冬灯夜
2015-11-12 23:00:32
12687文字
Public TOV
 

秋の夜長

TOV フレソディ+α
#お前の書くこのCPが見てみたい→「フレソディ」「秋の夜長」をゆうなさんより
・ED後
・フレソディというかフレン隊というか
・エステルとレイヴンは趣味

 それは全くの偶然と言えた。
 任務が終わり、ザーフィアス城の廊下を歩く。
 普段は曲がらない角で曲がったのは、明日の事務仕事に必要な資料が城の図書にあった筈だ、というのが頭にあったからだ。
 既に閉まっている時間だし、特に意味はなかったが、何となく道を変えてみたくなることもある。
 その程度、だったのだが。
 微かに光が瞬く。立ち止まり、光源を探してソディアは辺りを見回した。
 ちか、と再び。
 揺らめく光は、何故か隙間の開いた、古い図書室の扉から漏れていた。
(賊か?)
 しかし、警備厳重なこの城にどうやって。だが資料という点では確かに貴重なものが――ともかく、それは捕らえればはっきりすることだ。
 持っていた灯りを消し、ゆっくりと、静かに扉の隙間を広げていく。
 賊と思しき者は、背を丸めて下の本棚を探っているようだった。
 ――いける。
 扉を開け放ち、言葉を発する前に賊の手を掴み――動きが止まった。
……エステリーゼ様?」
 橙色のランプに照らされた、薄紅色の髪。
 寝間着の上にショールを羽織ったその人は、ぱちりと大きな目でソディアを見つめた。
「えと……はい」
……
……
……あ、し、失礼しました」
 暫く声もなく見つめ合っていた二人だが、我に返ったソディアが慌てて手を離す。
 というか。
「何故このような時間に……
 思わず漏れ出た感想に、エステリーゼは人差し指を立てた。
「しーっ」
「は、はあ、しかし」
「あ、扉……ちゃんと閉まってなかったから、ソディアが気付いたんですね」
 言うが早いか、エステリーゼは扉に走る。きっちり締めてから、恐らくは微笑んだ。何せ暗闇で見えない所の方が大きいのだ。
「もう施錠している時間の筈ですが……エステリーゼ様、何故ここに?」
 辺りを探れば、司書も騎士もいない。
 管理している誰かが鍵を掛け忘れたのだろうか。
「ちょっと眠れなかったので、本を読もうかと」
「それは結構ですが、鍵は……管理者に頼んだのですか?」
「いえ」
 誰もいないのに、エステリーゼは辺りを見回した。
……ソディア、秘密にしてくれませんか?」
 お願いします、と頭を下げられては堪らない。
 止めて下さい困ります、いえでも承知してくれないと、などなど押し問答が続いた末、折れるのは無論ソディアだった。
 直接の上官ではない、がしかし、副帝であり上の人間であることは確かなのだ。皇帝も身分には頓着しない方だが、この姫はそれに輪を掛けていると思わざるを得ない。
「わたし、鍵を持っているんです」
「え?」
 城の共用部の鍵は、決して個人保管できるようなものではない。私室ではないのだから、皇族であってもだ。
「秘密の鍵、です」
 続く言葉を察したのか、エステリーゼが少しいたずらめかして笑った。
 鍵を見つめる。
 紐は新しいが、鍵そのものは古いもののようだった。
「どうしても本の続きが読みたくて……粘土で鍵の鋳型をこっそり作ったんです」
「えっ!?」
 ではまさかこれは、エステリーゼお手製の鍵?
 にしては、随分と整っているような気も。いやそれ以前に。
「鋳型を取る、とはまた……その、随分と、思い切った手に出られたのですね」
 何か、違うような気がする。段階をいくつか飛ばしているような。
「そうでしょうか。自分では溶かした金属なんて手に入りませんでしたし」
 そういう問題では絶対ない。
「結局、試行錯誤している時にバレてしまって、あとは頼みこみました。どうしても鍵が欲しいと。
 困っているのは分かったんですが、次の日にはこの鍵を渡してくれました」
