冬灯夜
2017-05-01 22:02:55
6411文字
Public TOV
 

逃避行のさき

TOV レイエス
・ミョルゾからの分岐で二人が一緒に逃げたら(バッド風味)
・お題くださいで頂きました2

「すぐ戻りますから。……もう少しだけ……待って、ください」
 涙を堪えながら、けれど笑ってみせるその人の手を引いたその想いは――恋や愛なんてものじゃなかった。
「どっか、……逃げちまおっか、嬢ちゃん」
 衝動的に零した言葉が、やけに腑に落ちる。
 そうだ。俺は逃げてしまいたかった。
 仲間も故郷もない所から。キャナリを守れなかった自分から。――ただただ空虚なこの世から。
 在る意味など何一つ分からない。レイヴンなんか最初からいない。シュヴァーンは最初から死んでいる。
 ああ。
 このまま中空に浮かぶ始祖の隷長から、一歩足を踏み出せば。多くを屠った「アレ」と同じ、始祖の隷長の揺り籠から。
 ――その一歩を引き留めたのは、不意に力を込められた手だった。
 エステリーゼは、丸い目を呆然とこちらに向けている。握り返したことにすら気付いていないのかもしれない。
 口が開き、言葉にならず閉じ、目が、涙を湛えたままに歪む。
「一緒に、です?」
 やがて聞こえたのは、小さな問いかけ。
 喉が詰まって、声にならなかった。無言で頷く。
 くしゃりと、歪んだ顔があまりにも苦しく、笑った。

――……はい」






 緩やかに世界は終わっていく。聞いた話を全て事実とするならば。
 エアルの消費と伴う急激な増加は止まず、始祖の隸長は身を焼き、そして?

……どうかしました?」
「いや」
 買い出し帰り、見つめる視線に気付いたエステリーゼに、首を振って返す。納得したようなしてないような、小首を傾げながらも再びエステリーゼは歩き出した。一つに束ねられた薄紅の髪が揺れる。変装をしてもその髪だけは、何故か染めきれなかった。それにまた視線を遣りながら、考える。

 そして、エステリーゼは?






 転送位置をずらし、コアを海に捨て、隠れ家を辿って身を隠す。
 変装して、名を呼ばず、力は出来る限り使わない。
 自然と、そう決まった。

 恋や愛ではなかった。
 情ですら、きっとなかった。
「レイヴンは、どうしてわたしを連れ出してくれたんです?」
 逃げ出して間もない頃、小さな宿の一室で、ぽつりとエステリーゼは問うた。
「捕まった方がよかった?」
「いいえ。わたしが居たら、足手まといになります。
 ……逃げたいだけなら、いつでもあなたは居なくなれるのに」
 確かに、そうだった。
 ただただ逃げたいだけならば、一人でどこにでも消えればよかった。
 きっと今更、アレクセイも探したりはしないだろうし、身を隠す術なら幾らでもある。
 それをしなかったのは。
「俺は、嬢ちゃんが帰りたがらないのが不思議かね。あそこに居ればアレクセイに対してだけ備えてればいい。力のことだって、さ」
 答えず、誤魔化した質問は、単純に疑問でもあった。
 エステリーゼは凛々の明星やリタのことが好きだし、大切に思っている。
 アレクセイから逃げる為、という理由はあれど、彼らから離れる理由には足らない。迷惑をかける、という理由を別にしても。
 衝動的に飛び出したとしても、もう十分に落ち着ける頃合いだ。
……逃げ出してしまいたくて」
 俯いたまま、エステリーゼは呟く。
「あなたが、逃げようかって言ってくれたのが嬉しくて」
 そして静かに、静かにエステルは笑った。
 表面だけが凪いだ、湖のようだった。
……自分で望んだことなのに、きっと、わたし……あの、真綿に包まれるような感覚を、壊したくなってしまう」
 その感覚を、恐らく自分は知っている。
 自由にしている筈なのに、自由じゃない。
 けれど周囲には決して分からない。
 エステリーゼならば、努めて悟られぬようにしてきただろう。
 じわりと首を、全身を絡め取られるような感覚を。
 彼らを好いているからこそ、余計に。
……レイヴンは、どうしてわたしを連れ出してくれたんです?」
 暫しの沈黙の後、再度エステルは同じことを問うた。
 青みがかった緑の目がこちらに向けられる。
 誤魔化せないと思った。
 いいや。
 それでもまだ誤魔化しなのかもしれない。けれど、あの時感じた、確かな事実でもあって。
……泣かないんだと思ってさ」
 ミョルゾでたった一人、思い詰めていた彼女はそれでも尚、泣かなかった。
 ごめんなさい、とただ自分の弱さを責めて。
「でも、このままだったら、きっと泣いちまうんだろうなって。アレクセイの所に行っても、あいつらの所に残り続けても」
 どこに行っても辛い思いをする。
 直感のような確信だった。
 エステリーゼの力と置かれた環境は、あまりにも彼女自身の性質に合わない。
……何か、ね。気付いたら口走ってたわ」
 逃げちまおっか。
 ああ、そうだ全部全部放り出して。
 どうせ何も見ちゃいなかった。向き合ってなぞいなかった。
 構わないだろう、今更。
 自嘲が口の端に浮かぶ。
 きっかけはエステリーゼだ。けれど逃げ出したのは結局自分の為だ。
 自分はどの面下げて彼女の前にいる。
「俺が、逃げちまいたかったんだ」
 ――逃げたって、それでも辛い思いをするだろうと、分かっているくせに。





