香春 蘇葉
2021-01-15 02:59:54
1846文字
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【煙】

現パロシオサン

体の上にのしかかった腕が重くて起きる、という現象が本当にあるものだとは思わなかった。しかも、自分の身に起こるなどと、露ほども考えたことはない。現に今その状態に陥っている自分が信じられないくらいである。
くそ、と小さく呟くと、サンダルフォンは苦労して自らの体の上からソイツの腕をおろした。昨晩は二人して疲れ切っての帰宅であったので、夕食と風呂を済ますなり狭いベッドに二人、体をねじ込んで一言も交わさないまま眠りに落ちて。だというのにこの仕打ちは何なのだろう。
眉間に皺を刻んでもそもそと体の向きを変えると、カーテンの隙間から見える空は未だ真っ暗で、夜明けまでは今しばらくかかるらしい。この腕に起こされなければ朝日と共に目を覚ますことができただろうに。
そもそものしかかってくる腕が寝ていた人間を起こす程に重いことが癪に触る。自分などいくら鍛えても重さを感じるほどの筋肉がつかないというのに、この男ときたら一体何の嫌がらせなのだろう。
望まぬ目覚めに、原因たるソイツへ飛躍した怒りを向けたサンダルフォンは、能天気な顔で眠るその顔へ、最後にひとつ舌打ちをすると、毛布の下から抜け出して、床の上に放られたままだった厚手のパーカーを拾い上げつつベッドから出た。ベッドの脇をすり抜けて、ベランダに抜ける窓をそっと開く。わずかな隙間にするりと体を潜らせれば、ベランダに足を踏み入れた瞬間刺さる程に冷ややかな空気が肌を撫で、冬独特の形容しがたい匂いが鼻腔をくすぐった。堪らずひとつぶるりと震えて、パーカーのポケットへ手を突き入れる。

……ん?」

突き入れた指の先にかさりと何かが触れる感覚がして、サンダルフォンはひとつ瞬きをした。軽く摘んで、引きずり出せば紙製の黒いパッケージが露わになる。ああ、そうだった。同じポケットから今度は安物のライターを出しながら昨日のことを思い出す。仕事先のカフェの閉店間際、珈琲をテイクアウトしたいと滑り込んできたのはサンダルフォンの兄であるベリアルだった。時間も考えずに大量の注文であったので、ひとまずカウンター席に座らせて取り止めのない話や皮肉や文句を口にしながら用意したのだが。そうして注文された品を全て持たせて店を追い出した後、兄が座っていた席に残されていたものが、この開封してすぐのタバコとライターであった。メーリングアプリで一応忘れ物の旨を伝えると、預かって欲しいと返答がきたので、こうしてパーカーのポケットに突っ込んで持って帰ってきたわけである。
ベランダの端に腕をかけて、束の間ぼんやりとタバコのパッケージを眺めていたサンダルフォンだったが、不意に何かを思い付いたような顔をすると、パッケージから一本タバコを取り出した。甘ったるい香りのそれを唇でくわえて、ライターのボタンを数度押す。

……ッ、オイル切れか」

何度押しても点かないライターを見下ろして憎々しげに呟いた瞬間。背中にとんと重みがかかったと同時に後ろから伸びてきた指先が咥えていたタバコと掌のライターをひょいと攫っていく。
かち、と小さな音がしたと同時に、肩越しに振り向けば、さっきまでベッドで健やかに眠っていた彼が火のついたタバコを咥えてサンダルフォンの隣に出てくるところだった。
短く息を吸った彼が、冬の乾いた空気を巻き込みながら深々と息を吐く。まだ日の明け切らない朝の空気に白い煙が甘く溶けた。いつもの飄々とした雰囲気がなりを潜めて、冷たく冴えた蒼が薄く墨づいた空をじっと見つめる。
様になるな、心の内でぽつりとそう思った瞬間妙に悔しくなって、軽く握った拳で背中を軽く小突けば、眠気を引きずった緩い表情の彼がこちらを見た。

「キミ……吸えたんだな」

「お忘れかもしれませんが、私はサンちゃんより遥かに年上ですからね」

「そのくせ、俺が他の男の匂いをつけようとすると、嫉妬するのか」

大人気ないぞ。したり顔でそう言うと、一瞬きょとんとした顔をしたルシオが、好戦的に微笑んだ。ついで肩にもたれかかるように身を寄せてくる彼に、堪らず肩を揺らして笑えば、指先を弱く握られて、甘えるように柔らかな毛先がすり寄ってくる。

「サンちゃん……中、入りましょうか」

揉み消されたタバコが最後に儚い甘さを残して。彼の言葉の意味をどこまでも正確に捉えてしまったサンダルフォンは、ぐっと唇を噛むと握られた指先をわずかに擦り寄せて好きにしろ、と低く唸った。どうせ今日は二人揃って休日だ。