「え……ええ!? 次の日ですか?」
「はい。城下の店で作ってくれたんです。……? ソディア、どうかしましたか?」
 思わず頭を抱えていた。
 何という行動力だ。エステリーゼも、結局加担した者も。
「ちなみに、いつ頃でしょう……
「そうですね、人魔戦争の前ですから、十年以上前です。……もう、ずーっと昔ですね」
 ふと、エステリーゼの目が遠くを見た。
 懐かしむような、慈しむような。
「アレクセイが、作ってくれました」
 その目に憎しみはない。
 フレンが――ソディアの上官たる、現騎士団長(代行)が彼の人を語る時と、似ている。
 ソディア自身もアレクセイを尊敬していたが、フレンはそれ以上だと思う。
 帝国騎士の理想として、上に立つ者として、自らの理想を体現する者として。
 公の場で、そうしたかつての想いを語ることはないけれど。
「ソディア」
「は、はい」
「お願いします。どうか黙っていて貰えませんか」
 鍵をぎゅっと握りしめ、エステリーゼは哀願の眼差しを向ける。
 秘密の鍵、と彼女は言った。
 安全上、そして機密上、管理者の知らぬ鍵が存在するのは好ましくない。
 だが、十年以上バレず本を読む為だけに使われただろう鍵に、取り立てて問題があるだろうか。
(いや、あるにはあるが)
 ――アレクセイが、作ってくれました。
 柔らかく低められた声が、それに待ったを掛ける。
 悩むこと、数秒。
「分かりました」
 微かにため息を混ぜながら、ソディアは頷いた。
 規則を無視しているという居心地悪さがじわじわと這い上がるが、取り消せはしない。
「仰せの通りに」
「ありがとうございます!」
 笑顔満開でぎゅっと手を握られる。
 ついでとばかりに抱き着かれた。ちょっと待って欲しい。
「ありがとう、ソディア!」
「いえ……
「あの、ソディアは普段、どんな本を読むんですか?」
「は、兵法書や、経済書などを」
 それとなくエステリーゼの身体を剥がしながら答える。
「物語や魔導書は読まないんです?」
……そういえば、あまり読みませんね」
 剣を磨くことの方に比重を置いてしまって、幼い頃に絵本などを読んだきりだったと思う。
 娯楽の為に本を読む、という行為をすっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ、この本なんてどうです? これは輝ける青の話、こっちは生まれた意味を知る話――
「え、エステリーゼ様、お待ち下さい」
 エステリーゼは、次々と本を引っ張り出しては積み上げて、一つ一つを説明していく。
 制止が届いた頃には、一段の半分ほどが山になっていた。
「あ、ごめんなさい、ソディアの好みも訊かずに……つい」
 本を勧めるのは確定事項らしい。
 どう断るべきか。
「申し訳ありませんが、最近あまり時間がなく……
……そう、ですか……
…………。なので、気晴らしになるようなことでもあればな、と……
 しゅん、と萎れる様を目の当たりにすれば、断れる筈はなかった。
「本当です!?」
 が、次の瞬間の目の輝きに、早計だったと思わざるを得ない。
「そうだ、これは読んだことありますか?」
 下段からやや大きめの本が取り出される。
 はらはらと捲られる内容もタイトルも聞き覚えがなかった。
「いえ、ありません」
「でしたら是非! これ、装丁がとても凝ってて、挿絵や色が本文に溶け込むようになってるんです!」
 なるほど、確かに凝っている。だが、持ち運ぶには少々重たいサイズだ。
 素直にそう言えば、隣の本棚から持ち運びサイズの同名タイトルを渡された。昔から幾つも版が出ているらしく、世界観重視の造りもあれば読みやすさ重視の造りもあるそうだ。
「続き物ですけど、最初の方は連作短編ですから読みやすいですよ」
 にっこり笑顔が駄目押しで、結局ソディアの手にその本は納まった。
 ……彼女があの皇帝陛下と血が繋がってると実感するのは、まさにこういう所だった。