「どうしたんです、レイヴン」
 正面でエステリーゼが立ち止まっていた。
 問い掛けの形をした確信に、苦笑する。人前では呼ばなくなっていた名を呼ばれた辺り、相当だ。
「ちょっと、見惚れてた」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないってぇ」
 すっかり俺の扱いに慣れたエステリーゼが、やはり誤魔化されてはくれずに少々拗ねた顔でこちらを見つめる。
 束ねられた髪、動きやすく質素なシャツとスカート、偽装の為に渡した剣状態の変形弓(代わりに俺は剣を差している)。
 嘘じゃないのは本当だ。
 エステリーゼを眺め、考え、その内に想いを馳せていた。結果、見惚れていたと言っても構いはしないだろう?
……レイヴン」
「ほんとだよ」
 どこか不安げに握られていた手を取る。
……大丈夫だよ」
 風が穏やかに吹き抜ける。
 やがて、ゆっくりと手が解け、繋がれた。
「帰ろうか」
「はい」
 微かな笑みに、きつく手を握り返した。





「レイヴンは、何から逃げたかったんです?」
 あの後この言葉から始まって、道中で少しずつ、問われたことも問われぬことも話をして、この十年ほどを語り終えた時。
 エステリーゼは、泣いた。
 あの時、空を見つめながら頑ななまでに泣かなかった彼女が、音なくほろほろと大粒の涙を零していた。
 呆然とその涙を見つめて、気付けば彼女の腕の中に包まれていて。
「つらかったんですね」
 涙声のまま、一言。その後はただ、嗚咽が降る。
 ああ、どうしてこの人は。
 すぐ目の前のことで他が見えなくなる人だ。それでもなお手を差し伸べずにはいられない人だ。
「じょう、ちゃん」
 手を、伸ばしてもいいだろうか。
 自分のことで泣かずに俺の為に泣く、この人に。
 今こうしてくれているように――俺が、エステリーゼのことを護ろうとしても、いいだろうか。
 鈍くゆっくりと、己の手が上がっていくのを、止められなかった。
 背に、指が届く。
 指先のほんの少しだけが、彼女の背に触れる。と同時、俺を抱きしめる腕が、強くなった。
 ――その瞬間に、全てが焼き切れた気がした。
 腕を回して抱きしめる。互いに預け合うような形で、エステリーゼの温度と涙を全身に享受する。
 離したくない。二度と、失いたくない。
 言葉はなく。音すらも遠く。

