冬灯夜
2022-05-31 22:33:16
2750文字
Public ルミナリア
 

その手に残るもの

ルミナリア ガスリゼ
・式典後すぐくらい
・細かな捏造エピソードが沢山ある
・覚悟を決めた頑固な幼馴染み二人の話

「まあ、こんなもんか」
 ルディロームの片隅にある小さな家の掃除を一通り済ませ、椅子に腰かけた。家と言っても寝て多少の物を置ければいいだけなので、簡単に終わる程度の空間しかない。
 今日は珍しく、リゼットの方からそちらに行くと事前に伝えられていた。大抵は俺が向こうに行くか、俺が居ると知っている時に勝手に来ることが多いのに。
 ノックの音がする。立ち上がったが、同時に鍵を開ける音がした。
「同時じゃ意味ないだろ」
「ノックしただけ礼儀は守ってる」
 そういう問題じゃない。
 テーブルの上に何やら荷物を置いたリゼットは、小さく笑った。
「豪邸だな、ガスパル? ホームパーティーはどうした?」
「あーはいはいはい。ったく無職はないだろ無職は」
「生徒に手を出そうとする虫と言わなかっただけ慈悲のつもりだが」
 どっちも嫌だ。
 ひとまずグラスを出して、ちょうどあった乾物も更に盛る。酒はいつも通り好きなの選べよ、と言おうとした所で、既にリゼットは酒棚を開けていた。
 が、出しているのではなく、しまっている。例の荷物の中から次々とワインが現れて、種類別に手際よく棚に収められていく。
「随分多いな」
 好みのものがない、と勝手に人の棚に酒をしまっていくことは時々あるが、こんな何本も一気に持ってきたことはない。
「まあな。好きに飲め」
「え、なに言ってんのお前」
 勝手にしまっていったわりに、俺が開ければ「これは今度飲もうと思ってたのに」とか文句をつけながら飲むくせに。
「ああ、でもそうだな。これは一番いいヤツだから」
 最後のボトルを示して、最上の棚にしまう。
 ぴん、と爪がボトルを弾く音がした。
「だから、そういう時に呑め」
 ――あ。
 瞬間、理解した。
 と同時、リゼットの手首を掴む。
「なんだ」
「っお前」
 暫し睨み合う。
 ざわりとした悪寒と、内臓が絞られるような熱い感覚が同時に身体を這い上がっている。
 ――不意に、リゼットが笑った。
……お前、そんな顔、私に晒せるんだな。久しぶりに見た」
 久しぶり、なんて。お前こそだ。教え子たちを見守っている時のような――幼い頃、俺とアニエスを見守っていた時のような笑顔を、どうして今。
「リゼット」
「知ってただろう」
 リゼットの教え子の素性を。そうだ、知っていた。けれど。
 いつもの表情に戻して、リゼットは静かに言った。
「悪かったな。お前が作った機会を生かせなかった」
 余計な介入がある前に、二人だけで話せればと思ったことは確かだ。だが下手につついて、彼の記憶が上にバレてしまっては元も子もない。直接その話をするのは難しいとは思っていた。それでも一縷の望みを懸けたが――
「結局、シモンは亡命という形になった。……いや、却ってよかったのかもしれない。連邦から遠ざかって、私のことも遠慮なく……だが、でも……あいつらを、傷つけたから、やっぱりそれは……だめだな」
 リゼットの声から段々と力がなくなり、最後には自嘲の色が浮かんだ。
「リゼット」
「慰めるな」
 引き寄せようとした手が止まる。
「幼馴染みが傷付いてんのを黙って見てろってか」
 白々しい。ずっと黙っていたくせに、と内から責める声がする。傷付けたくはなかった。だから言いたくなくて、けれどこのままにしておくことも出来ないから、せめて少しでもマシな機会を探したかった。
 リゼットの伏せられていた目が上がる。は、と歪んだ口許から笑いが零れた。
――私に傷付く資格があるとでも思っているのか」
「そんな話をしてるんじゃない」
「そういう話だ」
 現に傷付きながら、無視をする。昔から自分の痛みには無頓着だ。……いや、違う、他の誰かが傷付いている時に、自分の痛みに蓋をしてしまえる。そういう女だ。
 アニエスを失ったあの日、俺の手を握りに来た時のように。
 レオ・フルカード、セリア・アルヴィエ、そしてユーゴ・シモン。
 ……彼らの痛みが分からないわけではない。むしろよく分かるのが俺たちだとすら思う。
 けれど、それでリゼットが自分の痛みに蓋をするなら――そして、全てを自分の責任にしようとするなら。そちらの方が俺にとって重要だった。
「少なくともユーゴくんは、簡単に消されることはなくなった」
 貴重な実験体であり、帝国の庇護下にある。命の期限は間違いなく伸びた筈だ。
「ああ、そうだ。……私と敵対しても、何も問題はなくなった」
 掴んでいた手に力が入る。
「だから、そういう方向で責任を抱え込むなって俺は……!」
「離せ」
 力の入った手に抵抗するように、リゼットが手を引いた。
 いや、違う。抵抗、じゃない。
 これは拒絶だ。明確な。
 初めて――リゼットが、俺を拒絶した。
 かっと目の奥が熱くなる。
「ふざけんな」
 何の為にずっとここまで。
 ――俺が一番拒絶して欲しかった時にはしなかったくせに!
 離れようとする手を力尽くで止める。
 お互いが質にされてるのなんて分かってるだろう。それでも捨てなかった、拒絶しなかった、出来なかった。それを今更、俺を置いていこうというのか。
……離せ」
 もう一度、低い声が告げる。
 ふざけるな。
――俺は、お前を死なせる為に軍に入ったんじゃない……!」
 殺される覚悟なんて、俺を生かしておいて、お前だけ、そんなもの許してなるものか!
 リゼットの顔が歪む。
「私は……私だって――
 言いかけて、結局リゼットは言葉を呑み込んだ。
 手を引き寄せる。今度は拒絶はなかった。そのまま抱きしめる。
 ……ああ。それでも、だめなんだろう。どれだけ言葉を尽くしても、言葉以外で訴えても、決めてしまったことは覆さないのだろう。
 触れる身体は温かいのに、身の内は嵐のように荒れ狂っている。
……それでもやはり、これは私の問題だ。だから……聞かない」
……そうかよ」
 リゼットは俺の胸を押し返した。抵抗せずに力を緩める。――最後までその手が俺の背に回ることはなかった。
 帰る、と呟いてリゼットは中身のなくなった袋を畳んだ。
「じゃあな」
「ああ」
 振り返らない背中をじっと追う。
 リゼットが扉から出て、閉まるその直前。
「お前なら、どこにでも行ける」
 俺が答える前に扉は閉まる。言い逃げもいい所だ。
……上等だ」
 リゼットが置いていった一番いい酒を睨みつける。誰が、墓前なんかで呑んでやるものか。
 どこにでも行ける、など。今更。
 いいだろう、お前がその気なら。――望み通りどこにでも行って、邪魔をしてやる。
 リゼットを掴んでいた右手を持ち上げて、体温の残る掌をきつく握りしめた。