* * * * *


 ページを繰る。
 とりあえず一話だけ、と思って読んだそれは、意外に面白かった。
 というより、趣味に合ったと言うべきか。結局その夜は半分程を読み進めた。
 感想、感想か。感想文にするべきだろうか。
 生真面目に考えながらも、ソディアの足は急いていた。任務を終えたものの、残業に駆り出され、僅かな休憩をもぎとってここに居る。
 恐らく今日中に続きを読み切ってしまえる。なら、城に詰めている内に続きを借りてしまおうと思ったのだが――
……やはり駄目か」
 図書の開架時間はとっくに過ぎていた。
 ここで借りた(正確にはエステリーゼが慣れた手つきで勝手に手続きをした)本を片手に、ため息を吐く。
 戻ろう。残業はまだ終わらない。


「何を読んでるんだい?」
 そう声を掛けられたのは、次の休憩中のことだった。
 顔を上げると、思いのほか近くにフレンがいた。この距離で気づけなかったとは、随分没頭していたようだ。
 題名を告げると、ああ、と頷きが返って来た。
「懐かしいな。面白いかい?」
「はい」
 続きを借りれないのが残念で、ゆっくり読み進めるくらいには面白い。
「フレン団長もお読みになったことが?」
「小さい頃に。ソディアはそのシリーズ、好きなの?」
……実は、読むのは初めてでして」
 目を細めたフレンに、どうにもバツの悪い思いで呟く。
「エステリーゼ様に、勧められて読んでいる所です」
「へえ」
 人から勧められなければ本も読まない、と思われただろうか。
 エステリーゼの名前が出た時、微かに笑みが浮かんだのもバツの悪さに拍車を掛ける。
「そうか。僕も読もうかな」
「え」
「実は、内容はよく覚えてないんだ」
 照れ笑いするフレンに、こっそりと胸を撫で下ろす。
「続きの巻はある?」
「いえ……借りれませんでした」
……大分仕事を任せてしまって、すまない」
「いいえ!」
 忙しくても、それはソディア自身が望んだことだ。そして忙しいのはソディアだけでもフレンだけでもない。国全体、世界全体が変革したのだから。
「ん、じゃあ続きは」
「暫くお預けですね」
 明日からソディアは外の任務に就いている。戻るのは二日後だが、その日は確か開架していなかった。
 フレンは数秒、考え込む素振りを見せたが、少し待っててくれ、と言い残して執務室を出て行った。
 ほどなく戻ってきたフレンの手には、一冊の本があった。
「荷物の中に入っててよかった」
「お持ちだったんですか」
 大分古い。ソディアが持っている版とはまた別の版だったが、区切りは同じのようで、二巻目に当たる本だった。
「もし、任務中に気晴らしになるなら持って行ってくれ」
「で、ですが、団長の私物ですよね? よろしいんですか?」
 古い――つまりは昔から大事に持っているものではないのだろうか。
「ああ。代わりに、こっちを僕が借りるよ」
 ソディアの手にある、一巻目を指す。
「読み終えたら返却しておくよ。ついでに続きも借りておく」
 交換条件でどうだい、と微笑まれて、一も二もなくソディアは頷いた。


