香春 蘇葉
2020-11-24 21:29:41
3423文字
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【ともの時間のつくりかた】

いい兄さんの日、ファーフェル

その日、星の民のとある研究所の所長室で盛大な悲鳴が響き渡った。声の主は所長が創り出した最初の星晶獣、その片割れ。狡知を司り、創造主の補佐官として日々飛び回る彼は、束の間、芝居じみた悲鳴で所長室の壁を震わせると、不意にその声をおさめた。

「ああ……ファーさん……一体全体、どうしちまったって言うんだい?」

彼の熟れた柘榴のような瞳は、ソファの上ですやすやと眠る、ソレに向けられていた。ソレは通常、成体となった星の民が身につけるローブの中に埋もれるようにして健やかな寝息を立てていた。見た感じは大凡生まれてから四、五年程の、幼児のように見える。頭髪は星々の白んだ輝きのような白銀をしていて、奔放に跳ねた寝癖のような毛束が所々ぴょんぴょんと出ていた。今は瞼の奥に収められていて、見ることは叶わないが、その瞳はきっと、冴え渡る冬空のような冷えた蒼をしているのだろう。
彼は一本踏み出すと、ローブの白い海から幼子の体を抱き上げた。ローブの下に身につける黒い装束のみが肩に引っかかり、辛うじて全裸は免れているが、どことなく線が細く、頼りない体が腕に収まる。霞でも食べているのかと思うほどに軽いその体を揺すって、彼はその赤い瞳を弓形にうっそり眇めた。

「ファーさん、お疲れのところ悪いが、寝る前に何があったかだけはオレに教えてくれるかい?キミのことだ。目星はついているだろう?ん……イヤ、それより記憶は?なかったらマズイな……

「ゔ……べりある、ゔるさい……おれはいいから、ルシフェルを……

おや、記憶はあったようだ。薄らと目を開いて言いたいことだけを伝えたルシファーはベリアルが束の間驚きに動きを止めている内に、再び眠りに落ちていった。こんな非常事態でもルシフェルのことか、と内心ため息をついたが、すぐにベリアルはルシファーの言葉に違和感を感じて、幼子を抱き直しながら首を傾げる。
方々から多大な恨みを買っている彼一人ならばともかく、星の民でさえおいそれと手を出すことができないくらいの力を持つルシフェルにも何かしらの危害が及んでいる可能性があるようで。ベリアルはてっきり毒殺などの失敗の結果、ルシファーの体が一時的に縮んでしまったものだと思っていたが、原因は他にあるのだろうか。うーん、と誰に向けてでもなく放った唸りは所長室の空気に溶ける。窓の外に目を向ければ今日はよく晴れていて、もしルシフェルがこの研究所に戻っているのならば、きっとまた中庭で自らの創った天司と珈琲を楽しんでいるのだろう。あまり心配はしていないが、ルシファーの手前行ってみるか。ベリアルはずり落ちてきた幼子をそっと抱え直して、心底面倒そうに溜息をつきつつ所長室を出た。

丁度、その頃。中庭にいたサンダルフォンは今この時、目の前で起こった出来事に固まっていた。つい今し方椅子に腰をかけて共に珈琲を楽しんでいた己の創造主が、少し視線を逸らした隙に姿を消したのだ。束の間思考が追いつかず、カップを両手で包んだそのままの状態で息を忘れたように目の前を見つめていたサンダルフォンだったが、不意にハッと我に戻ると、慌ててカップを置いてガーデンテーブルの反対側に回り込む。回り込んで、絶句した。
ついさっきまでルシフェルが座っていた椅子に、幼子がちょこんと腰をかけていた。元々エーテルで編まれていた装束は体の大きさを問わずに、変化した瞬間に体に沿って収縮したのだろう。元のルシフェルの姿を、そのまま小さくしたような幼子が、そこにはいた。本人にも状況がよく掴めてはいないのか、はたまた記憶がないのか。蒼い目がこぼれ落ちそうなほど大きく、丸くなってサンダルフォンを見上げる。一拍、二拍。どちらだ、とサンダルフォンが動きかねている目の前で、不意に大きな瞳が涙で潤んだ。あ、これは記憶がないな。そう察したサンダルフォンが慌てて両手を伸ばして、ルシフェルの体を抱き上げようとした瞬間、中庭に巨大な星晶獣の雄叫びの如き鳴き声が響き渡った。





