香春 蘇葉
2020-12-19 23:10:06
2283文字
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【うたぐりや】

ルシサンワンライ:言えなかったこと

近頃ルシフェルは、彼がふとした時にため息をついている姿をよく目にするようになった。人がよくつ、疲労の果てのそれやはたまたリラックスを目的としたものにはどうしても見えない。有り体に言ってしまえば艶めいているのだ。例えば距離を隔てた恋人との最後の逢瀬を思うように。例えば一方的に思いを馳せる相手との触れ合いを夢想するかのように。彼が度々つくため息は、いかな情緒の細やかな動きに鈍いルシフェルであっても感じ取れるほどの色を孕んでいた。
彼は何かを思い悩んでいるのだろうか。気がついてしまうとルシフェルは気になって仕方がない。生来の凝り性と探究心に突き動かされて、彼に気がつかれないように細心の注意を払い、観察を重ねていると、ひとつわかることがあった。
彼のため息が多くなるのは、決まってルシフェルと情を交わした次の日なのである。再顕現後、互いの恋慕を交わして、晴れて恋人同士となったものの、本来であればルシフェルと彼は人の子で言う親子のような間柄。当たり前と言えば当たり前だが、ルシフェルの方が数千年も長い時間、この空に在る。仮にルシフェルと恋人となった後に、年若い他の誰かを恋い慕い、そちらの方が良くなったとしても致し方ない。もしかして、既に善い相手がいて、ルシフェルとの夜を後悔してため息をついているのやも。
そうであれば、突き放して欲しい、とルシフェルは思う。仮に一度恋人となった後にまた昔と同じ関係に戻ったとしても、ルシフェルに恨むつもりはないし、その権利もない。そもそも幸運にも今再顕現を果たしてはいるが、既にこの空から一度失せた亡者のようなものだ。その亡者が諦め悪く今を生きる彼の手に縋り付いて一緒にいてもらっているだけのこと。別れて欲しいと言われたらいつでも身を引くつもりではいる。
とは言え、これまでの生の中で、自分の思い込みだけで行動に移るとあまりよい結果は招かないとよくよく自覚していたので、まずはそれとなく彼がため息をついた瞬間にその理由を訊ねようと心に誓った。言葉足らずで彼と一度道を違えたのだ。この位の会話をしても罰は当たらないだろう。

「サンダルフォン、何か悩むことでもあるのだろうか」

部屋に二人きりの昼下がり、昨晩の彼の艶やかな姿を思いながら、タイミングを待っていた。そうしていると、不意に彼が感情に濡れたため息をつく。きた、と。そう思い、呼吸を三つほど数えた後に、彼へと近頃の疑問を問うた。自分でも驚くほどに平坦で冷たい声だった。幸い、サンダルフォンにはそれを気取られることはなかったらしく、びくりとわかりやすく肩を揺らした後に、ほんのりと頬を染めながらおずおずとこちらを向く。

「あの、悩みと言うよりは、その……俺個人の問題かもしれませんが」

「私でよければ、聞こう。何か力になれることがあるかもしれない」

「と、言いますか……ルシフェル様でしか解決できないことで……

やはり、別れてくれ、と。彼はそう切り出すつもりなのだろうか。覚悟はすれど、いざその時が目の前だと思うとルシフェルの心臓はぎゅうと痛んだ。無意識に鎧を排した胸元を握り込んで彼の言葉を待つ。ルシフェルの目の前で徐々に顔を朱に染めて、百面相をするサンダルフォンを見つめていると、ああ、自分以外の者が彼にこんな顔をさせているのだな、と呼吸さえも奪い取られたような気分になった。

「あの、ルシフェル様には今まで言えなかったんですが」

「うん、何だろうか」

「もう少し、情事をお手柔らかにして頂けると……俺が助かります……あの、気持ちいいんですが、気持ち良すぎて、昼間ふとした時に思い出して体が疼いてしまうと言いますか……そのせいで、ため息ばかり増えてしまって」

俺、はしたないですね。困ったように笑いながら、サンダルフォンがルシフェルの空だった方の手を握った。〝今まで言えなかったこと〟を明かされた方はと言えば、しばらくの間ぽかんとした後に、あとから押し寄せてくる彼の思いを信頼しきれていなかった己への後悔と、年甲斐もなくがっついているという薄々勘づいて恥入っていたことをサンダルフォン自身に明かされた羞恥とで、項垂れる。
ルシフェル様?と気遣わしげに彼が覗き込んでくる気配がしたので、視線だけをあげれば、自分と同じくらい赤く熟れた彼の頬が視界に飛び込んで。どこかむず痒い状況に耐えきれずに、深々とため息をつきながら彼が握った手を引いて、一回りほど小さな体を抱き込んだ。

「る、ルシフェル様」

「君が愛らしくて、つい歯止めが効かなくなってしまう。許してほしい。君の願いについては、善処しよう……保証は、できないが」

「はは、保証できないんですか」

仕方がない方ですね、くすくすと笑いながらそう言うと、彼がこちらの背に手を回してぽんぽんと宥めるように叩いてくれる。それが昼下がりの眠気に満ちた体にはひどく心地よくて、羞恥を隠す傍ら鼻先を埋めた彼の肩口で深く息を吸っていれば、不意にあ!とサンダルフォンが声を上げた。

「俺が何かに悩んでいると、何故わかったんですか?」

昔から、ルシフェルはサンダルフォンに対してだけは嘘つくのが下手である。そんな下手くそな嘘をついて、バレるくらいなら最初から本当のことを、と肩口に顔を埋めたまま、ぽつりぽつりと近頃の思索を開け広げれば、みるみるうちにサンダルフォンの眦が釣り上がって、最後には背中にまわされた手で抗議代わりに強か叩かれた。彼を信じきれなかった罰なのだから、これくらい安いものである。