* * * * *


「続き、借りれなかったよ……
 任務から戻って報告した後、そっと二巻目を差し出すと、フレンは視線を外した。
 ごめん、と言いつつ、純粋に続きを手に出来なかったことが悔しいように見える。
……私も殆ど読めませんでした」
 申し訳ありません、と頭を下げる。
「いや、謝ることじゃない。本を読むのは任務でも何でもないんだし」
「いえ、折角お貸し下さったのに読書の時間も作れないなど」
 暫しの沈黙の後、苦笑が二つ重なった。
「どこまで読んだんだい?」
「一巻の最後までです」
「僕もだ」
 となれば、当然どちらも続きを読みたい。
「フレン団長、どうぞ」
「ソディア、先に」
 またしても同時。
 無言でフレンを促す。こういう時、フレンは相手に譲ろうとするが、部下が譲る方が自然だ。角も立たない。
 そんなソディアの思考をなぞったのか、フレンは微かに苦笑を滲ませ、口を開いた。
「明日、休みだろう? ちょうどいいじゃないか」
「団長も午前中はさほど予定が入っていませんよね?」
「頑固だね」
「石頭で結構です」
 というか、フレンにだけは頑固などと言われたくない。
 以前も陛下、それにこの前エステリーゼ様にも言われ――ああ、ウィチルにも言われたか。
 ついでに何人か部下の顔が浮かんでは消え、……あれ。
 …………
 ともかく。目の前の人が色んな意味で頑固なのは確かなことだ。
「一冊を同時に読めたらいいんだけどね」
 ため息を落としてフレンが呟く。
 と、伏せていた目を上げてこちらを見た。
「そうしようか」
「と、おっしゃいますと」
「一緒に読めばすぐに読めるし、時間も節約できる。どうだい?」
 時間をぬってそれぞれ読むのは確かに効率が悪い。
 それに、共にいる時間が増えるというのは、少し心惹かれるものがある。
……はい」
 笑顔になるフレンにつられて、笑顔を返していた。


* * * * *


 目次をじっくりと眺めていると、物言いたげな視線を感じた。
「ここ、一巻にも透かしが入っていて」
……ああ! 本当だ、気付かなかった」
 フレンが一巻を広げ、見比べる。
 十分に眺めた所でページを繰る。
 無言で読み進め、軽く手を次のページに掛けて、確認を取る。微かに頷いた気配に、先に進めた。
「この話、一巻の三話目と繋がってるんだね」
「え」
「ほら、この傘の女の子、三話の地の文にもいたよ」
「よく覚えてましたね」
 繰る。
 あれやこれや、気付いたことから気付かなかったことまで、口に出しては改めて感心する。
 この本は――シリーズは、確かにいい物語だ。
 同時に、人と本の感想を言い合うなどそうなかったソディアとしては、不思議な体験でもあった。
 読み進むにつれ、口にする頻度は減り、物語の世界に没頭する。
 気付けばあと一話。このまま読み切ってしまおうか。
 中表紙に手をかけた、その時。
「誰かいるんですか?」
 ノックと、誰何の声がした。
「ああ」
「失礼しま……って何してるんですか二人して」
 入ってきたのはアスピオの魔導士、ウィチルだった。
「見ての通り本を読んでるが」
「ボクが言いたいのは、何で一冊の本をこんな時間まで身を寄せ合って読んでるのか、ってことです」
 呆れた声に、不意に隣の体温を感じた。
 僅か、隊服に包まれた肩が触れている。すっかり同じ温度に馴染んでいた。
 思わずフレンを伺い見る。一瞬、視線が交差して、何事もなかったかのようにその温もりは離れていった。
「続きが借りれなくてね。ちょっと待ちきれなくて読んでしまってたんだ」
「そんな子供みたいな……
 ため息をつくウィチルはこの中では一番年下なのだが、今の彼は恐らく誰よりも大人だ。
「全く、まだ灯りがついてて何かと思いましたよ」
「ごめん」
「すまない」
「でも、あと一話なんだよウィチル」
「だから子供ですか」
 ソファに寄って来たウィチルが、ああ、と納得したような声を上げた。
「そのシリーズですか」
「知ってるのか?」
「ええ。文学的にも有名ですし、魔導的にも面白い本ですよ」
「魔導?」
 首を傾げると、ウィチルはページを幾つか指して説明をしてくれた。
 曰く、研究書として読むことで暗号を読み解く練習になり、同時に中身は解釈の仕方が複数あり、未だ見つからない解釈があるのではないかと好んで研究する者もいるとか。
 実際に魔導器に使える方程式もあったとか。
「へえ。それは知らなかったな。童話の類かと思っていた」
「まあ、普通に物語として面白いですからね」
 くい、と眼鏡を押し上げて、ウィチルは答えた。
「何だったらボクの私物をお貸ししますけど」
「持ってるのか?」
「アスピオが崩落する前にちょうど持ち出してたので、そのまま」
 魔導士の例に漏れず、ウィチルも物語を研究書として読み解いていたようだ。
「そうさせてもらおうか。ありがとう、ウィチル」
「このまま本が足りないからと夜更かしされても困りますしね」
「任務に支障を来すつもりはないが」
「ボクが! 心配するんです!」
 思いきり胡乱な目でねめつけられる。
 ……よく研究で徹夜するウィチルに言われても若干説得力がないが、この目はこれ以上怒らせてはいけないサインだ。
「すまない」
 それを分かってか、フレンも苦笑して謝るに止めた。
「それじゃあ明日の任務の時、持ってきてくれないか」
「分かりました。……時間的には今日の午後ですね」
 苦笑を深めて、フレンは立ち上がる。
 同様にソディアも立ち上がり、簡単な掃除と整理を施し、三人で団長室を出た。
「ところで、ウィチルは何故この時間の団長室に」
「ああ、研究で小腹がすいたので、何か拝借しようかと」
 団長室には各自の緊急食糧(という名の軽食)が確保されている。戸棚を漁っていたのはそれか。
「寝ろ」
「寝なさい」
……二人とも、お互い様という言葉をご存知ですか?」
 今まさに使いたい。



