フレンは宿の台所に向かっていた。食事がつかない代わりに、自分たちで料理を作ることが出来る宿屋だったので、今日はレイヴンが作っている筈だった。
剣の手入れも終わり、手持無沙汰になったフレンは、当番を手伝おうと思い立ったのだ。
「レイヴン、今日は何ですか?」
階段を下りて台所の手前まで来ると、エステリーゼの声が中から聞こえた。台所に立つレイヴンの手元を、エステリーゼが後ろから覗き込んでいる。
つい立ち止まって、こっそりと中を窺う形になる。
「今日はねー、ハンバーグよー」
フライパンを返しながら、レイヴンは答えた。
既に焼き上がった分にはふきんが掛けられていて、残りはフライパンの上で音を立てている。
「カロルやフレンが喜びますね」
はい、その通りです。心の中で同意した。
「おっさん鯖味噌がよかったんだけど、昨日魚だったから絶対違うの! って言われちゃってさぁ」
口を尖らすレイヴンに、くすりとエステリーゼは笑った。
二人とも楽しそうだとフレンは思う。
かつては攫った側と攫われた側であり、守るべき姫と騎士でもあった。
大切な姫君と尊敬する隊長(本人は否定する)がその関係を乗り越えて穏やかに会話している。それを見ると、純粋によかったと思えるのだ。この二人が険悪だった頃は、殆どないにも等しいのだが。
「何してんの、あんた」
一人しみじみと喜びを噛み締めていると、後ろから声が掛けられた。
「しっ」
振り向いた先の少女、リタに慌てて口を閉ざすようジェスチャーをする。
「ちょ、何よ」
「いいから待ってくれ」
小声で囁きかける。
「……覗き見? っていうか普通に声かければいいじゃない」
台所をちらりと見て、つられたのかリタも小声で応じる。リタの言葉は至極真っ当だった。
「そうなんだけど、何だか、タイミングを逃してしまって……」
小声でそんな遣り取りをしている内に、台所では残りのハンバーグが焼き上がっていた。
手を洗ったエステリーゼが、それを皿に盛りつけていく。
レイヴンはソースをフライパンに入れてかき混ぜる。ふわりとソースの香りが立ち上った。
「いい香り。おいしそうです」
「でっしょー。ほい、味見」
レイヴンは指でソースをすくって、エステリーゼの前に差し出した。
「はい」
え、と思う暇もあればこそ、エステリーゼは躊躇いなく、ソースを指ごと口に含んだ。
瞬間、フレンとリタは固まる。
「な、な、な……」
「あ、あの、おっさ……」
そんな二人の動揺など知る由もなく、無邪気にエステリーゼは笑う。
「おいしいです」
「ん、よかった」
レイヴンも笑い返し、フライパンを軽く揺する。
「少し焦がしてもいいかもしれませんね。あ、でもカロルは苦いって嫌がるでしょうか。フレンなら好きそうですけど」
「……おっさん、フレンちゃんの味覚に合わせるのはどうかと思うわ」
「……ええと、それは……言葉の綾、と言いますか……ほら、二人はハンバーグが好きなので、その」
「うん……大丈夫、分かってる……嬢ちゃんはちゃんとした味覚の持ち主だって」
エステリーゼとレイヴンの笑いが乾く。
すっかり固まっていたフレンだが、それを聞いて疑問符を浮かべた。
「今の、どういう意味なんだろう」
「そのまんまの意味でしょ」
「え、どういうことだい」
「うっさい、とにかく今はあのおっさんをどうしてやるかを」
未だ小声で言い合う間に、台所では着々と作業が進んでいた。
エステリーゼは野菜を盛り付け、レイヴンは米をよそっている。
「レイヴンは味見しました?」
「そういやソースはまだだわ」
じゃあ、とエステリーゼは余っていた野菜を一欠け取って、フライパンに滑らせる。
そのままレイヴンの口元に運び、
「「あ」」
それをレイヴンは手を休めないまま口にした。
フレンとリタの声が重なり、再び固まる。
「絶妙な塩加減、さっすが俺様」
「そうです?」
「えー、駄目?」
「いいえ、おしかったですよ」
何の気負いも恥じらいもなく、二人は会話を続ける。
一方の覗き見二人は、完全に動きを止めていた。否、小さく身体を震わせていた。
「盛り付け完成っと」
「わたし、皆を呼んできますね」
「ありがとね。よろしくー」