 きっとこれが、逃避行の本当のはじまりだった。





「嬢ちゃん、はい」
「え? どうしたんです、これ」
「プレゼント」
 ぱっとエステリーゼの顔が輝く。
「あ、ありがとうございます。開けてもいいです?」
「もちろん」
 包みを開いて取り出されたのは、翠色の石を一つ通したブレスレット。
「わあ」
「安物だけどね。まあ、これの代わりにでもつけて?」
「凄く綺麗です。ありがとう、レイ、……ダミュロン」
 まだ言い慣れない偽名(というわけでもないのだが)で呼んで、エステリーゼは石を光に透かした。
「同じですね」
「ん?」
「あなたの目の色と同じです」
 微笑むエステリーゼに、一瞬言葉が詰まった。
……あー、いや。俺は嬢ちゃんの目とおんなじ色だなぁって」
 少々視線をずらしてぼそぼそ言うと、エステリーゼはその大きな目を瞬かせて――また、笑った。
「じゃあ、お揃いですね」
 それがあまりにも嬉しそうで、ああ何かもうそれでいいか、うんそれでいい。若干の思考放棄をしつつ、その笑顔を眺める。
「それに、わたしもレ、あなたに。また伸びてきたら使ってください」
 渡されたのは、同じような色をした細いリボンだった。
「同じこと考えてました」
 だからお揃い、だ。
 はにかむエステリーゼに、自然と笑みが零れる。
「ありがと、嬢ちゃん。……エステリーゼ」
「はい。……レイヴン」
 小さく付け足した名に、彼女もまた小さく、名を呼んだ。





 出自のこと、騎士団のこと、ギルドのこと。彼女の過去のこと、自分の過去のこと。抱えた力のこと。
 それから道中の暫く、話が尽きることはなかった。
 ぽつりぽつりと、話し尽くしたと思った先から次の種が出てくる。
 まるで普通の、とりとめもない雑談もした。
 それでもようやく会話が少なくなってくる頃。そっと身を寄せて、静かに目を閉じるのが日常になっていた。
 服を変え、髪形を変え。すぐに街を出ることもあれば、少しばかり逗留することもあり、空き家や隠れ家、時には結界の外で居を構えることもあった。
 意外なほどに見つかることはなく。
 それは、自分たちに人手や労力を割ける状況ではなくなっていたから、かもしれない。





 昼、エステリーゼは穏やかに笑っている。
 怪我人を見れば、伸ばした手を一度止め、駆け寄って、覚えたての応急処置を施す。力は使わず、医療の分野で。
 それではどうにも出来ない時は――やはり、使うのだけど。
 医療用の魔導器があれば彼女自身の力を使わずに済むのだろうが、そう手に入るわけもない。
 感謝の言葉にエステリーゼはぎこちなく微笑み、足早に去る。
……ごめんなさい」
 そして俺の隣で、小さく謝る。
 俺は俯くその頭を、撫でてやる。それでも顔を上げないから、ぐっと胸に引き寄せた。
「大丈夫だよ」
 優しく、根拠のない慰めを口にする。
 そうしてやるしか出来ない。
 エステリーゼの手が俺の胸元に伸びて、服を掴む。
「前に使ってから結構経ってるし、そろそろここは離れる予定だったし。大丈夫だよ。
 さっきの人もあのままじゃ死んでたかもしんない」
 俺に向けられたものなら、幾らだって許せる。
 だけど。
……ごめんなさい……
 震える声で、俺に向けられたのではない謝罪を、俺は許してやることが出来ないのだ。

 夜、エステリーゼは夢を見る。
 目覚めて息を呑むのを、黙って抱きしめる。
 何も言わないこともあれば、時に断片的な内容を口走ることもある。
……ごめんなさい、起こして」
「いや? 嬢ちゃんが傍にいたらおっさんいつでもドキドキしちゃってるし……待って本当に心臓探んないで」
 笑ってくれことにほっとして、笑い返す。
「起こしてくれた方が安心すっからさ。……だから、黙っていなくなんないでね」
 夜中、冷たくなった隣のシーツを見て、全身の血の気が引いた感覚をはっきりと思い返せる。
 その時は外でぼんやりと月を眺めているのを見つけて、ほっとする前にへたりこんでいた。
 どうか俺を置いていかないで。
 皆のように。キャナリのように。
「いなくなりませんよ」
 そんな顔しないで、とエステリーゼは俺の頬に手を遣る。……どうにも切羽詰まった顔を晒していたらしい。
……わたしを選んでくれたあなたを、置いてなんていきません。だから」
 あなたもわたしを置いていなくならないで。
 頬の上の手が、微かに強張っていた。そこに自分の手を重ねて、ゆっくりと外す。
「いかないよ」
 まもると決めた。全てより、互いを選んだ。
 手放せなどしない、今。
 握った掌に、そっと唇を落とした。