* * * * *


 それから、ウィチルも加えて夜の読書会が開かれるようになった。
 任務の休憩中や空き時間の短さを考慮すると、結局夜にまとめて読むのが精神衛生上好ましかった。
 フレンは情景から話の繋がりを見つけるのを好み、ソディアは登場人物や挿絵から意向を読み取ることが多かった。
 ウィチルは既に通読しているので、新たな読み解き方が出来ないか試している。
 フレン、ウィチルの私物に加えて、借りた本の三冊、時には借りられないので二冊やその前の巻を三人で読む。
 黙々と、時には誰かの本を覗き込んでは感想を言い、読み進めていく。
 それぞれの持っている版で、挿絵や本の構成が異なっているのもまた、人の本を覗き込む大きな理由になった。

「まあ! フレンとウィチルも!」
 そのことを報告すると、エステリーゼは満面の笑みを浮かべた。
 任務としては護衛だが、実際には増えた公務の手助け、書類の整理といった文官の仕事が半分だ。心なしか、署名する手が速くなった。
「どうでした?」
「そう、ですね」
 きらきらと期待に満ちた目で見つめられると、何とはなしに一歩ひいてしまう。決して嫌ではないのだが、何と言うか、好奇心や注目の度合いが強くて、うろたえる。
「その……こう言ってはなんですが、意外と面白かったです」
「そうですか! ふふ、よかったです」
 意外と、の部分はさらりと流すことにしたらしい。そもそも気にしていないのかもしれない。
「ソディアはどんな所が気に入りました?」
「話が繋がっている所が面白かったですが、初版の色使いや目次の使い方も好きですね」
「ええ、初版はやはりいいですね。色使いなら五版目、作者没後から三版目も面白いですよ」
 新しい方の書庫にある筈です、と言うエステリーゼの口調に淀みはない。
「よく覚えておいでですね」
「目録つくりましたから」
「えっ」
 思わず手を止めると、エステリーゼは小さく首を傾げた。
「ええと、古い方の書庫……わたしが鍵を持ってる方の整理を勝手にしてて、新しい方もよく本の有無を確認してたので、覚えてるんです」
 ……いささかつっこみたいが、納得はした。
「今度フレンとウィチルにも、感想を聞きたいです」
「お伝えしておきます」
「お願いしますね」
 署名した書類をざっと確認し、受け取る。これを文官に渡せば、今日の任務の半分は終わりだ。
 退出を伝えれば、手を動かしたままエステリーゼは微笑んだ。書類はもう一山残っているし、これからも追加されるだろう。
 紅茶のおかわりを指示しておこうと算段しながら、退出して廊下を歩く。
「おんや、ソディアちゃん。お疲れ~」
 書類の向こうから、気の抜けた声が掛かる。
「シュ……レイヴンた、……殿」
「だいぶ迷走したわね、呼び方……
 7割は当人のせいなのでいかんともし難い。2割は未だにフレンの呼び方が安定しないせい、残りの1割はソディアの切り替えが出来ていないせいだ。
 それはそれとして、とレイヴンは空中で物をどける仕草をする。
「重そうね。手伝おっか」
「いえ。仮にも副帝陛下および騎士団に関する書類ですので」
