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香春 蘇葉
2021-01-23 23:41:57
3190文字
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【おわりのひとつまえに】
ルシサンワンライ:傷跡/継承
時折ちらとこの人、実は結構なうっかり屋ではないだろうか、とは思っていたが、まさかこんなことで証明されるとはついぞ思わなかった。
グラン達騎空団の旅の果てを見送り、彼らの営みさえも見届けて。ひとり、またひとりと散り散りとなって人の営みに溶け込んでいく同胞たちを見て、サンダルフォンもまた、再びあの人と会い見えるまでは自分も人に紛れて空の行く末を見守らなければ、と空気に溶けこの空を見渡すのではなく、その片隅に浮かぶ小さな島で、人々の生活を見つめながら過ごすことを選んだ。そうして、どこを根城にしたものか、と空域を問わずに渡り歩いていたある日、サンダルフォンは自分の創造主のうっかり屋加減を知ることとなった。
突如としてこの空の世界に、小さく消え入りそうなものではあったが、ルシフェルの気配が現れたのだ。彼があの魂の終着点なる場所にいるのであれば、空の世界にいるサンダルフォンに気配など届きようもない。だというのに、それを感じ取ったのであれば。
そうと気が付いた瞬間に、サンダルフォンは滞在していた宿を飛び出して、三日三晩飛び続けた。消え入りそうなルシフェルの気配を必死に掴んで、手繰り寄せて。嵐に巻かれようと、雨に濡れようと一度たりとも翼を止めることなく、創造主を探して飛び続けた。
辿りついたのはルーマシー群島に類する小さな島の、最も大きな町であった。降り立って人の装いに装束を切り替えてから、町の人間たちにそれとなく話を聞くと、どうやら町長の家に初めての男の子が生まれたのだという。サンダルフォンはそれを聞いた瞬間に、直感した。町長の家に生まれた赤子こそが、ルシフェルなのだと。単なる生まれ変わりであれば、そもそもサンダルフォンが感知することなどできはしなかっただろう。しかし現にルシフェルがこの空の世界に生まれ落ちたことに気が付いて、この町に辿りついてしまっている。きっと普通の生まれ変わりではなく、ルシフェルはルシフェルのままで生まれ落ちてしまったのだろう。人の器に収まり切れない分は置いて、その力さえもそっくりそのまま受け継いで。
だとすれば、このまま放っておくことはできない。ルシフェルに記憶があったとしても、なかったとしても、サンダルフォンが護ってやらなければ、きっとその力に気が付いた悪しき存在達に狙われて、そう遠くない未来にこの町ごと命を落としてしまう。
根城を、と探していたサンダルフォンだったが、こうしてひょんなことから、この先百年ほどを過ごす町を決めることとなった。
しばらくは部屋を借りて、この町に馴染んだ後に、手ごろな物件を見つけて喫茶店でも営もうか。無事か否か、健やかに生活をしているかそうでないか程度はルシフェルと顔を合せずともわかるので、自然と会い見えるまで余程のことがない限りはこちらから会いにいくことはない。そうと決めて、まずは数年、この町で流れ者の青年として穏やかに過ごしていた。
「君が喫茶店を始めたいという青年かね」
サンダルフォンが町の人々とすっかり顔なじみになった五年後のある日。そう言って訊ねてきたのはアッシュブロンドの髪が良く似合う若い男だった。足元には同じような髪色の小さな子どもがまとわりついている。
男は若くしてこの町を治める町長だった。町の人々に事あるごと、喫茶店を開きたいという願いを話していた甲斐あって、ついに誰かが町長に話してくれたらしい。店が増える可能性があるのなら、町おこしのためにぜひとも援助がしたい。そう言って町長は町が持っているこじんまりとした、しかしとても居心地が良さそうな物件を格安で紹介してくれた。話はトントン拍子に進み、来週からでも資材の搬入をして、店を始められる、という話になった。
