし、切り上げようと思っていた所だ」
言いながらヴァネッサさんは立ち上がる。
聖堂はいつも光が零れ落ちていてとても綺麗だけど、暗くなれば本を読むには適さないだろう。昼間は逆に眩しいのでは、と思われがちだが、意外にも降り注ぐ光の粒が目を焼くことはないのだ。
「それで、どうした?」
ぽつぽつと明かりを灯す職員の人達を後目に、ヴァネッサさんは問う。
えっと。
……用はない。実は。
「その
……たまたまヴァネッサさんを見かけたので、つい声を掛けてしまったというか
……すみません、用事なくて! 本当お邪魔しちゃってごめんなさい!」
「セリア、大丈夫だ、顔を上げてくれ」
勢いよく頭を下げると、少し慌てたヴァネッサさんの声がした。恐る恐る頭を上げる。ヴァネッサさんは、ほっと息を零した。
「邪魔されたなんて少しも思っていない。それに用がないのに声を掛けてくれたのは
……むしろ、ありがたい」
「本当、ですか?」
「本当だ」
光の粒を映した新緑のような瞳が、真っ直ぐ私を見つめている。
ヴァネッサさんは嘘を吐かない。特に、私達後輩に対しては。とても実直で真面目な人だ。
「そっか
……よかったです」
だから信じられるし、安心できる。
思わず笑うと、つられたようにヴァネッサさんの顔も綻んだ。
「私はどうも堅苦しくてな。気軽に声を掛けてくれるのは、とても嬉しい」
「質実剛健ですから、ヴァネッサさんは」
「ありがとう」
二人で笑い合っていると、ふとヴァネッサさんの持つ本に目が吸い寄せられた。
「あ、コトロマですね!」
「ああ、少し読み返したくてな」
最新刊の一つ前だ。次の新刊はこの話に関りがあるのではないか、と専らの噂なのだ。
「もうすぐ発売ですもんね。楽しみです」
「そうだな」
「また皆で感想会しませんか? この前のとっても楽しかったです」
「ああ、私でよければ。
……あまり上手いことは言えないが
……」
申し訳なさそうに言うヴァネッサさんだが、全然そんなことはない。いえ、口下手なのは確かなんだけど。ブレイズで読んだメンバーはいわゆる推しキャラが全員違うので、それぞれの視点から見る感想は新鮮だし、あの描写はそうだったのか、なんて発見があって面白い。
「勿論、ヴァネッサさんもいないと!」
「そうか
……ありがとう。私も、楽しみだよ」
聖堂内に明かりを灯し終えた職員の人が退出していく。夕闇の迫る聖堂に光の粒が降る様は幻想的で、月並みな言葉だけれど美しいとしか形容が出来なかった。
「そろそろ行くか」
「ですね。ヴァネッサさん、夕食のご予定はありますか?」
「食堂で摂るつもりだ。特に約束はない」
「私はミシェルと食べるんですけど、よかったら一緒にどうですか?」
「いいのか? ならそうさせて貰おう」
「やった!」
イェルシィは今日は任務でな、と続けたヴァネッサさんは、聖堂の入口に向かって歩き始めた。私もついていく。
「セリアは凄いな」
ヴァネッサさんがぽつりと呟いたので、反射的にその横顔を見る。
「気が利くし、気さくだし、頼もしい後輩だ」
「えっ、そ、そんな。私なんて目がいいくらいで
……」
淡々と短く告げられた言葉に照れがきてしまう。ヴァネッサさんの言葉はいつでも真っ直ぐ響く。立ち止まったヴァネッサさんが、くるり、と私の方に正面を向けた。
「何を言う。その眼がまず凄いだろう。他の者には真似のできないことだ。気が利いて気さくというとイェルシィもだが、そうやって人のことを見ていて声が掛けられれるのは素晴らしいことだ。私も見習わねばと思う。そして覚悟もある。大事なことだ。優しさを持ちながらそうと決断するのは、本当に難しい」
「あ、あの、ヴァネッサさん
……優しいっていうのはミシェルみたいな人かなって
……」
「勿論ミシェルは優しい。そしてセリアも優しい。何も矛盾はないだろう?」
ヴァネッサさんは、嘘は吐かない。
吐けないのではないのは、任務中のヴァネッサさんを見れば分かる。けれど今は任務中でなく。
だから、これは、ヴァネッサさんの本心なのだと、分かってしまう。
反射的に吐きかけた否定を呑み込んだ。
覚悟、と言ってもらえた。だって私は決めたのだ。幼馴染みの手を引いてひだまりに行くと。
――例えどれほど離れようと、諦めない。
「ありがとう、ございます」
だから前を向く。私を認めてくれる先輩の言葉を受け止めて。
……でも。
「あの、ヴァネッサさん。ミシェルのことはどう思います?」
「ミシェルか。先程も言ったがまず優しくて」
「あっ本人にお願いします」
「ん? ああ、そうだな」
再び歩き出し、食堂の適当な席に向かう。ミシェルはまだ来ていない。
まずはヴァネッサさんからミシェルに直球な評価と褒め言葉をいっぱい掛けてもらって、道連れに。そして夜は散々に照れさせられた分、ヴァネッサさんの凄い所を二人でいっぱい挙げよう。
そして明日はヴァネッサさんが照れるくらいに、この素敵で大好きな先輩を褒めて褒めて褒めまくろう。
もらった言葉をそっと仕舞い込んで、私とヴァネッサさんはやってきたミシェルに笑顔で手を振った。
『ヴァネッサさんはとても格好よくて、真っ直ぐで、誠実で
――』
画像版
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