 断ってから、この言い方では気を悪くするだろうかと思い当る。今はレイヴンとだけ名乗っているが、騎士団の上層部に居た人なのだ。
 が、ソディアがフォローの言葉を口にする前に、レイヴンは笑う。
「そういう切り替えは出来てるとこ、おっさん好きよー」
「そう、ですか。お気遣いはありがとうございます」
「うんうん。でも女の子としてはもっと甘えてくれちゃっていいのよ? この頼りになるレイヴン様に!」
……はあ」
「やだ、その視線でおっさん凍えそう」
 ……ヘラクレスで、一見してシュヴァーンだと分かった時の自分を褒めたい。今はどうしてもこの姿がシュヴァーンに重ならない。
「やめて視線がほんと残念な感じに」
「失礼しました」
「否定して欲しかった!」
 レイヴンは大げさに天を仰いだかと思いきや、あっさりと平常の猫背に戻る。
 一連の動きで、その手にあった本が目に入った。
「それは」
「ん? ああ、ちっと城から借りてたんだけど」
「レイヴン殿だったんですね、借主は」
 幾つかある版の内、特に小さな形状の版が借りられていることが度々あった。故に大きな版しかないこともあり、その場合は持ち運びせず、団長室に置いてゆっくり読んでいたのだが。
 意外な犯人がここに居た。
「あー。……ソディアちゃんも嬢ちゃんに?」
「フレン団長とウィチルもです」
「手広いわあ」
 何が、とも何を、とも問うことなく、理解した。それだけ、本を読むイメージが互いにない。
 くつくつ、漏れた笑いは、同じ苦労と楽しみを共有するものだ。
「ま、そんなわけよ」
「ええ」
 仕事は、恐らく終わったか休憩か。では、エステリーゼの所へ向かうのだろうか。
……もしよろしければ、レイヴン殿の分も紅茶を用意するよう言伝ますが」
「ああ、そうね――いや、いいわ。嬢ちゃんとこでしょ、俺が伝えとくから」
「よろしいのですか?」
「お手伝いってことで」
 任せてちょうだい、と片目をつむってみせるので、大人しく頷くことにした。
 使い走りのようなことをさせるのは、少々抵抗があったのだが。
「さて、あとがおっかない気ぃっすから、そろそろ退散しとくわ」
「はい」
 会釈して――やはり、このままでいいのだろうかと、胸のもやを探る。
「シュヴァーン隊長は」
 するりと呼称が零れる。
 それは、単に使い走りをさせてしまったという抵抗感以上のものを奥からすくい上げてきた。
「騎士団に、戻られることはないのですか」
 立ち止まった背中が、すっと伸びた気がした。振り返った彼とまともに目が合う。
 貫くような目。
 一瞬の後、レイヴンは悪戯でも成功したかのように笑った。
「必要、ないでしょ?」
 十分引っ張っていけるんだから。
 その言葉が誰を指しているかなど、考えるまでもなかった。
 少なくとも、咄嗟にソディアが思い浮かべたのは、ただ一人だけだった。
「じゃあね」
 ソディアが言葉にする前に、笑みを深めてレイヴンはさっさと踵を返してしまう。
 言葉にしなくても、答えは変わらない。
 もう一度会釈をして、ソディアは静かに仕事に戻ることにした。