エステリーゼが台所を出て――柱の陰で固まってる二人を見て、きょとんと首を傾げた。
「リタ、フレン、そんな所でどうしたんです?」
「おんや、匂いにつられてやって来た?」
レイヴンも振り返って軽口を叩く。
「今日はハンバーグですよ。よかったですね、フレン」
「……そうですか……ええ、そうですね……」
「皆を呼んできますから、二人も準備してくださいね」
いつもと全く変わらず、エステリーゼは笑う。そして声の出ないリタと、何とか返事を絞り出したフレンを置いて、階段を上っていった。
「丁度いいや、二人とも運んでちょうだいな」
「……シュヴァーン隊長」
フレンの声が低く元隊長首席の名を呼ぶ。
「いや俺様シュヴァーンじゃな……え、あの、何?」
不穏な空気を感じたのか、レイヴンが僅かに顔をひきつらせた。
「お手合わせをお願いします。剣なら予備もありますし」
「は? いやいや、これから夕飯よ? つーかヤだよ」
「大丈夫です。きっと今なら、僕はあなたと渡り合える」
「え……いや、え? ちょ、怖いんだけど!?」
フレンがゆっくりと近づくのとは逆に、レイヴンはじりじりと下がる。
先程、仲良きことは美しき哉、などと思っていた気持ちはすっかり吹き飛んでいる。
むしろ、それとこれとは別だ。狼藉を許すわけにはいかない、とフレンは少しずつ退路を塞いで行った。
「だ、だからこれから夕飯だって! ねえ!?」
「……うっさい」
フレンよりも更に低く、地の底から響くような声がする。
「うぇっ」
声の発生源を見て、レイヴンは思わず悲鳴に似た声をあげた。
リタにとっては、過去も何もどうでもいい。
今、レイヴンがエステリーゼにしたことが問題なのだ。エステリーゼからレイヴンにしたこともまた、レイヴンのせいであると八つ当たり気味に変換している。
「この、このエロオヤジが! そいつ作のハンバーグみたいな消し炭にしてやるから動くな!!」
「ちょ、ええええ、何で!? おっさん何もしてないよ!?」
「動くなっつってんのよ!」
「ちょっとリタ、それはどういう」
「うっさいこの味音痴! 味覚破壊者!」
「ねえさっきから酷くないかい!?」
さり気なく、レイヴンは壁を伝って勝手口へと向かう。何故二人が怒っているのか分からないが、逃げなければヤバい。
「待ちなさいよ」
が、そう簡単にはいかなかった。
フレンが勝手口に先回りし、リタは魔術を展開させている。
「待って! どういうこと!? 何で!?」
「お分かりにならないと?」
「おっさん晩飯作ってただけでしょーが!」
「だけ? エステルにあんなことしといて、よくもしゃあしゃあと」
「え? え? いや嬢ちゃんにはちょっと手伝ってもらっただけで何も」
「何も」
ふ、とフレンは笑みを浮かべる。
「そうですか、何も、はは」
その笑みと、射殺せそうな眼光でねめつけるリタに、レイヴンは震えあがった。
殺られる。
瞬間、レイヴンは一か八か駆け出した。
「逃がしませんよレイヴンさん」
「待てコラおっさん!」
何とかリタの横をすり抜けたものの、二人が諦めるわけもない。
「だからおっさん何もしてな、あっつ掠った今!」
「チッ」
「リタっち舌打ちは止めなさい、ってフレン今それ本気で頭狙ったでしょ!?」
「そんな滅相もない」
「だああああああ! ちょっ、止め、助けて誰かー!!」
レイヴンの悲痛な叫びが宿に木霊する。
ついでに爆音と拳が空を切る音が響いていた。
「おいおい、飯時に何してんだ」
「元気ねぇ」
「じゃの」
「ちょ、見てないで助けて!!」
「どうせおっさんが悪いんだろ?」
「何してるのさ? 早く食べようよ」
「え、り、リタ? フレン? どうしてレイヴンを追いかけてるんです?」
止める気のない麗しの女性と少女、どうせレイヴンが悪いと決め込んでいる青年、完全にハンバーグに気がいっている少年。
唯一エステリーゼだけは戸惑っているが、その戸惑い故に手を出せないでいる。
その後、仲間に(夕飯が目的で)リタとフレンは宥められた。
が、料理が半分冷めたが為に、少年に盛大に文句を言われることになったレイヴンであった。
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