香春 蘇葉
2020-12-09 23:36:51
2911文字
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【距離感と手と〜とある日の依頼〜】

シオサン。【距離感と手と。】の続き。ルシオの両利きが、サンちゃんにばれる話。

「ッ!!耳を塞いで!!」

ルシオがいつにない声で叫んだ瞬間に、巨大な狼のような魔物の口から、聞くに耐えないほどに甲高い音が大音声で響いた。叫び声を上げた本人はもちろん、数人が咄嗟の反応で音の影響を軽減することができたが、ほとんどが間に合わなかった者だったようで。鼓膜が破れたのか、はたまた別の箇所を音で狂わされたのか、まともに音の影響を受けた者は皆、血の流れる耳を押さえて、地面の上をもんどり打っていた。今の今まで苦戦していたというのに、これでは戦闘の続行は不可能だろう。
辺りを見回して素早くそう結論づけると、ルシオは獲物を構えて深く腰を下ろした。難を逃れて立っていられた者はルシオを除けばたった二人。サンダルフォンと、パーシヴァル、二人に視線を向けると、ルシオは鋭い声を上げた。

「私が殿を務めますので、撤退を。サンちゃんは少々頭がふらついているでしょうから、グランを。パーシヴァルさんはシャルロッテさんとレ・フィーエさんをお願いします」

上から下までじっくりと対峙した魔物の姿を確認すると、どうやら一種類だけでなく、現存する複数種類の魔物の特徴が見て取れた。山の奥で魔物の研究をしていた男が残した、家の調査。それが今回の依頼で、この山に来た理由だ。最初こそ対処に易い魔物の相手をしながら山奥を目指していたが、とある一線を越えたところで、襲いかかってくる魔物の種類が一変した。一種のみの純粋な魔物ではなく、複数種の魔物の特徴を有した、所謂〝合成獣〟と呼ばれる種類の魔物へ。比例して道中の戦闘は激化していき、辛くもたどり着いた先で出くわしたのが今ルシオ達の目の前にいる巨軀であった。

……ッ、殿なら俺がやる!グランはキミが」

「先程の音で平衡感覚がおかしくなっているのでしょう?ならば、私の言うことを聞いておくことを、おすすめします」

視線をひとつもやらずにそう言えば、背後から悔しそうに唸る声が返ってきた。視線だけちらと振り向いて、飛び込んできた彼の足元を見やると、気のせいでも何でもなく、サンダルフォンの脚が微かに震えているのがわかる。今は気力だけで保たせているのだろうが、戦っている間にどうなるかもわからない。撤退戦において殿を失うことほど手痛いことはないのだ。
ひと呼吸を置いて、くそ、と小さく吐き捨てたサンダルフォンが、パーシヴァルを伴って駆け出したのを確認したルシオは、一瞬口元に浮かべた笑みを完全にかき消すと、冷えた視線で魔物を見上げた。体高はおよそ五メートルくらいか。こちらを睨む頭は狼のような様相をしているが、体が明らかに猫に類する動物に似た魔物のそれであり、背中からは大鷲の羽をさらに数倍大きくしたような翼が生えている。駆け出されても厄介だが、頭上を超えられて、先に逃げた者たちに危害を加えられるのも都合が悪い。まずは、翼を。
ルシオは短く息を吐くと、つま先で軽く跳躍した。たったそれだけで魔物を眼下とした彼は、踏み抜かんばかりの強さで脳天に着地すると、頭に受けた衝撃で魔物の動きが鈍っている間に、首筋を駆け、翼の間まで辿り着く。脳の揺れを御した魔物が、背に乗り上げた存在に気がついて咆哮を上げた瞬間に、獲物を振り抜きまずは一片、翼を切り捨て、もう一片を新しく鞘から抜いた獲物で落とした。血飛沫を上げ、暴れ出したその背中から、軽い身のこなしで降りると、地面を爪先で軽く擦り、土煙による目隠しを図りながら、後ろ向きに滑空する。と、気づいた魔物が地響きを上げながらついてくる。翼を落とせばあとは、動けなくして、追いかけてくる心配をなくしてしまえばいい。
道に覆い被さった木々の先の隙間から、先に逃げたサンダルフォン達の姿が見えるのを確認したルシオは、とん、と爪先で軽く地面を叩いて止まると、自らに向かって駆けてくる魔物の、前脚の付け根を狙って思い切り地を蹴った。ひと突き、まずは脇の下に突き出した切先が深々刺さる。身を翻し、ついでもうひと突き。今度は首筋から肩の付け根に。鞘から抜いた刀を操り、片脚の付け根の骨を囲み込むようにして全てを突き刺すと、ルシオはひとつ、蒼い瞳を冷たく瞬かせて刀に手をかざした。
眩いほどの光が魔物の毛と皮の下から炸裂する。血と肉片と煙に巻かれながら、優雅に弧を描き、戻ってくる刀を順繰りに鞘へ収めたルシオはそっと息をついて再び動き出すまで時間がかかるであろう魔物に背を向けて、軽い足取りで駆け出した。
殿を任せたルシオが追いついてくると、さすがの二人も安堵するようで。足は進めつつも、ほっとした表情をした二人に、淡く笑みを浮かべて駆け寄っていく。それも束の間。
大音声が響いた。獲物をいたぶる余裕さを欠した魔物が、今度は咆哮を上げながら突進してくる。荒れ狂う魔物が繰り出した爪が、グランを背負ったサンダルフォンに伸ばされたことに気がついたルシオは後先を考えずにその間に滑り込んだ。





