香春 蘇葉
2021-01-09 23:41:29
2840文字
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【眠り】

ルシサンワンライ: 切望/後悔/私を信じて

ふわりと地に足がつく感覚がして、ルシフェルはふと目を開く。
光ひとつ差さない真っ暗な闇の中だった。ただルシフェルの視界の中に一か所だけ、ほの白い光が差す場所がある。そこに膝を抱えてうずくまっている姿はルシフェルのよく知るそれであった。

「サンダルフォン」

やけに声が出し辛い。本来星晶獣が使う力とは異なる魔術が関わっている上に、ここは彼の領域であるので致し方ないだろう。構わず喉の奥から声を絞り出して、彼の名前を呼べば、顔にかかった前髪の間から赤い瞳がこちらを覗く。ぎしり、とともすれば人の子をひとり射殺せそうな眼光がルシフェルを射抜いたが、自分が何のためにここへ来たのか思い出せば、躊躇っているいとまなどない。

事の始まりは数日前だった。その日、ルシフェルは依頼に同行する予定もなく、当番仕事をこなしてのんびりと一日を過ごしていた。依頼へ赴くメンバーに組み込まれていたサンダルフォンの身をそれとなく案じながら、本を読んだり、騎空団の外の団員と会話をするなどしながら。そうして気がついてみると、依頼に赴いていたメンバーたちが帰ってくる予定の時間になっていた。存外、役割がなくとも、サンダルフォンと共にいなくとも、時間はつぶせるものだ。そんな自分にほんの少し苦笑しながら、サンダルフォン達の帰りを今か今かと待っていた。しかしいくら待てど依頼に出向いたメンバーたちが帰ってくる気配はない。日が暮れて、夜も更けて、日付が変わろうかという時間まで甲板に出て待っていても、一向に艇に戻ってくる面々の姿は見えなかった。
彼らが戻ってきたのは、結局空が白み、夜も明けようかという時間であった。今回は然程危険もない依頼だから、とグランとサンダルフォン、それからルリアとカタリナとビィ、その四名だけで依頼に出向いたのがそもそもの間違いだったのだろうか。帰ってきたサンダルフォンはグランの背中に背負われるようにして、ぐったりと身を預けていた。ルシフェルの姿を見て安心したのか、甲板に上がった途端に取り乱し始めたグランを宥めながら、眠っているようなサンダルフォンの頬に手を当てる。
彼自身のエーテルに混じって微かに術式の解読できない魔術の気配がした。束の間目を見開いて息を呑む。深い、深い闇を感じる魔術だった。少し気を抜いてしまえば人の子などすぐにでも呑まれてしまいそうなほどの。特異点たる素養を除けば、その身は人の子のそれだというのに、グランが未だ正気でいることが不思議でならなかった。
とりあえずは、部屋に。グランの背からサンダルフォンを預かり、自室に運んで。艇にいる有識者を呼び、懇々と眠り続けるサンダルフォンの状態を確認した結果。

「端的に言う。これはお前がコアをいじったくらいじゃあどうにもならないだろうさ。グランの話じゃあかけられた薬品が原因だ。星晶獣が使う力とは全く違う系統の魔術が組み込まれてる」

故に解呪を望むのなら、その手の魔術に富んだものに手助けしてもらう必要がある。

「十中八九、追っていた魔術師の薬品が原因だろうが、こりゃ完全に心を閉ざしている。簡単に見た感じだが、精神干渉するタイプだな。戦闘に入った時に一番動き回っていた奴に目星をつけて、とっておきをぶつけやがった……

「錬金術の開祖よ。私は、どうしたら彼の力になることができる」

……マギサを呼ぶ。お前がコイツの心の中に入っていって、引き揚げてやるんだ」

カリオストロが話すには、サンダルフォンにかけられた薬品の術式をマギサに解析させて、同じ魔法薬を作る。そうしてできたものをルシフェルが飲み、魔術を込めた紐で物理的にふたりを繋ぎ、サンダルフォンの深層心理に降りていく、という手はずである。
術式自体はマギサから見れば至極単純だったらしく、次の日には魔法薬が出来上がってきた。渡されたものを飲み下し、ベッドの淵にもたれかかるようにして、サンダルフォンの手を握り、眠りに落ちたルシフェルであったが。

こちらを睨めつける眼光に、少なからず圧を感じながら、ルシフェルは一歩、また一歩とうずくまるサンダルフォンへ近づいていく。そうして、その距離があと一歩程というところまできた時。

「来るな‼」

空気を張り裂かんばかりの大音声でサンダルフォンが叫んだ。束の間、息を呑んで歩みを止めれば、それを見とめた赤い瞳が悲しげに歪む。

「来ないでください……俺は、貴方に何もしてあげられない」

「それ、は……

「貴方が一度滅んでしまった時も、俺は何もできなかった。自分のことばかりで、貴方に俺を見てほしいと切望するばかりで、貴方のことが何ひとつ見えていなかったから……そんな俺が、貴方にして差し上げられることなんて……

後悔ばかりがサンダルフォンの口からこぼれて、暗闇の中で淡く溶けた。俯いてその顔は見えないが、きっと彼は泣いているのだろう。震える肩が痛々しい。カリオストロが言っていた通り、あの薬品は使われた者が抱える心のしこりを助長させるものなのだろう。そうして生まれた闇に心を囚わせて、眠りの世界に縛り付ける。口ではいくら心の整理はできたと言っても、その実彼はルシフェルへ何もできなかった後悔や、過去の切望に囚われていたのだ。
ルシフェルはひとつ息をついて一歩前に出た。その気配に気が付いて、サンダルフォンの肩がびくりと大きく揺れる。きっとまた拒絶の言葉が飛び出してくるのだろうが、それでもルシフェルは目の前で咽び泣く体を今すぐ抱きしめてやりたかった。
しゃがみこんでそっと肩を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。抵抗する力を抑え込んで、首をそっと傾けると、こちらを見上げてぼろぼろと涙を流す彼のその鼻梁へ唇を押し付けた。

「サンダルフォン、君が私に何かをしようと気負う必要はない。あの頃から今も、私は君が隣にいて、日々を穏やかに過ごしてくれるだけで、幸せなのだから」

……そん、なの」

「私が信じられないだろうか?」
「だって、俺本当に何もできなくて……貴方から力を受け継いだ後だって、何も……

サンダルフォン、と彼の名前を呼んで、こめかみへ、額へ口づける。その度に腕の中の体が怯える小動物のように跳ねるので、ことさらルシフェルの心は痛んだ。

「サンダルフォン、今は信じられないかもしれないが」

いつかきっと、私を信じてほしい。私の言うことを信じてほしい。サンダルフォンが自分に何かをしなくても、ただ隣で笑ってくれているだけで幸せなのだ、と。
額を合せて希うように口にすれば、長い逡巡を経た後に、サンダルフォンが小さく頷いた。幼子のような表情を浮かべた彼がこちらを窺うように視線を寄越して、ルシフェルの小指を控えめに握りこんだ。ふわり、と辺りがにわかに明るくなってくる。帰ろうか。笑みまじりにそう言った瞬間、ルシフェルの意識は強い力にひっぱられるようにして浮上した。