町長との会話に集中はしていたものの、サンダルフォンの意識はずっと、彼が抱いている小さな子どもに向いていた。大層な人見知りらしく、父親の胸にしがみついたままで一向に顔を見せようとしない。
失礼なことをしたね。話が終わり、息子を抱いて立ちあがった町長が苦笑を浮かべながらサンダルフォンの家から出ようとした。その瞬間。あれだけ顔を見せなかった子供が、父親の胸から勢いよく顔を上げて、こちらを振り返る。その蒼い瞳とサンダルフォンの赤い瞳とがかち合った瞬間に、子どもは人見知りだと言われていたことが嘘のように満面の笑みを浮かべて、だっこをねだるように両手を広げて差し出してきたのだ。
あまりに子どもが暴れるので、抱いてやってくれるかい、と困惑した町長が差し出してくる小さな体を抱きとめると、子どもはサンダルフォンの両頬を紅葉のような手で包んで唇を押し付けてきた。
「およめさんになって」
それがサンダルフォンと、彼を待たずして空の世界にうっかり生まれ落ちてしまったルシフェルとの出会いだった。その後サンダルフォンの喫茶店に足繁く通うようになった子どもは、様子を見に行くまでもなく、その目を見張るような成長っぷりをサンダルフォンに示し続けてきた。そうして、現在。
「
……
サンダルフォン、この傷跡は?」
情事の後の睦言を交わしていた時に、不意に蒼い瞳を瞬かせサンダルフォンの背を指先でなぞりながら、すっかり成長したルシフェルが言う。記憶がないまでも、初めて会ったあの日から欠かさず愛の言葉をささやき続けた彼に、とうとう彼自身が成人を迎えた日サンダルフォンが折れて、周囲に秘密にするなら、という条件付きで恋人となった。余韻に火照る意識の中で、傷跡?と内心首を傾げたサンダルフォンであったが、すぐに彼が言わんとすることに思い当たってああ、体の向きを変えながら頷く。
「俺がとある方から力を継承した時に、できたものだ」
ルシフェルの顎の下に潜りこみながら笑みまじりにそう言うと、彼の纏う空気がわかりやすく不機嫌そうになる。
「それは一体、どこの誰なのだろうか」
「
……
ふ、まさかキミ、この六つの傷に嫉妬を?大人になったかと思ったが、随分と可愛らしいことを言うじゃないか」
日が明ける前にここを出るんだから、くだらないことを言ってる暇があったらさっさと寝てしまえ。顎の下から抜け出して、もそもそと体をずり上がらせて、ルシフェルの頭を抱き込みながら言う。つむじに何度か唇を落とすと、腰に腕が回ってきて、ぎゅうと抱きしめられた。
「君がそんなことを言えなくなるほど、激しくしておけばよかった」
「馬鹿を言うな。約束しただろう」
ほら、寝てしまえ。重ねて言えば、少しの間を開けて、ルシフェルが低い声でおやすみ、と言う。それに返してやりながら、頬ですり寄ってやると、小さな吐息と共に彼が眠る体勢に入った。しばらく彼の頭に頬を押しつけながら、ぼんやりと時計の針の音を数えていると、あまり時間が経たないうちに静かな寝息が聞こえてくる。同時にやや力の抜けた腕から、のそりと抜け出して、月明かりの微かな光で照らされたルシフェルの寝顔を見下ろすと、サンダルフォンは困ったように眉を下げた。
「どこの誰かって?貴方意外に誰がいるんですか」
彼と再会してから、あの場所であの時のルシフェルが迎え入れてくれる夢をよく見るようになった。きっとこのルシフェルが命の終わりを迎える時、サンダルフォンもまた、終わりを迎えるのだろう。だとすれば、あと数十年ほど、彼が自分を思い出してくれないことくらい、大したことではない。例え、彼が自分でない誰かを選んだとしても、傍で笑っていられる。この命の先に、あの人が待っているなら。
「おやすみ、ルシフェル」
健やかに寝息を立てるルシフェルに、そっと苦笑を落として、サンダルフォンは元の通りにのそのそとその腕の中に戻った。そうだ。明日の朝は彼が気に入っていたブレンドを淹れてやろう。
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