「ほら、ルシフェル。くうのならしっかりとくちにいれろ。ああ、ついているぞ。ふいてやるからこちらをむけ」

「ん、む……しゅまない、あによ」

予想外だったなぁ、と並んで食事を取る二人の、とりわけルシフェルの世話を甲斐甲斐しく焼くルシファーの姿に、ベリアルは苦笑した。
事の仔細はこうである。四徹のルシファーは束の間のうたた寝の中で夢を見た。己と、あるいはルシフェルと似た姿をした何者かが忠告めいた話をする夢を。貴方の最高傑作が、最近貴方とあまり話ができないと寂しがっていましたよ、と。それと、なかなか時間が取れないのならば、強制的にそうなるようにしてあげましょう、とも。類型が仲良くしているのを見るのは嬉しいですから。最後にそう言って、いけすかないその姿が遠ざかっていくのと同時に、目を覚ましてみればすでに幼子の姿だったという。しかし慌てず動じず、四徹の疲れもあって、すぐにまた眠りに落ちたところを、ベリアルが発見した、と。かい摘むとこう言った話である。ルシファーは体以外に変化はないが、ルシフェルには体に合わせた精神の退化が見られた。加えて記憶の混濁も少々あったため、ルシファーを兄として認識させて、発覚から半日、ベリアルとサンダルフォンが見守る中二人一緒に過ごしたのだが。

「まさかファーさんがこんなにイイ兄さんっぷりを見せてくれるとはねェ……フフ、オレも是非お世話してもらいたいもんだ……

「補佐官……それは流石に引きます……

「フフ、天司長サマの仔猫チャンは随分と辛辣だ……どうだい?ひとつ、ファーさん達を見習ってオレの事をお兄ちゃんと思ってみるってのは」

……オイ、たわむれているヒマがあったらすこしでもはやく、もとにもどるほうほうをさがしてこい……それからヒナ、オマエはもう行け。ルシフェルがそろそろねる」

サンダルフォンの反応を待たずして割って入った、それはそれは不機嫌そうなルシファーの声を辿って視線をやれば、言葉通りルシフェルが口周りを拭かれながらすでに舟を漕いでいる。あらそう?では、ごゆっくり。戯けたように肩をすくめたベリアルは、空になった皿を片手にサンダルフォンのフードを引いて部屋をあっさりと出ていく。ルシフェル様、とサンダルフォンが一声あげたのを最後に、部屋が静寂に包まれると、ルシファーはひとつ息をついて、椅子から飛び降りた。次いでルシフェルが降りるのを手助けしてやってから、手を引いてベッドまで向かっていく。

「あに、あによ……

「ん。なんだルシフェル」

「きょうはねむるまでいっしょだろうか」

言われてはたと立ち止まる。夢の中であのいけすかない奴が言っていたことは真実だったらしい。記憶を混濁させ、退化までさせて、本末転倒だろうと呆れたものだが、そうなってまで残るということは、ルシフェルの中に深く根差す願いだったのだ。明日からは忙しくともきちんと話す時間を取ろう。そう心に決めながら、ルシファーはベッドに乗り上げ、ルシフェルにシーツをしっかりとかけてやりながら、小さく笑った。

「おまえがおきていられるのなら、よあけまででもはなしてやろう」

「それは、ふふ……すこしわるいこだな」

ふわ、と大きなあくびひとつして、ルシフェルの瞼がとろとろと溶けていく。しばらくすると健やかな寝息を立て始めた小さな体に、ぎゅっと身を寄せながら、ルシファーも寝不足の頭を心地よい眠りの波に任せた。

そうして、次の日。ルシファーが目を覚ますとすっかり元の姿に戻ったルシフェルが窮屈そうにベッドに詰まっていた。身を起こして、自分も問題なく元に戻っているか、軽く確認していると、不意に袖を引っ張られるような感覚がする。視線を向ければ起き抜けのいつもより緩い表情をしたルシフェルがこちらを見ていた。

「ルシフェル、満足したか?」

頬を緩めて問えば、ルシフェルの顔が束の間考えるようなそぶりを見せて、それからゆっくりと笑みを形作る。

「あれくらいでは足りないな。友よ」

「いい度胸だ。今日は一日、検査で構い倒してやろう」

何せ通常では起こり得ないことがこの身に降りかかったのだ。貴重な現象だからな、と笑みを深めながら重ねて言えば、自分と似た造りをしたかんばせが、鮮やかに色づいた。