* * * * *


 その夜の読書会は、殊に静かだった。
 いつもならもう少し紙面を覗き込んだり、感想を漏らしたりがあるのだが――フレンが、いつもより読む速度が遅いようだった。
 それにつられてソディアも言葉少なになり、ウィチルも最初は二人を気にしていたが、やがて解読の方に集中し始め、完全に無言になったのだ。
 時折、身じろぎする音と、ページをめくる音だけが静かに響く。
――ああ! そうか!」
 不意にウィチルが声を上げる。
 何事かと目を遣れば、傍らのメモ帳に勢いよくペンを走らせていた。
「そうか、そうかそういう」
「ウィチル?」
「いや、これは面白い発見かもしれませんよ。そうかあ、単純に入れ替える暗号だけでなく、工程も入れ替えてみれば、なるほど」
「聞いてるか?」
「え? あ、すみません、ちょっと面白いことになりそうなので、本格的に読み解いて実験してみます」
 本とメモをがさがさとカバンに突っ込んで、ウィチルは立ち上がった。
「では今夜は失礼します! おやすみなさい!」
 言うが早いか、いつになく興奮した笑顔を浮かべたまま、ウィチルは団長室から出て行く。
 扉の外から楽しそうな笑い声と、リズムのいい足音が響いて遠ざかっていった。
……おやすみ」
 すっかり機を逃したフレンの挨拶が、ぽつりと零れた。
 どこか間の抜けた響きに、つい苦笑する。恐らく似たような表情をしているフレンと顔を見合わせると、奇妙な静けさは緩んだようだった。
「ウィチルがあんなになるなんて、よほど面白い発見をしたんだろうな」
「そうですね。研究に身を入れるのはいいですが、夜更かしで体調を崩したり……は、しませんね、ウィチルは」
 あの研究に関する体力はいったいどこから出てきているのだろうか。
……若さか」
 疲れたため息がひとつ。
「団長もお若いでしょう」
 苦笑が深まり、フレンは軽く頭を振った。
 事実、若いと思うのだが。副帝陛下はともかく、今日廊下で会った元隊長よりは。
 ああそうだ、ウィチルに伝え忘れてしまった。
「団長、エステリーゼ様が」
「うん?」
「団長とウィチルの感想もお聞きしたいと」
「そうか。分かった。少し読み直そうかな」
 独り言のように呟いて、フレンは立ち上がった。
「お茶を淹れるけど、飲むかい?」
「あ、いえ私が」
「たまには僕が淹れるよ。座っててくれ」
 言う間に保温ポットと茶葉の前を陣取られては、浮かしかけた腰を下ろすしかない。
 手ずから茶を淹れて貰える、と思えば、居心地の悪さと緊張が走る。
 決して、決して料理の味が凄まじいからという理由ではない。茶を淹れる工程など、特に手を加えることはないのだ、そう変わった味になる筈がない。
 ……でも、以前見た団長の料理は見た目は普通だったのに、何故、味が……
「はい」
「あ、ありがとうございます」
 気付くと目の前に紅茶が置かれていた。……見た目は普通だ。普通じゃない茶など見たことはないが。
 向かいに座ったフレンがにこにこと笑っている。
 上官より先に口をつけるのは、いや毒見ならば先に口にしても、いやいや本人が淹れたものだから、と目まぐるしくソディアの思考は廻った。
……いただきます」
 結局、笑顔に負ける形でおそるおそるカップを持ち上げる。
 息を吹きかけると、ふんわりと湯気が立ち上る。ややぬるいそれは、普通の紅茶だった。当たり前だ。
「おいしいです」
「よかった」
 フレンも一口含んで、少々首を傾げた。
「何か足した方がよかったかな」
「いえ何もこのままで十分ですおいしいです」
「そうかい?」
 ならいいか、とフレンはカップを置いた。代わりに手遊びでもするかのように、傍らの本を軽くめくっている。
「感想、か」