 世界は終わっていく。
 魔物とも違う奇妙な怪物が現れるようになったと聞いた。
 結界の効かない魔物――始祖の隷長でもない、恐らくは砂漠で見た幻影と同じもの。ミョルゾで星喰みと呼ばれていた、太古の災厄。
 それは徐々に聞く頻度も数も増えていく。
 やがてハルル近くの空に、大きな城が浮かび上がり――時を同じくして、空の向こうに蠢く星喰みの姿が見えるようになった。
 騎士団もギルドもその対処に追われているが、決定的な策を打てずにいるようだった。
 大昔、大勢の満月の子らが命を燃やして対処した災厄に、どうやって。
 具体的な方法も分からない。そもそも、エステリーゼにそんなことをさせるつもりなど、毛頭なかった。
 段々と身体が重くなっていくのは自分達だけではないらしく、体調不良を訴える者は増えていった。それは星喰みのせいなのか、あの城のせいなのか。どうでもいいと言えばどうでもよかった。
 エステリーゼは、手を伸べずにはいられない。
 力を使えば尚、終焉を招くから出来るだけのことで。それだけのことを終えたら、人のいない方面へと旅を続ける。
 人がいれば、見ずにはいられない。見れば、出来ることと出来ないことの差に苦しみを覚える他にない。
 二人で歩む。荒廃した街を。開拓の始まらない原野を。

 世界が終わる。
 だから?
 エステリーゼを、世界の為という言葉で自ら死を選ばせろと、誰が言うのだ。
 誰が、選ばせて堪るものか。
 毒だからと。生きていてはならないと。
 手を伸ばすことにすら制限をつける、この世界の為に。
「レイヴン」
 肩を寄せ合う簡易結界の中で、エステリーゼが静かに呟いた。
「なに?」
「レイヴン、わたし」
 その声の静謐さに、思わず指で口を塞ぐ。
 目を丸くしたエステリーゼは、苦笑して優しく指を解いた。
「違いますよ」
「本当に?」
「はい。……ありがとう、レイヴン」
 解いた指を、絡める。
「あなたがいてくれて、幸せでした」
「嬢ちゃん。エステリーゼ」
 絡めた指を強く握る。
「もし。どうしても、俺がいるだけじゃダメになったら」
……本当は、生きてて欲しいって言うべきなんでしょうけど」
 野営の火に、エステリーゼの翠の目が揺れる。
 なんて傲慢な言い草だろうとは、思っている。
 全てに手を伸ばしたいこの人に、俺だけでいてくれと。それでは耐えられなくなったら――
「置いていかないって、約束しましたから」
 あの時のように、くしゃりと顔が歪む。
 辛く、苦しく、でもあの時よりも穏やかに優しく、エステリーゼは笑う。
「一緒にいても、いい?」
「一緒にいてくれますか」
 そうなったら。
 そうならなくとも、この世界が終わる瞬間まで。
 翠の目を脳裏に強く焼き付けて、互いに目を閉じた。
 指から、肩から、体温が伝わる。 
 それだけが、今この世界のすべてだった。




レイエス書きたいからお題ください!! で書いたその2
お題「エステルを攫うあたりからの分岐で、エステルを守るために全てを裏切って逃げ出したifバッドエンドレイエスとかどうでしょうか!問題解決がないので滅びに向かう世界を見るしかない感じの!(・д|柱|」
設定のふんわり加減は目を瞑ってください。ありがとうござました!