「お久しぶりですね」
眼の前で少女は、微笑んだ。そして首を傾げた。
「着替えないんです?」
「
……この部屋から出るのであれば」
「それでは、しばらくそのままですね」
静かに息を吐くと、小さく声を出して笑われた。
腕と上半身、幾つかの防具を外しただけだったが、とりあえずこれ以上の着替えと退出を諦める。
……彼女に、勝てた試しがない。
「そちらこそ、着替えの続きは?」
「わたしは、今日の任務は終わりなので。これで大丈夫です」
防具を外した騎士制服は、基本的に身体に沿うように出来ている。階級を示すマントや肩章を外せばより顕著だ。
それで構わない
――とこの少女は言う。
「もう少し、考えた方が」
「あなたはこれくらいじゃ照れないでしょう?」
そういう問題ではない、と、何度か言って聞き入れられなかった言葉を呑み込む。
エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン。
――皇族の血を引きながら、帝国騎士団の小隊長を務める“変わり種姫”。
幼い頃から騎士団に入りたいと言い始め、騎士団長アレクセイの一声により成し遂げてしまった。
評議会の支持を受けているにも関わらず、騎士団に出入りするのは懐柔策だ、などと言われていたのは久しい。今もそのような言説はあるが、彼女に接した者は大概こう言う。
『あれはとんだ変わり者だ』
と。
ある者は呆れて、ある者は毒気を抜かれて、ある者はどこか熱を帯びた目で。
配属当初からの隊長であるナイレン・フェドロックは、それを聞いても笑うだけである。
「今日の任務は終わりですか?」
「
……ええ、まあ」
シュヴァーンとしては、終わりだった。
書類の整理などルブランに任せてしまえばよかった。そうすれば隊室で防具を外すこともなく、いつも通り自室で着替えて抜け出せたのに。
「でしたら、夕食を一緒にいかがです?」
内心のため息など知るわけもなく。下町でおいしいお店を見つけたんです、とエステリーゼは店の名前を挙げた。
「城に用意があるのでは?」
「任務の時間によって、必要のない日は伝えてあります。だから、大丈夫ですよ?」
予定の心配をしたわけではない。のだが、純粋に首を傾げられて、再びため息を吐く。それを聞いたエステリーゼは、くすくす笑った。
本当は伝わっているんじゃないか、という疑念が頭をもたげたが、尚も笑っている所を見ると、そうではないらしい。
「
……何か?」
それがあまりに楽しそうで、忍びながらも続いているものだから、問う気のなかった声を上げてしまう。
……元より長く会話を続けるつもりもなかったのに、いつの間にか問いばかり口にしている気がしてならない。
「だって、ふふ。わたしと話す時、いつも困っていますから」
こちらの気も知らず、エステリーゼはとうとう隠さずに笑顔を見せた。
「どんな風に対応しようか、って。
……わたしをどういう風に見ようか、って決め切れていない」
ゆっくりと笑いを収めながら、穏やかに彼女は言った。
是も否も言わず、ただ沈黙するより他にない。
「大体の人は、その内に『エステリーゼ様』か『小隊長』かで割り切ってくれます。でも、あなたはいつまでもそうだから」
彼女が近づいて来る。無意識に退きかけて、直前で止めた。
翡翠の瞳が、僅かに見上げて射抜いてくる。
「あなたのそういう所が、誠実で、嬉しくて。好きですよ」
それは、あまりにも己に似つかわしくない言葉だった。
「ただの、中途半端だ」
「いいえ。
……いえ、そうかもしれませんけれど。どちらのわたしも見ようとしてくれているから」
反射のように漏れた言葉に、同じく反射で返されて、改めて彼女は首を振る。
彼女は誰に対しても敬語で、俺に対しても
――姫としてのそれなのか。騎士の上官に対してなのか。答えは未だに分からない。
――あえて分かろうとしていない。
どちらも見ている、など。買い被りで、都合のいい思い込みに過ぎない。
そうと分かっているのに、それを口に出来ないのは何故なのか。
この距離を離せないのは。
まるで、俺の方が退いたら負けだと思い込んでいるような。
「もしかしたら」
静かな声にはっとして、彼女の瞳を見入っていたことに気付く。
「わたし、あなたの部隊に配属されるかもしれなかったんですよね」
『彼の所か君の所か、二択だった』
と騎士団長がいつだったか漏らしたことがある。
そうなっていたら彼女は直属の部下で、ならばその関係はもう少し
――
「そうならなくてよかったかも、と思っているんです。きっと、そうしたら、シュヴァーン隊長はわたしを部下としてだけ扱っていたでしょうから」
それも惹かれますけど、と目前で彼女は囁いた。
手を伸ばせば、いいや、持ち上げれば届く距離。
目が離せない。視界の横から手が迫り。ぐっと、体重が掛けられた。
掛けるというよりも、完全に預けると言ってもいいくらいで
――振りほどいては倒れるだろう、と咄嗟に判断してしまった。
逆に自分がバランスを崩して床と壁に倒れ込む。
彼女の柔らかな胸部が目の前にあって。
「っ何を、」
笑いの吐息が髪をくすぐる。
酒もないのに顔に熱が集まる。なんだ。なんだ、これは。
だめだ。
――これ以上ゆるしてはいけない。
肩を押しやろうと手を伸ばして、
「わたし、あなたが困ってくれるくらいには成長したでしょうか」
その手が、止まった。
「それとも、あなたが変わってくれたんでしょうか」
静かに聞こえるその声は、やわらかく、やさしく、聞いたことのない声で。
これほど近いのにそれ以上は踏み込んでこなくて。
――ひとにこの距離をゆるしたのは、いつ以来だったろうか、などと思ってしまった。
「
……今日は、ひとりでご飯に行きますね」
しばしの沈黙を経て、彼女は立ち上がる。
静かな笑みが、かつて城の窓辺で見た表情と似ていた。
「それじゃあ、また」
礼儀正しく一礼をして、エステリーゼは、姫は、隊室を去る。
それを見送って、未だに体勢を直すことも出来ず、空を仰いで大きく息を吐いた。
――見えたのは飾り気のない、天井だけだった。
#ふぁぼした人の文章を自分の文体でリメイクさせていただく
Rui88さん(@Rui882)から押せ押せエステル(フェドロック)なシュヴァエスでした。設定に夢を詰まくった。
ありがとうございましたー!
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