「キミ、両手使えたんだな」

珍しくルシオの手当てを申し出たサンダルフォンは、無言のまま手際良く全てを終えると、ひとつ息をついてそう言った。
あの後、自らの腕で爪を受けたルシオは、弾き飛ばされた刀をいつもと違う方の手で掴み取り、難なく魔物を倒し切った。辛くも撤退したすぐあとは、ルシオも深手を負っていたこともあり、サンダルフォンは焦った顔で傷を気にするばかりだったので、利き手についてはすっかり逃げ切れたとばかり思っていた。そうだ。いかな恋人が大怪我を負ったとしても、彼はそこが戦場であったなら最後まで戦い続けるタイプであった。何なら冷静に戦況を見極める目まである。
隠していたことを責められるだろうか。はたまたバカにしていると拗ねてしまうのでは。背中に冷や汗を伝わせながら、動揺しきり、といった顔をしたルシオは、震える手でサンダルフォンの肩をそっと掴んだ。

「あの、サンちゃん」

「そういうことは、最初から言っておけ」

仮にルシオの利き手が本当に、深手を負った方の手であったのなら、あのまま魔物の爪に切り裂かれていた可能性がある。それを考えると、恐ろしかったのだ、とサンダルフォンは顔を俯かせて言った。

……サンちゃん」
 
「なんだ」

「顔をあげてください」

……断る。見せられるような状態ではない」

そう言われると、なおさら顔が見たくなる。衝動のままに、サンダルフォンの顎を掬い上げると、拗ねたような、泣き出してしまいそうな、そんな表情をした彼の顔が露わになる。ルシオは小さく苦笑すると、その鼻先にそっと唇を押しつけて、頬で彼の顔に擦り寄った。

「すみません。もう、サンちゃんに隠し事はしませんから」

「できようもないことを、言うな」

おや、手厳しい。からからと笑うと、ついに耐えかねたのか、サンダルフォンの頭が顎の下に潜り込んできて、すんとひとつ鼻を啜る音がした。これはもしかしなくてもやりすぎてしまったらしい。ルシオは苦笑を深くすると、甘えるように胸元へぐりぐりと額を押し付けるサンダルフォンのつむじにそっと鼻先を埋めた。