「そういえば、レイヴン殿も読まれているそうです。今まで図書で借りていたのもレイヴン殿だったようで」
 一瞬、ぴたりと手が止まる。
「そうか」
 ソファに身を預けて、フレンは呟いた。
 思いがけず薄い反応に、ソディアは内心首を傾げる。
 フレンはレイヴン――シュヴァーンを尊敬している。同時に、レイヴンという人物と読書の印象の意外さも共有できるものと思っていた。
 思い返せば今日はずっと、反応が薄かった気がする。
……何か、ありましたか?」
「何がだい?」
「いえ、気のせいでしたら失礼しました。ただ、その」
 小さく息を吐いて、吸う。
「今日は少し、お元気がないように思いましたので。もし何かお悩みがあるなら……微力ですが、お力になれればと」
 伏せていた目を上げると、真正面から青い瞳とかち合った。目を逸らすことも出来ず、じっとその視線を受け止める。
 今度こそ音のない沈黙が続く。
 じりじりとした時間を終わらせたのは、フレンだった。
「そうだね。……そうだったかもしれない」
 細く息をついて、フレンはほんのり苦笑した。
 我知らず短く漏れた吐息で、フレンの視線に随分緊張していたのだとソディアは悟った。
「君やウィチルには、負担を掛けている。いや、皆にだけれど、君たち二人には特に。すまないと思っている」
「そんな。私は――私達が望んでいることです。それに何より、一番重責を背負われているのはフレン団長ではないですか」
 だからこそ、未だここにいる。
 どれだけ苦しくとも、声に出来ぬ責があろうとも、今この変革期を乗り越えねばならない。
 フレンを支えねばならない。
 それが、義務に見せかけた望みであっても。
 僅か、ソディアは目を伏せた。
……頼りないのかと、思ってしまったんだ」
 少しの沈黙の後、聞こえたフレンの言葉の主語が、分からなかった。
 誰が。誰を。自分を?
「いいや。頼りないだろう。年も経験も浅い。それでも拝命された、やろうと決めた」
「団長、」
「だが僕自身も――頼りたい気持ちがあるのだと改めて思い知った。ならばそれで、僕が傷つくのはあまりに自分勝手だ」
 膝の上で手を組んで、その手を見つめながらフレンは言葉を落としていく。
 ソディアに聞かせるというより、独り言に近かった。
「団長」
 フレンは答えない。
 そうして何度目かの沈黙が降りる。
……すまないね」
 ようやく顔を上げて、フレンはまた苦笑した。
「弱音を吐いた。忘れてくれ」
「いいえ、忘れません」
 即答する。フレンがぱちりと目を瞬かせた。
「だめでしょうか」
 反射的な答えだったが、紛れもないソディアの本心だった。
「だめ……では、ないけど、何故だい?」
「覚えていたいからです」
 フレンの弱音を。部下に見せまいとする心を。目の前にいるのは、完璧な誰かではなくて、フレン・シーフォという青年なのだということを。
 それを実感したのは、恐らく最近だったのだ。とっくに知っていた筈だったのに。
……フレン団長が、頼ってくださったことを、忘れたくありません」
 何のことを指しているのか、正確には分からない。
 ただ、フレンが自分に弱音を零してくれたことが――正直、嬉しい。
 頼るばかりでない、支えることが出来る。弱い所を見せてくれた。まだここにいる意味はある。応えてみせる。必ず。
 喜ぶ自分も批判する自分も外には出せず、胸の裡でぐるぐると巡る。
 両手で抱えていたカップに力が籠った。
……頼りにしているよ」
 青い、柔らかな空色の瞳が和らいだ。
「とても、頼りにしている」
 握り締めたカップから、緩やかな熱が伝わる。
 じわじわとソディアの心に、染み入るようだった。
「君も、遠慮なく頼って欲しい」
……はい」
 その熱を誤魔化すように、カップに残る紅茶を口にした。