サンダルフォンを引き取ってから多少マシになったとは言え、基本的にルシフェルは多忙を極めている。真夜中まで仕事をすることはなくなったが、その代わり週末の休みの半分を、なんてことはザラで。そうすると仕事に出ている間にサンダルフォンの世話をする者がいなくなってしまう。
大概は近所に住む馴染みの大学生、グランを呼んで食事などを報酬に面倒を見てもらうのだが、ごく稀に彼が捕まらない日があった。そんな時は知人の中から面倒を見てくれそうな相手を見つけて頼むようにしているのだが。
「おい、ベリアル」
「おいおいサンディ。目上のニンゲンに話かけるには少々お行儀が悪いんじゃあないかい?」
週末、急に子どもの世話を頼まれて引き受けられる者など、ルシフェルの知人にそう多くはいない。直属部下やエウロペ、グリームニルが運良く引き受けてくれたならいいのだが、そうはならない日の方が多かった。そうなるとルシフェルは出勤できない。それは困ると唸ったルシファーが、真っ先に白羽の矢を立てる相手が、そう。何を隠そうベリアルである。本日も見事にサンダルフォンのお守りを仰せつかったベリアルは、ルシフェルから渡された高級パティスリーのプリンを小さなサンダルフォンと食べながらなんとも優雅な午後を過ごしていた。
「ルシファーがキサマにはけいご?つかわなくていいっていってた」
「ファーさん……まぁ、いいか。サンディ、わざわざオレに話しかけてきたってことは何か聞きたいことがあるんだろう?話によっては協力を惜しまないよ」
普段、ベリアルと一緒にいる時は黙々と本を読むか絵を描くか、はたまた映画やアニメを観ているかして、食事やおやつの時以外は一切視線をむけないサンダルフォンである。そんな彼が話しかけてきたということは、何かしらベリアルに聞きたいことか、はたまた話したいことがあるのだろう。そうと踏んで話を振ってみれば、案の定切り出しにくそうに俯いた後、サンダルフォンがあのな、と辿々しく話を始めた。
「なるほど、ルシフェルが働きすぎて心配だから、仕事に行かないように、誘惑したい、と?ところでサンディ、そんなイケナイ言葉をどこで?場合によっちゃあオレがルシフェルに怒られる」
「あさやってたテレビであくのおんなかんぶがいってた」
ああ、最近の特撮はなかなかどうして進んでいるな。束の間頭を抱えたベリアルだったが、すぐにこれはルシフェルに一泡吹かせるチャンスであることに気がついて、にんまりと笑みを浮かべる。
「なるほど、なるほど……ではサンディ、こんなのはいかがかな……?」
そっとサンダルフォンの小さな耳に口を寄せて、こそこそと何事かを囁けば、うかない表情がパッと明るくなって、いたずらを決行する前のように輝いた幼子の顔がベリアルの方を向いた。
「それ、いいな!」
「うんうん……それはナニより。精々頑張ってルシフェルをユウワクしておくれよ」
期待しているよ。重ねてそう言って頭を撫でてやれば、あんなにも子どもらしかった表情が一気に歪んで手を振り払われる。可愛くないこった。内心でそう呟いて苦笑したと同時に、子ども特有の愛らしい声がさわるな!と部屋中に響いた。
*
そして数日後、立ちはだかる小さな影に、ルシフェルは困ったように眉を下げた。こちらを睨み上げる赤い瞳は、言い出したら聞かない時の鋭さを湛えている。
「サンダルフォン、そこをどいてくれないだろうか。今日もベリアルを呼んでいる。淋しくはないだろう。私も、なるべく早く帰ると約束する」
「ことわる!おれがここをかんたんにどくとおもうなルシフェル!」
「しかしこのままでは、」
「ことわるといっている!ルシフェル、すこししゃがめ!いまからアンタがでかけられないようにしてやる」
出かけられないように?何のことだろうか、と思いながらも、ルシフェルは休日の半日、共の時間を過ごしてやれない申し訳なさから、サンダルフォンの言うことを聞いて、フローリングの床に膝をつき、身をかがめた。すぐにサンダルフォンが走り寄ってきて、両頬を小さな掌で包む。何をするのだろうか、と好きにさせておくと、不意にぐいっと顔を上向かされて、ついで唇に何やらひどく柔らかいものを押し当てられた。鼻腔を柔らかなミルクのような香りが掠める。サンダルフォンがキスをしたのだと気がつくまでそう時間は掛からなかった。
「どうだ!ルシフェル、いきたくなくなっただろう!おれとずっといたいだろう!どうだ?ゆうわくされたか!」
両頬を掴んだまま、サンダルフォンが達成感に満ちたキラキラした顔で言う。しばらくその顔を見つめて惚けていたルシフェルであったが、はっと我に返ると、自分の両頬を掴む彼の小さな手をそっと自らのそれで包みながら、微笑んだ。
「……もう少し、してくれたら誘惑されそうだ」
「なに!?まだゆうわくされてないのか!?てごわいやつだな……しかたないからもういっかいしてやる!」
少しぎこちなく、二度目のキスが降ってくる。それに何度となくもう一度、と繰り返し続けたルシフェルだったが、到着したベリアルが状況を目の当たりにして、にんまりと笑った顔を見たところで、頭から冷水を浴びせられたかのように失っていた理性を取り戻した。
なんとも可愛らしいサンダルフォンの誘惑は、以後もルシフェルに仕事へ行って欲しくない時に、度々繰り出されるようになったらしい。
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