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香春 蘇葉
2021-01-22 02:34:47
2489文字
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【勝者のバスタイム】
シオサン。光古戦場お疲れ様、ルシオ。
とある島で延々と出現する魔物と戦い続ける、何とも特殊な時期を抜けた騎空団には、とある決まり事がある。
「
……
やはり、ここにいたか」
騎空艇の中で大浴場とは別にひとつだけ存在する、小さな浴室。その戸を開いたサンダルフォンは、やや乱れた息を深いため息と共に治めて、安堵したように肩の力を抜くと、苦い顔をしながら中央に据え置かれた猫足のバスタブへ視線を向けた。浴室の中はすでに湯気の気配がなく、バスタブに張られている湯がぬるま湯以下の温度に下がって久しいのだろう。
すうすうと部屋内に響く深い寝息の中、足を覆う装束を解いて素足になりつつバスタブに近づくと、サンダルフォンは彼を起こしてしまわないように気をつけながら指先をバスタブに浸けた。思った通り、水口から出してすぐの水と変わらぬほど冷たい。いくら彼が他より丈夫だとしても、このままバスタブに浸かっていては体調を崩してしまうだろう。かと言って、体格差を考えると水気をぬぐい誰にも見られることなく部屋へ運ぶという選択はいささか現実的ではない。それに、彼の髪や体の至る所にまだ血糊や泥、草の汁などがこびりついているので、部屋に戻るにしても綺麗に落としてやってからにしたい。
サンダルフォンはバスタブの側にしゃがみ込み、疲労の色が濃く滲んでいる彼の寝顔をじっと見つめながら、それにしても、とそっと心の内で一人ごちる。浴室に入って汚れも落とさないままに寝てしまうとは、彼にしては珍しい疲労っぷりである。まぁ、この騎空団で、あの異様な時期をやり過ごした日の夜に、この浴室にいるということは、それだけのことなのだが。
入浴というだけならば、基本的に団員達は騎空艇に二箇所設けられた大浴場を使っている。この小さな個人用の浴室は、怪我をしたり病気をしたりと大浴場を使うことができない者が出た時にだけ、開かれるもので。
そう言った用途の浴室だが、あの延々と魔物と戦う期間を終えたのち一週間だけは条件を満たしたたった一人が独り占めすることができた。そう、戦いの中で最も戦果をあげたたった一人のみが。今回はそれが彼だったというわけである。艇に帰還してすぐ、疲れ切った彼に団長が鍵を渡した。そのままふらふらと姿を消し、サンダルフォンが彼の部屋で今か今かと待つも一向に帰ってくる気配もなく。しびれを切らして探しに来た結果がこれである。
「
……
まぁ、キミは今回大層頑張ったようだからな」
魔物を誘き寄せる餌を集める段階ではサンダルフォンも参加していたが、いざ本番といったところで艇に帰された。毎日毎日疲れ果てて帰ってきて、一言二言交わしただけで寝入ってしまう彼を見ていて、心底肝が冷えたものだが、こうして五体満足で帰ってきたのなら、期間中の寂しさに対する文句も飲み込んでやれる。本人は絶賛、風邪を引く寸前だが。
「たまには労ってやるくらいはしてやろう」
淡く微笑んだサンダルフォンは、空気中から火と水の元素を集めると、指先から彼の浸かっているバスタブにゆっくりと拡散させた。元素の助けを得て冷えきったバスタブの中もすぐに温かさを取り戻していく。
少しぬるめの湯が出来上がったところで、サンダルフォンはさて、と立ち上がった。窓から入る月明かりの中、彼の体を覆う装束が緩やかに解けていく。そうしてすっかり一糸まとわぬ姿になったサンダルフォンは、相変わらずよく眠っている彼へちらと一瞥を寄越すと、悪戯っぽくしたり顔笑ってバスタブの湯へつま先を浸けた。
*
水の跳ねる音がして、俄に目が覚めた。胸の辺りに妙な重みを感じながら、貼り付いたように開かない瞼を苦心して押し上げる。視界に飛び込んできたのは見覚えのある鳶色の巻毛だった。今は水分を含んでややおとなしくなっているが、常は柔らかくふわふわとしていて、鼻先を埋めて深く息をすると甘やかな香りで胸がいっぱいになることを、ルシオはよく知っている。
「
……
サン、ちゃん
……
?」
「ん。起きたか。随分とよく寝ていたな」
すり、と胸板に後頭部が擦り寄ってくる。少しのくすぐったさを感じながら周囲をぐるりと見回すと、どうやら眠りに落ちた時と変わらず、自分はまだ浴室にいるらしい。窓から見える月の傾きからして、時間はずいぶんと経っているようだが、それにしたって浸かっているバスタブの湯が温かい。
「なんだ。驚かないのか」
ルシオの掌をにぎにぎと指圧で刺激しながら、サンダルフォンが肩越しに振り返ってどこか残念そうに言う。きっと目が覚めた時に彼と同じ小さなバスタブで密着するように浸かっていれば、驚くだろう、と踏みでもしたのだろう。確かに驚きはしたが、それよりも全身を満たす疲労と眠気、合わせた素肌の感触と温かさ、絶妙な湯加減が心地よくて、どうしても彼の望むような反応をするに至らないのだ。
心地よさに深々と吐息をつきながら肩口にもたれかかれば、マッサージのつもりなのか相変わらずルシオの掌を握りながら、サンダルフォンがひどく愉快そうに言う。
「くたびれたキミはなかなか可愛げがあるな。腹は空いていないか?」
「
……
少し」
「部屋に軽食を用意している。腹に入れたら、キミが満足するまで眠って、起き出したら」
少し、俺に付き合え。ぶっきらぼうにそう言い放つと、肩越しにこちらへ向いていた赤い瞳がふいと前を向く。薄暗い中で髪の隙間から覗く彼の耳の先がほんのりと染まっていた。思いの外、寂しく思ってくれていたらしい。束の間目を瞬かせていたルシオだったが、すぐに彼の言わんとするところに思い当たると、甘く双眸を蕩かせた。湯の中で脚の間にすっぽりと収まった彼の体を、するりと抱き込むと、サンダルフォンの体がわかりやすく跳ねる、
「ええ、ええ
……
もちろん、お付き合いしますよ。ですが今は、しばらくこのまま」
清潔な湯の香りに混じって彼の香りが鼻腔をくすぐって。安堵に深く息をつくと、サンダルフォンの両手がそろそろと指を絡めてきて、ルシオの言葉に応えるように、両の掌がぎゅうと握りこまれた。
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